第五章  隠された動力源


 メイシャは羽根が生えている。崩れた城の内部を案内するのも彼女はその上をふわりと浮いて案内するだけだ。
 ところが、ルークやエイミーの通る道は瓦礫道だった。ルークは普段の訓練もあって、大きな瓦礫を登るのも降りるのも自由自在だが、夜行性で研究家のエイミーにとっては重労働以外の何物でもなかった。瓦礫の移動を続けるだけでも息が切れてしまう。
「……ちょ、ちょっと待って。一休みさせて」
 疲労が溜まりに溜まったエイミーがよろよろと大きな瓦礫にもたれかかって座り込む。その様子に気が付いて先を進んでいたルークが足を止めた。上を飛んでいたメイシャも近くに下りてくる。
「大丈夫か、エイミー。慣れてないんだから、あんまり無理するなよ。なるべくお前でも通りやすい道を探していくつもりだけど……」
 心配そうにルークはエイミーを気遣う。そして目の前に広がる瓦礫の山を見てため息をついた。
 この城が崩れたのは一千年前。元々は良い素材だったのだろうが、風化もきていて、もろくなっている部分もある。また。均一に瓦礫が落ちるわけも無いのだから、道らしきもの無く、その上を移動しないといけないという状況はなかなかシビアだった。
「……私、もうちょっと体力鍛えておけば良かったわ〜」
「そうだな、あと少し欲しいところだな。とはいっても今更なんだけど」
「……でも、こういう体力は普段の私には必要ないもの」
 エイミーの嘆きを冗談半分で返してくるルークに、反論してみる。自分でもむなしい行為だと思うのだけれど。でも、確かにこういう体力勝負は研究職のエイミーからしてみれば意味が無いに等しい。
「大丈夫、エイミー。私が抱えて飛んであげようか?」
 心配そうな表情でメイシャが声をかけてくる。その心遣いにエイミーは感謝するものの、体格的には人間としては小柄の部類のエイミーではあるが、妖精であるメイシャと比べればその体格差は激しいものがあった。……つまり、人間でいえば十歳位の大きさのメイシャと成人女性の体格程度はあるエイミーなので、どう考えても持ち上がらない。それに彼女の腕は細くてとてもじゃないけれど力がありそうには見えなかった。
 だが、言った本人は極めて本気らしい。真剣な表情でエイミーを見ていた。エイミーは苦笑しながらメイシャに手をふってみせた。
「ありがと、気持ちだけ戴いとくわ。もうちょっと休めば大丈夫だから」
 エイミーの言葉にメイシャは安心そうな顔をして微笑む。ルークも心配そうな顔をしてはいるものの、エイミーの態度に安心感を持ったようだった。彼はエイミーから目を移して、周囲の様子を眺めていた。
 あんまり遺跡等の類に興味があるわけではないけれど、ルークにもここがかつて立派な城であった事は分かった。
 大理石の柱、見事に彫刻が施されている柱飾り。それに天井には大分劣化をしているものの、見事な天使が何人も描かれている。天使が描かれている理由はここの住人がかつて天上人と呼ばれた証なのだろうか。
 天上人……それはルークにとっては先祖にあたる人間達ともいえた。落ち延びて生き残ったその子孫が再びこの城を訪れるのは何かの因果なのだろうか。
 メイシャはルークの事を、かつて死んだこの城の王子が生まれ変わるべき存在だったと言っていた。つまり、ルークは本来持っている魂の欠片を失っている事になる。そうは言われても実感がわかないのは仕方が無いと自分でも思った。今まで、何一つ不自由に思ったことは無い。だから、欠けていると言われても分からない。何が欠けているというのだろうか。
 あえて言うなら魔法の力か?ルークはその事に思いを馳せる。ルークの家系は元々直系では無いからあまり気にしたことが無いのだが、一族には圧倒的に魔法に長けているものが多かった。メイシャが言う事を信じるのであれば、ルークの先祖であるこの城の王族達も魔力が高かった事になる。
 例えば妖精を見る力。これはルークからすれば目のお陰だろうと思っている所があったが、これも特徴の一つなのかもしれない。ルークの一族には赤目が多く、この赤い瞳を持って生まれたものは、皆、揃ってまやかしの類を見ることが無かった。ルークもこの幻影を見ない力のお陰で今までも随分助けられた事がある。メイシャが見えたのも、この力のお陰だろう。それにメイシャも赤い目に秘められた力がそう見させるような事を言っていた。やはり特徴として考えても良いのだろうか。
 ……それに、何か懐かしい感覚があった。崩れた壁や天井、瓦礫が転がって足の踏み場も無いこの廊下でさえ、郷愁に似た感覚を覚える。いや、実際、この感覚は郷愁なのだろうけれど。この懐かしさは言葉に出来ないものがある。
 だが、もう一つルークには嫌な感覚もあった。この先には何故か進んではいけないような気がしていた。
 何か、知らない事がある。先祖から伝えられてきた話以外にも、メイシャから伝えられた話以外にも、何か知らない事が絶対にある。それが、おそらくこの先にあるのだ。
 そう、彼女は、メイシャは言っていた。助けて欲しいと。ソルという名前の先祖を助けて欲しいと、ルークの本来の欠片であった彼を助けて欲しいと。おそらくこの嫌な感覚はそれに関わっているのだろう。
 ルークは重い口を開いた。
「……なあ、メイシャ。どこまで俺は行けば良いんだ?」
 ルークの言葉にメイシャは真っ直ぐになって先が暗闇も手伝って見えない遠い向こうを指差した。
「この廊下をずっと進んだところ。ずっとずっと真っ直ぐに進めばいいの」
 その指差された先は、本当にどす暗いもので流れてくる空気でさえ重たく苦しい。そんな場所に向かわないといけないのか。改めて、ルークはそう思った。
 傍らで休んでいるエイミーに目を向ける。彼女は口では大丈夫だと言っているが、大きく肩で呼吸をしているその様は、とても大丈夫とはいえそうに無かった。
 ルークは考える。メイシャは証人が欲しいと言っていたけれど、その場に全て立ち合えと言ったわけじゃない。ならば、この辺りで別れるのが得策ではないだろうか。
「……この先をまっすぐに進むだけで辿り着けるんだな?」
 念を押すようにルークは言う。それにメイシャは頷いて見せた。
「なら、俺一人でここから先は行くよ」
 ルークの言葉に驚いたのはメイシャではなく、エイミーだった。
「え?どうして?ここまで来ていて置いていくの?」
「……なんとなく嫌な感じがするんだよ。お前まで巻き込みたくは無いし」
「でも、私も一緒に……!」
 反論しようとするエイミーを制したのは、他でもないメイシャだった。彼女はルークとエイミーの間に割って入る。
「ありがとう。エイミーの事なら心配しないで。ちゃんと私が見ておくから」
 ルークとエイミーの脳裏に一瞬、違和感がよぎった。彼女はあそこまでソルの解放に熱を入れていたのに、その場所に行くのは消極的なようだ。
