第三章 空中庭園 「ほら、ごらん。青い空の上に点みたいにみえるものがあるだろう?ここからじゃ点にしか見えないけれど、あそこにはお城が建っているんだよ。それはそれは立派なお城がね」 老女の指差す空の先を、幼い少年と少女が見つめる。澄み切った空に少しずつ移動をしていく点が見えている。 そこにはお城なんてあるようには到底見えないため、幼い子供たちは顔をしかめた。それを見て、老女はくすくすと笑う。 「確かにここからじゃ点にしか見えないからピンとこないだろうね。でも、あそこには小さな国があってね、王様やお姫様、王子様がいたんだよ。そしてね、そこには見たことも無いような綺麗な花が沢山咲き乱れていてね、とっても素敵な庭園だったんだよ。だから空中庭園って呼ばれているんだよ」 その言葉に少女は目を輝かせた。まるで絵本のような世界だった。 空飛ぶお城、綺麗な花、そして王様やお姫様。絵本を読む度にドキドキしていた。それが今、自分が見ている先にあるというのだから嬉しくないはずがない。 「私、そのお城に行きたいよ〜!」 少女は老女にすがりつき、懇願した。その茶色の瞳はキラキラと輝いている。それを見て、老女は優しく微笑みかけた。 「そうだね、きっと行けるよ。あそこには誰も行けないと思われてるけど、そうじゃない。ただ、行き方が分からないだけなんだよ。それが分かれば、すぐに行けるよ」 「本当?私、絶対あそこに行くね!」 老女の言葉に少女は瞳を輝かして力強く言った。それを老女は頼もしそうに見つめていた。優しく見守るような瞳で。 メイシャによって導かれた場所はヴィンラン山の一角の、ごく普通の場所にあった。そこはエイミーも何度も薬草採取に来た事のある所で、エイミーにとっては意外としか言いようが無かった。 「しっかし……エイミー、お前それ持っていくのか?」 ルークは呆れた顔でエイミーを見る。エイミーはさすがに採取籠は持っていないものの、持てる限りの薬草を詰めた鞄を背負っていた。ルークから見ればかなり邪魔なものに見える。しかしエイミーにとっては宝物に近いものだ。そう簡単には置いていけない。それに、持っているのにはもう一つ訳があった。 「だって、どれも大切な薬草だし……何かの役にたつかもしれないでしょう?」 エイミーは不満げな顔でルークに文句を言う。そう、不安が無いわけではない。だから、こうして薬草を持っているのだ。エイミーにとっては薬草を持っているだけで、随分と安心感が違う。 「……まあ、確かにそうだけどね」 ルークはそう答えるものの、何故エイミーがそこまで薬草にこだわるのかが分からないので、不思議そうな顔をする。それでも安心できるのなら持っているにこしたことはない。 「ほら、二人とも、こっちこっち〜!」 メイシャが手を振って呼んでいる。メイシャの立っている場所は……この山では珍しくない茂みの中だった。雑草が生えたり低木が無造作に生えているので、多少足の踏み場が悪いのだが、人が侵入できないような所でもない。 二人はメイシャに呼ばれるまま、彼女がいる場所に茂みをかきわけながら辿り着いた。 エイミーは改めて辺りを見回す。やはりどこにも何かがあるようには見えない。 「それじゃあ、行くよ〜?」 メイシャが手を上げる。 するとそれに応えるように三人の足元が円盤状に丸く輝き始める。そして光がまばゆいくらいになって、思わずエイミーとルークが目をつぶった時、身体が一瞬宙に浮いたような感覚に襲われた。その感覚に慌てて二人が目を開けると……そこには見知らぬ世界が広がっていた。 辺り一面が花に覆われていた。 植物に詳しいエイミーでも見たことの無い花が咲き乱れていた。しかも花は色とりどりで、鮮やかな赤や黄色、美しい澄んだ青、それらの色が混ざり合って美しい色彩を放っていた。それがまるで夢の中にいるような感覚を覚えさせた。 そう、まるで現実ではないような。 あまりにも一瞬の出来事で何が何だか分からない。 ぼんやりとしている二人にメイシャは不思議そうな顔をした。 「なに、ぼんやりしてるの?もう着いたよ」 メイシャの言葉に、二人はさらに雲に包まれてしまう。