第一章 十年ぶりの再会


「ウィル、ごめんなさい。
朝ご飯はテーブルに置いてるけど、お昼は自分で食べてもらえる?」
 テーブルの上にサラダを置くと、薄紫の髪の女性は身につけていた薄桃色でフリルのついた可愛らしいエプロンを急いで外す。そのエプロンを木製の食卓の椅子の背もたれに掛けると、居間に用意してあった真っ白のコートを着込み始めた。
 彼女とそっくりな顔の弟は寝間着のまま顔を出す。そして、大慌ての姉を見て苦笑した。
「大丈夫だよ、姉さん。今日は調子が良いし、気にしないで行っておいでよ。
 今日は、騎士団に呼ばれているんでしょう?早く行かないと」
 優しくそう言う弟に、姉は心配そうな顔をする。
 弟の顔を見る。まるで自分を見ているかのように良く似ている弟だが、身体は彼女より華奢ではかなげな印象だ。彼女の弟は長年の病気を患っている。同じ病であった母は既に帰らぬ人となっていた。とても元気な人だっただけに、今でもその事実は信じられない思いがあったが、それが現実なのである。
自分の健康をわけてあげたいくらいだが、それは叶わぬ事である。
だけど今日は確かに本人が言うとおり、調子は悪くないようだ。
「ええ、そうみたいね。だけど無理しちゃ駄目よ?」
「うん、姉さんも気をつけて」
 心配する姉に、弟は優しく笑う。その穏やかな表情は彼女達の父親の表情によく似ていて、何故か安心してしまう力があった。
「……本当は早くお父さんが帰ってきてくれたら、もうちょっと安心なのだけれどね」
 彼女はため息をつく。出張がちの父親は、家を空けることが多い。
 病気の弟を抱える彼女にとって、家を空けることはとても心配な事であった。勿論、父親が息子の心配をしていない訳ではないのは百も承知なのだが、もう少し家に居て欲しいのは本音ではあった。
「まあ、仕方ないよ。父さん、忙しいんだから。
 ほら、早く行かないと遅れちゃうよ、アリア姉さん」
 心配性の姉の過度の心配癖が現れ始めて慌ててウィルは姉をせかす。こう言い始めたら、姉はどんどん心配を募らせる癖があった。
 遅れると言われて姉の方も、やっと自分の置かれている状況を思い出す。
「あ、いけない!じゃあ行ってきます!」
 アリアは慌てて鞄を手に取ると、玄関へ駆け出していく。
「いってらっしゃい」
 弟はそんな姉を温かく見送った。

 聖都レジンディア。魔法大国で世に名を馳せるラインノール王国の首都である。
 魔法大国と言われるだけあって、魔導関連の研究は他国を上回り、また腕の良い魔導師達も揃っていた。首都であるレジンディアだけでなく、第二都市のアルージャ等、大きな都市では魔導研究所が設けられ、その活動は活発だった。
 勿論、剣士達も存在するのだが、魔法も一緒に扱えるものも少なくはなかった。そのくらい魔法に馴染みのある国なのである。国や首都の防衛にあたる騎士団には武術に長けるものだけではなく、魔導師も擁するなど、国の一部が魔法で構成されているといっても良いほどだった。
 アリアの住む街は、その聖都レジンディアである。
 背中まである長い髪を振り乱して、アリアは全力疾走で街の中を走っていた。
 病気の弟を持つ身ではあるが、彼女そのものはいたって健康である。また、母親譲りの運動神経で、走る事は苦にもならない。
革靴で石畳の道を駆ける。走るのが得意だといってもさすがにきついものがあるが、そんな悠長な事は言っていられなかった。
今日は弟が言ったとおり、騎士団に招かれていたのだ。
彼女の本職は騎士団とは別の所にあるのだが、この騎士団には彼女の幼馴染がいて、その人物から頼まれての招待だった。
なんでも彼女のような力が必要だという話なのだが、詳しい話はまだ聞いていない。
ただ、この手の話は初めてではなかった。
街の警備や治安維持に努める騎士団は、剣士や魔法使い等、色々な人材を取り揃えてはいるのだが、反面治癒に長けた人物は少なく、アリアのような神殿に勤める神官に応援の要請が来るのは珍しい事ではなかった。
だが、これは騎士団と神殿が友好関係を結んでいるから出来る話である。
