『貴方のいる景色』 いつか当たり前になっていた。 貴方のいる景色。 どたん、ばたん、勢いのついた足音が近づいてくる。こんな近づき方をしてくるのは一人しかいない。 「望美ね?どうしたの?」 朔は料理の下準備をする手を止めて、音の方に振り返った。 「え、朔、なんで私って……」 「なんてって……ねえ、譲殿?」 「そうですね、朔さん」 あっけに取られている望美を見ながら、朔と譲はくすくすと笑う。 「もう、二人だけ分かった顔してー!」 望美がむくれるのが余計におかしくて、朔と譲はたまらないと声を出して笑い出す。 おかしいものはおかしいのだ。 「もう、いいよ。私には内緒なんでしょ。朔も譲くんもいじわるっ」 「ふふ、ごめんなさいね、望美。それで、何か用かしら?」 朔の声は優しくて温かくて、何だか今までのイライラも吹き飛ばしてくれる。 「あ、あのね、私、九郎さんと一緒に、ちょっと羊達の様子見てくるね」 「そう。食事の用意が一時間後には出来るから、それまでには戻ってきてね」 にっこりと朔と譲が笑う。それに大きく頷いて、望美はまたばたばたと音を立てて去っていった。 「先輩も元気ですね。まあ、俺達もこの生活にすっかり慣れちゃいましたけど」 譲は優しい目でそう言った。それを朔は複雑な顔で見る。 「……もう、辛くない?」 「……何のことですか?」 「……望美のこと」 朔の言葉に「ああ」と譲は低い声でそう言って俯いた。朔がそれに謝ろうとした時に、譲は顔を上げていた。優しい微笑みだった。 「俺達、九郎さんには勝てなかったんです」 「勝てない?そういう問題じゃないでしょう?」 譲はゆっくりと首を横にふって否定した。 「俺も兄さんも、幼馴染なのに、あんなに幸せそうに笑う先輩の顔、見たことなかったんです。あれは九郎さんだから笑える笑顔なんだと思います。ここに来ても先輩、いつも笑っている。そんなこと、俺も兄さんも出来なかった事です。……そんな笑顔の先輩見てたら、ああ、これで良かったのかなって」 譲は譲なりに、答えを出していた。異世界に飛ばされて、望美は彼の手から零れ落ちてしまったけれど、それを優しい思いに変えることが出来た。それは、いつも嫉妬にかられていた自分からは想像もつかない感情だったけれど。でも、確かに変わったのだ。きっとそれは良い方に。 「そう。貴方は強いのね」 「そうですか?」 「ええ、だって私……まだ忘れられないの」 朔の言っている意味を譲は知らない。だから何故彼女が悲しい目をするのかが分からなかった。 そして、彼女のその目を見ていると胸がぎゅっと苦しくなった。 望美に感じていた想いとはまた違う想い。 それは、嫉妬でも劣等感でもなくて。 いつの間にか、心に入り込んできた感情で。 それが何故か温かくて。 その想い名前は知らないけれど。 「譲殿?」 そう朔に呼ばれて、譲ははっとする。 この気持ちはなんなのだろうか。 小さな想いが育まれようとしていた。 「九郎さん、馬で行くんですか?」 「ああ、ちゃんと運動させてやらないとな」 馬小屋から九郎が馬を連れてきた。九郎が見つけてきた馬である。馬術に長ける彼は、どんな馬がいい馬なのか良く知っていた。 「望美も来るのだろう?ほら、手を貸せ、乗せてやる」 「あ、はい、九郎さん」 差し伸べられた九郎の手を慌てて望美は重ねた。そのままぎゅっと持ち上げられ、気がつけば馬の上だ。 さすが九郎さん。力あるなあ。 改めてそんなことを思う。まあ、当たり前といえば当たり前なのだけれど。 男の人なんだし、剣術の達人なんだし。 「どうした?望美」 望美が考え事をしているのに気付き、九郎が声をかける。 