第四章 幻の国 エスターニャ 強い日差しが木々を照らしていた。目の覚めるような見事な青い空と緑に茂る木々。そのコントラストに思わず目を奪われそうだった。 そして、見下ろした先には沢山の家が並んでいる。この城の城下にある小さな町。小川が流れ、その川辺には小麦を引く水車が並び、人家が密集している場所では煙突から煙が上がっている。その周辺には人々が暮らしているのだが、高い所から見渡しているせいで、何をしているのかまではよく分からなかった。それでも町の活気は伝わってくるようだ。 「うわ〜!ここからだとまた景色が違うのね!」 大きな城の展望室から城下を眺めていた緑の髪に背中に羽根を生やした少女は隣りの人物に向かってはしゃいだ顔を向けた。短い金の髪に赤い瞳を持つ青年は、そんな彼女の笑顔に嬉しそうな顔をした。 「そうだろう?メイシャみたいに空を飛べなくても、人間でも綺麗な景色を見下ろす事が出来るんだよな」 そう言って、青年は展望室の窓辺から身体を傾けて見下ろす。 ここは城下だけでなく、この国そのものを見渡せる場所だった。国というにはおこがましいほどの小さな小さな土地しか持たない国。それでも、国民達は活気のある生活を送り、健全に暮らしていた。 彼はこの小さな国が好きだった。他から見れば特殊な人の集まりのような国ではあるが、彼にとってはどこまでも愛すべき国だった。 誰もが小さな畑を耕し、家畜を育て、魚を得たり森で採取したりしてつつましく暮らす、そんな国が愛しくて仕方が無かった。大切な国だった。 愛しそうに城下を見つめる青年に気がつき、メイシャと呼ばれた妖精はその横顔に嬉しそうな顔で微笑んだ。彼のそういう顔が大好きだった。何よりも好きだった。 だが、その穏やかな空気はすぐに破られる。 「兄上、兄上!」 誰かが必死に探している声がする。それを聞いて青年は頭を掻いた。メイシャも思わず微笑んでしまう。 「ほら、ソル。弟のリーレンが呼んでるよ?サボリがばれたのかな?」 「……みたいだな。全く、うちの弟ときたら、すぐに気がつくんだから」 ソルと呼ばれたその金色の髪の青年はやれやれといった顔で、展望室から階下に繋がる階段の所まで行くと、そこから階下を見下ろした。 「リーレン、ここだ、ここだ!」 兄の声に気がついたのか、足音がこちらに向けてやってくる。やがて、その階段から、ソルと同じ金色の髪に赤い瞳の青年が現れた。ソルとその青年は顔立ちも良く似ているが、若干青年の方が幼い印象があり、髪の長さも肩くらいの長さに切りそろえているため、若干長いので区別はつく。しかし、全体的な印象は良く似ており、兄弟という事が誰の目にも明白であった。 リーレンは兄の姿を見つけると、怒ったような顔つきになった。 「兄上!どういう事なのです?僕には納得がいきません!」 怒り方が、いつものサボリを見つけて怒りに来た時とは異なる事に気がつき、ソルは少し驚いた顔をした。多少、口うるさい所のある弟だが、分別があると専ら評判がたつだけはあり、どこか落ち着いた感じを持っている。だが、今日に限っては本当に心底怒っているようだった。 「どうしたんだ、リーレン。何かあったのか?」 弟の怒りの原因が全く分からないソルは困った顔でそう尋ねる。だが、それを聞いて弟の方はさらに怒った表情になった。火に油を注いだらしい。 「どうしたもこうしたもありません!王位継承権を私に譲るというのは一体どうしてなのですか?王位を継ぐべきなのは兄上だというのに!」 「え?ソル、跡継ぎの王子様じゃなかったの?」 それまで黙って聞いていたメイシャもびっくりした顔でソルに尋ねてくる。リーレンに至っては今にも噛み付いてきそうな勢いだ。 二人の反応にソルは困った顔で頭を掻いた。どう説明するか悩んでいるらしい。 「……父上に話は聞かなかったのか?」 「ええ、伺いましたよ。兄上は次期王になるのは私の方がふさわしいとして辞退なさったと!だからこそ、私は納得がいかないのです!」 リーレンは拳に力を込めて叫んだ。 