『朱色』 「はぁ……」 本日、何度目のため息だろうか。チナミは自分の気持ちを持て余していた。 元来、こういう事は苦手なのだ。苦手なはずなのに、心臓は踊りだしたりするのだ。そして、一緒に憂鬱にもなる。 原因は分かっている。視線の先には、気がつけばいつも同じ人がいる。 八雲都。 チナミにとっては喧嘩友達でもあり、気のおけない相手でもある。心許せる相手とも言える。 彼女の視線の先には、いつもゆきがいる。 でも、今、ゆきの視線の先に都はいない。ゆきの視線の先にいるのは坂本龍馬である。 龍馬はゆきの好きな相手でもあり、龍馬にとってもそうである。いわゆる恋人同士だ。 京で二人の間に何かあり、いつの間にかそういう関係になっていた。ゆきが一番に報告した相手は都らしい。 ゆきを護ると言ってきた都は、複雑なのだろう。一緒に怨霊と対峙していたチナミは知っている。都にとって龍馬は好ましい 相手である事を。言ってみれば、都としては安心できる相手が龍馬であり、ゆきの恋人としても認める事が出来る相手でもあるのだ。 だが、当然、都にとっては辛い事でもあるのだろう。ゆきの隣りにはいつも都がいた。でも、今はゆきの隣りにいるのは龍馬 なのだ。そして、都は二人から距離を置いている。 落ち込んでいるのは明らかであり、チナミが見てもそれは良く分かった。 励ましてやりたいと、そう思う。でも、その言葉が思いつかない。 「チナミー!なんだ、その顔は。もっと元気出せー!」 いきなり、がばっと抱きつかれる。ぼんやりしていたチナミは相手が誰だか分からない。 というか、いくら気を取られていたとはいえ、抱きつかれるなんて自分が余程気がたるんでいたのか、相手が気配を消すのが上手いか、だ。 「ほらほら、なんか言ってみろ」 と、あたまをぐりぐりと両手で撫でられる。 この声は知っている。 知っているのだが……いくらなんでも志士が、志士がこんなことをするなんて?! 「はー、都が可愛い可愛いとか言ってたけど、こうしてみると分かるような気がするな」 抱きついてきた相手はなんだか感心しているようだ。 もう、間違いない。この声の主は。 「さ、坂本殿?!何を考えてらっしゃるんです?!」 土佐藩の志士が……土佐藩の志士が……。何かがチナミの中でガラガラと崩れていった。 「なんだ、チナミ、赤い顔して。アーネストが言うには、こういう『こみゅにけーしょん』もあるんだとさ」 「こ、こみゅにけーしょん?」 「そうだ。こう、ぎゅーっと」 「わ、わ、わ、わ、わかりましたから、手を離して下さい!」 もう一度腕に力を入れる龍馬に、チナミは慌てて抗議の声を上げる。 「さ、さ、さ、坂本殿も土佐藩の志士なのですから、こういう外国かぶれというか、この恥ずかしいのを止めて下さい!!」 「恥ずかしいか?」 「恥ずかしいです!」 きょとんとしている龍馬に、真っ赤な顔でチナミは抗議した。 あああああ。土佐藩の志士が、土佐藩の志士が……。 一段と、チナミの中で龍馬の株が下がっていったのは確かだった。 確かに彼は型破りだが、人懐っこくて好感の抱ける相手だが、志士としては……もう、言葉も出ない。 「別に、お嬢にも都にも怒られなかったんだが……これはおかしいのか?」 「おかしいです!人目のつくような場所で抱きつくなど!」 「……お嬢も都も抱き返してくれたんだが……男にはしてはいけないものだったのか?いやいや、アーネストの話を聞く限りでは男女問わずのはずなんだが……」 龍馬の言葉でチナミは気になる言葉に気がついた。 龍馬が抱きついて、ゆきが応えるのは分かる。 でも都もそれに応えた。 都は龍馬が好きだったのか? 好感を抱いている事は、チナミも知っている。それは、兄に対するような感じがした。 でも、抱きつかれるのはまた別の話だ。 それに都は応えた。 都は龍馬の事が好きなのだ。 そう思うと胸が苦しくなって、何だか重い何かがのしかかるような気がした。 (なんなんだ!この、えもいわれぬ感情は!) こんな想いは体験した事が無い。 それに、正直にいえば、こんな感情は不得手というか、わずらわしく感じる。 「どうしたんだい、チナミ?」 龍馬が顔を覗き込んでくる。チナミは今の自分の顔が見られたく無くて、龍馬に背を向ける。 そんな態度のチナミに龍馬も困った表情になった。 「悪いな、チナミ。お前さんを嫌がらせるつもりじゃあなかったんだが」 素直に謝ってくる龍馬にチナミも悪い気がしてきた。確かにびっくりしたが、今、チナミが不機嫌な理由は龍馬では無い。 「いえ、坂本殿のせいではありません。ちょっと……その……」 「その?」 「……男嫌いの八雲が坂本殿の行為に対して……その……平気だったというのが……」 ここまで口にして、チナミは、はたと気がついた。本心を話してしまった。しかも思いっきり。自分が都を意識しているのが バレバレではないか。 だが、龍馬は顎に手を当てて考えるような仕草をする。 「いや、お嬢にしたら、都が私にもって言ってきたからな。俺も都の事は好きだし、何でも仲の良い証みたいなもんだって聞いたからした訳で……」 「八雲から言って来たんですか!!」 「うん?ああ、そうだけど……」 ドーンとチナミの頭に何かが落ちてきた感覚がした。