 だが、どのみち向かわねばならないのは分かっている。
「エイミーを宜しく頼む」
 そう告げるとルークはひらりと瓦礫を飛び越えて、暗い道の向こうへと突き進んでいった。それを、エイミーとメイシャは見送る。
 エイミーは思わずメイシャの服をひっぱった。まるでこの世のものとは思えないような、独特の手触りにエイミーは慌てて手を放す。彼女は人間じゃない、その事を改めて思い知った気がしたのだ。
「どうしたの?」
 メイシャは変わらない可愛い笑顔のままでエイミーに笑いかけた。その笑顔には全くの曇りも無くて、エイミーの心に余計に疑念が沸いた。
「どうしてルークだけ行かせたの?貴女、あれだけ必死だったじゃない。それなのに現場に行かないなんてどうして?」
 エイミーの最もな言葉に、メイシャは困ったような顔をして見せた。
「私じゃ行けないの。私、ソルを見ることは出来るけど触れる事さえ出来ないから」
「触れられないって……どうして?」
「私の魔力が吸い取られちゃうの。私の存在が消えてしまうかもしれないくらい強いものだから」
 メイシャの言葉にエイミーは青くなった。メイシャは淡々と話しているが、そんな話はルークには伝わっていない。彼女はまだまだ隠している事が沢山ありそうだった。
「……ルークはそれを知らないのよ?どうして教えなかったの?」
「大丈夫、彼なら」
 メイシャはきっぱりとそう言い切った。その顔には強い決意のようなものも感じられた。
 メイシャはふわりと浮き上がると座り込んでいるエイミーと視線が合うように降りてきた。メイシャの表情は、今まで以上に真剣で怖ささえ感じるものに変わっていた。
「ねえ、エイミー。動けそう?」
「え?」
 動く?メイシャはルークにエイミーの事を託されていた。それを彼女は請け負っていた。ならばこのままここで待つのが道理というものだろう。しかし、メイシャはそうはしたくないようだ。
「どうして?ルークを待つんでしょう?」
 その言葉にメイシャは頷く。そしてゆっくりと重たい唇を動かした。
「ええ、だけどここには彼は帰ってこないから」

「ねえ、どういうこと?」
 メイシャを道先案内人にして、再びエイミーは城の廊下を歩いていた。案内されていく方向は、ルークが進んだ先のように瓦礫道ではなく、まだ崩れてない場所の方が多く、先に進めば進むほど、崩壊の程度は軽くなっているようだった。
 エイミーはメイシャに説明を求める。彼女は、ルークが戻らないと告げた後はこうして先を進んでいくばかり。エイミーも置いていかれる訳にはいかないので必死でついていくしかないのだ。
「ねえ、いい加減に説明してよ!」
 エイミーはだんだん痺れをきらせていく。
 エイミーの中で、だんだんと確信に近いものが生まれていた。
 メイシャは何かを知っている。そして、何かしようとしている。
 でも、それをエイミーやルークには明かそうとはしていないのだ。
 メイシャはくるりと振り返ってエイミーの事を見下ろしていた。どうしようかと悩んでいるような顔だった。
「ねえ、メイシャ!」
 エイミーは再度促す。これ以上黙られていたら信じる事も出来なくなってしまうような気がした。
 エイミーの言葉に、さすがに限界を感じたのか、メイシャはふわりとエイミーの傍まで降りてきた。
「……もうちょっとだけ待って。もうすぐ目的地なの。そこについたら全部説明するわ」
 そう言ってメイシャはまたふわりと浮かび上がると、先を進んでいく。
 エイミーは仕方なく、その後をついていった。
 メイシャは何を考えているのだろう。エイミーはそれが一番気にかかっていた。
 昨日は、憧れの空中庭園に行けるという事で気持ちが舞い上がっていたのだ。だが、翌日になって改めて考えてみれば何かがおかしい。
 そもそも、何故自分は連れてこられたのだろうか。メイシャの話を総合すると、必要なのはルークだけになる。だけど、彼女はここに来る時にも今朝も言ったのだ。エイミーが必要なのだと。
 彼女はエイミーに証人になって欲しいと言った。だけど、それだけではない気がしていた。
 メイシャは何か知っているのだ。これからルークの身に起こるであろう事も、これから先がどうなるかも。
 ソルというルークの先祖を助ける、それだけでは済まなさそうな予感がしていた。
 そんな事を考えていると、どんどん疑心暗鬼になってくる。目の前を飛んでいる可憐な妖精が恐ろしいものに感じてきていた。
 もしかしたら、このエスターニャを滅ぼした人間達も同じ事を考えたのだろうか。
 妖精の力を手に入れた国が危険だと考えたのだろうか。
 だったら、こうして疑心暗鬼になっている私も滅ぼした側と同じなのだろうか。
 そう考えたらエイミーは怖くなって頭をぶんぶんと振った。憧れていたこの国を壊した連中と一緒だなんて考えたくもない。
「ほら、ここ」
 メイシャの声が聞こえて、エイミーは周囲に目をやり、その広がっている光景に目を奪われた。
 目の前には見事な天使の彫刻が飾られていて、その彫像を取り囲むかのように柱が並んでいる。部屋は円形で、彫像は丁度その真ん中に位置していた。
 彫像は大理石だろうか、白くて今でもその美しさを残したまま佇んでいた。そして、この彫像には何かしらの魔力がかけられているのをエイミーは感じていた。
 円形の部屋。真ん中に置かれた天使の彫像。床には色々な文字が模様のように刻まれていた。そう、それは魔方陣のようだった。
 この部屋そのものが魔力的な儀式の祭壇のように感じられた。
「やっぱりエイミーも分かるのね。この部屋が普通じゃないって」
 メイシャの顔が笑顔に戻っていた。
「ここね、この城の一番中央なの。そして、ここはもっとも聖なる場所って聞いてる」
 メイシャはふわりと浮き上がり、天使の彫像に抱きつくように触れる。
「これが、この城の守り神様なんだって」
 エイミーはメイシャの説明を聞きながら、今も変わらずこの場所に流れてくる魔力と聖なる雰囲気に圧されていた。何かただならぬものを感じてしまう。
「ねえ、メイシャ。ここが聖なる場所なら、どうしてルークは別の方向に行かないといけなかったの?」
 エイミーは疑問をメイシャにぶつけた。そう、ここが一番聖なる場所なら……すがるべき力はここにあるはずだ。だが、ここにはルークは居ない。全く違う方角へ導かれていったのだ。
 その質問には答えず、メイシャは違う言葉を投げかけてきた。
「ねえ、エイミー。どうしてこの城、浮かんでるんだと思う?」
「え?」
 その、あまりにも単純で、そして答えの分からない質問をされてエイミーは戸惑った。
 確かに、この城が浮かんでいる理由は気になっていたものの、なんだか分からなかった。ルークの祖母の話でもそのことは出てこない。
 一番考えられるものは魔力的な力だ。だが、小さいとはいえ、国を一つそのまま浮かせるような魔力があるのだろうか?