「私は兄上をよく知っているつもりです!兄上はいつも国の事をちゃんと考えていらっしゃるじゃないですか!私よりも兄上の方が王位にふさわしいはずです!」 リーレンの言葉にメイシャも頷く。メイシャも知っていた。ソルが誰よりも国を大切に思っていることに。今日、ここにメイシャを連れてきたのもお気に入りの場所があると連れてきてくれたのだ。そう、ここは城下が見渡せる場所だった。そして、その城下を愛しそうに見つめるソルはこの国の王子らしい姿だった。 「……リーレンの言う通りだよ。なんで?」 メイシャも納得がいかなくてソルに尋ねる。 ソルは二人の顔を見てため息をついた。メイシャは心配そうな顔をしているし、リーレンは納得のいく理由を言わなければ引き下がらないといった顔だった。 まあ、頑固な弟はきっとくってかかってくるのだろうと思ってはいたのだが。 ソルは二人の視線から逃れるように、再び窓辺に向かうと、眼下から見下ろす街に目をやった。 「……確かに俺はこの国が好きなんだけどね」 そう、ソルはこの国が好きだった。慎ましやかにも活気のあるこの小さな国が好きだった。大切な大切な国だった。 ソルは再び視線を弟とメイシャに向けた。その表情は真剣なものだった。 「だけど、好きである事と、統治する事は別物なんだとは思わないか?」 その問いかけにリーレンは眉をぴくっと動かした。その言葉には一理ある。だが、統治するものが国を愛していなければ国は壊滅に向かうだけであることも知っている。 リーレンは一息ついてから、兄の顔を見た。 「確かに……愛国心だけで統治は出来ません。しかし、愛国心の無い者には統治も出来ません。兄上ならお分かりのはずです。繰り返します、何故ですか?兄上は御自分には統治する能力に欠けていると思われているのですか?」 弟の顔は真剣そのものだった。兄はその言葉に答えるようにゆっくりと首を縦に振る。 「ああ、そうだ。俺が王位を継ぐと後々問題になる。特に大地に暮らす国々との関係に影響を与えてしまうだろうからね」 「だから、何故です?兄上には資質がある。それなのに……」 弟はちゃんと答えないと承知しないという顔だった。兄はため息をつく。そして、隣りで心配そうに見ているメイシャに視線をやった。 「う〜ん、まだ打ち明けてないから、ここでは言いたくなかったんだがな」 「どうしてです?人に言えないような理由なんですか?」 「そうだよ、ちゃんと理由があるなら言わなきゃ!」 ソルのはっきりしない態度にリーレンもメイシャも食い下がる。そんな二人にやれやれとソルは肩をすくませた。 「結婚しようと思ってる人が居てね。陸地の国との政略結婚とかに応じる訳にはいかないんだ」 「……え?」 そう言われてメイシャの胸が痛くなる。ソルが結婚する。そんな事、考えても見なかったから。そうしたら、今のように一緒に居られなくなるんだろうという事だけは分かった。 「そのお相手とは誰だというのです?」 メイシャとは対照的にリーレンはきっぱりと兄に追求する。それに観念したように兄は肩をすくめ、手を広げて見せた。 「……メイシャ。君と一緒に暮らせたら、そう思っている」 「……!」 メイシャは驚きと嬉しさでどうにかなってしまいそうだった。ソルが結婚したい相手が自分。妖精である自分。人間と妖精という種族差があるというのに、彼はそれでも彼女を選んでくれたというのだ。 勿論、メイシャはソルの事が大好きだった。始めてあった時からずっとずっと大好きだった。一緒に居たかった。ずっと一緒に居たかった。 しかし、胸が一杯のメイシャが口を開く前に、リーレンが言葉を発した。 「……兄上のお気持ちは分かります。しかし……やはり、兄上が王位を継がないにしても、メイシャを妃に迎えるとなれば、他国は黙ってはいないでしょう」 リーレンは眼下に広がる街並みや田園風景を見下ろす。 「確かに我が国だけの問題であれば、そうそう大きな話にもなりませんでしょう。ですが、国土がこれだけ小さい我が国とはいえ、他国から見れば空に浮いている国。