空が今日は赤く染まっている。夕焼けは綺麗なものだが、真っ赤になるのは珍しい。アリアの薄紫の髪も夕日を浴びて赤い色が混ざっていた。
 アリアはその綺麗な赤に目を奪われた。こういう夕日が見られるのは滅多に無い。
「アリア」
 見とれている所に声をかけられて、慌てて振り返る。そこには紫の髪の青年が立っていた。
「エラン!こんばんは、かしら?
 同じ施設内に居るわりには、なかなか会わないものね?」
 アリアの言葉にエランは苦笑する。確かにその通りだった。
 騎士団本部は人数も多いため、なかなか顔を見る機会も少なかった。事実、エランはアリアがいないかと気にはかけるのだが、彼女の初勤め以来、見かけなかったのだ。
 勿論、会おうと思えば部屋を訪ねれば良い訳だが、そこまでして会う理由も無かった。
「そういえばカーラちゃんはお兄さんが帰ってきて嬉しくて仕方が無いのね。
 ここの所、毎日顔を見ていたから不思議な感じ」
 エランの顔を見ていてアリアはその妹を思い出す。元気な彼の妹は、兄の帰宅以来、アリアの家に顔を出していなかった。
「ああ、家に戻ると待ち構えたように出てくるよ。でも、あそこまで喜んで迎えてもらうのは嬉しいけどね」
 エランはそう言って微笑む。アリアもその優しい表情を見ていると、彼の妹の気持ちが分かるような気がした。優しくて優秀な兄を持っていれば、憧れを抱くのは普通だろう。
「ふふ、でも弟は少し寂しいみたいだから、良かったらいつでも来て欲しいって伝えてもらえるかしら?」
「ウィル君が?ああ、構わないよ。そう伝えておくね」
 そう言ってアリアとエランは微笑み合う。自分達の弟と妹の関係は、彼らにとっても微笑ましいものだった。
「そうだ、アリアに会ったら頼もうと思っていた事があったんだよ」
 エランは思い出したようにそう言う。
「なあに?私で出来る事だったら何でも言って?」
 珍しい幼馴染の頼み事に、アリアはにっこりと笑う。いつもは兄的存在であるエランに助けられてばかりだ。出来る事であれば、何でもしたかった。
 エランは急に厳しい表情になる。そして真剣な瞳でアリアに言った。
「……ラディを見張っておいてくれないか?
 ちょっと厄介な事になっててね、彼は無茶しかねないんだ。分かるだろう?
 俺は立場上、ついている訳にもいかない。アリアは一緒の部隊だし……仕事の時だけでも良いから、おかしな所が無いか見ておいて欲しいんだ。決して一人で無茶をする事が無いように……」
 アリアはその真剣な表情に押されるように頷く。エランの真剣さが、強く伝わってきた。
 ラディスが無茶しかねないというのは分かる気がした。アリアは昔から引っ張られている側だったが、無謀な事でもしようとする傾向があるのは知っている。よくは記憶していないが、それで大きな出来事があったような覚えもある。
 何かが起きているのはアリアも感じている。それにラディスが繋がっているのも分かる。そしてエランが目を離すなと言う。それは、確信に変わった。
 何かが起きているのなら、私も何かしなければ。昔のように置いていかれるのはもう御免だった。
「分かったわ、エラン。注意しておくわ」
 アリアも真剣な表情で答える。それを見て、エランは少し安心した顔になった。
 真面目なアリアが居てくれる事は大きかった。
「ありがとう、アリア。頼むよ」
 そう言うとエランはアリアの手を取り、強く握った。その行為にアリアは微笑むと、その手を強く握り返した。
「ところで、エラン。そう言う所を見るとあなた、ラディスとは今も仲良いのね?」
 アリアはちょっとふてくされたようにそう言う。予想はついてはいたのだが、何となく仲間外れにされたようで面白くなかった。まあ、小さい頃に関してもエランとラディスが遊んでいる中に無理矢理入っていたのは紛れも無い事実なのだが。
 その言葉にエランは苦笑する。
「……まあ、仕方が無いよ。歳も同じだし、男同士だし」
 そしてラディスの事情を知っているし。
 最後の一番大きな部分の言葉を心の中で呟く。ラディスが必要以上に警戒しないのも、接触を避けようとしないのも、自分が事情を把握しているからだ。それは分かっていた。
 だが、どんな理由であったとしても関わりを持ってくれる方が良い。