そんな事を言われても実感がわかない。しかし、見たことの無い花が、ここはヴィンラン山でないという事を伝えていた。 メイシャは羽を使って浮かび上がる。そして、二人の方へ振り返った。 「ちょっと待っててね。出てくる位置がなんかちょっとズレてたから、道を確認してくる。そこから動かないでね」 そう言い残すと、メイシャは舞い上がり、遠くへと飛んでいく。 やっぱり羽が生えているのは便利で良いな〜と思いながら見送るエイミーにルークが真剣な声で話し掛けてきた。その表情から、重大なことが良く分かった。 「……お前も来る事になってしまったから……話しておくな。エイミーは覚えているか、俺のばあちゃんの話」 ルークの言葉に、エイミーは頷く。 彼のおばあちゃんといえば、エイミーに多大な影響を与えたその人なのだ。 空中庭園の話をしてくれたのもそうだったが、他にも魔法というものへの興味や植物に関する知識、魔法薬に関する事、今のエイミーに関わる事のほとんどの事は根本にルークの祖母から得た知識だった。ルークの祖母も、エイミーと同じように魔法薬を作っていて、その腕は一流であり、王室直属の魔法薬の処方係を務めていたこともあった。エイミーにとっては今では隣の素敵なおばあちゃんというよりは憧れの対象である。 「……じゃあ、空中庭園の話は覚えているか?」 エイミーは深々と頷く。そう、忘れるはずは無い。あの空中庭園の話を忘れるはずがないのだ。 沢山の話を聞かせてもらった。あそこにあった国の事。人々の事。 だが、ルークは難しい顔をした。 「なあ、エイミー。空中庭園には誰も行けないんだよな?……それなのに何で国があったなんて、ばあちゃんは話すんだと思う?詳しすぎると思わなかったか?」 ルークの言葉にエイミーは困った顔をした。エイミーにとってはルークの祖母の言葉は全て真実だった。例え、歴史に刻まれていなくても……その存在そのものが未知のものであったとしても。 答えないエイミーに対してルークは言い出しにくそうに頭を掻いた。そして、どう言ったら良いのか分からないといった顔で言葉を続ける。 「……エイミーが聞いたのは、空中庭園は国で、そこには王族が居て、さらにそこに暮らす人々が居た話だろう?」 「そうよ。色々聞いたわ。空中庭園は空の上の国でありながら、地上の国々と交流を持っていて空でしか出来ない作物と魚や肉と交換していたんだ、とか」 エイミーは頷く。他にも、空中庭園の王族達は優れた魔法使いだったとか、ある日突然滅んだという話も聞いた。 エイミーはここまで思い出して、初めてルークが言った詳しすぎるという言葉に気がついた。そう、確かに詳しい話が多かった。例え作り話なのだとしても筋が通っていたし、真実味があるからこそエイミーは素直に信じていた。 ルークはさらに続けにくそうな顔になるが、それでも話し続ける。 「……で、エイミーには話してない事もあるんだよ。俺はそれを聞かされた。代々、その話は伝えられてきて、これからも伝えていけと。空中庭園の最後の王は、自らの命と引き換えにして国民を護り、地上へと逃がしたんだそうだ。その王には妻が居たという。彼女は人あらざるものだったと。そして……彼女が現れたのなら必ず力になれ、と」 エイミーはルークから語られた言葉に息を呑む。それは先程メイシャがした話に良く似ていた。 メイシャはソルという人物が皆を護るために死んだといった。そして彼女は……そのソルの恋人であり人あらざるもの。妙に合致していないか。 エイミーはルークを見た。彼は、悩んだ顔をしていた。彼にもこの奇妙さがひっかかるのだろう。そう、だから彼はメイシャの頼みを聞いて引き受けたのだ。自らの一族に語り継がれてきたことを守るために。 そして……エイミーはもう一つ知った。ルークはずっと昔からこの話を知っていた。つまりそれは……。 「……ルーク、あなた……空中庭園の話が本当だって分かってたのね」 ルークはその言葉に頷く。そう、彼は知っていた。空中庭園の話が御伽噺ではない事を。 彼は神妙な面持ちで、ゆっくりと口を開いた。 「……ばあちゃんの話を疑ったりなんてしないさ。