 例えば魔力を秘めた石とかはどうだろうか?
 エイミーは過去、実験でその類の石は作った事があるが、とても空を飛ばせるような力などなかった。
 それならば何故、この城は浮いているのだろうか?
「ねえ、なんで城を浮かせるくらいの力があった国なのに、簡単に滅んだのかしら?」
 メイシャはまた新たな言葉を投げかけてきた。
 そうだ。メイシャの話と記憶ではエスターニャは空に浮いてはいるものの、戦力的な力はほとんどなく、実際、攻められればあっさりと滅んでしまったのだ。
 もし、城を浮かせられるくらいの魔力を持っているのであれば、その国があっさり滅ぶなんて考えがたい。
 じゃあ、何故、この国は滅んだのだろうか。
 じゃあ、何故、この国はそれでも変わらず浮いているのだろうか。
「エイミー、そんなに難しい話じゃないのよ」
 メイシャはエイミーの傍まで飛んでくると、ふわりと笑った。
「ただ、この国はね、他とは違う力を持っていただけなの」

 ルークは暗闇の中を、わずかにこぼれてくる光を頼りに先に進んでいた。先に進めば進むほど瓦礫が多くなり、道は困難になる。厳しい訓練をしているルークとはいえ、瓦礫道がずっと続くのは辛かった。
 エイミーを置いてきて正解だったな。ルークはそんな事を考えていた。
 この先に……自分の片割れとも言える存在が居るのだ。なんて不思議なのだろうか。この先に待っているのだ。なんとも言えない気持ちになってきていた。
 崩壊の激しさはどんどん増している。おそらくこの先を中心にして崩れたのだろう。
メイシャの話からすればソルという人物は、失敗してしまったのだから、何かこの先にあるものに捕らわれてしまったのだろう。
この先で何をするべきなのかは分からない。
何をすれば良いのかも分からない。それでも確かなのは、この先に何かがあるという事。
しばらく突き進んでいると、ぼんやりとした青白い光が零れているのに気がついた。
なんだろう、そう思ってルークはそちらの方に近づいた。
瓦礫をよけ、光を頼りに進んでいく。そして、その光を発しているものの前に立った。
その光を発しているものは人間だった。金色の髪をした、ルークと年齢的にはあまり差が無いだろう青年。青白い光に包まれているその姿は氷漬けにされているようにも見えた。
そういえばメイシャが言っていた。ソルは氷に包まれていたと。
じゃあ、これがソルなのだろうか。この人物が捜し求めていた人物なのだろうか。
この人がこの国を破滅に追いやり、それを守ろうとして縛られた人物なのだろうか。
そして、この人が自分の先祖なのだろうか。
色んな思いが渦巻いて、ルークは思わずその光に包まれた人物に手を伸ばした。
「なんだ?」
 手を伸ばした瞬間だった。光がルークに向かって飛んできた。その光はルークの中に入ろうと周囲を飛び回る。
 伸ばした手の先からは強い力が感じられた。ルークの知らないものだった。魔力には触れた事があるが、これは魔力とも違っていた。まるで人間ではないような、そんな強い力。それがルークの手を伸ばした先にあった。
 恐怖に急に襲われた。触れてはならないものに触れた感触だった。
 ルークは慌てて手を引っ込めようとするが、もうそれからは逃れられそうに無かった。
 光はルークの身体に突き刺さるように入り込んできて、それが痛みを伴い顔をしかめた。
 思わず目の前に居た人間を見上げた。
 目を閉じていたはずのその人物の目がゆっくりと開いていく。
 赤い目をしていた。深紅の、ルークと同じ赤い瞳。
 そして、その人物は、にやりとルークに笑いかけた。

「他とは違う力って何?」
メイシャの言葉にエイミーは問いかける。
この国が持っていた、他とは違う力というのは何なのだろう。
「……悪魔の力なんだって、ソルが言ってたわ」
「悪魔?そんなものがいるの?」
 御伽噺を聞いているかのようだった。天使にしろ悪魔にしろ、話の上でしか出てこないものだった。勿論、妖精もその一つだったが、確かに目の前にいる。悪魔が居てもおかしくはないのかもしれない。
「昔、昔ね、ソルと同じ赤い目をした人達が捕まえたんだって。そしてね、封印してもその力が衰えないから、別の形で利用する事にしたの。それが、この城を浮かせている理由」
 エイミーは聞きながら、現実感を伴えずにいた。なんだか話がとっぴすぎて雲を掴むかのようだ。
 だが、この話を信じるとすれば、この国は悪魔の力を利用して飛んでいる事になる。そして、ソルという人物が切り札として使おうとしたのが、その悪魔の力という事になるのだろうか。
「じゃあ、そのソルって人は悪魔の力を解放しようとしたの?」
「うん、そう」
 エイミーの言葉にメイシャはこっくりと頷いた。
 この国は悪魔の力によって空に浮かんでいて、その力を利用しようとした人物はその悪魔に逆に捕らわれた事になる。
「……ちょっと待って」
 エイミーは顔を歪めた。
 悪魔についてはよくは知らない。よく、全ての悪の根源のように物語には描かれている。その程度の知識しかない。しかし、その悪魔は封印されてもなお、この国を浮かしたままでいるのだ。そして、今は一人、捕らえている。自分を封印した憎き一族の人間を。
 ……そして、そこに向かっているのはやはりその子孫であるルーク。
「……メイシャ、まさか……!」
 蒼白の表情のエイミーに対して、メイシャは表情を一つも変えずに頷いた。
「そう、ソルを捕らえているのはその悪魔。悪魔はソルを利用して身体を奪って逃げようと考えたけど、寸前で出来なかった。だから、彼は逃げるための身体を欲している」
「……じゃあ、じゃあ、ルークはどうなるの?」
 必死のエイミーに対してメイシャは淡々としたままだった。
「乗っ取られるわ。ソルの魂ごと全て」

「うわああああああ!」
 全身を襲ってくる痛みにルークは混乱していた。痛みといっても外傷的なものではない。精神的に傷つけられている、そんな感覚だった。
 同時に物凄い勢いで頭の中を色んなものが駆け巡っていた。
 その中にはメイシャの顔も見える。同じ赤い目の人間も見えた。色んな記憶がどんどんルークの中に流れ込んできていた。
 高速で流れ込んでくる記憶がだんだんと断片的になってくる。そして、ある映像に変わってからはゆっくりになっていった。
 走っているようだった。真っ直ぐ、城の中を必死で走っているようだった。
 とにかく目的地に早く着かないといけなかった。必死だった。必死で走り続けていた。
 何かが見えてきた。何か大きな石だった。そこには沢山の魔法具が封印するかのように沢山巻きつけられている。それを一つ一つ、投げ捨てるように取り払っていく。
 魔法具が一つ一つ取り払われていき、そして大きな石だけになった。
 その大きな石めがけて剣を突き立てた。
 その瞬間、記憶の嵐は止まり、ルークに全身の痛みが突き刺さる。
 今のは、今のは何だったんだ?