 そういう繋がりを持たないアリアはどうしてもラディスにとっては避けようとする対象なのだろう。それは仕方がないように思われた。
 ラディス自身は素性を知られるのを恐れたりはしていない。本人もそれほど気に留めてはいなかった。それでも距離を置くのは、おそらくアリアがカームの娘であるからだろう。
 アリアがカームに対して誤解を生まないように、それを案じているのを感じていた。
「そうね。まあ、しょうがないかしら。
 注意しておく事は忘れないから安心してね」
 アリアは肩をすくめて笑うと、エランにそう言った。
「ああ、頼りにしているよ」
 エランもにっこりと笑った。
 よく気のつく彼女だ。きっと自分の見えない事にも気付くに違いない。それは大きな事だった。


 空は真っ暗だった。その真っ黒のベールに輝く星が彩りを添えている。
 家屋の明かりも消え、わずかに灯る街灯の明かりが多少空を明るくするが、それも気にならないほど星は輝いている。
 雲もかからず、見事な星の川が流れ、踊るように星は瞬いた。
 その星を青年はぼんやりと見上げる。
 何となく寝付けず、近くの川辺まで出てきたのだ。
夜は寒いし冷えるが、それ以上に外は好きだった。閉鎖された環境で生きてきたから、外の広さに憧れるのだ。
 茶色の髪が風に揺れる。
 普通の風とは違う事に気がつき、青年は身を翻し辺りの様子を伺う。
 緊張した空気が流れた。
 何かが来る。そう思った瞬間、風が辺りに吹きすさぶ。
 その激しい風に青年は思わず顔を腕で隠す。その風が治まってから腕を下ろし、視界に現れた人物を見て息を呑んだ。
 銀色の髪に血の様な真っ赤な瞳。暗闇であるにも関わらず、彼は光を纏っているのか、ぼんやりと輝いており、その顔がよく分かった。
 彼はにっこりと笑いかける。
「やあ、お久しぶり。
 自宅までお邪魔するつもりだったけど、手間が省けたな」
 にこやかに笑いかける彼に青年は鋭い目つきで見つめた。
「……何の用だ。出頭する気にでもなったか?」
「やだなあ、そんな怖い顔しないでよ。君に会いに来ただけなのに。
 あれからちょっと確認したんだけど、やっぱり本物のラディス=オーディンだったね」
 余裕の表情でロキルドは淡々と話す。その表情は警戒した顔で自分を見つめるラディスをからかっているようにも見えた。
 ロキルドはラディスを薄く笑いながら見る。
 それは、鑑定でもするような目つきだった。
「……本当に不思議だな。確かに潜在能力はありそうだけど……とてもそこまで優秀に思えないんだけどな。
 一体、どこら辺が『完全体』なんだっていうんだろうね」
 視線をふっとそらすと、ロキルドは笑いながらそう言う。
「……面白くないんだよね。僕だって努力してきたってのにさ、みんなして『完全体』『完全体』って騒いでさ」
 笑顔で笑っていたロキルドの周りに魔力が急に渦巻き始める。その魔力の渦は風となって辺りの草木を激しく揺らした。
「……何が言いたい?」
 ラディスは押し殺した声でそう言う。
 吹きすさぶ風の中で彼の髪も衣服も揺れる事は無い。それはロキルドの魔力の影響を受けていない事を示していた。
 そんなラディスの様子にロキルドは満足そうに笑う。
「ふふ、やっぱりこの程度じゃ、影響受けたりしないか。
 さすが僕の兄弟っていった所かな」
「……お前の目的は何だ」
 警戒心を解くことなく冷静に問うラディスに、ロキルドは肩をすくめて笑う。
「やれやれ、せっかちだね、君は。
 言ったでしょう?気に食わないって。
 だから僕自身で君の実力を見てみようと思ってね。
 噂の『完全体』を殺したら、僕が名実共に最強の二文字を手に入れられるからね。
 そのためには完全な勝利をしないとね。奇襲で勝っても信用してもらえないし」
 挑発的にロキルドはそう言い放つとラディスの反応を待つ。
自分を殺すと言われてもラディスの表情は変わらない。それを見て、不愉快そうな顔をした。
「……俺に勝ったらどうするつもりなんだ?」
 返ってきた答えにロキルドはますます不満を募らせる。望んでいた答えはこんなものでは無かった。まるで、自分が負ける事など無いような表情だ。それが余計に苛立たせた。
「ふん、決まっているだろう?