ただ、エイミーみたいにこだわらなかっただけだ。俺には関係の無い話だとずっと思っていたからね」 ルークはメイシャが飛んでいった方を見つめた。 「……それに俺は彼女を見ていると懐かしいような、後ろめたいような気持ちになるんだ。少なくとも……俺の一族と彼女は何か繋がりがあるんだと思う。でも……」 ルークは言葉を切ると重たい首を振った。 「……でも……彼女は一体俺に何をさせようと言うんだろうか」 メイシャはルークしか救えないと言った。ルークのような赤い瞳の人を探していたと。ルークのような気の波動を持つ人を探していたと。 彼女の力にならなくてはいけない。そんな思いがあるのは確かだ。言い聞かされてきたからだけではない。彼女を見ていると……そうしなくてはいけないような気持ちになるのだ。だけど、彼女の真意はまだ見えない。 エイミーも首を横に振るしかなかった。メイシャが悪い人には見えないが、全く未知の相手である事だけは確かだ。 「……彼女を信じるしかないわよ」 その言葉にルークはゆっくりと頷いた。それしか……方法は無かった。 感じなれた風が身体に吹き付ける。やはり天上の空気は地上に比べてずっと良い。 メイシャは空高く舞い上がり、地上を見下ろした。 長い間転送システムなんて使っていなかったから、城の傍に出るといっても中庭に出てしまったようだ。 メイシャはルークの顔を思い浮かべる。 本当に似ていた。 顔は全く違う。だけど……似ているのだ。話し方も、感じる温かさも。 初めて見た瞬間、あまりにそっくりなので感動して抱きついてしまった。ソルが生まれ変わったのかとさえ思った。 だけど、彼はソルではない。 ソルはずっと城に繋がれたままなのだ。静かに眠る事さえ許されずに。 「……私のせいね」 メイシャは城を見下ろした。薄い青色の外壁をしたその城は、半分以上崩れかかっている。もう壊れてから長い時が立つ。風食が進み、どんどん崩れていっていた。さらにツタが多い、緑が茂っている。 かつては立派な城だった。 大きな塔が二つもあり、大きなテラス、明るい廊下、日が当たるときらきら輝く外壁。大きな窓は虹色の光を湛えていた。 妖精の世界から紛れ込んだメイシャが見ても美しいと感じる城だった。それは今、無残に崩れ去っている。 そして、あの中にずっとソルの魂は捕らわれているのだ。ずっと。 「……ごめんね。私があなたを好きになんてならなければ良かったのにね」 泣きそうになってしまう。本当にどうしてこうなってしまったのだろう。 『メイシャ』 声が聞こえた。 メイシャは慌てて涙をおさえる。そして、城に向かって飛んでいった。 一番近くのテラスに舞い降りる。自分を呼ぶ声が再び聞こえた。 『メイシャ』 メイシャは息を整え、瞼を閉じる。 「……うん、ここに居る。帰ってきたよ」 彼女の言葉に何かが頷いたような雰囲気がした。 『そうか。……彼は見つけたの?』 「うん……、見つけた」 彼女の言葉に、何かが嬉しそうにしていた。それは見えないけれど、雰囲気だけ分かる。 その場所に行けば見えるけれど、行かなくても空気だけで感じることが出来た。 『……そうか、やっと自由になれるのか』 切望を感じる言葉だった。やっと、その願いが叶うのかという、長き切望を。 だが、その言葉にメイシャは首を振った。 「……まだ、駄目」 『駄目?何故?』 否定する彼女に何かが問い返す。その言葉には懐疑的なもの以外に苛立ちにも思える響きが含まれていた。 メイシャはその言葉に呑まれそうになりながらも、必死で続けた。 「うん、まだ駄目。出会ったばかりだもの。私の事、ちゃんと信じてもらわないと無理よ。私の言う事、ちゃんと信じてもらわなきゃ」 彼女の言葉に何かが納得したように蠢いた。確かに彼女の言い分の方が正論である。未知の存在に対して心を簡単に開く人はそうはいない。 「……ここまで来たんですもの。焦りは禁物、よ?」 メイシャは、ふふっと微笑んでみせる。彼女の強がりでもあった。 『……分かった、メイシャに任せるよ』 何かは彼女にそう言うと、ふっとその場から掻き消えた。 メイシャは安堵の息をつく。 「……ごめんなさい、ソル」 メイシャは悲しそうにそう呟いた。 