それだけで特異に感じられているのです。その国の王族が妖精を迎えたとなれば……我が国が新たな力をつけたと思われるのが相場でしょう」 リーレンはソルとメイシャに眼下を見下ろすように促す。 「見てください。我が国は……このように小さいのです。本来は戦争など仕掛けられてはひとたまりも無いんですよ」 「知っているさ。この国に戦う力なんて無いんだと。メイシャと出会ったのも偶然。妖精の国との繋がりを持った訳でもない。ここはあまりにも小さな国さ」 「……それなら何故?」 何度も繰り返してきた質問を弟は兄に問うた。そこまで分かっているのに、何故、と。 ソルは肩をすくめて首をゆっくりと横に振る。 「分からない。人が誰かに惹かれる事に理由が必要なのか?」 落ち着いた口調でソルは続けた。 「……俺には誰かを愛する自由も無いと?」 リーレンはやっと兄の言いたい事が分かった。それは、誰も答えを知る者は居ないのだ。 何が正しいのかと、何が間違っているのか、その線引きが非常に難しい時がある。これがその時の一つなのだ。正しい事と間違っている事が紙一重の物事。 自分の意思を貫くのか、外面を気にして己を犠牲にするのか。 王族には国の責務を負う義務はあっても、自由を得る権利は無いのか。 物語は非常に単純だった。そう、あまりにも単純だった。 小さな国の王位継承者が異世界の者に偶然出会い、心を通わせ惹かれあった。 まるで御伽噺に出てきそうな、そんな淡い恋の物語。 だけど、現実は御伽噺ではなく、外交関係を築いている国達から見ればただでさえ異端であるその小さな国はより異端かつ驚異的な存在となり、敵対関係になってしまうかもしれないのだ。 そう、その王位継承者が王位を捨てたとしても。王族の身分さえ捨てたとしても。外から見れば、空に浮いた国が羽根の生えた種族との交流を持ったという脅威でしかない。 ソルやリーレンからしても、メイシャがどんな力を持っているのかはよく分かっている訳ではない。彼女自体には悪意の欠片も感じられないけれど、その秘められた力はどんなものであるのかは分からないのだ。たった一人の妖精に対して国家が揺らぐほどの脅威を感じるはずも無いけれど、それは一国の中だけの話。その国だけの問題だったら、さほど騒ぎになるものでもないだろう。 でも、その国が小さかったら?戦う力が明らかに劣っていたら?その国が他と明らかに違うものを持っていたとしたら?諸外国はどう思うのだろうか。 それは脅威になりはしないだろうか。 ソルは王族である。どんなに身分を捨て去ろうとしても、他の国から見れば元王族だろうと王族だろうとそれは大きな違いは無い。権力があろうとなかろうと、王族であった事実は大きい。 メイシャは妖精だ。人間達とは明らかに違う種族。たまに異世界から顔を出すが、滅多に出会うことの無い種族。それは希少でもあり、未知なる恐怖にもなる。 メイシャは明るい少女だ。陽気だし、心も素直でさっぱりしている。裏表の無い性格だ。それは会えば分かる事だが、それは事実としてはほぼ伝わる事は無いだろう。 そう、それはあまりにも小さなものなのだ。誰がどんな性格だろうと、そんな事は大きな世界では些細な事実。大事なのは、重視されるのは王族と異世界の住民の交友。 おそらく諸外国が感じるその目は……脅威。畏怖。新たな力。 対するその問題の国は、国土も小さく、人々も少なく、特出した能力が有るわけでもなく、異世界の住人がそれほどの脅威となるとは思いもしない。 ……つまり、諸外国にばれた時にそれがどういった波紋を呼ぶか分からないのだ。 何事も無いかもしれない。平和を保ったままかもしれない。 だけど、地上と空の国のバランスを保つためと、攻め込まれないとはいえないのだ。 だから、ソルは自分を捨てるべきなのだろうか。 愛する祖国のために、愛する人との交流全てを断ち切らねばならないのだろうか。 彼には愛する人と暮らす権利すらないのだろうか。 誰かを愛する自由さえも許されないのだろうか。 それは誰も分からなかった。