「あのですね、どうやったら九郎さんみたいに強くなれるかなーと思って」 「何を言っている。お前だって強かろう。それに、もう、怨霊と戦う事もない。強さなど、求めなくとも良いだろう」 「それはそうなんですけど……」 でも。と望美は考える。確かに怨霊とは戦わなくなった。白龍の力も回復している。ただ、京にいないためにその力を発揮できないでいるのだが。 でも、こちらでも戦いが無いわけではない。 まあ、野犬や狼といった連中がほとんどであるが。 それでも……その背中を護りたかった。護られるだけじゃなく護りたかった。 それは京や鎌倉、奥州で感じたこととなんら変わりはない。 大好きな人を護りたい。 ただ、それだけ。 「……俺はいつまでも弓が苦手だとは言ってられないな」 馬を走らせながら、九郎がぽつりとそう言った。 確かに、野犬や狼から羊を護るには、剣より弓の方が確実に命中する。 「……譲にでも教えてもらうかな」 「あ、じゃあ、私も教えてもらいます!」 「……なんで、お前が教えてもらうんだ?」 「九郎さんの出来る事は私もちゃんと出来るようにしたいんです!」 懸命な表情でそう訴える望美に、九郎は思わず微笑んでしまった。 「な、なんで笑うんですか!本気なんですよ!」 笑われた望美は九郎に食らいつく。そんな彼女の頭を、九郎は撫でた。 「お前の気持ちは分かった。だけど、無理はするな。誰にでも得手不得手はある。それに、ここにはみんながいるんだ。役割を分担していけばそれほど辛い事はないだろう。だから、お前はお前に出来る事をすればいい」 頭を撫でられながら、望美は久々に歳の差を感じていた。 牛若丸の話で知っている。彼がどんな境遇で育ったのか。どういう風に生きてきたのか。 人生経験で言ったら望美は口を出す隙もない。それだけ大変な想いをしてきたのだ。 だから彼にはこの地で安らいだ生活を送って欲しいと心から思うのだ。だが、九郎は相変わらず、周囲に気を配り、剣の鍛錬も欠かさず、この土地で暮らすためには何が必要なのか、そんなことも気を配っていた。 少しくらい手伝わせてくれてもいいのに。そう望美は思うのだが、九郎の方がどうやら気を使っているらしく、望美に負担がないようにしてくれていた。 嬉しいけれど、嬉しくない。 そういう気持ちだった。 「あ、そういえば譲くんといえば、なんだかちょっと感じが変わったと思いません?」 「譲がか?……いや、俺にはよく分からないが、幼馴染のお前が言うのであればそうなのだろうな」 「九郎さんはわかんないのか。将臣くんにも聞いてみようかな」 「そうするといい。将臣なら、弟の事だからよく分かるだろう」 そう言ってから九郎は苦笑した。 「本当の事を言うと、羨ましいんだ。将臣と譲が。兄弟でもいろいろあるのだなと思う」 九郎の言葉を聞いて、望美は胸が痛くなる。そうだ、九郎は兄と決着をつけてきたのだと。そして兄は逃げる弟を追わなかった。それが、九郎にとって最初で最後の兄の優しさなのだろう。 九郎達兄弟は悲劇だ。望美もよく知っている。歴史の教科書でなく、現実に見たからだ。 そんな九郎にとって、将臣や譲の関係は羨ましいのだろう。 なんだかんだ仲がいいのだ、あの二人は。将臣は譲が可愛いし、譲はそんな兄を煙たがりながらもちゃんとそれに応えている。 そこに望美が入って三角形だった不安定なバランスは、九郎が入ってきて四角になった。今のこの関係を望美は気に入っている。他の人たちはどうなのだろうか。多分、祝福してくれていると思う。だって、今はみんなで笑いあえるのだから。 「九郎―?」 誰かが九郎を呼んでいる。その声は……先程話題になった人物。将臣だ。 「将臣かー?どうした、そんな所で」 「私もいるよー、将臣くーん!」 