そう、全ては自分のせいなのだ。 だから、自分が彼を救わなくてはならない。それが、彼に出来る唯一の事だから。 そう、それがどんな結末を導こうとも……。そう、彼等を傷つけるものだとしても。 メイシャは胸に手を当て、瞼を閉じた。 ……大丈夫、きっと私の賭けは成功する。 そう言い聞かせた。そう、必ず成功する。させてみせなくてはならないのだ。 メイシャは心で何度も呟いた。必ず成功する、と。 一方、出かけてしまったメイシャを待つ方は待つ方で、只では待っては居ない。 「きゃ〜!これって絶滅したって聞いてたのに!すごい〜!」 エイミーが目をきらきらさせて中庭に咲き乱れる花に感嘆の声を上げていた。 ルークは植物系の話はよく分からないのだが、見たことの無い花であることだけは理解できる。咲いている花々は決して大きい訳でもなく、華やかな訳でもなかったが、原色に近い、赤や黄色や白い花々は強くたくましい印象があった。 「そんなに珍しいのか?」 「珍しいも何も……これって原種よ!どんどん絶滅していっていて……保護もなかなか難しいって聞いているわ。それがこんなに当たり前のように咲いているなんて……」 植物に関係するとエイミーの目つきが変わる。昔、空中庭園の話を聞いていた時と同じ、きらきらとした瞳だ。 ルークが剣術に自らの活路を見出したように、彼女は植物や魔法薬に対してその道を見つけた。思えば、魔法薬への興味は自分の祖母からきていたような気がする。前に祖母からエイミーにその事について詳しく聞かれたという話をしていた。 そう、直接は詳しく知らないのだ。 エイミーの話は家族を通して聞くことばかりだった。 ……おそらく、エイミーの研究班に依頼が行かなければ、こうして話す事もほとんど無かったのだろう。そして、巻き込むことも無かったはずだ。 ルークは何とも言えない気持ちになる。そう、話せた事は嬉しいけれど、巻き込んでしまった事は嬉しくなんて無い。 それに……メイシャは何故エイミーを連れてきたのだろうか。確かに来ると言ったのはエイミーだ。だが、そう誘導したのはメイシャである。 メイシャは自分にしか用が無かった筈なのに。 彼女をまだ信じきる事は出来ない。エイミーの事があるからだ。自分ひとりだけだったら、この押し寄せてくる複雑な思いに任せて信用してしまうのだろうけれど。 エイミーは悩んでいるルークに気がつき、花に触れる手を止める。そして、彼を見てからすぐに視線を逸らした。 先程までは、植物に夢中になっていたり、空中庭園の話になったりで、あまり意識していなかった思いが蘇る。 彼は……エイミーの隣りで空中庭園の話を聞いていた頃の彼ではない。 あの頃は……どこにでもいる元気の良い普通の少年だった。一体、いつから彼は剣術なんて始めてしまったのだろう。昔は……、そう、昔はそんな事にはまるで興味が無かったのに。 視線を落としていた花の色がだんだんと暗い色に変わっていく。花びらも少しずつ閉じてきていた。 空を仰ぐともうほとんど真っ暗になっている。だが、月が近いせいか月光に照らされているので当たりはまるで大きな電灯に照らされているかのように比較的明るかった。大体の様子は見えるのだ。 だが、その光景に合わせるかのように何かがぼんやりと光り始める。 その光に気がついて、ルークとエイミーはそちらに視線を送った。 世闇の中に……大きな城が浮かび上がっていた。風化したり、ツタが巻いたりしているが、その淡い光を放って佇む姿は神秘的であった。その美しさに思わず息を呑む。 「……綺麗」 エイミーはじっと淡く光る城を見つめた。 これが……空中庭園の城。話に聞いていた王子様とお姫様の住む城。 長年憧れてきたものが、今、そこにあった。 ルークもじっと見つめていた。エイミーの様な憧れの城では無い。だが……去来する思いがあった。 おかしい。どうかんがえてもおかしかった。 何故、この城を見て懐かしいと感じるのだろうか。何故、この城に郷愁を抱くのだろうか。何故……こんなにも悲しくなるのだろうか。 胸が痛かった。何かがルークの中でざわめく。 