ソル自身も、リーレンも、メイシャも。 ただ、それが全てを壊す可能性を秘めている事だけは確かな事。 「……兄上、私もメイシャが嫌いな訳ではないし、こんな状況じゃなければ反対もしません。ですが……どんなに隠そうとしても、いずれは露見してしまう事実でもあるんですよ。その時、どうなるのか私には全く分かりません」 弟は低い声で兄にそう告げた。そう告げるのが精一杯だった。それから、顔を上げて、メイシャの顔を見た。彼女の顔は蒼白になり硬直していた。そんな彼女にリーレンは手を伸ばした。 「……メイシャ、私は貴女が嫌いな訳ではありません。むしろ、貴女の明るさを羨ましくも思いますし、私にとっても貴女は大切な友人です。だから……私はどうすれば一番良いのか分からないのです。貴女にとっても私達にとっても最良の方法が」 リーレンは首をゆっくりと振ると、来た階段を重たい足取りで下り始めた。 「私も考えてはみます。でも、お二方も、考えてください」 そう言葉を残して、弟は階下へと消えていった。 残されたソルもメイシャも口をしばらく開けなかった。立ちはだかっている問題があまりに大きすぎる事を改めて思い知らされたからだ。 「……ねえ、ソル、出会ったときのこと、覚えてる?」 ふいにメイシャはささやくような声で彼の傍で話しかけた。それは独り言に近かった。 「あの時、私、時空の狭間に流されて、この国に流れ出たの。その時、貴方に会った。貴方は親切で優しくて、私の事を保護してくれた。迷子だった私に救いの手を差し伸べてくれた太陽みたいな人だった」 メイシャはそう呟くと、ソルの傍に駆け寄り、その腕をぎゅっと握り締めた。 「私、ソルの事が大好き。だから、貴方の負担にはなりたくないの。ソルの気持ちは凄く嬉しい。本当に嬉しい。一緒に、ずっと一緒に居れたらって思う。でも、駄目なの。一緒に居れないの。やっぱり私、この世界に居たら駄目なんだよ。帰らないといけないんだよ」 メイシャの瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。涙が溢れてきて止まらなかった。止めようがなかった。 「……でも、私、帰り方が分からないの。どうやったら戻れるか分からないの。私、私、どうすればいいの?どうすればソルのためになるの?どうすれば……貴方に恩返しが出来るの?」 涙が止まらないメイシャの肩をソルが優しく抱きしめる。包み込んでくれる体温の温かさが心まで温めてくれるようだった。 「……メイシャ、これは必然なんだ」 冷静な声でソルはそう言った。揺るぎの無い声ではっきりと。 「メイシャがこのエスターニャに来た事も、俺と出会ったのも偶然じゃない、必然だったんだ。これは変わり始める予兆なのかもしれない」 「予兆?」 ソルの確信めいた言葉にメイシャは半ば驚きつつ言葉を返す。ソルには確信に近いものがあるようだった。 「さっき、リーレンが言っただろう?この国は小さいし攻められたらひとたまりも無いって。じゃあ、裏を返せば攻めたら一発の国が何故、生き残っているんだと思う?」 ソルはそのまま眼下に広がる世界を見せた。 そこに広がるのは城下町と田園風景と、そして無数の雲と空の青。そして遥か下に見えるか見えないかの青い海。 「この国が浮いている。それが地上に住む人からすれば既に脅威らしい。俺も地上からこの国を見たことがあるが、空に浮かんだ点みたいでね。とてもじゃないけど国があるようには見えなかった。地上の人から見れば俺達は既に空人だったんだろうと思う」 ソルはメイシャの羽根を軽く撫でた後、自分の何も無い背中を叩いてみせる。 「でも、俺達にはメイシャみたいな羽根は無いんだ。つまり、地上の人達と寸分変わりが無い。史実を調べてみたが……実際、俺達は地上に元々は住んでいた人間だったようだ。だが、ある時、力を得て空に浮かんだ……それだけは事実だ」 「……力を得て?」 ソルはその言葉に頷く。そして唇に人差し指を当てて、にっと笑った。 「シークレット。