 人より優秀な人間を作ろうとしたんだ。お望みどおりに僕が支配してやるよ!」
 腹立たしげにそう叫ぶと、ロキルドは身を翻す。
 そしてラディスに向かって一通の封書を投げつけた。
「それが僕の挑戦状さ。
 一人で来ても良いし、お供を連れてきても良いよ。まあ、命の保証はしないけどね」
 ロキルドの周りに先程とは違う風が渦巻き始める。それが瞬間移動の魔法である事にラディスは気付いていた。深追いはしない方が良いだろう。
 そしてロキルドの姿が消えそうになった瞬間、彼はにこっと笑った。
「ああ、そういえばこれだけじゃつまらないから置き土産をしておいたよ」
 そう言った瞬間に彼の姿は掻き消える。
 その言葉にラディスはハッとして街の方を向いた。
 ドオオオン!
 地響きに近い音が当たりに響き渡り、その音のした方角が明るく空を照らし始めた。
「……あの野郎!」
 ラディスは舌打ちをすると、その方向へ向かって走り出した。
 大きな事件になっていない事を祈りながら。

 その場所はすぐに分かった。
 真っ暗な街中で火の手が上がり、舞い上がる火の粉が空を照らしていた。
 その明かりを頼りにラディスは走る。騒ぎになっているのだろう、ざわめく音が聞こえてきた。
 街の中心部に位置する大きな建物の一角。シンプルでありながらも気品のあるその建物の一角から炎が上がっていた。
 予想していた通りの場所だった。
 魔導研究所。ロキルドが最初に狙いを定めた所だ。
 研究所の人々に、狙われている事を再確認させるための行動なのだろう。それは決して諦めた訳ではないという証。
(俺の次はやっぱりあそこか。目的が完全に移行したわけではないって事か)
 ラディスは舌打ちする。厄介な相手だ。
 火の手が上がる魔導研究所には騎士団の消防を勤める部隊が出動して消火にあたっていた。幸いにも火は沈静化し、燃え広がる心配はなさそうだった。
 ラディスは状況を聞こうと、建物の周りに目を走らせる。誰か知っている顔がいたら、直接状況を聞きたかった。
 燃え続ける建物の近くで見覚えのある人物に気がつく。エランだ。
 だが、ラディスはエランの傍に居る人物に気がつき慌ててその場から離れた。
 エランの隣に居たのは、黒髪の男性。十年は顔を見ていないとはいえ、間違えるはずが無い。昔より若さを感じられなくなったが、感じる印象は何一つ変わっていなかった。
「……帰って来てたのか」
 近くの建物の影に隠れると、ラディスは高鳴る胸を抑えるのに必死になった。
 ここに戻る事が決まった時に、一番に会おうと考えていた人だった。だが、今は遠方に出かけていて、しばらく戻らないという事だった。
 一番会いたかった人のはずだったのに、その顔を見た途端に急に逃げ出したくなった。
 何故か顔を会わせ辛かった。
 話したかった事も沢山あったはずなのに、少しでもきっかけを逃してしまったらこうも抵抗があるものなのだろうか。
 違うのかもしれない。そんな事じゃないのかもしれない。
 ただ、今の自分を彼に見られる事が怖いのかもしれない。
「……大人の十年は知らねえけど、子供の十年はでかいよな」
 ラディスは手のひらで顔を覆う。
 背もずっと伸びたし、多くの事も身につけた。別にそれを誇らしくは思わないけれど、嫌でもなかった。
心も変わったかもしれない。何も知らなかったあの頃のように、真っ直ぐに物事を見れなくなっていた。