やはり、ここには何か関わりがあるのだ。ルークはその事を改めて実感した。 「お待たせ〜!」 メイシャの明るい声が聞こえてきた。彼女は城の方から、す〜っと降りてくる。 そして、城に見惚れている二人に気がつき、彼女も自分がやって来たその場所を見た。 「あ、そっか。このお城が光るのって知らないんだもんね。私も、ここに初めて来た時はびっくりしたよ〜。へへ、懐かしいな」 メイシャは楽しそうにそう言って笑った。そういう反応をする事からも彼女がここの住人である事はよく分かる。知らなければ、驚かないはずがない。 「とりあえず、お城に行こう。夜も遅いから、休もうよ。客間とかは、ちょっと崩壊が激しくってね。よる年波には勝てないって感じ?だから、私の部屋に来て欲しいの。ちょっと三人じゃ狭いけどね」 メイシャはルークとエイミーの手を引いた。 満面の笑みでそういう彼女にルークもエイミーも思わず頷く。確かに夜も更けてきたし、月明かりに照らされて明るいといっても未知の世界だ。その世界の住人の言う事を聞いた方が得策だろう。 メイシャに導かれるままに、ルークとエイミーは庭を抜け、城の片隅にあるこじんまりとした棟に連れて行かれた。 そこまで明るくないので詳しくはよく分からないが、そこは確かに生活感があった。 劣化した壁も補修されていて、埃を被った床もある程度は掃除がされている。ある程度というのは、おそらく出入りしていないであろう所には山のように埃が積もっているからだ。メイシャは宙を舞うため、自分が飛んだ時に埃が舞い上がらないのであれば気にしていないのだろう。 手前の一室には明かりが灯っていた。その場所をメイシャが指差す。 「ほら、あそこが私の部屋なの」 そう嬉しそうに言うと、メイシャは二人に先立って部屋の中へと飛んでいった。 置いていかれたエイミーとルークは顔を見合わせると、その後についていく。 そして、その部屋の中に入って息を呑んだ。 「うわ……」 ランプで灯された室内に浮かび上がるのは、時代を感じさせるものばかりだった。 歴史の本等で見るような絵画がかけられていて、カーテンやベッドに使われている布も全然質感が違う。可愛らしく飾られている彫刻も、今ではとんでもない価値を持つものばかりだ。そう、まるでその部屋だけ大昔にタイムスリップしてしまったかのようだった。 それに……なんだか独特の香りがする。花のような香り。香水か何かをまいているのだろうか。 エイミーは思い出す。メイシャは千年ほどここに居ると言っていた。つまり……ここは千年前の縮図とも言える場所なのだ。 エイミーは改めて空中庭園の存在を実感する。確かに、今ここに来ているのだが、すんなりと来れてしまっているためにあまり実感が無かった。 だが、花の原種が咲き誇っていたり、ここにある家具や小物まで年代を感じるものばかりだ。メイシャの話を鵜呑みにしないとしても……ここにはかつて国があり、人が住んでいたのだろうと思った。ただ、何故か人々の記憶からは遠ざかっていき、ここに来る事さえ叶わない状態となっている。 そう、ここにはあんなに簡単に来る事が出来たというのに、だ。あれほど簡単に行き来が可能なら、もっと歴史書にだって空中庭園の話が出ていたっておかしくないのに、触れられている事すらほとんどないのだ。 妙な話だ。一体、何があったというのだろうか。 そして、メイシャの恋人であるソルは、何故彷徨っているのだろう。 まだ、メイシャは詳しい事を話してくれていない。話してさえ貰えば、もっと分かるのだろう。真実は相変わらず闇の中だ。 メイシャはふわふわと飛びながらベッドを整える。 「一人はここで寝てね!後は……どこかに布団、置いてなかったかな」 整え終わったベッドを軽く叩くと、メイシャはきょろきょろと視線を泳がす。 「ああ、俺は良いよ。野宿にも慣れているし、屋根があるから十分だ」 新しい寝床を作ろうとウロウロしているメイシャにルークが声をかける。それに対してメイシャはきょとんとした顔をした。 「いいの?」 「ああ、構わない」 念を押すメイシャにルークはそう言って、ドアの近くに腰を下ろした。