それだけは何故か厳重に分からないようにしてあるんだ。最近は地上の人々も俺達がそれほど変わらない同じような人間である事に気がついてきたみたいでね。外交面も昔は有利だったんだが、今では難しくなってきている。限界なんだ。地上人は俺達に未知なる力を持っていると思っていたが、現実はそうでは無い事を知り始めてしまった。つまり、対等であると分かってしまった」 「……じゃあ、私が恐れられるのは……」 「そう、メイシャが未知なる力と思うからだ」 こちらの話も恐ろしく単純だった。人間には常に強者たろうとするものが必ず現れる。その強者を叩こうとするものも必ず現れる。なるべく力は均衡にしようと分配するにもかかわらず、その構造は変わることなく繰り返される。 だから、新たな力を持つものは……持つと思われるものは排除される方向に動く。 それはあまりにも単純な話。 たとえ、その新たなる力が何の力を持っていなくても、未知であるだけで脅威なのだ。そして脅威は国々のバランスを崩してしまう。 「ソル……!やっぱり私、帰らなきゃ!私、そんな力なんてない!私のためにこの国が襲われるのは嫌!」 「……メイシャ、いずれこの国は滅ぼされる運命だと思う。別にメイシャのせいじゃない。この国が狙われるのは……必然だ」 「どうして?だって私がいなくなれば新たな力になんて思われないはず……!」 誰よりも愛国心が強いはずのソルが国を滅ぼされる運命だと語る。それが信じられなくてメイシャは驚きを隠せなかった。どうして彼がそんな事を言うのか分からなかった。 「言ったろう?力を得て空に浮かんだと。つまり、元々この国には他の国にはない力を持っているんだ。それも小さな国を浮かすほどの力がね。俺達はずっとこの力を『動力源』と呼んできた。でも、この力の出所は知らない。確かに俺達の一族、特に王族の血を引くものは地上に暮らす人間よりも魔力が長けている事だけは確からしい。俺達の魔法文明が珍しいみたいだからね。例えば地上とここを繋ぐ魔力による転送装置、とか。あれを開発する技術は無いらしい。しかし技術力はあっても武術力は無い。それは今も昔も変わらない事。だから、本当は攻められたらひとたまりも無い。虎の皮を被った兎みたいなものさ。つまり、メイシャとの事で何かが起きたとしたら……それはいずれ起きるべきことのきっかけにしか過ぎないんだ」 ……メイシャには言葉が無かった。そこまではっきりと言い切ってしまわれると反論も出来ない。誰よりも国を愛していると思っていた人は、同時に国が滅びる事も考えていた。国の限界も考えていた。いずれくるべき運命を分かっていた。 「……どうしてそんなに分かるの?知ってるの?」 それがメイシャに言える精一杯の言葉だった。 それに対して、ソルは顔色変えずに近くにあった小石を拾い上げると、ぽんと手の上で飛ばして受け取った。 「俺は小さい頃から不思議でならなかったんだ。俺達には小石を浮かせる力が無い。それなのにこの国は小さいながらも浮いているんだ。おかしいと思わないか?つまり、浮かせているのは人の力じゃない。何かの力を利用しているんだ。だから、昔から伝わる文献を隅から隅まで読み漁ったのさ。そして、何らかの力だと分かった」 「……ソルはその力の正体を知っているの?」 あまりにも確信を持って話す彼にメイシャは恐る恐る尋ねた。それはまるで全てを知っているかのような顔だったから。 ソルは城の壁をとんとんと叩いてみせる。 「まだ確信は持ってない。でも、この城のどこかにその力があるんだ」 急に暗転して場面が変わった。 城の屋上から、急に暗い所へと変わった。人々が逃げ惑っている。それを誘導している人達が居る。その混乱の中にメイシャが居た。彼女の姿は変わらないが、最初に見ていた幸せそうな笑顔は無く、心配と悲壮に満ちた顔をしていた。メイシャの記憶が移動したのだ。 誰かがメイシャの名前を呼んでいた。聞き覚えのある声だった。その声の主がぐいっと彼女の腕を引っ張った。ソルの弟、リーレンだった。 「メイシャ、一緒に来るんです!