変化は大きい。どういう顔をして良いのかも分からない。
会いたかったからといっても向こうもそうであるとは限らない。
あの人は、父親ではない。
「……そうか。多分、俺の事はアリアから聞いてそうだな」
 父親……そう、あの人はアリアの父親だ。おそらく自分がここに居る事は聞いているだろう。もしくはこれから知るのかもしれない。
 その時、あの人はどうするのだろうか。
 別れた時の事を思い出す。彼は何度もすまないと謝っていた。護ってやれなかったと。
 あの時はその意味が分からなかったが、今となれば分かる。
 あの人は生き方そのものは真っ直ぐだが、対人関係はお世辞にも上手だとは言えない。
 もし、今もまだそれを悔やんでいるのであれば、彼は自分の前には顔を見せないかもしれない。
 そういう人だ。分かっている。そして、自分も面と向かって会えそうになかった。
 ラディスは目を閉じると自分に言い聞かすように呟く。
「良いんだ。顔だけでも見れたんだし、これで良いんだ」
 どこかで偶然出くわすかもしれない。その時まで、この会いたかった気持ちはしまってしまおう。
 多分、今は時ではないのだ。
 会うべき時はきっと来る。その日までずっと。

「……それにしても助かりましたよ。あなたが居て下さって。
 的確に対処して下さったから、被害も少なくて済みました」
 消火活動により、火の手の治まった建物を見つめながらエランはそう言った。
 たまたま夜遅くまで騎士団に残っていたエランは、突然の物音に驚き状況を確認するために外に飛び出した。すぐ近所から火の手が上がっている事に気がついた彼は慌てて消火担当の部隊に連絡を入れると現場に走っていった。
 そして出火元であるこの魔導研究所に辿り着いた時、その立ち上る火の粉の中から壊れかけたゴーレムが逃げるように飛び出して来た。
 異常事態に気付いたエランは剣を構えたが、それは徒労に終わった。ゴーレムに向かって氷の刃が切り裂き、崩れ去るようにゴーレムは倒れたからだ。
 その魔法を放った相手も火の粉の中から現れる。黒髪の魔導師…エランの良く知っている人物だった。
 それから消火作業に当たっていたのだが、大分火の手が落ち着いたことで、エランは事情を聞く事にしたのだ。
「いえ、しっかり火事にしてしまいましたし。予想のつく範囲だったと思うんですがね、こういう悪戯をしかけてくるのは……。ちょっと油断しましたか」
 カームは穏やかな笑みを浮かべてエランにそう言った。
その言葉にエランは自分との違いを強く感じた。さすがにラディスを指導していた人物だけの事はある。慌てる事も無く対処出来るのはその経験ゆえだからだろうか。その証拠に彼は今も悠然として落ち着いている。
「突然ゴーレムが二体も出現して来たときはさすがにびっくりしてしまって、その隙に一体自爆してしまいましてね。もう一体のゴーレムもどうやら爆弾仕込みのようで、引火しやすいように燃えやすい素材で作られていましたし…一緒に誘爆しなかっただけ良かったですが。幸い、別の場所の爆破が目的だったようで片付けられましたけど」
 カームは顔色を変える事なく、淡々と話す。彼の話通りだとすると、すぐ近くで最初の爆発は起こったはずなのに、彼自身は怪我一つ負っていなかった。火の粉で多少すすけている程度なのだ。おそらく、とっさに身を護ったのだと思われた。