望美の声を聞いて将臣は苦笑しているようだった。 「悪かったな、デートの邪魔をして」 「でぇと?なんだそれは」 「ま、将臣くんっ、からかわないのっ」 それに九郎さんには意味が分からないし。 そういえば将臣くんて、やたらカタカナ使うかも。みんな不思議がってるもん。 そんな事を望美は思った。 「何をしているんだ?む、金もいるようだが」 よく見ると、わんわんと金が走っている。 「あー、金を牧羊犬に出来ないかなーと思ってさ」 「ぼくようけん?なんだ、それは?」 「あ、あの、羊の番をしたり、野犬から護ったりする犬の事です」 望美の説明に九郎はびっくりした顔をした。 「金に、そんな事が出来るとは知らなかった」 「いや、まだ出来る段階じゃねえよ」 「あ、そだ、将臣くん。譲くんなんか雰囲気変わったことない?」 「譲―?あー、ありゃあ、恋だな」 「恋?まさか朔と?」 「譲が朔殿をか?」 望美と九郎が同時に反応する。そして、望美と将臣はしげしげと九郎を見た。 「鈍感な九郎さんがそこまで気付くなんて」 「まさかお前まで反応するとは思わなかった。九郎も成長したな」 かなりひどい言われようである。だが、譲が朔に恋をしているという事は兄の証言ではっきりした。 「……でも、まだ朔は前の人の事思ってるよ」 「そら、譲も失恋したしなあ」 「え、譲くん、失恋したの?」 帰ってくるべくした答えが返ってきて、将臣は頭をかいた。鈍感なのは望美も一緒だ。 「まあ、見守ってやってくれないか?下手に気を使われるのも嫌だろうしさ」 「ああ、気をつける」 「うん、分かった」 どのくらい分かったかは知らないが、とりあえず、見守る事には賛成のようだ。 「あ、そろそろ帰らないと、朔がご飯だって」 「そうなのか?」 望美は朔の言っていた事を思い出す。しかし、ここには人間が三人、馬が一頭、犬が一匹。どうやって帰るかが問題である。 「なあ、九郎。三人で馬に乗れないか?」 「さ、さあ、やってみたことがないからな。大丈夫とは言えんのだが」 その反応に、将臣はにかっと笑った。 「よし、望美が金を抱く、その望美を九郎が抱く、そんでもって俺がたずなをひく!これでどうだ!」 ……かなり無茶な提案である。いかにも将臣らしい。ニコニコ笑っているところを見ると実行する気満々らしい。 そんな無茶な提案どおりに一同は、帰路についたのである。 それにしても譲くんが朔をなあ……。 食事をしながら、望美はつい朔を見てしまう。弟のように思っていた譲が好きになった人。出来ればうまくいってほしいものなのだが。でも将臣の言うとおり、多分、自然にまかすのが一番なんだろう。 でもお似合いだよね。 二人で台所に立ってる姿も、凄く仲の良い夫婦みたいで。 朔にも幸せになって欲しいし、その相手が譲くんなら心配ないし。 「望美、私の顔に何かついている?」 怪しい顔でもしていたのだろうか。朔にそう言われて慌てて首を横に振った。 「ううん、なんでもないから!」 「そう?」 朔は不思議な顔をしていたが、望美は将臣が言ったとおりそっとしておくのが一番だと心に留めた。 それからまた少しの時間が過ぎていった。 朔と譲の関係は相変わらずのようだった。 でも見守ることに決めたのだから、と望美は口に出さなかった。 が、ちょっとしたシュチュエーションを作る事にした。 朔と譲に満月が綺麗に見える場所を教えたのだ。それでどうなるのかは分からない。でも、何かの働きかけになればいいと思った。 「あれ、朔さんじゃないですか」 「あら、譲殿もいらしたの?」 望美の思惑通り、二人は教えられた場所に来ていた。 二人の視線が合うとにっこりと互いに笑う。 「隣、良いですか?」 