エイミーはどうして良いのか分からず、メイシャとルークを代わる代わる見る。 それに気がついて、ルークがエイミーを促した。 「そのベッドはエイミーが使わせてもらえば良いよ。慣れない早起きで、眠たいんじゃないのか?」 ルークはくすくす笑いながらそう言う。その言葉にエイミーはバツの悪そうな顔をした。 「……そりゃあ、早起きは慣れてないけど〜」 エイミーは、急に休む場所が現れて安心してしまったのか眠気が襲ってきて大きなあくびをした。 「……本当に眠いみたい」 エイミーは顔をしかめる。何だって、こんな貴重な体験をしている時にまで睡魔が襲ってくるのだろう。 ルークはそんな彼女を見て笑う。 「いいから、寝かせてもらえって」 「そうよ〜、ゆっくり休んで」 ルークの言葉に、メイシャも加わる。二人に休むように言われて、エイミーの睡魔はさらに強くなっていった。何だか立っているのも辛くなってくる。普段は夜型だというのに妙な話だ。 二人の薦めにエイミーは素直に従う事にした。何故だか、異常に眠たいのだ。 エイミーはメイシャのベッドに横になると、ふうっと一息つく。長い年月が経っているはずのベッドは不思議と軟らかく、そのまま睡魔が襲ってくる。エイミーは襲われるがまま、深い眠りへとついていった。 エイミーが眠ってしまうのを確認してから、メイシャはルークの様子を伺う。彼は眠たそうな顔をしていない。 いや、眠たいというような顔ではなく、むしろこちらを警戒しているような目だ。 「……眠り花の花粉か何かを使ったのか?」 ルークが警戒の色を浮かべたまま、そう聞く。その言葉にメイシャは困ったような顔をした。 「分かるの?」 「昔、同じような香りをかいだ事がある。滅多に咲いていない花だって聞いているよ」 メイシャの問いにルークは淡々と答える。それに対してメイシャはもっと困った顔をした。 「あなたは平気なの?」 「平気も何も……そういう時は意識さえ集中して惑わされなければ良いって、ばあちゃんが教えてくれたからな」 その言葉にメイシャは肩をすくめた。 「やっぱり、ソルの一族は昔から魔法関係に耐性が強いのね。貴方は剣士みたいだから、もしかしたら効くかしらと思ったのだけれど……。あ、悪気は無かったのよ。ただ、しっかり休んでもらいたかったの」 メイシャはばつの悪そうな顔をしてそう言った。その表情からは悪意が感じられず、おそらくその言葉通りの事をしようとしたのはルークにも分かった。 そう、どんなに警戒しても……どこかでこの妖精を疑う事が出来ないのだ。何故かは分からない。分からないけれど……疑えないのだ。 ルークは視線をエイミーに移す。彼女は深く眠ってしまっていた。寝付いてしまえば、彼女は余程の事がないと目覚めないだろう。 「……一つ、聞きたいことがある」 ルークはそう口にする。エイミーが起きていては聞けないことだった。メイシャはそれとは知らずにこっくりと頷いた。 「なあに?なんでも聞いて?」 「どうして、エイミーまで連れてきたんだ?」 笑顔だったメイシャはその問いにびくっとした顔をした。明らかに顔色が変わっている。 ルークは畳み掛けるようにそのまま続ける。 「用があるのは俺だけじゃなかったのか?俺は……正直、君とは何か関わりがあるんじゃないかって思っているよ。だけど、エイミーは関係ないじゃないか。あの時、たまたま居合わせただけだ。どういうつもりなんだ?」 ルークの問いかけにメイシャはどうしたらいいのか分からない顔をした。困っているようだ。 ルークはまるで自分が彼女をいじめているのではないかという錯覚に陥ったが、そんな事も言っていられないのは事実である。エイミーは無関係なのに巻き込まれているからだ。 「……俺は、出来る範囲で力にはなるつもりだ。だけど、エイミーは関係ない。彼女の身の安全だけは保証して欲しい」 ルークは真剣な表情でそう言った。赤い瞳がメイシャをじっと見つめる。 あまりにもその視線は彼女のよく知る人に似ていて、メイシャは息を呑んだ。 「……大丈夫。大丈夫だから、心配しないで」 メイシャはそう言うのが精一杯だった。そう、彼女を傷つけるつもりはないのだから。 だから、大丈夫。