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きみは勝負に誠実か
むかし柏レイソルの明神智和選手が、国際マッチでループシュートを決めた。
センタリングであったが、幸運にもボールはキーパーの手に触れることなくゴール。
試合後、かれは、あのプレーはミスキックだといった。
それを聞いて情けなくなった。
ゴールしたのに。
結果的であれシュートになったのに。
シュートには、よいシュートも、悪いシュートもない。
センタリングのすえのゴールでもゴールは、やはりゴールである。
ゴールを多くとったほうが勝。
シュートは、すなわちサッカーそのものを意味する。
シュートとフットボールサッカーは同義である。
かれは試合後の、狙ったのですか、という記者からの質問に、ウインクしながら、もちろんです、というべきであった。
プロフェッショナルなのだから。
そこで判断すべきことは、かれが嘘つきか、どうかではない。
勝か負かが問われているのである。
勝ために全身全霊を傾ける。
そのためにはなんでもするといったではないか。
観客や記者に正直であることが大切なのではない。
勝負に、ただ、勝負に誠実であればいい。
なにを目指していたのか。
そのためになにをしなくてはならなかったのか。
いつも、最後はごっちゃまぜで終ってしまう。
それはなにを目指しているか。
その問いが、そこからすでに曖昧だからである。
いまこの国への問いとして考えると、その根は深い。
しかし、その根を検証しダメをだして、ときに間髪いれず、そぎおとす。
その勇気をもたずして再興はありえない。
ある経営者はいう。わたしの決断の先延ばしは、いちにち2億円の損出だ、と。
いわんや国においてをや。(10.13.03)
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