早く城から……この国から離脱を!」 「でも……ソルが……ソルが見当たらないの!」 リーレンに必死の表情でメイシャは訴えた。それをリーレンは悲しそうな顔で見ていた。 「……兄上に頼まれているのです。貴女を必ずここから離脱させるようにと。私は国民と貴女を地上でも安全な場所に移送する使命があります。だから来てください」 「ソルは?ソルは何をしているの?どうしてここに居ないの?どうして貴方だけが離脱の指示を?」 メイシャはリーレンの手を強く握った。そして必死の表情で訴える。 「ねえ、リーレン、貴方知っているんでしょう?ソルがどこに居るのか、何をしているのか……!」 リーレンはその言葉に眉間をぴくりとさせたが、彼女の言葉には耳を貸さなかった。その腕を強く引く。 「兄上は必ず来ます!だから、貴女は早く脱出を……!」 「……嫌!私はソルと一緒に居る!」 パァンと魔力の弾ける音が響いてリーレンが突き飛ばされる。それを見て、メイシャは羽根を使って人ごみの中を避けるようにして飛びながら、人々の流れを逆行していった。 「メイシャ、メイシャ!」 遠くでリーレンが呼んでいる声が聞こえたが振り向かなかった。ここでリーレンの手を取ってはいけないのだとメイシャは確信していた。 別にリーレンが信じられない訳ではない。むしろ、信用するべき相手であろう事はメイシャだって百も承知なのだ。それでも駄目だった理由は他ならない。 ソルではないからだ。彼じゃなきゃ、彼が一緒じゃなければメイシャは動けなかった。彼と一緒でなければ逃げられなかった。 たとえこの城と心中しようとも、ソルが一緒ならそれで良かった。彼が何かしようとしているのなら、傍にいたかったのだ。 この国の最後は簡単に訪れた。メイシャの存在は知らぬ間に他国に知れ渡り、いつの間にかエスターニャは危険な国と見なされていた。 交易の為に使っていた転送装置は破壊され、そこからどんどんと兵士が送り込まれてきた。戦う術を知らないエスターニャの国民は逃げ惑うしかなく、戦える兵も城を守る警備兵くらいで戦力にもならなかった。 そして追い詰められたエスターニャの国が選んだ末路は城を破壊し、まだ未知なる地上へと転送装置を使って生き残った人々を移送、生き残る事を選んだのだ。 移送の責を負っているのはリーレン。彼はメイシャも移送するように頼まれていたのだろう。 だが、ソルは?あそこまで……あそこまで国の末路を考えていたソルの姿はどこにも無かったのだ。 彼が逃げるはずは無い。メイシャには分かっていた。そして、何をしようとしているのか、弟は知っているのだろう。 リーレンはすぐに来ると言っていた。本当だろうか? メイシャは人の波を避けながら崩れ落ちる城の中を飛んでいった。 意識を集中すれば、愛する人の居る場所は分かる。そこを目指して、メイシャはひたすらに飛んでいった。 必死に必死に飛んで……崩れ行く瓦礫に進路を阻まれ、身動きが取れなくなった。瓦礫の粉塵があたりを覆いつくして呼吸が苦しくなった。 目の前が真っ暗になる。何も見えなくなった。そこで意識が途切れた……。 「目が覚めた?」 夢の終わりと共に、ルークもエイミーもふいに目が覚めた。寝起きの悪いはずのエイミーもまるで今まで寝ていなかったかのようにすっきりとした気分で目が覚めた。もっともすっきりとした気分の目覚めであるものの、気持ちの面では複雑だった。見ていた夢が夢だったからだ。 エイミーにもルークにも分かる。あれはメイシャの記憶。 この国が滅びる事のきっかけと、その末路。 今では空中庭園と呼ばれ、夢の国となっているこの場所は……かつて地上に滅ぼされた国だったのだ。 天上人でありながら、地上人となんら変わりが無かったエスターニャの国の人々。あえて言うなら、あまりにも守られた環境にあったために戦う力に欠けていた事だろうか。 「いくつか聞いて良いか?」 ルークは穏やかな顔で二人を見ているメイシャに問いかけた。彼女はそれに頷く。 「ええ、構わないわ。