 やはりその辺は経験なのだろうか。思い返せばラディスが小さい頃、何か起こした時は彼がすぐに対応していた。その頃もやはり慌てたり取り乱す事は無かった。性格もあるのだろうが、彼にとってみればそれが普通であったのだろう。突然のアクシデントにも驚かない精神になってしまったのかもしれなかった。
 しかし、またゴーレムとは。
 カームも予想がつく範囲だったと言った。
 それが意味している事は一つだけ。犯人が前回の襲撃者と同じだという事だ。
 しかも今度は前回と違い奇襲だった。
 勿論深夜にこんな派手な事を起こす事からして、前回のような要人の殺害が目的では無いのは明白だ。
 おそらくカームの言う通り悪戯に近いものだろう。諦めたわけではないという証として。
「エラン君。前の襲撃の犯人はロキルド=レイスノートでしたっけ?」
 カームが確認するようにエランに尋ねた。それにエランは頷く。
「……そうですか。ちょっとやっかいな子が相手ですね」
「ご存知なんですか?」
 エランの肯定にカームは難しい顔をする。相手に心当たりがあるというようなカームの表情にエランは驚く。だが、すぐに思い直した。彼は十年前までとはいえプロジェクトの関係者なのだ。知っていて当然なのだろう。
「もしかして、こちらに来られていたのはロキルドの事があるからですか?」
 エランは尋ねる。ロキルドの指導に当たっていた教官はその教え子の脱走を止めようとして大怪我を負い、病院で入院していると聞く。研究所が、十年前であるとはいえ、指導を行っていたカームを頼ってきてもおかしくはない話だ。
「ええ、そうです。突然呼び出されましてね。
ロキルドは私が計画に関わっていた時に、最も期待を持たれていた少年なんですよ。確かに私もデータを見た事がありますが、ずば抜けていましたね」
 カームは淡々とした様子だった。
 だが、その言葉はエランにとっては意外であった。
 プロジェクトで一番優秀だと評価されたのはラディスだと聞いている。だから、ロキルドについてもラディスの方が優秀であるのならば心配がないとどこかで思っていた。
 しかしカームが言うには、十年前はラディスより優秀だったようだ。今はどうだか知らないが…ラディスとはもしかしたら実力的にはあまり変わらないのかもしれない。
「でも、ロキルドが研究所を狙うのは当然といえば当然でしょう。
 騎士団の方でもその事は考慮してあげて下さいね。
 ロキルドの指導をしていた方もそれを心配していました。
 最も相手が相手ですから、対応も十二分に考慮したほうが良いでしょうが」
 カームはエランの方を向いて、哀れむような顔でそう言った。
 エランもその気持ちが分かり、頷く。
 カームにとってはラディスもロキルドも小さな子供のようなものなのだろう。そして、それはロキルドの指導者に関しても同じのようであった。
確かにロキルドも被害者ではある。研究所を狙う理由も容易に理解できた。
 もっとも、ロキルドがラディス並の能力を持つのであれば、対応が困難であることは間違いが無い。無事に取り押さえられるかどうかも分からない。
 ラディスに任せるにしても、危険すぎるかもしれない。少なくとも、前より楽観視は出来なかった。
 エランの厳しい表情にカームが気付く。
「ラディが一番優秀だと聞いていましたか?
