あまりにも理不尽な幼馴染を見送ってから、アリアは再び元の部屋に戻った。 中に居た三人は、ただならぬ彼女の様子に特に何も追求することは無く、これから色々と用事をする事になるであろう部屋に案内された。 用意されていた仕事部屋は、5人で使う割には広く、南向きの窓があることから日差しも良くて快適に過ごせそうな場所だった。新しい部屋に騎士達はすっかり満足したようで、先程までの不安も無くなってしまったようだった。 アリアは釈然とはしなかったが、広くて清潔な部屋をあてがわれた事には他の三人と同様の意見であったので一先ず不満は収まった。 レシティアが同じ女性だからと色々と気遣ってくれ、アリアも打ち解ける雰囲気になって来た。 午後からはしばらくこちらに在籍することになるため、必要な書類を提出したりして、朝早くに自由の身になったはずであったのに、気が付けば夕方まで騎士団本部に居座ってしまっていた。 石造りの建物を夕日が赤く染め、アリアは夕焼けを見上げる。 早く帰って夕食の支度をしないと。弟が待っている事を思って、アリアは足早にその場を後にしようとした。 「あれ、アリアじゃないか。今から帰りか?」 聞き覚えのある声を聞いてアリアは振り返る。そこにはアリアの良く知っている人が立っていた。 オールバックにした深い紫色の短い髪に、意志の強い金色の瞳、整った顔立ちは優しげな微笑を浮かべている。 「エラン!帰っていたのね!」 アリアにエランと呼ばれた人物はにっこりと頷く。 「ああ、ちょっと用事があってね」 「カーラちゃんが喜ぶわよ!ずっとあなたに会いたがっていたもの」 「カーラが?ふふ、あの子はいつまでたっても甘えっ子だな」 妹が自分の帰りを楽しみにしていると聞いてエランは嬉しそうに笑う。エランの妹のカーラとアリアの弟のウィルは同い年で、その兄と姉の仲が良かった事から兄弟ぐるみで親しい関係だった。 「そういえばどうだった?無理を言って来て貰ったけど…大丈夫そうかな?」 エランはにこにことした笑顔のまま、アリアにそう尋ねる。アリアはその言葉にこっくりと頷いた。 「ええ、知っている人もいたし、良さそうな人ばかり。頑張れそうよ」 そう答えてから、アリアは口をつぐんだ。あの人物の事を思い出したからだ。変わり果ててしまったあの人の事を。 だが、アリアはふと気が付く。エランは騎士団の少佐に就任している。まさか知らない訳が無い。そう思ったらいてもたってもいられなくなった。 「ねえエラン、あなたラディスの事知っていたの?」 大丈夫と答えた彼女にエランは安心していたのだが、急に彼女から怖い表情で追及されて困った顔をした。 「え?まあ知ってるけど、ラディ込みで頑張れそうじゃないのか?」 エランはそう言いよどみながら、アリアから視線をそらした。 ラディはラディスの愛称で、そう呼ぶ人はアリア以上に彼との付き合いが長いエランと彼の師だけである。 「やっぱり知っていたのね!どうして教えてくれなかったの?」 アリアは物凄い剣幕でエランに追求する。先程、ラディスに感じた怒りがエランへの八つ当たりに転じてしまったようだ。 一方のエランは、どうやら思惑と違った事が起きた事に気が付いて困った顔をした。 「……いや、どうせ同じ仕事に就く事が決まったから偶然の再会も面白いんじゃないかなって思ったんだけど。 ……何かまずい事でも起きた?」 それを聞いてアリアはさらに怖い顔になる。やっぱりエランは分かっていてこの再会を提供したらしい。その行為をいけないとか駄目だとか言う訳ではないのだが、結果が結果だっただけに腹立たしかった。 「だって私の名前を知ってても、おまけに顔を見ても顔色一つ変えやしないし、挙句の果てに私がラディスかって聞いたら『覚えているとは思わなかった』とか言うのよ? そして唯一聞いてきたのはお父さんの事だけだし! 私が今までどれだけ心配したと思っているのよ、あの馬鹿!」 積もり積もった怒りが思いっきりエランに向けて放たれる。 困った顔でアリアの話を聞いていたエランだったが、話の内容を聞いて大体の状況が分かったらしかった。 一通りの文句を言い終えて、肩を落とすアリアにエランも溜息をついた。 「……そりゃ怒りたくなるなあ」 エランも勿論ラディスの変化は分かっているのだが、そこまで酷い状況に陥るとは思っていなかった。