私もこの千年で知った事が沢山あるから、分かる範囲でなら」 ルークは座ったままの姿勢でメイシャの方を見た。その視線は真剣なもので、メイシャから見ればソルの面影を強く感じる視線だった。 「まず一つ。国が滅びる時、離脱した国の者達が居た。話の流れからすれば俺の先祖になると思う。となると、選んだのはアイラルだ。何故、地上であるアイラルを離脱地に選んだ?」 「……当時、アイラル王国はとても小さな国だったのよ。それもエスターニャよりも遥かに小さい。おまけに島国。他の国とは海を隔てた距離がある。エスターニャが空で隔離されていたように、アイラルも海で隔離された島国。おまけに小国。隠れ潜むには一番の場所だった、それだけね。だから、今も唯一転送装置が使えるのよ」 「……なるほど」 だからメイシャは転送装置を使ってアイラルの国でその子孫達を探していたのだ。そしてその子孫を連れてくるのにも転送装置を使う。つまりアイラルは気が付かれなかっただけで、ずっと空中庭園と繋がる入り口があった事になる。もっともメイシャの話では、その扉を開けられるのは空中庭園側のみという事だから、おそらくこれは逃げ出すため専用に作り出された転送装置なのだろう。 「じゃあ、もう一つ、こっちはもっと核心だ。ちゃんと答えて貰わないといけないな」 ルークはじっとメイシャを見る。その表情に真偽を確かめるようにして。 「エスターニャが滅びる時、ソルは何をしていた?そもそもお前の話はソルとかいう奴を助けろから始まってる。国の危機にそいつは何をしていたんだ?」 そう、メイシャの記憶から抜けてしまっている肝心な部分だった。だが、彼女はルークに出会ったときにソルを助けるように言った。彼は捕らわれて動けないのだと。何かが起きた事は確かで、それを彼女が知っているのも間違いの無い事。 「……ソルは国の事をとても大事に思っていたの。彼は城を浮かせている力に対して何かを知っていたみたい。それを解放しようとしたの。その力があれば、何か国を助ける事も出来るのではないかと思って」 メイシャは悲しい顔で首を振った。 「……私はあれから気がついて、崩壊した城の中を探し回ったの。そうしたら城の奥深くに彼は居たわ。……凍りついた姿をしていた。まるで綺麗な氷のオブジェみたいに」 「……それはつまり、彼はその力を利用しようとして負けたという事?」 黙って聞いていたエミリーが口を挟んだ。魔法関係に関してはエミリーの方が知識が長けている。 「……うん、そういう事」 「じゃあ、ルークの力が必要って言うのは?」 エイミーが畳み掛けるように質問する。ルークには魔力が無い。あるいは眠っているのかもしれないが。でも、かつての王位継承者が失敗した事を彼が出来るとは限らない。 「……私も調べたの。残っていた蔵書で。そうしたらね、生まれ変わりって信じられるかしら?魂が生まれ変わるの。その生まれ変わりの人物なら……その呪縛が解けると」 メイシャは落ち着いた声ではっきりとそう言った。確信を持った答えだった。 「だから、私は彼の生まれ変わりを探していたの。ずっとずっと待っていた。やっと見つけたの、それが……貴方」 メイシャはふわっと飛ぶとルークの傍に降り立ち、その手をとった。だが、彼は彼女の手を払う。 「……それはおかしくないか?ソルって奴は捕らわれたままなのだろう?その魂だって捕らわれているはずだ。肉体だけだったらそこまでお前がこだわっているとは思えない。死と変わらないからな。なのに生まれ変わるはずが無い」 メイシャは払われた手をぽかんと見ていたが、それからくすっと笑った。真剣な表情のルークを見て、懐かしそうな顔をした。 「……本当に貴方、ソルによく似てる。一筋縄でいかないところもそっくり。貴方は間違いなくソルの生まれ変わりよ。正確に言えば完全に生まれ変わったとは言えないけれど。捕らわれたのは確かに魂。だけど、全ての魂が捕らわれたわけじゃないの。だから、貴方は生まれてくる。魂は沢山の命の積み重ね。貴方の中にソルの分だけ欠けているのよ。