そのような協力体系を遅刻で崩すわけにはいかなかった。
朝の冷たい風が全身を切るが、必死で走る彼女の身体はむしろ暑いくらいだった。
必死で走り、街の中央区に辿りつく。
アリアは一旦、足を止めて辺りを見回す。確か、騎士団はこの辺りにあるはずだ。
剣のレリーフが特徴的な騎士団だ。見れば必ず分かるはずである。
見落とさないように急ぎ足でアリアは目印を探す。
「あ、あったわ」
荘厳な造りの建造物の前でアリアは足を止める。元は真っ白な石で作られたのだろう、今は風化して色もくすんできているが、その威厳に近い感覚は健在だ。また、掘り込まれたレリーフの剣や竜が貫禄をより一層かもし出していた。
「お、アリアちゃんや〜。待っとったんやで」
 玄関に入ってすぐにアリアは呼び止められる。そこには気さくな笑顔の赤い髪の青年が立って手を振っていた。
 アリアはその人物を見て、ほっとした顔をする。時々、アリアの勤める神殿に顔を見せる青年だったからだ。
「ラウディさん、お久しぶりです。
 ……えと、私を待っていたんですか?」
 彼が呼び止めただけでなく待っていたと言った事を思い出し、アリアはきょとんとする。
 ラウディと約束した覚えは無い。何かあっただろうか、と考え込む。
 その様子を見て、彼はくすくすと笑った。
「ああ、エラン少佐から聞いとってな。迎えにいったろと思うて。
 アリアちゃんが来るのは俺達んトコなんや。宜しゅうな」
 明るい笑顔で彼はそう言うと手を差し伸べる。アリアはエランという名を聞いて納得し、その手を握り返し笑顔で返した。
 エランはアリアの幼馴染の名だ。二つ彼女より年上で、いつも兄のように親切にしてくれる優しい人である。騎士団に入ってからは数々の功績を上げて、若干二二歳にして少佐の地位を手に入れていた。今はこの街から離れ、第二都市のアルージャの騎士団で指揮をとっている。
「とりあえず、みんなを紹介するな。……まあ、総大将は新しい人やいうから俺らも知らんのやけど」
 にこにこと笑いながら話すラウディに連れられてアリアは騎士団本部の中を歩いていた。
 騎士団に来るのは初めてだから緊張をしていたのだが、ラウディの明るい話し声を聞いているうちに安心して来る。
 彼とはそこまで付き合いがある訳では無いのだが、懐っこい性格のためか神殿でも評判の良い人物だった。
 勿論、すれ違う騎士達は厳しい表情やたくましい人等、アリアが普段出会わない人達が行きかっている。ラウディが迎えに出ていてくれていなかったら、がちがちに緊張して固まってしまっていたかもしれなかった。
「なあ、アリアちゃんってエラン少佐の幼馴染やって聞いたけど…実は恋人やったりするんやないのん?」
 ふと思い出したようにラウディが笑いながら尋ねる。その言葉を聞いてアリアは慌てて手を振った。
「まさか!そんな事言ったらエランに失礼ですよ!
 私は兄みたいに思っていますし…彼も妹としか思ってませんよ」
「そうなん?エラン少佐がえらい大事そうに言ってたから、そういう関係なんやと思ってたわ」
「だから違いますって!」
 ころころ笑いながらラウディはからかうような口調で言う。それをアリアは必死で否定する。そんなアリアをラウディは楽しそうに見ていた。
 だが、アリアも何故彼がこういう事を言うのかは分かっていた。やはり緊張が隠せない彼女を気遣って、気持ちをほぐそうとしてくれているのだろう。そういう人だ。
「あ、ここや」
 長い廊下を進んだ突き当たりにある大きな扉の前でラウディは足を止める。他の部屋とは扉の造りが頑丈かつ立派な装飾が施してあった。その部屋が、他とは違い特別な部屋であることは部外者のアリアでも分かる。アリアはごくっと息を呑んだ。
「アリアちゃん、連れてきたで〜」
 ラウディが扉を開けると中にいる人達に声をかける。ラウディに背中を押されるようにアリアは中に入る。
 中にはラウディと歳があまり変わらない…アリアよりは三つ四つ上であろう人達が大きなテーブルを囲うように置いてある椅子に座って待っていた。