 あの子は一番の劣等生だったんですよ。きちんと自分の力の管理も出来ていませんでしたし…。
 今日聞いた話だと、目的とした事を全て網羅した『完全体』と評価されているそうですけどね。
 ……まあ、あの計画で生まれた子供は、自らの力の制御が出来なかったり、遺伝的におかしくて弱かったりで……生き残ったのはラディとロキルドだけだそうですが」
 カームは哀れむような悲しむような…どちらともいえない顔をした。彼は計画に加担をしてはいるものの、反対運動をするような人だ。生まれてきた子供に対して、ラディスだけにではなく全員に思い入れを持っているようだった。
「……そういえば、ラディには会われたのですか?」
 エランはカームとラディスの関係を改めて思い出し、そう尋ねる。以前にラディスに尋ねた時には、カームが居ないために会えなかったと聞いていた。
 カームはその言葉に微笑むと首を横に振った。
「いいえ。今はまだ時期ではないですから」
「何故です?」
 時期ではないと答えるカームにエランは問う。本当に久しぶりの再会であるはずだし、ラディスは本当に会いたがっていた。今までの話からして、カームにとってもラディスは大切な存在であるはずなのに何故会わないのだろうか。
「難しい事じゃないんですよ。
 あの子が帰ってきた時に私が居たのでしたら会っていたのでしょうけれどね。
 今はあの子にとって沢山の情報が入ってきている時です。過去の事を振り返るより先にするべき事が沢山あるでしょう。会うべき時が来たら会いに行きますよ」
 そしてカームは一度言葉を切って微笑んだ。
「それに先程、遠目にラディを見ましたからね。
 随分大きくなっていましたけど…間違えたりはしませんよ」
「え?来ていたんですか?」
 ラディスを見たというカームにエランは驚かされる。全然気付いていなかった。
それにどうして顔を見せなかったのだろうか。
本当にそれはラディスなのだろうか、カームの見間違えではないのか。
 そんなエランにカームはくすくすと笑った。
「ええ、すぐに隠れてしまいましたけどね。照れくさかったのかもしれませんね。
 でも、元気そうで安心しましたよ」
 その穏やかな笑顔にエランは改めてカームとラディスの絆を知った気がした。
 カームが十年経っても見間違える事がないのは、それだけ彼にとってラディスの存在が大きいのだろう。
 ラディスが何故現れなかったのかは分からないが、少なくともカームにとってラディスは子供のような存在なのだろう。小さい頃からよく会う人であったから、それは間違いがない。
 ロキルドの事さえなければすぐにでも引き合わせたいと思うのだが、今はそうもいかないだろう。
しかし、焦らなくてもカームの言う時が来ればいずれ会えるのだろう。その時が来る事は間違いない、そうエランは思った。


「ねえ、先生。家族ってなあに?」
 本を読み返しながら、そう尋ねた。いつも読んで学ぶ本とは違う、御伽噺が沢山詰まった本で、その不可思議さに夢中になっていた。
 だけど、時々に出てくる家族がいまいちよく分からなかった。
 父親と母親。兄、姉、弟、妹。知識としては持っているが、実感は湧かない。それに当てはまる人はいなかったし、その人たちが集まった『家族』もよく分からなかった。
 尋ねた黒髪の魔導師は困った顔をする。普通の人にとっては当たり前の事も、その少年にとっては当たり前ではない。しかし、あまりにも当たり前すぎる事を説明するのは難しかった。
「そうですね…。いつも一緒に居る人の事…でしょうか?」
 首をかしげながら、カームはそう答えた。その答えを聞いて、少年は顔を輝かす。
「じゃあ、僕と先生は家族?」
「私とラディですか?」
 わくわくした顔の少年に、カームはさらに困った顔をした。家族と言い切って良いのか分からない顔だった。
 少し考えてから、彼は少年の頭を優しくなでた。
「……そうですね。私では役不足かもしれないですけど……一応あなたの父親代わりみたいなものですからね。そう考えても問題はないでしょうね」
 その答えだけでも少年には嬉しかった。
 ラディスには父と呼べる人も母と呼べる人も居なかった。一番身近な存在といえば、彼に様々な事を教えてくれるカームくらいなものだった。
 だから、いつも心のどこかで、彼が『父親』なるものであれば良いと思っていた。向こうもそう思ってくれているなら、それ以上嬉しい事はなかったのだ。
「そっかあ!だったら嬉しいな!」
 少年は満面の笑みを浮かべる。少年と呼ぶことさえまだ早いと感じる年齢の彼は、歳相応の笑顔で無邪気に笑った。それを見て、カームもにっこりと微笑んだ。
「こんにちは!カーム、いるかい?」
 元気の良い声が辺りに響き渡る。
 突然、聞いた事の無い声がしたので少年の顔に警戒の色が走る。だが、それ以上に驚いた顔をしたのは、彼の師の方であった。
 ひょっこりと現れた薄紫のショートヘアの女性に呆然とする。
「ア、アテナさん?なんであなたがここに……」
 アテナと呼ばれた女性はカームを気にすることなく、少年に気がつき近寄っていった。知らない女性がやって来るので、少年は逃げ腰になる。普通なら、怖がることなんてないのだが、このアテナと呼ばれた女性は、独特の雰囲気を持ち、いかにも強い印象があった。
 アテナはラディスの顔をまじまじと見つめる。そして、快活な笑顔で笑った。
「へえ、この子が噂のラディかい?うちの子よりちょいと大きいけど、まだまだ可愛いお子様じゃないか。ははは!可愛いもんだ」
 笑いながらアテナはラディスの頭をぐりぐりと撫でる。思った以上に強い力で撫でられてラディスは困惑した。
「アテナさん!ちょっとは加減してやって下さいよ!
