それは私だけの記憶。彼は知ることのない記憶。
 それでいいかもしれない。その方が幸せかもしれない。
 答えは出ていないけれど、彼にとってはそれが一番いい記憶なのだ。
 そして、彼はここにいる。現代の鎌倉に。
 兄を尊敬して、その歴史に触れる度に、兄をさらに尊敬している。目を輝かせて。
 あまり自分に対しての関心はないらしかった。自分の活躍がどうとか、私達の世界での義経は奥州で死んだとか……。
 義経の話は、皆、可哀想に思うのだ。そのくらい不幸を辿っている。
 私が見た世界でも九郎さんはいつその命を落とすのが、当たり前のように、彼の前に立ちはだかっていた。
 でも、それは私の知っている記憶。
 今の九郎さんは、その事を知らないし、知らない方がいい。とはいえ、ここにいる限り、彼はいつかその事実を知ってしまうだろう。
 でも、彼は信じないかもしれない。ここは時空を越えた世界だ。彼のいる時空はこことは違うのだから。
 第一に先陣切るはずの義経が途中から消えてしまったから。
 私が九郎さんにこの世界にいて欲しかったから。
 私の知っている九郎さんが私を必要としてくれたから……今、彼はここに居るのだ。
 もうすぐ、一年になる。
 そして、今日、彼はこちらの世界での、初めての誕生日を迎える。
 精一杯、祝ってあげたい。出来うることなら全て。
 この世界に残ってくれた彼への想いを全て。

「えっと、タマゴの黄身を分けるのは、こうで良いのかな?」
 真剣な望美の隣で譲はにっこりと笑う。
「はい、先輩。こういう風にやるんですよ」
 真ん中で割られたタマゴの殻が二つでき、難なく譲は黄身と白味を分けてみせる。
 ……譲には簡単すぎることなんだろうけれど、望美は元々そういうのが得意ではない。 
 あちらの世界でも、食事とかはみんな朔と譲がやってくれたのだ。
 それに戦姫との誉れの高い望美は、余計に料理からはなれていったのだ。
 でも今日は望美は絶対ケーキが作りたかった。
 いつもみたいにクリスマスケーキのようにお店で買ったものより、自分で作って祝ってあげたかったのだ。
 ただ、自分でも一人で作るということは、ほぼ無理である事は重々承知だ。だから、譲に手伝ってもらうことにしたのだ。
 譲は大雑把な兄とは違い、色々な事に気を配れる優しい人だ。だから当然、頼りになる。
 そして、その大雑把な兄の方の将臣は、今回は九郎のケーキ作りをばれないように、家から引き離してもらっている。ちなみに家とは将臣の家だったりする。さすがに、女の子の家にやっかいになるのは嫌だったらしい。あと、将臣が九郎を気に入っている事もある。
 何かあるたびに、九郎を連れ歩いているのも主に将臣なのだ。
 ……なんというか、望美のためにこの世界に留まってもらったのに、何故かおまけで将臣がいることも多いのだ。
 それに、九郎を上手く操っているのも将臣の感じがする。
 ……まあ、望美にはそんなことが出来ないのが、ちょっとヤキモチをやいているし、そんな自分にがっかりもするのだ。
「せ、先輩!砂糖をどこまで入れるんですか?!」
 譲の声で望美は意識を取り戻す。
 ……本当だ。幸いにも、砂糖の計量中だった。譲が慌てる訳である。量りの上の砂糖はなみなみと注がれている。これが ボウルでなかった事を感謝しなければならない。
「譲くん、止めてくれてありがとうね」
「良いですよ、さあ、作りましょう。九郎さんへのケーキを」
 譲にそう言われて、望美はゆっくりと頷いた。

 そして同刻、将臣は九郎を連れまわしていた。
「さて、次はどこにするかなー」
 ニッコニコの顔で将臣は九郎に聞こえるように、楽しくそう言った。
「……しかし、この世界では、色々なものがあるのだな。
 俺には分からないものだらけだ。もうすぐ一年にもなるというのに」
「あー、そりゃ、九郎が真面目だから、あんまり遊んでねーんだよ。
 どこか行っても、それは望美の好きな所だろう?」
「……まあ、そうだが。あとは一人で出歩く時は、兄上の所くらいだろうか」
 想像通りの答えが返ってきて、将臣はため息をついた。
「ゲーセンなんて行ったことないだろ。ちょっと遊んでいこうぜ。
 ものによれば、望美にプレゼントできるぜ」
「げ、げーせん?ぷ、ぷれぜ・・・?」
 カタカナの襲来に九郎は目を丸くする。
 一年近く、この世界に居たのに、まだ将臣からは、謎の言葉が発せられる。というか、将臣は本当に日本人なんだろうかと真面目に考えたこともあった。
 どうせ話してくれるなら将臣や譲、そして望美がヘルプに来る、古典なるものと漢文なるものを理解する事の方がたやすい。
「おーい、九郎、いいものあったぜ!」
 そう言って九郎に将臣は大きな機械の前で手を振っている。その側の機械なのだが、中には人形か何かが入っているようだ。
「これこれ!このネコのぬいぐるみ!望美が集めてる奴なんだぜ。
 一回、試してみねーか?まずは俺が操作するから見てろよ」
 そう言って将臣はコインを投入し、クレーンを操ってみせる。
 それを九郎はじっとして見つめる。縦に移動、横に移動、そしてそのクレーンが下がった先にはネコのぬいぐるみが……掴めなかった。
「くそー!取れたと思ったのに!」
 将臣の操作を見ていた九郎は、コインを入れる。
「お、さっそく分ったか?」
「……多分」
 九郎の操作は的確に動いている。そして、横移動の時に抜群のタイミングでクレーンを下げ、そのままがっしりとぬいぐるみを掴んで……無事、ネコのぬいぐるみが取れた。
「……これが、望美が好きなのか?ネコといわれればネコのような……」
「まあ、女っていうのは、大概そういうのが好きだからさ」
「そ、そうなのか」
 将臣の言葉を、九郎は真面目に受け取る。そんな九郎を見て、将臣は苦笑した。
 どこまでいっても真面目な奴だな。
 九郎と一緒にいると、その真面目ぶりが面白くて、ついからかってしまいたくなるのだ。
「そんじゃ、戦利品もとれたことだし、そろそろ帰るか」
 そう言って将臣は背伸びする。その言葉に九郎はゆっくりと頷いた。