 一人はラウディと同じ短髪で薄緑色の髪の青年。ぱっと見た感じ、切れのある瞳が剣士のような印象を与えた。もう一人は銀色の長い髪を一つに結い上げた女性で、少しきつい印象はあるものの綺麗な人だった。纏っている衣装は魔導師が好む黒色のローブであることから、彼女もその系統である事は容易に察しが付いた。
「初めまして。自分はセレスと言います。アリアさん、だったかな。宜しく」
 セレスと名乗った薄緑の髪の青年が席から立ち上がると、アリアの元に歩み寄り手を差し伸べた。アリアはその手をとって微笑む。
「初めまして、アリア=ウェルステッドです。宜しくお願いします」
 アリアの笑顔につられるようにセレスも微笑む。この中では一番騎士らしく切れ者で近寄り難い印象を持つ人物であったが、その微笑みは優しくアリアを安心させた。
「私はレシティア。レシィで良いよ。宜しく、アリア」
 次いで魔導師の女性がアリアに手を差し伸べる。アリアはその手をとって、軽く会釈する。
 レシティアと挨拶をし終えるとラウディが傍に寄ってきて、アリアにそっと耳打ちする。
「アリアちゃん、レシィはめっちゃ気ぃ強いからいじめられんように気ぃつけえや」
 そのラウディの行動に気がついたレシティアがキッとラウディを睨みつける。
「ラウ!何、吹き込んでるんだ?」
「う、レシィ、地獄耳や!な、なんにも言うてへんよ!」
「い〜や、何か言ってただろ。白状しろ!」
 レシティアの追求にラウディは視線をそらし、ごまかそうと努める。そんな彼の胸倉を掴みかかりそうな勢いでレシティアは追求した。
 突然目の前で喧嘩になり始めた二人にアリアはどうして良いか分からずオロオロする。だが、セレスは涼しい顔をしていた。
「気にしなくて良いよ。あの二人はいっつもああだからね。あれがあの二人の挨拶みたいなものだから」
「……はあ、そういうものですか」
 確かに言葉どおり、全然気にしていないセレスの言葉にアリアは釈然としないまま答える。だが、確かに二人とも言われてみれば楽しそうな雰囲気もあり、本気で喧嘩しているわけではないという事が分かり安心する。
 何だかんだ賑やかそうなメンバーである。この人達となら馴染めそうだと思った。
「えっと、これで全員なんですか?」
 アリアはセレスに尋ねる。応援を頼まれたとはいえ、アリアを含めて四人である。騎士団のチームとしては多いのか少ないのかは分からない。だが、アリアは先程のラウディの言葉を思い出していた。
 彼は、総大将は新しい人で自分達も知らないと言っていたような気がする。だか、ここにいる三人は顔馴染みで付き合いも長そうな印象だった。
 セレスはアリアの言葉に首を横に振る。
「いや、もう一人来るよ。これからこの部隊を指揮する事になるそうだ。
 名前は……なんていったかな」
 セレスがその名前を思い出そうとしている時、閉じていたはずの扉が開く。
 扉の向こうから一人の青年が入ってきた。2メートル近いのではないかと思われる背の高さが特徴的で、髪は栗色で長くゆるやかなウエーブを描いたくせ毛を後ろで束ねていた。
 その背の高さ以上に圧倒的だったのは纏っている雰囲気だった。重く威圧感を受けるもので、他人と一線を画しているような雰囲気であった。そしてその碧眼は冷たい色で彩られていた。
 纏ったその雰囲気の重さに皆が圧倒されている事も、その人物にとっては大して気にならないようで、ざっと見渡すと口を開いた。
「ラウディ=ヴォルケーノ。
 セレス=マイノルド。
 レシティア=ライアン。
 そして応援のアリア=ウェルステッド。
 全員揃っているな」
 彼は一人一人の顔を見てから名前を呼ぶ。既にもう誰が誰であるのかは確認済みの様であった。名前を呼ばれた者は、その独特の威圧感に押されるように頷く。
 全員揃っている事を確認すると、彼は自分の名前を名乗った。
「今日から、指揮をさせてもらう事になったラディス=オーディンだ。
 ここに赴任して来たばかりだが宜しく頼む」
 ラディス=オーディン?