 あの流れ込んできた記憶は、俺の片割れだったソルという人物のものなのか?
 全身を襲う痛みに耐えながら、ルークはふらふらとした身体を倒してうずくまった。
 痛みが駆け抜け、全身に恐怖感が襲う。
 何だ?何をしたんだ?何をしようとして、こいつはあんな姿になったんだ?
 ルークの脳裏にまた新たな映像が映し出されていた。
 何か中央に異形な生き物が見える。黒くて、蝙蝠のような翼を持っていて、さらに長くて細い手足に鋭く尖った爪。まるでこの世の生き物とは思えないような姿だった。
 異形な生き物の周りには人が見えた。その人達を見て、ルークはぎょっとする。全員、目が赤い。赤い目の人間達がその生き物を取り囲むようにしていた。
 異形な生き物が底から逃げようとあがいている。その身体には無数の光の糸がくくりつけられていた。その異形な生き物への光の糸は、取り囲む人間から放たれていた。
 光の糸はどんどんとその異形な生き物を取り囲んでいく。生き物は暴れているが、だんだんその動きもとれなくなっていった。
 ぐぎゃああっと断末魔のような声が聞こえた。その声はルークの脳内を突き刺すような
声で、あまりの凄まじさにルークの意識は遠く遠くなっていった。
 闇に落ちるような感覚だった。
 暗く、澱んだ、何も見えない、真っ暗な闇の中。
 薄れていく意識の中で、かすかに感じる自分ともう一つの何か。
 その何かは自分とは明らかに異質で異なるもの。
 ただ、流れ込んでくる強大な力に飲み込まれて身動きが取れない。そう、まるでアリジゴクの罠にかかって砂と共に引きずり込まれてしまうアリのような感じだった。どんなにあがいても身動きが取れない。どうにも出来ない感覚。どうにもならない状態。
 かつてこんな事は経験したことが無かった。飲み込まれるような感覚に埋もれたまま、ルークの意識は落ちていく。
 それからまもなくして、ルークは苦しむのを止めた。ふいと顔を上げる。そして、自分の手を見て身体を触ってみる。そこにちゃんとあるのかを確かめるようにして。
 そして、満足そうな顔でルークは笑った。
 深い暗闇を秘めた笑いだった。

「貴女、知っていたのね?」
 エイミーは思わずメイシャに掴みかかっていた。
 彼女は分かっていたのだ。あのままルークを行かせたのは、彼が戻ってこないと言ったのは、全部分かっていたからそうさせたのだ。
「どうして?そんなことをしてもソルって人が助かるって言うの?本当に助かると思っているの?貴女のしている事は悪魔にルークを売り渡しただけじゃない!」
 エイミーに掴みかかられたメイシャは動揺する様子を一つも見せる事は無かった。そう、エイミーがこうやって反応するのも最初から分かっていたというように。
「……ソルを救うためにはそれしかなかったの」
「救えるわけないじゃない!ルークは乗っ取られてしまうのよ?」
 エイミーは余計にいらだちを覚える。好きな人のためならば、誰が犠牲になってもいいというのだろうか。そんな身勝手さが通用してしまって良いのだろうか?