ソルの前にずっと積み重ねられてきた魂までは捕まらなかったから」 メイシャは再びルークの手をとった。今度は強く、しっかりと力を入れて。 「つまり貴方の一部が取り残されたままなの。本当は貴方として生まれてくるはずだった魂の一部が。だから、貴方が出会えば彼は元に戻れるの。長い時の呪縛から解き放たれるの」 「俺の……一部?」 「ええ、貴方のあるべきものの一部」 ルークはそのままメイシャの言葉に丸め込まれそうだった。だが、エイミーはその話を聞きながら、何かの矛盾を感じていた。この矛盾は何だろう。 ルークはそのソルの魂を解き放つ事が出来る、それはおそらく確かなのだろう。もし、メイシャの言うとおり魂が積み重ねられているものならば、ソルの生まれ変わりであるルークは自分の一部を取り戻すのだから、それは難しい事ではないのかもしれない。 それにメイシャはソルの恋人で、妖精であるから生まれ変わりである事も分かるのかもしれない。 でも彼女の言葉を全部信じたとして……なおかつ残るこの矛盾は何だろう。 何故、疑問が消せないのだろう。 それに、彼女はもう一つ言ったのだ。エイミーが必要なのだと。 今の話にエイミーが関与する必要は全く無い。もし、あるのだとしたら、その出来事を見守るのだろうか。いや、見守るならメイシャだけでも出来るはずだ。そして、事が済めばルークを送り返せばそれで終わる。 つまり、エイミーがここに連れてこられた理由が無い。 「……私が必要な意味は?貴女、私も必要だって言ったわ」 エイミーはメイシャに初めて疑問を投げかけた。昨日は妖精に出会えて浮かれていたし、憧れの空中庭園に舞い上がっていたが、今なら冷静に考える事が出来る。 メイシャはその返答に明らかに困っているようだった。答えようが無いというよりは答えがあるのに言いたくない、そんな雰囲気だ。 「……証人が欲しかったの」 メイシャはそう言った。やっとの思いでそう告げた。 「証人が欲しかったの。ソルが生きていた事も、このエスターニャって国があった事も、この国が滅びていった事も、それを証明してくれる人が欲しかったの」 メイシャは申し訳なさそうにエイミーの顔を見た。 「貴女、空中庭園の話を凄く信じてくれてた。貴女だったら、この事実をちゃんと伝えてくれると思ったの。大丈夫だと思ったの。そしてこの国を幻にして欲しくなかったの」 「それだけ?」 「ええ、そう。それが私の願いなの」 念を押すようなエイミーの問いかけにメイシャは伏目がちにそう言った。それ以上、問い詰めてはいけないような雰囲気だった。 「……分かったわ。今は貴女を信じる」 「ありがとう、エイミー」 そう答えたものの、エイミーには疑問も残る。証人はルークでも良い筈なのだ。それともルークでは駄目なのだろうか?彼等の一族はずっと空中庭園の話を伝え続けてきていた。だからこそエイミーもその話を聞く機会があっただけなのだ。 メイシャの狙いは……違うような気がした。勿論、確信は無い。だけど、気になるのだ。本当はそうではないのだと。 向こうで話を聞いているルークに視線をやる。ルークもどこか半信半疑の所があるような顔をしていた。だが、彼にはエイミー以上に今までの言葉に逆らえないものがあるのだろう。覚悟を決めたような表情に変わっていた。 そう、彼はここに来た時に言ったのだ。 力を貸すように言われてきたのだと。 それはメイシャを逃がそうとして叶わなかったリーレンの一族が彼女のために伝えていた事。それを聞かされていた彼には身近な事でもあるのだろう。 ……だからだろうか。エイミーは彼とは明らかに違った目で見る事が出来る。それが良いのかもしれない。 とにかく、付いてきてしまった以上、帰る方法も分からない以上、エイミーもルークもメイシャを信じるしか他無いのも事実だった。 それに彼女の言葉には邪気は感じられない。素直にまっすぐ進んでいる少女にしか見えなかった。愛する人を助けたいと、そう願っているようにしか見えなかった。 それが、信じられる一番の証とも言えた。 |