ラディスはお世辞にも自分の気持ちを伝えるのが上手いとは言えないのだが、これはさすがに相手の神経を逆なでするだけだろう。 「悪かったよ、アリア。俺からもラディスに言っておくから」 優しくエランになだめられて、アリアはハッと我に返る。そしてエランに思いっきり八つ当たりしてしまった事に気が付き真っ赤になって俯いた。 「ご……ごめんなさい。エランは全然関係ないのに……」 どうしてこうも見境が無くなってしまうのか、アリアは自己嫌悪に陥ってしまう。それだけエランに対して信頼を寄せている証でもあるのだが、迷惑をかけるのは考えものだ。 だが、エランは気にしていないよと笑うとアリアの頭を軽く撫でた。 「俺こそ内緒にしていて悪かったよ。 それより帰る途中だろう?引き止めてごめんな。 カーラが居たら、今夜には家に戻るからって伝えておいてくれると嬉しいよ」 「ええ、分かったわ。カーラちゃんにはちゃんと伝えておく」 兄に諭された妹のようにアリアはこくんと頷いた。アリアとエランの関係は昔からこんな感じで、彼女にとってエランは兄と慕う相手だった。 アリアが大分元気になったのを見てエランも安心した顔になる。そして、手を振ると再び騎士団の本部の中に消えていった。 アリアはエランを見送ってから家路についた。 早足で家に戻ると、自宅からは良い匂いがしていた。 「ただいま」 玄関を開けて、その足でキッチンを覗く。 そこにはシチュー鍋の様子を見ている弟と、その近くに濃い紫色をした短い髪の女の子がいた。彼女はアリアに気がつくとにっこりと笑った。 「あ、アリアさん。おかえりなさーい!」 「あら、カーラちゃん。いらっしゃい」 アリアも笑顔で応える。カーラがこの時間帯に家に居ることはそう珍しい事ではなかった。 「いらっしゃいじゃないよ。また、夕食目当てで来てるんだから。しかも家に戻ってからも食べるって言うし…どんな胃袋なのか不思議だよ」 シチュー鍋を見ていたウィルが呆れた顔でカーラを見つめる。それを見てカーラはぷーっと膨れた。 「良いじゃないか、遊びに来たんだから!」 そのやり取りを見ながらアリアはくすくすと笑う。 病気で家にほとんど引きこもったままの弟を心配して、学校が終わってからカーラはほぼ毎日ウィルの所へやって来て、その日一日何があったとか、教わった授業のノートを貸したりしてくれていた。 弟もそれには感謝しているのだが、自分より遥かに食欲旺盛な幼馴染の女の子に戸惑っているのも確からしかった。 それでも一五歳という微妙な年頃で、性別の違いがあるにも関わらず、幼い頃と変わらない仲でいられるのは素敵な事だとアリアは感じていた。 今日はあまり面白くない事があったけれど、やっぱり自宅は落ち着く。心が和む思いがした。 「あ、カーラちゃん。今日エランに会ってね、夜にはおうちに戻るそうよ」 アリアは先程のエランの伝言を思い出してカーラに伝える。妹がアリアの家に居る事はエランからすれば予想済みだったのだろう。 その伝言を聞いたカーラは満面の笑みになる。 「本当?兄さんが帰ってくるんだ!楽しみ〜!」 嬉しそうにはしゃぐカーラにウィルは冷たい視線を送る。 「……カーラは本当にお兄さんっ子だよなあ」 それを聞いてカーラがすぐさま反発する。 「それを言うならウィルだって十分お姉さんっ子じゃないか!」 「な……!そんなことないって!」 「そんなことある!」 すぐにまたわいわいと賑やかになる。 家の暖かな雰囲気にアリアはほっとしたのだった。 辺りは真っ暗であった。夜の闇で小さなランプの明かりが唯一辺りを見渡す術だった。 その暗闇の一角に光の零れる部屋があった。その部屋の中では一人の青年がランプの光を頼りに、書類に目を通していた。 黙々と作業を進める彼の部屋にノックする音が聞こえ、顔を上げた。 「どうぞ」 簡潔にそう言う。それに答えるように扉が開く。そして紫の髪の青年が入ってきた。 「やあ、ラディ。ここの居心地はどうだい?」 にこやかに青年は微笑みかける。彼は、相手を見てからため息をついた。 「……なんだ、エランか。さして問題はねえよ」 気の無い返事にエランはやれやれという顔をする。エランはラディスのいる机の近くの椅子を見つけると、そこに腰を掛けた。 「やれやれ、気の無い返事だね。せっかくちゃんと人選もしてあげたっていうのに。 