「エイミーが怒る気持ちも分かるわ。だけど、どうして私がここに居るのか分かる?」
「分からないわよ、そんなの!」
 相変わらず淡々としているメイシャに対してエイミーはヒステリックに叫んだ。分かるはずが無かった。もう冷静に考えている余裕は無かった。今、この瞬間でさえもルークは悪魔に乗っ取られてしまうかもしれないのに。そう思ったらいてもたってもいられなかった。
「私、ルークの所に行く!」
 エイミーは、くるりと回って来た道を戻ろうとする。だが、戻ろうとした所をメイシャに腕をひっぱられて止められてしまった。
「駄目!ここから動いちゃ駄目なの!まだ、やる事があるのよ!」
「何を?何をしようっていうの?ルークを犠牲にしたくせに!」
「違うの!犠牲にしないためにするの!」
 苛立ったエイミーに対して、メイシャはエイミー以上に大きな声を張り上げた。その声に驚いてエイミーは黙った。真剣なメイシャの顔がそこにはあった。
「違うの。こうなるのは最初から分かっていたの。だから、私は悪魔に騙されたふりをする必要があった」
「騙されたふり?」
 さらに出てくる意外な言葉にエイミーはもう何を信じて良いか分からなかった。ルークはどうなっているか分からないし、メイシャの言葉を信じられるかどうかも分からない。それなのに、メイシャは必死の表情で訴えてきていた。
「悪魔はここの封印を解かない限り出られないの。自由にはなれないのよ!ソルが解き放ったのはあくまで空を飛ばせていた力の方。根本的な封印が解けていないから、悪魔は今まで自由に動けなかったの。だから、ソルを縛り付けてチャンスを待っていた。ここの封印を解くチャンスを」
「だからって何が出来るの?その悪魔を封印したのは、ルークのご先祖様達なんでしょう?私達じゃどうしようも出来ないじゃない!」
 エイミーはもう訳が分からず、そう叫ぶしか他無かった。だが、どんなに必死に叫んでみても何かが変わるとも思えないのもあって、それが余計に苛立たせていた。
 そう、ルークが居たら少しは何とかなるかもしれない。彼は魔法が使えないが、それでも、かつて悪魔を封印した一族の末裔だ。だが、そのルークは敵の手の中に落ちてしまっている。どう考えても絶体絶命の状態だった。
「そうよ!この場所を……悪魔の封印を解けるのはソルの一族しか居ないわ!」
 メイシャはエイミーにすがりつくようにして必死で訴えかけた。
「だから悪魔は身体が欲しいの。ソルの血をひく人の身体が。だから、自分が自由になるまでは絶対にルークを傷つけたりしない」
 そう言うとメイシャはふわりと浮き上がり、天使の彫像をそっと抱きしめた。
「だから、私は先にこの場所に来たの。ここを守るために」
「どうやって?どうやって守るというの?」
 エイミーは問うことしか出来ない。彼女の考えている事が全く分からなかった。
「ここに結界を張ってあるの。元からある上に私がもう一枚余分に張っている。ここに悪魔がきた時の時間稼ぎね。そしてソルに呼びかけるの。彼の意識が戻るように」
 メイシャはエイミーの傍に降りてきて、エイミーの手をとった。
「そして、貴女にも手伝って欲しいの。私がソルに呼びかけるように、貴女にもルークに呼びかけて欲しい。彼の意識が戻れば、ソルの意識が呼び覚まされれば、おそらく悪魔を再び封じる事が出来る」
「どうして?前は何人もの人で初めて封じれたものなのでしょう?」
「ソルは特別。あの人の魔力は抜き出ていた。それに足りないのなら私や貴女の力を貸せばいい。少なくとも、簡単に悪魔が自由にはならないはず」
 メイシャの表情は真剣そのものだった。その表情から分かるのは、彼女がその事を随分長い間考えていた証でもあった。
「私と貴女の魔力は波長が同じなの。同じ波長の魔力が合わされば、もっと強い力になる。貴女には証人もなって欲しいけれど、それ以上に私の賭けに付き合って欲しいの」
 メイシャの言葉にエイミーは頷けなかった。にわかには信じられないという思いもある。だが、それ以上に思う事があった。
 メイシャはソルの恋人だった。彼女の声は彼に響くかもしれない。だが、エイミーはどうだというのだろうか。ルークとは幼馴染だが、つい先日まではろくに話もしていなかったのだ。ある絆といえば幼い頃に遊んだという絆だけ。
 そんな程度の絆でルークに呼びかけて、彼の意識を呼び覚ませるというのだろうか。
「無理よ……」
 エイミーの唇から悲観の言葉が零れる。
「無理よ、そんなの」
「どうして?どうしてそんな事言うの?」
 メイシャの必死な表情にエイミーは思わず叫んでしまった。
「だって、私の声はルークには届かないわ!幼馴染だけれど、ずっと長い間話もしてなかったのよ!子供の頃ならともかく、今は赤の他人とたいして変わらないもの!」
 あまりにも悲痛なその叫びに、メイシャは驚き目を丸くした。彼女からしたら想像もしていなかった言葉なのかもしれない。だが、メイシャの表情は悲嘆にくれる事はなかった。
「……エイミー、ルークの事が心配なんでしょう?」
 メイシャはエイミーの手を優しく握り締めながらそう言った。
「ねえ、心配なんでしょう?」
 繰り返されるその言葉は優しくて温かいものだった。その言葉にエイミーは頷いた。
「ええ。心配している」
 その言葉にメイシャは、ふふっと笑った。優しい笑顔だった。
「じゃあ、大丈夫よ。ルークだって同じ事考えているはずよ。だったら声は届くわ。人を信じる気持ちってそういうものでしょう?」
 メイシャが優しく微笑む。その笑顔にエイミーは少しずつ心が落ち着いてくるのを感じていた。やはり長い間生きているものは違うのだろうか。まるでその言葉は悟ったかのような言葉だ。
 そういえばルークが言っていた。彼はメイシャが現れたら力になるように言われていたと。つまり、それだけ彼女は信頼されていた事になる。
 そんな彼女が、嘘をつくだろうか。今までは確かに一番肝心の事を言ってくれなかったけれど、嘘を言っていただろうか。
 メイシャが大丈夫だと言うのなら大丈夫なのかもしれない。そんな気持ちがエイミーの中で起こっていた。
 不安が無い訳ではない。ルークに自分の言葉が届くかどうかは分からない。それでも、ルークの身を心配するこの気持ちを伝えないといけないのだ。
 既にメイシャは賭けに出てしまっている。サイは投げられているのだ。
 エイミーがメイシャの言葉に頷こうとした、その時だった。
 耳を貫くかのような高音が辺り一面に響き渡り始める。
「……来たわ!」
 メイシャはそう言うとエイミーでは聞き取れないような言葉を呟き始める。何かの呪文なのだろう。彼女の周りから魔力が溢れ出て辺り一面に広がった。
 だが、耳を貫くような高音はどんどんと大きくなるばかりだ。思わずエイミーは耳を両手で塞いだが、頭に響くその音は耳を塞いだ程度では消えない。
「……ダメ、結界が壊れそう。エイミー、手伝って!」
 メイシャが必死で訴える声が聞こえてきた。
 結界魔法はエイミーの特技の一つである。ある程度の自信はあるが悪魔に対して有効かは分からない。だが、今はそんな事は言っていられないのだ。