そう返す。 その思いはルークにも伝わったらしかった。彼はしぶしぶながらも納得したような顔になり、頷いた。エイミーの無事が約束されるなら、それ以上追及する必要は無いのだから。 メイシャがす〜っと飛んで、ルークの傍に近寄った。そして、そっと手を彼の頬に当てる。ルークの真紅の瞳にメイシャの姿が映りこんでいた。 「ねえ、あなた達は……ずっとこうして赤い瞳なの?」 懐かしさの篭ったメイシャの言葉に、ルークは肯定する。至近距離で女の子が居るので、普通なら照れたりする所なのだが……何故か引き込まれるような感覚がした。 「ああ、両親の直系は皆赤い瞳だ。俺は傍系だが親族同士の子だからな、余計に赤い瞳の確率が高かったんだろう」 ルークの言葉にメイシャは目を細める。とても懐かしい何かを見ているような顔だった。 「……そっか、良かった。ずっと一族は永らえているんだね。ちょっと安心した」 ルークはメイシャのその言葉に、ずっと疑問に浮かんでいた事が確信に変わってくる。 「……なあ、メイシャ。そのソルって人は……俺の先祖なのか?」 メイシャはゆっくりと頷く。 「ええ、あなたはかつてこの城に住んでいた一族の末裔。そしてソルの子孫に当たるわ。あなたの一族は……かつてここに栄えた王国の王族だったのよ」 王族、そう言われてぴんとくるはずは無い。今ではごく普通の一般市民だし、ここにまつわる事も知っている訳でもなければ資料も残ってはいない。 唯一伝わるのは、御伽噺のように伝わる空中庭園の話だけ。 だが、合点がいったといえば合点がいった。 あまりにも詳しすぎる空中庭園の話。それは事実なのだと思うことが出来た。何故、祖母がエイミーにまで話したのかは分からないが……祖母もおそらく御伽噺の一端だと思っていたのだろう。勿論、ルークにしか話さなかった話もあるのだが。 だが、分からない事がある。御伽噺にも出てこない、空中庭園が滅んだ理由。 しかし、自分たちの祖先がかつてここに住んでいたのだとしたら……地上へと落ち延びてきたという事になる。 落ち延びてきたという事は、何か大きな出来事があったに違いないのだ。 「……何故、この国は滅んだんだ?」 問われるべき問いに、メイシャは俯いた。そう、聞かれる事は分かっていたし、言わねばならない事も分かっていた。それが、どんなに口にしたくない事実であっても。 メイシャは顔を上げた。その顔は泣きそうだった。 「……私のせいよ。私のせいで滅んだの。私が……私が…ソルを好きになったりしたから……」 メイシャは泣きそうになるのを必死でこらえた。彼には伝えなくてはならないから。知らせなくてはならない事だから。そう、ソルと同じ血をひく彼には。 「でも、ごめんなさい。ちゃんと言葉で話すのは難しそうだから……私の記憶を見せる事にするね。あなたにもエイミーにも」 メイシャは再びルークの髪に触れる。彼の赤い瞳にメイシャが映っていた。赤い瞳、彼女が愛した人と同じ色の瞳。 メイシャはルークに穏やかな顔で微笑みかけた。 「ねえ、ルーク。あなたさえ受け入れてくれれば、あなたにも見せる事が出来る。あなたの瞳は幻を見破ってしまうけれど、直接頭には映像を送ることが出来るから。だから……私を信じて……そして受け入れて」 その言葉に反対する事も出来ず、ルークは頷く。やはり彼女には魔力があった。決して逃れられない魔力のようなものが。一言一言が全て信じられるように思えるのだ。 ルークは瞼を閉じて、もう一度ゆっくりと頷いた。 「……ああ、信じるよ、君を」 向こうで頷く気配がした。 ルークには不安と期待があった。彼女をこのまま信じて良いのかという不安、そして彼女の言おうとする事、そして自分を襲う様々な感情を理解できるのではないかという期待。両方の思いが次々と去来していた。 だが、分かっている。彼女に身をゆだねるしかないのだという事は。 しばらくすると、何かが自分の中に入ってくるような感覚に襲われた。それがメイシャの言う記憶を見せるという事の行為であることは予想がついた。 それは脳裏に光を見せていた。真っ白な光が包み込む。ルークは次第に意識を落としていった。 |