ラウディはスパイや工作活動、セレスは剣、レシティアは呪術に長け、全員魔法を得意とした優秀な人材だよ」 そこまで言うと、エランは楽しそうに笑う。 「それに外部からの助っ人の腕も俺は保障するけどな?」 にこにことラディスの反応を楽しむかのようにエランは見ている。その視線にラディスは苦い顔をした。まあ、なんとなく予想はしていたのだが。 「……ああ、アリアだろ。名簿見たときはさすがに驚いたよ。 あの小さなアリアがあんなに大きくなったんだなって。 ……母親に瓜二つになっているな。気性もなんとなく似ている気がするし」 ラディスはエランの視線を避けるように目をつぶって軽く首を振った。やはり、この幼馴染は自分を驚かそうと企んでいたのだと改めて思ったからだ。 「なんだ、やっぱり驚いたのか」 「……驚かない訳ねえだろ」 エランが楽しそうに笑う。それにラディスは苦い顔でそう言い返した。 そう、普通は驚く。記憶にある彼女は十歳の時のままだ。それが、その倍の月日が経って再会すれば驚かない方がどうかしているだろう。 「いや、アリアに今日会ってね。お前が驚いた顔一つしないって怒ってたから」 「……そりゃ、する訳ねえだろ。もう驚いた後だ。いちいち出来るか」 ラディスはそっけなくそう答える。あまりにもとっかかりが無いその反応にエランも半ば呆れた顔をする。これなら確かにアリアが怒るのも無理は無いだろう。 「ラディ、もうちょっと可愛げのある反応してやれないのか?」 「んな事する義理はねえよ。そういう文句は聞く耳はねえからな」 エランの言葉がうっとおしいというようにラディスは手を振った。その目は相変わらず書類を追ったままである。真面目に聞くつもりはないらしい。 「……大将たるものは子分の面倒はしっかりと見てやるものなんだろう?」 エランがからかうような顔でそう言う。その言葉を聞いて、ラディスの書類を見る目が止まり、エランの方を恨めしげに見た。 「……お前さ、子供の頃の話を持ち出すんじゃねえよ」 「そうか?今でも十分大切な心がけなんじゃないかと思うけど?」 エランの言い分の方が正しい事はラディスにも当然分かる。 不機嫌そうな顔でエランをじっと見た。昔はエランも自分の子分だったはずなのだが、十年も経てば随分変わるものである。今では自分の方が言いくるめられる感じだ。 「……分かったよ。少しは考えてみるさ。 だけど、もう十年も経ってるんだぜ?昔と同じにはいかねえよ」 降参といった仕草でラディスは肩をすくめる。それにエランは満足したように笑ったが、しっかりと釘は刺しておく。 「ラディにも言い分はあるだろうけど、アリアもずっとお前の行方を心配してたんだからな。その辺は分かってやれよ」 この幼馴染のラディスが突然行方をくらまして、エランもアリアもその安否を心配したが、全く情報も得られず時が経っていたのだ。その気持ちは十分に分かっているエランだからこそしっかりと言っておきたかった。 それに対してラディスは気の無いような顔で、ちゃんと聞いているのかその表情では判断が出来なかった。 だが、ラディスは聞いていないような顔をしていても、ちゃんと聞いている事をエランは分かっていた。いくらそっけない性格だからといっても人間の根本までは変わらない、少なくとも彼はそうであると確信していた。 「まあ、おせっかいはこのくらいにして本題に入ろうか」 エランは椅子から立ち上がるとラディスのいる机の正面にやって来る。その表情が先程までのからかうような顔とは異なっている事に気がつき、ラディスも真剣な表情になる。 「とりあえずこれを見てくれないか?」 エランは小奇麗な封筒を差し出す。ラディスは言われるがままにそれを受け取ると、中に入っているカードを取り出した。 そしてそこに書かれている文面を見て顔をしかめた。 「『明後日、魔導研究所の幹部のお命を戴きに参上する』?犯行予告って事か?」 筆跡が分からないように印刷物を切り貼りしたその文面を読み上げる。 その文面から分かる事は、相手が魔導研究所の幹部に恨みなり何か係わり合いを持っている事と、同時に予告する事で注目を集めようとしている目立ちたがりやな面がある事くらいだ。 しかし、魔導研究所の幹部を狙う…というのはかなり内部事情を知っている人間なのだろうか。魔導研究所は極秘研究を行っている事も多く、表ざたには出てこない組織なのだ。 