 エイミーは仁王立ちをして両手を広げる。両手に魔力を集中させた。
「聖なる光よ、我に力を!」
 エイミーの言葉と共に両手に集まっていたエイミーの魔力が周囲に広がった。そして、メイシャの放っている魔力と共振する様にして、その力が広がっていくのが感じられた。
 だが、耳を貫くような音はまだ消えない。エイミーは必死で精神の集中をした。
 メイシャはルークに呼びかけるように言った。だが、これでは結界を保つだけで精一杯だった。とてもじゃないが、言葉などかけられる余裕が無い。
 しばらく高音は続いていたが、次の瞬間、エイミーとメイシャは衝撃波で吹っ飛ばされ、天使の像にぶつかる。
 今度は高音ではなく強い風が吹き付け、動けないような状態になった。
「メイシャ!どうなってるの?」
 エイミーは何が起こっているのか分からず、再び体制を整えたメイシャに向かって叫んだ。メイシャはその言葉に振り返らず大きな声で返事を返す。
「結界を突き破るのは止めたみたい。だけど、今度は結界を押すようにやって来ている!」
 メイシャの言葉にエイミーは状況を把握する。この向かい風のような強烈な風は結界を押し込めて向かってくることにより発生する魔力の風なのだ。しかも押されていると言う事は、エイミー達より向こうの方が上手という事になる。
 風はどんどん強くなっていっていた。立っているのも精一杯な強い風で、まるで嵐の中にいるかのようだ。耳から聞こえてくる音は、嵐の時の風の音とよく似ていた。
 あまりに激しい轟音の中でメイシャが何か言っている様子は分かるのだが聞こえない。それどころじゃなかった。立っているのが精一杯なのだ。
「……どうすれば……良いのよ!」
 エイミーは焦っていた。このまま、向かってくる相手はおそらく悪魔に乗っ取られているルーク。どうやって彼に呼びかければ良いというのだろう。
 突き出している両手がびりびりと痛くなってくる。強力な魔力に触れて全身ががくがく震えてきた。
 恐怖、というのだろうか。まだ、姿も見ていないのに、すくむような威圧感があった。
 轟音の中でざくり、ざくりと進んでくる音が聞こえる。
 一歩、一歩、また一歩。
 エイミーの視界に黒い人影が映った。少しずつ近づいてくる。
 黒い長い髪の青年。顔は俯いていて分からないが……その姿格好は明らかに良く知っている人物の姿だった。
 ……ルーク!
 声にもならなかった。
 だが、この押し付けるような力は彼から発せられているのが分かる。ルークは魔法が使えないから、間違えるわけが無い。彼はやはり乗っ取られてしまっているのだ。
「……ルーク!」
 エイミーは必死でそう名前を呼んだ。名前を呼ぶ事しか出来なかった。他に何が出来るというのだろう。そう叫ぶのが精一杯だった。
 メイシャも何か口を動かしている。彼女もソルに対して呼びかけているのだろう。だが、相手は全くそれに反応する様子は無い。
 ざくり、ざくり。その足音は確実に大きくなっていた。風の中だというのに、その足音だけが不気味に響いてきていた。
 ルークがメイシャの近くまでやって来ていた。助けに行きたくてもエイミーは動く事さえ出来ない。
 傍に遣って来たルークにすがりつくようにしてメイシャが何かを訴えかけているのが見えた。やりとりは全く聞こえないが、メイシャの必死な表情は分かった。
 だが。ルークは冷たく彼女を見ると、ばんっと突き飛ばした。まるでもう用は無いというような顔で。
 冷たい顔だった。見たことが無い顔だった。
 エイミーの記憶にあるルークにあんな顔は無かった。
 そう、エイミーの記憶にあるのはいつも笑っていて元気のいいルークの顔。
 彼はあんなに冷たい目をしていない。あんな氷のような目をしていない。
 ざくり、ざくり。またルークはこちらを目指して歩いてくる。
 目的のものは分かっている。エイミーの背後にある天使の像。これを壊すために彼は来ているのだ。
 エイミーは出せる限りの魔力を振り絞る。だが、その結界魔法もルークの前では無効のようだった。彼は気にすることなく、ゆっくりと近づいてくる。
「……ルーク!」
 エイミーはルークの名を呼んだ。
「ルーク!……ルーク!」
 名前を呼ぶしか出来なかった。涙が零れて、風に飛ばされていく。頬を伝う事も出来ない風の中、エイミーは聞こえるかどうかも分からないその名前を叫ぶ事しか出来なかった。
「ルーク!」
 彼はもう目の前まで来ていた。赤い瞳なのにそれは氷のように冷たく感じて、エイミーはぞっとした。まるで、生きているのに血の気が入っていないかのように見える。
「……ルーク、目を覚まして!」
 エイミーはそう叫ぶ。だが、ルークは顔色一つ変えることがない。
「……ソル、止めて!」
 先程突き飛ばされたメイシャがルークにしがみ付いた。だが、ルークは冷たい顔のままだ。
『……お前にはもう用は無い。目障りだ』
 ルークの声ではなかった。低くて地の底から響くかのような声だった。
 ルークの腕が再びメイシャを突き飛ばした。メイシャが飛ばされていくのが見える。
「メイシャ!」
 叫ぶものの、エイミーにはどうしようも出来ない。
 なんだろう、あの声は。あれが悪魔の声なのだろうか。
 姿はルークなのに。身体はルークなのに。ルークのものなのに。
「ルークを返して!」
 エイミーは叫ぶ。だが、その声は届かないようだった。ルークが再び手を振り上げる。今度はメイシャではなくエイミーに向かって。
 飛ばされてはいけない。ここを離れたら、本当にルークは天使像まで辿り着いてしまう。そうなったら悪魔の思うつぼなのだ。ルークも無事でいられるとは思えない。その後もどうなるのか全く分からない。
 ただ、そこに待っているのは絶望だろう。
「……ルーク!」
 エイミーの叫びも虚しく、ルークの腕が彼女に向かって降りかかってくる。エイミーは思わず目を瞑った。
 だが、振り下ろされるはずの腕は下りてこなかった。
 エイミーはおそるおそる目を開ける。そこにはうずくまる様にして頭を抱えているルークの姿があった。
『うう……抵抗するな、後少しなのだ』
「……止めろ、これは俺の身体だ!」
 ルークから二つの声が聞こえてきていた。二つの声は激しく言い争っている。
『もう遅い。この身体は我が物。もう少しで自由になれるのだ』
「そんなことさせやしない!」
 重なる声、うずくまっているルーク。何かが彼の中で起こっているのは明白だった。
 ルークは激しい痛みの中に居た。何かに閉じ込められているような感覚があるが、エイミーの姿が見えてから、彼女が自分の名を呼ぶたびに意識がはっきりしてくるのが分かった。自分を動かそうとしている何かがエイミーに暴力を振るおうとしているのは何とか阻止できたが、これ以上は思うように身体が動かせなかった。
 自分の身体だというのに言う事を聞かないなんて。
 まるでおぼれているかのような感じだった。必死であがいてもあがいてもどうにもならないような。
 これは俺の身体なのに。どうして思うように動かないんだ?