 その名前を聞いてアリアは思考が一瞬停止する。その名前は彼女がよく知っている名前だったのだ。
 だが、彼は彼女の名前を呼んだ時、表情一つ変わる事は無かった。
 同姓同名の人違いだというのだろうか。
 纏っている空気は別人のものである。彼はこんなに威圧的な人物ではなかった。
 だけど、髪の色も瞳の色も良く見れば似ている。
 確かめたい。そういう衝動にかられた。
 ラディスと名乗った人物は淡々と話を進める。
「折角集まって貰ったというのにすまないんだが、俺はこれから上層部に挨拶に行ってこないといけない。
 正式に動き出すのは明日からになると思う。作戦会議はこの部屋になるが、普段は別の部屋を用意してもらった。二階の南館の1号室だ。そこに皆の荷物は運ばせてある。
 今日の話は以上だ。もう解散してもらって構わない」
 そう言い終わるとラディスはくるっときびすを返すと、再び扉から出て行った。
 一言も喋らせないような威圧的な空気が解放されて、ラウディ達はため息をつく。
「……なんや、めっちゃ怖そうな上司やなあ。俺、上手くやれるか心配や」
 ラウディが漏らした言葉にセレスとレシティアも頷く。
 上司と部下の関係は信頼が一番大切である。
 まだ会って間もないが、威圧的な雰囲気を持っている人物が上司となると、なかなかやり辛い事は確かと言えた。
 アリアも緊張感が解けて、先程聞こうと思っていた事を思い出す。
 人違いなら人違いで納得した方が早い。
 アリアは扉を開けると、前方をスタスタと早足で去っていく背の高い人物の後を追った。
「ちょっと待って!」
 アリアの呼びかけに、早足で歩いていた人物は歩みを止める。そしてアリアの方へと振り返った。
「なんだ?さっきも言ったが俺はこれから挨拶に行かなきゃならないんだが」
 不愉快そうにラディスはアリアを見下ろした。
 近くに寄ってアリアはその身長の違いに圧倒される。アリアは小柄なので、彼とは頭二つ分ほど身長に差があるようだった。元々ほとんどの男性は見上げているアリアだが、このくらいの身長差になると、別の意味でも威圧感が十分だった。
 思わずその威圧感に押されて黙りそうになったが、なんとかそれを抑えてアリアは彼を見上げた。そこには澄んだ緑の瞳に栗色の髪の青年の顔があった。
 やっぱり似ている。アリアはそう感じた。
こんな威圧的な雰囲気を持つような人物では無かったし、アリアの名前を聞いたなら以前の彼ならもっと違う反応を示してくれるはずだ。
 だけどその顔はやっぱり見覚えがある気がした。もうあれから十年経っている。それだけ時間が経てば人は変わるのかもしれない。
 アリアは勇気を出して彼に尋ねた。
「……私が誰だか分かる?」
 その問いかけにラディスは不愉快そうな顔のまま答える。
「さっきちゃんと確認したはずだ。アリア=ウェルステッドだろう?」
 やっぱり別人だろうか。そんな思いがアリアの脳裏を過ぎる。彼女の知っている人物はこんな冷たい反応を返す人間じゃない。
 それでも、ちゃんとはっきりさせておきたかった。
「そうじゃなくて!私よ、アリアよ!
 ……あなた、私の知っているラディスじゃないの?」
 アリアの悲痛な叫びに、ラディスは一瞬驚いた顔をしたが、また先程までの冷たい表情に戻る。
「……そのラディスだな。まさか覚えているとは思ってなかったよ」
 その回答にアリアは目を見張る。その答えは望んでいるようで望んではいなかった。
 あまりにも記憶の中の彼と違いすぎるから。昔のままの彼なら子供っぽい笑顔で微笑んでくれるはずだったから。
 だけど、その答えは望んでもいた。ずっと心配していたのだ。
「……今までどこに行ってたのよ!ずっと心配してたのよ?」
 悲しいのと嬉しいのとで泣きそうになるのを必死でこらえてアリアはそう叫んだ。
 だが、そんなアリアとは対照的にラディスは表情一つ変えなかった。
「……そんな事は俺の勝手だろう?用はそれだけなんだな。じゃあな」
 そう冷たく言い放つと、ラディスはアリアを置いて再び歩き始める。
 だが、ふと思い出したように振り返った。
「アリア、『あの人』は元気か?」
 ラディスのいう『あの人』はアリアにもすぐに見当がついた。彼が『あの人』と言うなら一人しか当てはまる人物はいない。
「……ええ、元気よ。今は出張で出かけていてしばらく戻らないけど」
「そうか。ならいい」
 アリアの答えにラディスは頷くと、きびすを返し館内の奥へと消えていった。
 アリアはもう呼び止める気力も無くて、どうしたら良いのか分からない気持ちを持て余していた。悲しくて泣き出してしまいそうだった。
「……十年ぶりに再会した幼馴染に言う台詞がそれ?」
 やり切れない思いをどうしたら良いのか分からず、アリアはラディスが消えていった方向を悲しげに見つめる事しか出来なかった。

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