『学ぶ事は良き事なり』


 賑やかな京の中をゆき達は歩いて行く。まだ、この世界に来て間も無い。出来るだけ情報が欲しかった。
 親切にしてくれている天海もゆきはともかく、瞬と都は警戒しているようだった。
 そういえば、この京の町には彼も居るはずだ。
 ゆきが初めて、この世界にやって来た時に怨霊から助けてくれた人。
 名を坂本龍馬という。
 その名前に、ゆきは最初、驚きを隠せなかった。
 恐らく、この日本に坂本龍馬の名を知らない人等いないだろう。その人が現れたのだ。違う世界の人だったけれど。
 不安でいっぱいだったゆきに、何故か『お嬢』と呼んで親しくしてくれた。彼の存在は、とても大きかった。
(また、会えるかな……)
 ゆきはそんな事を思う。人懐っこい笑顔が浮かんでくる。安心をくれる、そして希望をくれる人だった。
「んん?」
 前を歩いていた都が、近くの店を覗いている。何だろうと思って、ゆきも視線を合わせてみた。
「……この時代の本屋ってとこか?なんか、ゆきが好きそうな……」
 都とゆきは本屋らしき店先の中を覗く。純粋に興味があった。この頃の書物は、手書きだ。印刷なんて無い。どんな本があるのだろうと、自然に興味が湧いて来る。
(……あ、れ?)
 店の中で難しい顔をして本を選んでいる人がいる。見た事のある顔。そう、今、思い描いていた顔。
「……龍馬、さん?」
 ゆきは思わず声をかける。その声を聞いて、その人物は本から視線を離し、ゆきの方を見て驚いた顔をした。
「お嬢、お嬢じゃないか!どうした、こんな所で」
「あ、いえ、たまたま通りかかって……ここ、本屋さんなんですか?」
「ん?ああ、ここは品揃えが良い。お嬢達も見ていくか?瞬はこっちの薬草とかは知らんだろう。とりあえず、見ても損はないと思うぜ?」
「……それは、確かに」
 ゆきが引っかかって、次に瞬まで釣れている。となると、次は当然……
「都も見て行けよ。お嬢や都なんかは花とか好きだろ。見るだけならタダだからな」
 ああ、やっぱり私にも声をかけてくるか。そう、都は思う。何だろう、この人好きのする性格は。そして、何だか断れないのだ。ゆきが短期間で懐いてしまったのもよく分かる。
(ゆきが好きそうって思ったのは本だったんだけどな……)
 そう、都は苦笑する。どうやら、別の好きなものも居たらしい。
 だが、都は龍馬に対しては何故だかあまり警戒心が働かない。むしろ友好的に取ってしまう。ゆきと親しくしていても、だ。
(……まあ、そういう性格なんだろうな。ゆきのことも大事にしているのが目に見えて分かるし……)
 そう、なんだかゆきを護るという同類のものを感じてしまう。瞬に対しては敵対してしまうのに。
「ねえ、みんなも見ていきましょうよ」
 ゆきが微笑む。その顔は、本への興味だけではないのは明白だった。
(また、龍馬さんに会えた……)
 ゆきは、その事が純粋に嬉しかった。とにかく、龍馬は一か所には居ない人なので、こうやって出会う事自体が難しい。
「お嬢達も元気そうにしてるみたいだな。まあ、今の京では気を抜いてはいかんが」
 そう言ってから、龍馬はゆきの頭をぐりぐりと撫でる。
「でも、お嬢に会えるってんなら、悪い話じゃないな」
「もうっ、龍馬さんったら……!」
 にっこり笑う龍馬に、ゆきが抗議の声を上げる。でも、龍馬の笑顔を見ていると、なんだか怒る気も失せてしまって、苦笑してしまった。
「龍馬さんは、どんな本を探しに来られたのですか?」
「ああ、俺は、ちょっと掘り出し物でもないかと思ってね」
 その手に持っている本の文字は……ゆきでも読めない。
 アルファベットに似ているような気もするが、全く違う言語。この人は、それを読めるのだ。
「お嬢、この本が気になるか?」
 ゆきのしげしげと見つめる視線に気がついた龍馬が笑いかけてくる。
「はい。どこの国の御本なんですか?」
「ああ、阿蘭陀だよ。蘭語の本だ」
「オランダ?」
 ゆきはその言葉に、自分の知る歴史を重ね合わせてみる。
 江戸時代は鎖国していた。だが、オランダとの交易は長崎で許可されていたのだ。
「龍馬さん、オランダ語が読めるんですか?」
 ゆきの驚いた言葉に、龍馬はにっと笑う。
「俺はありがたいことに土佐では生まれの良い武士でな。蘭語を習うのは教養のたしなみみたいなもんだ。まあ、勿論、武士の全部が全部、蘭語が出来る訳ではないし、日本語の読み書きすら怪しい者もいる。そういう点、俺は恵まれているが……まあ、教養に格差があるのはいかん事だ」
 最後の方の口調は龍馬にしては厳しい言葉だった。
 ゆきの世界にはそういう教育格差は無い。政府によって保障されている。だが、おそらくこの世界ではそうなるまでにはまだ少々の時間がかかる。龍馬はその推進者と言えるだろう。
「お嬢達はどういう事を学んでいるんだ?瞬は医者の卵だろう?ならば、なんとなく見当はつくんだが、あいにくと女性が勉学を学ぶ事は推奨されていない世の中なんでね。お嬢や都が何を学んでいるのかは、非常に興味があるぜ?」