 その頃の望美と譲はというと。
「か、完成、だよね?」
「はい、先輩、よく頑張りましたね。きっと九郎さん、喜びますよ」
「え?うん、そうだといいな。えへへ」
 譲に褒めて貰って望美は機嫌が良くなる。お料理上手の譲に褒められたのだ。嬉しくて空を飛ぶような気持ちだった。
 きっと九郎も喜んでくれる。そう思ったらどきどきしてきた。
「じゃあ、ケーキを居間に運んで……っと兄さんからのメールだ」
 携帯電話のベルに気がついてポケットに入っている携帯電話を取り出した。
「そろそろ帰ってくるみたいですよ。兄さんと九郎さん」
「本当?じゃあ、急いで運ばなきゃ」
 望美は慌てて、ぱたぱたとお皿やフォークを居間に向って、色々運び始めた。
 予定は決まっている。
 九郎が帰ってきたら、クラッカーでお出迎え。それからケーキの前に座ってもらい、誕生日の歌を歌うのだ。譲がいくらなんでも、そこまでやる必要はないんじゃないかと、意見を出したが、将臣と望美の強い希望によって決まったのである。
「ほら、譲くん、譲くん、クラッカー持って、玄関で待ち伏せしなきゃ」
 わくわくした顔で望美にせかされて、譲も玄関に向かう。
 バイブレーターの音が譲のポケットで鳴る。帰ってきたことをしらせる合図だ。
 がちゃりと玄関のドアが開く。そして入ってきた九郎に向って望美と譲はクラッカーを鳴らした。いきなり爆発音がしたので、九郎は思わず身構えてしまったが、目の前にいるのは望美と譲だ。それになんだかひらひらとしたものが宙をを舞っている。
「……なんだ、これは」
 九郎の第一声はその言葉だった。
「なんだ九郎、クラッカーを知らないのか?めでたいときに使うんだぜ?」
 きょとんとした顔の九郎に将臣は笑いながらそう説明する。
「く、くらっかー?」
「去年のクリスマスでも使ったと思うのですが」
 譲が助けの手を差し伸べる。だが、九郎は相変わらずきょとんとしたままだ。
「あの時は何がなんだか分からなかったからな。あまり覚えていない」
 まあ、多分その通りなんだろう。
「さあ、居間に行きましょう!」
 望美は九郎を連れて、居間に連れて行く。そこには立派なケーキが置いてあった。
「それ……確か、けぇきだったか?」
「うん、そう!譲くんに手伝ってもらったけど、私が作ったんだ!」
「作る?そんなことも出来きるのか?」
 多分、九郎の頭によぎっているのは、いつものお菓子屋で頼んでいるケーキなのだろう。
 さすがに、それには劣るが望美としては、一生懸命作ったケーキなのに、あまり九郎にはその想いは伝わっていないようだ。
「く、九郎さんのバカ!」
「望美、これやる」
 思わず叫んだ時と同時に九郎が望美の目の前に、ネコのぬいぐるみがぶらさがっていた。
 九郎はにっこりと笑う。
「俺のために色々してくれて、ありがとう。これ、お礼にやるな」
 ……今日は九郎の誕生日なのだ。何故逆にプレゼントを貰うのか、おかしい気持ちもいっぱいだったのだが。
「ありがとう、九郎さん!」
 さっきまでの怒りはどこへやら。望美はにっこりと笑ったのだった。
「じゃあ、席につくぞ。九郎は主役なんだからちゃんと中央に座るんだぞ」
 将臣の言葉にそれぞれ席につく。
「じゃあ、九郎さん。こちらでのお誕生日祝いをしますね」
 そう言って望美は将臣と譲に合図を送る。それに合わせて手拍子がはじまる。
「ハッピバースデイトゥユー〜」
 歌が始まり、当の九郎は真っ赤になっていた。恥ずかしいのと嬉しいのと間にいるのだろう。ぱちぱちと拍手が起こる。
「じゃあ、ケーキ切り分けるね」
 そう言うと望美は丁寧に切り分けていく。
「はい、これは九郎さんの分ね」
「あ、ありがとう」
 受け取ってどうしようかという顔をしている。
「私の手作り、食べてみて?」
 それに対して九郎はにっこりと笑うと、フォークでケーキを口に運ぶ。
「美味しい、望美に譲、ありがとう」
 嬉しそうな顔の九郎に、望美も将臣も譲も安心する。
 違った世界で生きていく彼はこれからたくさんのことがあるだろう。
 だけど望美や将臣、譲も彼を守るつもりだ。
 異世界から来た大切な恋人であり、友人。
 そして、今夜のパーティは賑やかなうちに終ったのだった。



九郎さんのお誕生日本のお話です。有川兄弟も大好きなので、頑張ってもらってます(笑)

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