ラディが困っているじゃないですか!」
見かねてカームが助け舟を出す。だが、そんな彼をアテナはぎろっと見つめた。
「へえ、やけに肩入れするね。
 ……実は、あんたの隠し子だったりするんじゃないのかい?」
「そんな訳あるはずないじゃないですか!
 何しに来たんですか、あなたは!」
 からかうように笑うアテナにカームが珍しく声を張り上げる。ラディスの目から見ても、カームにとって彼女は扱いにくい相手のようだった。いつも大体の事は淡々と片付けてしまうカームを見ているだけに、それはかなりの違和感であった。
「……あの」
 ラディスは小さな声でそう言った。いつもは元気溢れる彼だが、なんとなくアテナの前ではその元気が押される。
 その言葉に気がつき、アテナがにっこりと微笑んだ。
「なんだい?」
 ラディスは、珍しく気押される感覚に陥りながら、頑張って言葉を続けた。
「あの、あなた誰なの?」
 そう問われて、アテナは目を丸くする。そして大笑いし始めた。
「あはは!そういや、そうだね!ごめんごめん。
 あたしはアテナ=ウェルステッド。そこにいる人の妻さ。
 今は大人しくしてるけど、一昔前はこの腕で賞金首とっ捕まえてたんだよ」
 そう言って、アテナはガッツポーズをしてみせる。快活に笑うその姿は、確かにその言葉どおりの実力を持っている事が感じられた。この押されるような雰囲気は彼女の纏う空気ゆえかもしれない。
 隣でそのやり取りを見ていたカームはやれやれとため息をついた。
「……それは分かりましたから、用件はなんですか?」
「ああ、たまには夫の職場を見るのも良いかと思ってね。
 ここに入るのも止められたんだけどさ、面倒くさいんで、一発みぞおちにかまして無理矢理入ってきたって訳」
 そう言ってアテナは、あははと高らかに笑った。その行動にカームは頭を抱える。
「大体、こそこそしているってのが気にいらないんだよ。
 そういう事されたら余計に気になるってね!」
 豪快に笑うアテナにつられてラディスも笑ってしまった。穏やかな性格のカームとは正反対の人物である。だけど、こういう人が身近にいるからこそ、自分の悪戯でも何でも、他の人が驚くような事をしても顔色を変えないのだろうな。そんな事を思った。
「ところでさ、実は問題が一つあるんだけど……」
「……問題ですか?」
 笑っていたアテナの顔がきゅっと引き締まる。その表情の変化にカームは神妙な顔で頷いた。彼女は眉間にしわを寄せると困った顔で肩をすくめてみせた。
「いや、来るのに夢中になってさ。気がついたらアリアとはぐれてたんだよね」
 そう言うとまたアテナは楽しそうに笑う。実はあまり困ってはいないらしい。だが、その事実を聞かされた夫の方はさらに力なくうなだれた。
「……あなたって人は……娘まで置いてきたんですか」
 それ以上言葉が出てこないらしく、カームは頭を抱えたまま首を横に振った。アテナに対する呆れた気持ちとこれからの対処を考えて悩んでいるらしかった。
「僕が探してくるよ。子供なら僕の方がすぐ分かるって」
 ラディスはぴょんと椅子から飛び降りるとカームとアテナの前に立って元気良く笑った。何よりこの二人の子供というのに興味があった。
 カームが何か言おうとしていたが、ラディスはそれを聞かずに部屋を飛び出す。
 興味があった。本当の親子というものに。
