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危険なメンタリティー
試合中、声を発しない選手がほとんど、ということは、
ほとんどの選手が、
「おまえは無責任なんだぜ。」
と、いわれているのに、気がついていないようなものである。
まったく、脳天気といおうか、おひとよし、といおうか。
こういうところは、むかしっからちっとも変らない。
なぜなのだろう。
ジーコは、むしろ変ってきていることを重視し、これからもっと変るであろうことを期待している。
が、危険なのは、その楽観である。
ここまでなるのに、幾時間を費やしたのだろうか。
なぜ、マスコミをつかうなり、口頭でいうなり、褒め上手を見せないのだろうか。
ブラジルの選手にブラジルの言葉を使って説明するのとはわけがちがうのである。
ジーコは日本を、日本人を、日本人の気質を、さがを、見極めているのだろうか。
不安はそこにある。
ここに別の見方が併存する。
かれイヴィツァ・オシムはわずか数ヶ月の滞在で、日本を、われわれ日本人を看破した。
「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。」
イヴィツァ・オシムは、日本人の、中位に甘んじる性格に警鐘をならす。
声を発しない、ことの根っこが、すなわち、ここに通じているようにおもえてならない。
声をださない、と心配する、よくもわるくも、生まれながらの日本人中田英寿と、ダイジョウブ、という、よくもわるくも、生まれながらのブラジリアンのジーコ。
わたしなら、迷わず、よくもわるくも、日本を、日本人をしっている現場監督中田英寿選手の言葉を優先し、率直に、まず俎上にのせるべきものとみる。
いかがであろうか。(10.14.03)
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