(……それは悪魔のせいさ。今、君を動かしているものは、俺にとり憑いていたこの城に眠る悪魔なんだ)
 ルークの頭の中で誰かの言葉が聞こえた。自分の中から響いてくる、不思議な声。何故か嫌な感じがしなかった。
 もしかして……この声はソルなのか?
(そうだよ。今、やっと君の中に戻る事が出来た)
 ルークの思考に呼応するようにその声は返事をしてくる。
 彼はソルだと答えた。かつて、この悪魔の力を利用しようとして、逆に取り込まれた過去の自分の欠片。
 それだったら、きっと知っているはずだ。どうすればこの身体を取り戻せるのかを。
 そう思った瞬間、全身に激しい激痛が走る。悪魔が抵抗しているのかもしれない。ソルの声が聞こえなくなっていた。あまりの痛みに意識が遠のきそうになるが、遠のいたが最後、そのままになってしまうかもしれない。ルークは必死で痛みに耐える。
(……魔法は使える?)
 かろうじて、またソルの声が聞こえてきた。ルークはそれに答える。
 いや、使えない。どうすればいいのかも分からない。
(そうか……でも、大丈夫。俺が戻ってきたからには)
 その口調は自信に満ち溢れているようだった。そう、それはあまりにもはっきりとした答えだったのだ。
(いいかい、ルーク。ここから抜け出すんじゃない。奴を取り込むように考えろ。この身体は君のものなんだ。奴のものじゃない)
 その言葉にルークは、はっとした。
 そうだ、この暗闇から抜け出すことばかり考えていたがルークはルークのままなのだ。この身体も自分のもの。ただ、今は乗っ取られているだけだ。それを取り返せばいいだけのこと。
(そういうことさ。俺も力を引き出す手伝いをする。奴を閉じ込める事だけ考えるんだ)
 閉じ込める。そうは言われてもよくは分からない。だが、この全身を貫く痛みを押さえ込めばいいのだ。そうすれば、この痛みからも暗闇からも解放される。
 ルークは必死で痛みに耐えながら、意識を集中させた。何だか分からない、この身体を支配している何かを押さえ込むために。
『くだらぬ話は止めろ!お前等にはどうする事もできまい!』
 悪魔が叫ぶ。だが、その声は強さが無くなり、少しずつ抑えられているかのようだった。つまり、少しは押さえ込む事が出来ているのだ。
 俺はルークだ……他の誰でもない、俺自身だ!
 うずくまるルークの心臓の辺りから光が放たれ始める。その光はルークを包み込むようにして、その輝きを増していっていた。
「ルーク!」
 エイミーが呼ぶ声がする。そう、何度も彼女が自分を呼んでいた、そんな気がした。
 早く戻らなければ。早く自分自身にならなければ……!
 その思いが強くなれば強くなるほど、ルークから放たれる光はより一層、その輝きを増していった。
「……これ、ソルの力と同じ……」
 気がつけばメイシャがエイミーの隣にいて、ルークを見守っていた。その目は驚きにも喜びにも満ちているようだった。
「じゃあ、ルークは助かる?」
 エイミーは一番大事なことをメイシャに尋ねる。メイシャは視線をルークに留めたまま、軽く首を振って見せた。
「ごめんなさい、そこまでは分からない。後はソルとルークを信じるだけだもの」
 そう言われてエイミーは当たり前の事実に気がついた。そうだ、いくらメイシャは賭けていたとはいっても、それはあくまでメイシャの行動の話。ここから先に彼女の出来ることは何も無い。エイミーが見守る事しか出来ないのと同じなのだ。
(ルーク、あの像が見えるか?天使の像だ)
 再びルークの頭の中でソルの声が響いた。うずくまっていた身体を少し起こして、ルークは目の前に立っている像に目をやった。
 何の石で出来ているのだろう。その像は真っ白で輝いていて、すらりとした男性の像だった。その背中には大きな翼が生えている。手には大きな剣を持ち、神秘的な雰囲気をかもしだしていた。その中でもっとも目を引くのは額にある大きな宝石だろうか。その宝石は真っ白の像の中で青く輝きその存在感を強く示していた。
(額の宝石には気がついたか?)
 ああ、気がついた。あれで何かをするのか?
