エピローグ


 空はもう夕焼けだった。赤く染まった雲と空が綺麗なコントラストを生み出している。
 ルークとエイミーはその空を見上げていた。
 その空の向こうには点になって見える空中庭園が浮かんでいる。
 つい、先程まであの場所に居たという事が夢のように感じられた。
 そう、全てが幻であったかのようだった。
「……俺、魔法を覚えてみることにするよ」
 ルークがそうぽつりと呟くようにそう言った。
「魔法?どうして?」
 エイミーは何気なくそう問い返す。今まで魔法を使おうとしなかった人間がいう言葉ではないような気がしたからだ。
 その言葉にルークはぽりぽりと頭をかいた。
「どうしてって……まあ、なんか魔法が使えるのも悪くないなって気になったからさ」
 よくは分からないが、ルークは魔法らしきものをつい先程使ったのだ。それには先祖であるソルの関与もあったのだろうが、これからは魔法が使えるような気がしたし、使ってみるのも悪くないと思った。
 魔法を使う事が、先程までの出来事を幻ではないと、そう証明出来るような気がしたのだ。
 空中庭園に行ったことも、メイシャに出会ったことも、ソルに出会ったことも、悪魔に身体を乗っ取られた事も、それを封印した事も。全て幻ではなかった、その証だった。
「夢、みたいだったね」
 エイミーがそう呟いた。その言葉にルークも頷く。
 夢みたいだった。現実離れしていた。全ての出来事が幻だったのではないかと思うほどだった。
「でも、夢じゃなかったんだ」
 エイミーはポケットをごそごそと漁って、その中から紙に包まれたものを取り出して見せた。
 ルークはそれを覗き込む。そこにはあの空中庭園で咲いていた、エイミーの言う昔の花だった。
「……持って帰ってきていたのか」
「うん、採集しちゃうのよね。こういうのって習慣で」
 そう言ってエイミーは笑う。つられてルークも笑った。エイミーは薬学士だ。研究心がそう行動させるのだろう。
「でもね、採集籠とかの薬草は丸々置いてきちゃった」
「俺も剣を忘れてきたな」
 そう言って二人はまた笑う。
 確かにここに残ったものと、無くなったもの。それは確かにあの出来事があった証。妖精のメイシャに出会った証。
 メイシャが証人が欲しいと言っていたのを二人は思い出していた。
 こういうことだったのかもしれない。夢ではなかったのだろう。
全ては本当だったのだと。それを認めて欲しかったのかもしれない。
「……私ね、本書こうと思うんだ。今回の事、忘れないためにも」
「本か。それは良いかもしれないな」
 エイミーの言葉にルークは嬉しそうに微笑んだ。
そう、文章ならずっと残る。何年経っても色あせることなく残り続けるのだ。
 エイミーに出来る証はそのくらいだと、思っていた。
 思い返す。あの短い間に起きた沢山の出来事を。
 思い出す。一人の人間を愛し続け、救おうとしていた妖精の事を。
「……そういえば、ルーク。一つ聞いても良い?」
 エイミーはある事を思い出して、隣に立っているルークをつついた。
「ああ、何だ?」
 ルークは笑顔で答える。それに対してエイミーは聞くのがなんとなく気恥ずかしく感じられた。それでも聞いてみたいという欲求はある。
「……ねえ、私の声って聞こえてた?あの、乗っ取られていた時に」
 エイミーは思い切って聞いてみた。彼女が一番、自信が無かったのはルークを呼び戻す事だった。幼馴染ではあっても長い間話してもいない関係だったのに、その声が届くとは思ってもみなかった。
 だけど、実際はエイミーを傷つけることなく、ルークは意識を取り戻してくれた。それは何故なのだろう。
 その問いにルークはにっこりと笑って答えた。
「エイミーが俺の名前を呼んでいるのが聞こえた。それだけだよ」
 その言葉にエイミーは息を呑んだ。嬉しかった。素直に嬉しかった。私の幼馴染はちゃんと私の声を聞いてくれていたのだ。
 エイミーはメイシャがずっと一人の人を思い続けていたその気持ちが少し分かったような気がした。
 メイシャは言っていた。
 ソルはソルでルークはルークなのだと。生まれ変わりであっても関係ないと。
 きっとこういう事なのだ。
 メイシャにとってソルが大切だったように、エイミーにとってもルークは大きな存在になっている事に気がついた。
 だからメイシャはエイミーの声がルークに届くのだと言ったのかもしれない。
 忘れたくなかった。この気持ちを。
 誰よりも人を大切に思う、この気持ちを。

 数日後、エイミーは研究所の実験にまた戻っていた。家に帰ってみればまた元の生活に戻るわけで、昼夜が逆転した生活になり、ルークとも顔を合わす事が無くなりそうだった。
 それでも、今は時間が重なった時に少し話したり、一緒に話す機会を作るように変わっていっていた。
 もう、疎遠な幼馴染ではなかった。大事な時間を共有した大切な人だったから。
 エイミーは仕事の休み時間に原稿用紙とペンを片手に悩むようになっていた。
 書きたい事は沢山あった。
 エイミーが体験した事。ルークに起きた出来事。空中庭園のお話。そこに住んでいた王子様と妖精の恋のお話。書きたい事がいっぱいありすぎて、どこから手をつけていっていいか分からなかった。
 書きたい事を箇条書きにしたメモを見ながらエイミーは筆を原稿用紙に走らせる事にした。
 タイトルは『空中庭園』。物語はそこから始まるのだ。



あとがき