 カームの本当の子供。どんな子供なのだろう。名前からすれば女の子だろうか。
 子供の足では研究所は相当広い。おそらくはぐれたというならこの部屋に入る前後なのだろう。何やら暴れたらしいから、そのごたごたではぐれたのかもしれない。
 研究所といってもそう人数が多いわけではない。施設が幅を取るので、広さに対して人間の方が少なかった。広い廊下を見渡せば、人が居るか居ないかくらいはすぐに分かる。
 ラディスは走りながら周りの様子を確かめる。アテナが暴れたというから人が多く集まっているのかと思えば、意外にそうでもないらしい。廊下はまばらに人が居れば良い方で、ほとんど誰も居なかった。
 これなら見つけやすい。
 しばらく進んだところで、ラディスは前方に小さな女の子を見つけた。誰かを探しているのだろう、きょろきょろと辺りを見回している。
 ラディスはその女の子の所に駆け寄った。そして、その人物を間近で見て、息を呑んだ。
 年の頃は自分より二つ三つ下だろうか。まだ本当に幼い少女だった。
 母親とはぐれたにも関わらず泣く事もしないで、走りよってきたラディスをきょとんと見つめていた。
 薄い紫色の髪。顔立ちは先程会ったアテナそっくりだった。そのまま縮めたような感じさえした。そしてその大きな瞳は良く知っているものだった。
 カームと同じ色と光を湛えた、深い海の色の瞳。
 ……これが『親子』。
 何とも説明の出来ない感情が襲ってきて、胸を締め付けた。何と言って良いのか分からなかった。
 少女の方はきょとんとした顔のままラディスを見上げる。その青い瞳にラディスの顔が映りこんだ。
「……お兄ちゃん、だあれ?
 あのね、私、お母さんとお父さんを探しているの。知らない?」
「……え、ええと」
 少女にそう尋ねられて、ラディスは本来の目的を思い出した。そう、彼女を探しに来たのだ。彼女を両親の元に連れて行くために。
 ラディスが少女の言葉に頷こうとした時、目の前の少女は突然瞳をキラキラとさせた。
「あ、お父さん!」
 その声にラディスは振り返る。そこにはいつの間にかカームが立っていた。目の前の少女は父親に駆け寄るとそのまま飛びつく。そんな娘を彼はそっと抱きしめると、そのまま抱き上げた。
「お父さん、会えてよかった〜」
「ごめんなさいね、アリア。お母さんには後でちゃんと言ってきかせておきますから」
 そう言うとカームは娘の髪を撫でてやる。それに少女は嬉しそうに微笑んだ。
 その様子をラディスは黙って見ていた。入り込める気がしなかった。
 自分は全く別の存在だと、強くそう思った。
 そんな彼にカームは気がつくと、娘を抱えたままかがんでラディスの頭を撫でた。
「ありがとうございます、ラディ。
行きましょうか。アテナさんが差し入れを作ってきてくれたそうですからね。一緒に戴く事にしましょう」
そう言うとカームは左腕にアリアを抱えると、空いた右腕でそのままラディスを抱きかかえる。
突然の行為にラディスは驚いてカームを見た。彼はにっこりとラディスに微笑んだ。
そう、娘に向ける笑顔と同じ顔で。
ラディスは胸が一杯になって、泣きそうになるのを必死でこらえた。
そう、彼は確かにラディスの父親だった。

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