 龍馬から話を振られたゆきと都は顔を合わせる。
 どう言ったら龍馬に分かるだろうか。ゆきや都の学んでいる事は何かに特化した事ではない。むしろ、その基礎になる。
「そうだなあ、坂本に分かりやすく……と考えると難しいな」
「そんなに難しいものを学んでいるのか?」
「違います、龍馬さん。……ええと、色んな学問の基礎知識、になるでしょうか」
 ゆきが当たり障りのない答えを紡ぎだす。だが、その言葉に龍馬は目を輝かせた。
「お嬢達の世界は、色んな学問を勉強できるのか!
 そいつは素晴らしい、素晴らしいぜ、お嬢!
 俺なんか知りたい事ばかりだから、本当に羨ましいぜ!」
 龍馬の目がきらきらしている。本当に心底羨ましそうだ。この世界とゆき達の世界には差が大きい。どれ程のものなのかは、ゆき達には見当もつかない。
「でも、坂本。レポートとか調べ物の課題がどーんと出されるんだ。強制されると結構、きついと私は思うけどな」
 都が学生らしい意見を零す。そう、大体の学生はそんなものだ。
「れぽぉと?ん〜、それが何だか分からんが、好きなものばかり勉強していいって訳でもないんだな?」
「そうですね。みんなありますよ、好き嫌い」
 都やゆきの話を聞いて、龍馬は顎に手を当てる。龍馬が考える時の仕草だ。
「ん〜、いや、やっぱり素晴らしいぜ、お嬢達の世界は。
 何かを成すためには、色んな事を知らなければいかん。
 無知は罪だが、知りすぎる事は罪ではないと俺は思う。むしろ、知らなければ何かをする事すら出来ん。
 学ぶという事は、己の世界を広げるものだ。見えてこなかったものも見えてくる。成すべきものが見えてくる。
 知識はあればあるほど得はしても損はしないぜ」
 龍馬は元々言葉が多い。なので、夢中で話している彼は、子供のように目を輝かせている。
 だが、彼が言っている事は間違ってはいなかった。
「……まあ、坂本みたいな生徒がいたら、先生共は喜ぶだろうな。
 いや、むしろ悲鳴上げるか」
 都がくすくすと笑う。
 確かに、龍馬みたいな生徒がいたら、喜ぶか逃げるかだろうか。龍馬の知識欲は、聞いている限りだけでもかなりの貪欲だ。それについてこられる先生がいたら、心強い生徒となるのだろうけれど。
 まあ、現在も龍馬は師事は受けてはいるのだが。
「いいなあ、お嬢達の世界は。聞いている限りでは自由で平等な感じがする。
 俺は、この国をそういう国にしたい。
 なあ、お嬢、都、瞬。もっと話を聞かせてくれないか?」
 がしっとゆきの手が龍馬に掴まれる。
 それを見て、都はしまったと思った。
(……やば、とんでもないのに捕まったよ)
 これからの質問攻めを思うとげんなりする。瞬もその事に気付いたらしく、同様の顔をしていた。だが、何故かゆきだけは龍馬が喜ぶと一緒に喜び、目をきらきらさせている。
(同調しているのか?同調しちゃったのか?)
 都がはらはらしていると、ゆきは満面の笑みで龍馬に微笑んだ。
「はいっ!龍馬さんのお力になれるのでしたら、喜んで!」
(……ああ、同調してる、同調してるよ)
 都は軽いめまいを覚える。まあ、凄く嫌とか、そういうのではないのだが、なんというか、どこまでも食い下がってきそうな気がする。
「よしっ、礼に飯くらい奢るぜ。行きつけの飯屋があるんだ。そこで色々話そう。それでいいかい?」
「はいっ、龍馬さんっ」
 向こうでは、話が成立している。とりあえず、都と瞬の意志は関係ないようだ。
「おい、瞬、固まってないで腹くくって行くぞ。じゃないと、ゆきと坂本を見失う」
 都は、話の展開に完全に置いて行かれた瞬の肩をぽんと叩く。普段はゆきを巡って争う二人だが、今回ばかりは二人とも揃って被害者のようだ。
 ……いや、知りたがっている人間に教える事は『被害』と言うのだろうか。
「いや〜、お嬢に会うと良い事ばかりだな」
「そんなことありませんよ。私も龍馬さんに会えてお話出来て嬉しいですし」
「……お嬢!」
「きゃ〜!龍馬さん、そんなに頭、撫でないで下さいっ」
 何だかテンションの高い二人の背中が確実に遠くなっていく。
「……ほんっと、坂本には敵わないな。行くぞ、瞬」
「……ああ」
 置いて行かれた都と瞬は慌てて、ゆきと龍馬の後を追って行ったのだった。
 どこの世界の坂本龍馬もとんでもない。そう思った都だった。

******************************************************************************************

龍馬vゆきの話のつもりだったんですが……龍馬さんの話?これ、真面目な話なのにコメディになってない?どこまでも疑問形です;
龍馬のイメージってこんな感じなので、それに忠実に……と。
一応、出会って(龍馬としては再会して)間も無い頃の想定です。
あの、懐っこかった龍馬さんがとても好きです。はい。……そして、これはカップリング話なのでしょうか;

★戻る★