「ええ」 譲は朔の隣に座る。独特の緊張感が襲う。望美のときとはまた違う緊張感。 譲はこの気持ちが何なのか、気がついていた。望美の時とは違うこの気持ちはそれもまた、恋だと分かる。 だが、朔には昔、好きだった人がいるようだった。そして今もその気持ちを胸に秘めていた。 勝てるだろうか。思い出に。 譲は覚悟を決める。告白するには今しかない。望美には最後まで言い出せなかったけれど、今度こそちゃんと気持ちを伝えよう。 「あの、朔さんっ」 「どうしました、譲殿?」 にっこりと朔が微笑む。その笑顔になかなか次の言葉が出てこない。 だが、意を決して思いを告げた。 「朔さん、貴女が好きです」 「え……」 突然告げられた気持ちに朔は動揺したようだった。 「……俺、朔さんの好きだった人の事を知りません。でも……俺の精一杯の気持ちで……貴女を包みたいんです」 朔は黙って聞いていた。しばらく黙っていた。譲も声を出せない。 やがて、朔は俯くと、笑顔で顔を上げた。 「ありがとう、その気持ち、嬉しいわ」 でも、と朔は続けた。譲は胸がはちきれそうな思いだった。 「あのね……私の好きだった人は黒龍だったの。それで……あの人が消えても、私の中で彼は生き続けてきたわ……」 「……そう、ですか……」 思い出に勝てなかった。譲はそう思った。だが、朔は譲の手をとった。 「だけどね、最近気付いたの。私の視界の中にいつもいる人の事を」 朔は胸に手をあてた。 「私、その景色が凄く好きなことに気付いたの。貴方のいる景色」 「じゃ、じゃあ……」 「ええ、私もあなたの事が好きよ」 「ありがとうございます!」 伝わった思い。勢いに任せて朔を抱き寄せる。その体温が温かかった。 「九郎さん、九郎さん」 「どうした、望美、嬉しそうな顔をして」 にこにこと機嫌よく笑っている望美に少々びっくりしながらも、にこりと笑い返した。 「あのね、朔から聞いたんだけど、朔、譲くんとお付き合いする事になったんだって!」 「そうか、それは良かったな」 九郎のその反応に、望美はぷーっとふくれる。もうちょっとリアクションがあってもいいのではないだろうか。 でも鈍感な九郎にそれを求めるのも酷かもしれない。 「……景時に教えてやりたかったな。妹君が再び恋をしたと……同じ白虎の譲が相手だと」 九郎は寂しげにそう言った。望美は親友の朔と弟みたいに思ってきた譲とのカップルが誕生した事を喜んでいたが、九郎のお陰で伝えられない人がいることを思った。 「……いつか伝わりますよ。ほら、ヒノエくんが来るかもしれないし」 「そうだな。そうかもしれんな」 ヒノエの名前を聞いて九郎は嬉しそうな顔をした。いつか伝わる事がある。それだけでも嬉しい事だった。 「ねえ、九郎さん」 「どうした、望美」 望美は九郎の横に座ってもたれかかる。 「あのね、朔から素敵な言葉を教えてもらったの」 「素敵な言葉?」 「うん」 望美は九郎の首に腕をかけ抱きしめた。 「好きなの。貴方のいる景色」 「……俺もそうだ」 九郎はゆっくりと望美を抱き返す。 幸せな気持ちが二人を包んでいた。 いつか当たり前になっていた。 貴方のいる景色 ************************************************************************************ 九望+譲朔でした。いえ、譲朔が好きでして!!良いと思いません?!一緒にご飯とか作ってる様子を思ったらたまりませんです!! 同人誌の再録になりますが、気に行っている話です。九望の十六夜EDなら譲朔もありだよね?!とか思いまして。「貴方のいる景色」って言葉も個人的には気にいっています。 |