 ソルの言葉にルークは問い返す。だんだんと全身を襲っていた痛みが消えてきつつあった。少しは悪魔の動きを封じる事が出来ているのだろう。理論的に何が起こっているのかはルークには分からなかったが、それだけは間違えようの無い事実だった。
(あれは悪魔を封印している宝石なんだ。かつてはその力を分散して封じていたが、俺がそれを壊してしまった。残るのはその一つだけだ。その中に悪魔を再び封じる)
 その言葉にルークはひっかかりを覚える。元は分散させていたくらい強力な力なのだ。それを一つにしてしまったら、却って封印が解けてしまう事は無いのだろうか。
 ルークの心配はすぐにソルにも伝わる。
(大丈夫。この城の浮力の制御は利かなくなるかもしれないが、封印自体はもともとされているんだ。その上に力を足す事にはなるからバランスは崩れてもおかしくは無いけどね)
 言っている意味はルークには今ひとつよく分からなかった。だが、ソルが言っている意味は大体分けていた封印を一つに纏めるだけで、それ以上は何も起こらないという事なのだろう。
(ああ、大体そんな感じだ)
 じゃあ、どうやって封印するんだ?俺には分からない。
 すぐに返事が返ってくるソルに対して、ルークは再び問う。
(宝石に手を当てて、その手に全ての力を集中させれば良い)
『……おのれ、こしゃくな!ここで朽ちてたまるものか!』
 悪魔が叫んでルークの腰に下げていた剣を抜いた。ルークはその手を止めようとするが上手くいかない。相手も必死であがいているのだろう。
『ここまで来ているのだ。もう、こんな身体には用は無い!』
 刀身がルーク自身に振り下ろされそうになる。止めようとするが、上手くいかない。風呂下ろされそうになったその腕は何者かに掴まれた。
 ルークは、はっとして腕に目をやる。そこにはエイミーとメイシャが必死でしがみついていた。悪魔の思い通りにはさせまいとするように。
 ルークも必死で腕に神経を集中させる。エイミー達も頑張ってくれているのだ。ここで屈してなるものか。ルークの必死の抵抗が功を奏したのか、腕に入っていた力が抜けて、手から剣がずるっと落ちた。カーンという音を立てて、剣は床に落ちる。
 その瞬間、ルークの身体の力がぐらっと抜けて倒れそうになる。それをエイミーとメイシャが二人がかりで支えた。
 二人に支えられながらルークは天使の像の額にある青い宝石へと手を伸ばした。必死で手を伸ばしていく。
 もう少しで手が届きそうになるとまた全身を激しい痛みが襲った。思わずうずくまってしまいそうになるが、それをなんとかこらえて傾く身体を支えてもらいながら右手を宝石に当てた。
 その瞬間だった。宝石から強い光が放たれた。ルークはその光の眩しさに耐えながら、右手に精神を集中させた。ルークの身体から放たれていた光が宝石の光と呼応し、より光が強く輝く。
「……中に入れ!」
 ルークの叫びと共に光は天使の像からも放たれ、その光はルークを包み込む。ルークの中から。うぎゃああああと断末魔にも近い声が響き渡った。そして、そのまま光は宝石の光と共に収束していった。
 光が収束すると共にルークはぺしゃんと座り込んだ。何がなんだかさっぱり分からなかったが、とにかく封印する事に成功したようだった。
「ルーク、大丈夫?」
 エイミーが声をかけてくる。それに対してルークはにっこりと笑った。
「ああ、大丈夫だ。色々心配かけたな」
「うん……でも無事で良かった」
 安息した空気が二人の間に流れる。だが、それもつかの間だった。きゅうに地面がぐらぐらと揺れだしたのだ。
「大変、逃げないと……!」
 メイシャが声を上げる。驚いて二人はメイシャが見ている方へと顔を向けた。彼女は天使の像を見ていた。その上の天井や壁ががらがらと崩れてきていた。
「私の後についてきて、すぐに外に出るから!」
 メイシャはふわりと浮き上がり、来た道をまた辿るようにして飛んでいく。その後ろを、ルークとエイミーは慌てて追った。
 三人が逃げる後ろからどんどんと壁や天井が崩れていく。その崩落の隙間を抜けるようにして逃げていった。

 三人は最初にこの空中庭園にやってきた場所に来ていた。向こうの方では城が崩れていくのが見えていた。それを三人で眺めていた。
 ルークはソルが言っていた言葉を思い出す。バランスがどうとか言っていたけれど、城の維持が難しくなるという事だったようだ。それともこの空中庭園そのものの維持が難しくなるのか、そこまでは分からなかったけれど。
 崩れていく城をじっと見ていたメイシャが、くるりと振り返った。そして、ルークの手を取る。
「ありがとう、ルーク。ソルを助けてくれて」
「あ、ああ」
 そう答えてから、ルークは先程まで聞こえていたソルの声が聞こえなくなっている事実に気がついた。本当なら一番にメイシャと話させてやるべき事なのに。
「すまない、メイシャ。俺、さっきまでソルの声が聞こえていたんだけど」
 すまなさそうに言うルークに、メイシャはふふっと笑ってみせる。
「ううん、分かったから。ソルは今、貴方の中にいるって事」
 メイシャはふわりと浮き上がると、草むらを掻き分ける。今度はそこに魔方陣のようなものが描かれているのが分かった。
「ここが転送装置。ここから元の場所に帰れるわ」
 そう言って、メイシャは笑うとエイミーとルークの手をかわるがわるとって握り締めた。
「ありがとう、二人共。ソルはこれで自由になれたし、私ももう思い残す事は無いわ」
 その言葉は永遠の別れを思わせる言葉でエイミーは慌てた。
「メイシャ?貴女はどうするの?ここに残ってしまうの?」
 悲しそうな顔をするエイミーに、メイシャはくすくすと笑った。
「ううん、もうここには残る理由はないの。私、妖精の国に戻ろうと思って」
 そう言ってメイシャはルークの事をじっと見つめた。それは愛しい人を彼に重ねてみているかのようだった。
「私ね、ソルの生まれ変わりに会ったらもしかしたら好きになっちゃうんじゃないかって思ってた。でも、私にとってはソルはソルでルークはルークだった。よく、人を好きになるって、こうやって長い間思い続けるって、魂を好きになるとか言うけどそんなのじゃないんだなって思う」
 メイシャはそう言って胸に手を当てる。そっと大事なものを抱きしめるかのように。
「私の思い出は……ソルとの思い出は宝物みたいなもの。だから、これからもずっと大事にしていくわ」
 メイシャは二人ににっこりと笑った。それは本当に全ての悩みが無くなったかのような笑顔でどこかエイミーやルークをほっとさせるものがあった。
「それにエイミーにもルークにも会えて良かった。いっぱい迷惑も二人にはかけたし、騙したりもしたけれど……二人のお陰でソルは自由になる事が出来たんだよ。本当にありがとう」
「ああ……」
「私こそ……」
 ルークもエイミーもメイシャにどのようにして声をかけて良いのか分からなくなってしまった。彼女とは、もう永遠に会えなくなるのだ。
 彼女との付き合いは一日程度のもの。彼女の思惑通りに動かされもしたが、彼女に同感してしまう事も、友情を感じる事もあった。一日だったけれど、まるで何年もの付き合いがあるようにも感じられた。
 だから、彼女との別れが分かっている以上、何と声をかけたら良いのかわからなかったのだ。
「……元気でね」
 エイミーはそう言ってメイシャの手をとった。細くて小さなその手は、か弱くて折れてしまいそうに感じる。
 彼女を疑った事もあったけれど、彼女は彼女でこの小さな身体でずっと戦っていたのだ。それが余計に胸を熱くさせた。
「うん、エイミーも元気で。ルークも……元気でね」
「ああ」
 メイシャとルークは握手を交わす。それ以上の言葉は必要なかった。
 言わなかったし、言えなかった。
 エイミーとルークは転送装置の上に立つ。二人の足元が輝き始めた。
 輝く光でメイシャの姿もおぼろげになっていっていた。
 そして、二人が最後に彼女を見た時に、彼女は心の底から幸せそうに笑っていた。
 その笑顔が二人の心に深く刻まれたのだった。

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