「……早い話、この部隊での初仕事はこの予告の阻止か?」 「ああ。極秘に行って欲しいというのでね。俺が動くより良いとの判断だ。それと……」 エランは一度言葉を切ると、ラディスの緑の瞳をじっと見つめた。そして、言いかけた言葉をぐっと飲み込む。 「……いや、まだ確定も出来ないからな。推測だけで話を進めるのは良くない」 「わからねえけど…まあ、任せておいてくれよ」 エランが躊躇する理由が分からなかったが、ラディスはカードを再び封筒に戻すとエランへと返した。戻された封筒を受け取ってエランも頷く。 「ああ、宜しく頼むよ」 封筒を受け取った時にふと目に入ったラディスの書類を見て、エランは驚いた顔をする。彼が先ほどから見ていたものは、騎士団の顔写真入りの名簿だった。その周囲には犯罪者名簿や王都であるこの街の周辺地図や街に関連する資料や郊外のモンスターに関するものなど数々だった。 「……これを見ていたのか?」 驚いた顔をするエランにラディスはどうして驚くのかといった顔をする。彼からすればとても自然な行為のようだった。 「……ああ、なんたって十年ぶりだからな。新しい事も増えているだろうし、ここの人間の顔も覚えないと話にならないし…その他の資料も目を通した方が良いかと思ってね。 ああ、良かったら魔導研究所の名簿も欲しいな。いくら昔住んでいたって言っても、人間もかなり入れ替わっただろうしね」 どうやらラディスは目を通しただけで、これらの情報が頭にどんどん入っていってしまうようだった。さも当たり前のようにそう言う彼が特異に感じられるのは仕方が無いだろう。 「ああ、魔導研究所の名簿だね。明日中にはなんとかしておくよ。 ……昔はどこから現れるんだろうと思っていたけど、魔導研究所に居たんだからな。 アリアの父親がラディの師って話を聞いた時に繋がっていれば早かったんだけどね」 残念そうにそう言うエランにラディスは苦笑いを浮かべる。 「……そもそも、昔から俺は自分の正体を明かしちゃいなかったのに、なんでお前が知っているのかが一番疑問だよ」 再会した時、ラディスが一番驚いたのはエランが彼の事情を全て知っていた事だった。 彼の身に何が起きたかも、全部調べ上げられていた。これだけ詳しく知っている人間はそうはいないはずである。しかも、直接の関わりを持たないはずのエランが調べ上げている事が一番驚きであった。 そこまであまり深く考えていなかった小さな頃でさえ、話した覚えは無いのに。 だが、そんなラディスにエランはにこやかに笑う。 「そりゃあ、あんなに不自然に友達が消えたら疑問に思うさ。 俺も俺なりに探してたんだよ。地位ってのは良いね。騎士団の中枢に関わるようになってから色々知る機会が出来てね。 まあ、最終的なところはウェルステッドさんに聞いたんだけど。最初は中々話してくれなかったけど、俺が真剣なのを分かってくれたからね」 ウェルステッド。その名を聞いてラディスは納得したような顔をする。おそらく、一番ラディスについて詳しい人物だろう。見た目は穏やかな感じの人だが、実は物凄く頑固な一面があり、秘密はそう話す人間ではない。エランが聞き出すのも相当の苦労を重ねた末なのだろう。 「だけど、お前も物好きだな。別に俺一人が消えたからって、お前の人生に大きな影響を及ぼすわけでもねえのに」 エランが心配して探してくれたのは嬉しいと感じるが、その言葉は本音だった。何故、そこまで彼が自分にこだわるのか分からなかった。 そう、昼間のアリアもそうだ。何故、あんな反応をするのかラディスにはよく分からなかった。自分一人が居ようが居まいが関係無いはずなのに。 そんなラディスにエランは優しく微笑み、座ったままのラディスの肩にぽんと手を置いた。 「物好きで結構だよ。ラディは俺の友達で…また会いたかった、それだけだよ」 そう言うとエランはドアのほうへ向かって歩いていく。そして、ドアを開けてラディスの方にもう一度振り返った。 「じゃあ、また明日。無理しないで早く寝るんだよ」 そう言い残すと、エランは部屋から出て行った。 残されたラディスは、先ほどのエランの言葉を思い出していた。 その思いが上手く理解できなくて、気持ちをどう整理して良いのか分からなかった。 「……友達、か」 ラディスはそう呟き、その言葉を何度もかみ締めた。 |