何だがくらくらして、考えがまとまらない。 「……でも、チナミがこれだけ嫌がるんだから、日本人にはあんまり合ってない風習なんかな。 ……って、チナミ?!」 目の前で混乱をきたしているチナミを発見して龍馬は慌てて駆け寄り、頬を軽くぺチぺチと叩いた。それで、チナミは正気に戻る。 「〜〜〜〜〜〜!!! す、すいませんでした、坂本殿!!」 「お、チナミに戻ったな。一体、何がどうしたっていうんだい?」 「……あ、あう……」 龍馬の問いに、いつものチナミらしからぬ答えが返ってくる。これではチナミから情報を引き出すのは難しいだろうと龍馬は 思った。 なので、今までの経緯を考える。 「……なるほど、都か」 「い、い、い、い、い、いえ!!!や、八雲は関係ありません!!!」 そう反論するチナミの顔は真っ赤だ。 「へえ、都か。都ならやっても大丈夫だと思うぞ。お前の事、可愛いっていつも言ってるしな」 「か、か、か、可愛い?!」 武士に対しての評価としては、『可愛い』は良いものではない。だが、最初は都の方が年上だったし、今は同い年ではあるけれど、今までが今までだったので、都の中のチナミの印象は、やはりそんなものかもしれない。 だが、それを思うと心に冷たい風が通るようだった。 つまり、都の中ではチナミは弟分に近いものであり、頼れる存在ではないという事だ。逆に、龍馬は評価されていると言えるだろう。 「……なあ、チナミは今、いくつだったかい?」 龍馬が優しい声で聞いて来る。今し方、嫉妬とも羨望ともいわれる想いをした相手にそう優しく問われると、何故だか心が落ち着いた。 「18になりました」 「そうか……18かあ」 龍馬の声は優しくて温かい。それに、なにか18に特別な思いを抱いているようでもあった。 「俺が数えで18の時にな、江戸に剣術の勉強をしに土佐から出て来たんだ」 「……坂本殿が18……」 「黒船が来たっていや、チナミでも分かるだろ?」 「ああ、はい!」 何分、歳が離れているため、龍馬が18の時の自分さえ分からなかったチナミだが、黒船と聞いて分かる。 ……日本が変わった時だ。 「俺な、その時にお嬢に会ったんだ」 「はい……え、え、え、ええええええ?!」 ゆきは今は自分より年下のはずだ。なのに龍馬は18の時にゆきに会ったという。 「そんなに驚きなさんな。事実は事実、なんだぜ」 混乱するチナミに龍馬がはっきりとそう告げた。 なんの迷いも無い、真っ直ぐした想い。 「……だけどさ、お嬢は俺の目の前で、雪のように消えたんだ」 「……消えた?」 「ああ、文字通り『消えた』んだ」 そう言う龍馬の顔は真剣そのものだった。だから、チナミにもそういう事があったんだと分かる。 ……そして、龍馬が『お嬢』という人を好きだったことも。 「俺はその時の事を今でも後悔している。 なあ、チナミ。都だって、いつまでも『ここ』にいる訳じゃないんだぜ?」 「……!!」 チナミは龍馬が言わんとする事が分かった。 龍馬にとって、ゆきがいつまでもここにいないように、都だっていないのだ。 龍馬はその事を後悔している。でも、再び彼はゆきに会う事が出来た。 ……でも、都は。 帰るだろう、自分の世界に。 都は、一見するとそうは見えないが、実際はひどく保守的だ。安定したものを好む傾向がある。 ……だから、都は『ここ』には残らない。 言葉に出来ない想いが起き上る。上手く言葉に出来るかどうか自信は無い。 でも、都の顔がどうしても見たかった。 「……坂本殿!」 「ああ、行って来い」 「……はい!!」 チナミは走り出す。都の元に。何処にいるのか分からないけれど、それでも。 「……あれ?」 「ああ、帯刀か。どうした?」 「チナミが凄い勢いで走って行ったけど、どうかしたの?」 「ああ、いや、大したことじゃない。帯刀こそ俺に用か?」 入れ違いにやって来た小松がチナミの後ろ姿を見送っている。 そして、龍馬の言葉に何か思いだしたようだ。 「いや、君が何か入れ知恵をされたと聞いてね。どうなったのか見に来たんだよ」 「悪趣味だな、帯刀は。チナミに嫌がられたから止めようかと思ってるとこだ」 「ふうん、それは残念」 「まあ、帯刀にはしないけどな」 「へえ?なんで?」 「斬られそうだから」 「はは、ますます何だったのか知りたかったよ」 そう言って、お互い笑い合う。気心の知れた同士だ。 「ねえ、龍馬。もう一つ、聞いてもいいかな?」 「なんなんだい?」 「ゆき君は君がずっと言っていた『お嬢』なの?」 彼は知っている。ゆきが現れる前から龍馬の事を。 だから知っている。彼がどれだけ『お嬢』を想っていることを。 「……『お嬢』は『お嬢』さ。変わらない。俺の好きな人は『お嬢』ただ一人なんだ」 人に言っても分からないかもしれない。正直、自分で説明するのも難しい。 どちらかというと、勘、に近いかもしれない。 でも龍馬には確信があった。 ゆきはゆきに違いないと。 ずっと想っていた、その人に間違いが無いと。 「まあ、君がそう言うならそうなんだろうね」 「なんだい?心配でもしてくれたのかい?」 「まあね。一応、君は私の友達だからね」 「はは、ありがとな」 そうして二人はまた笑い合った。 「……八雲!」 そう呼ばれて都は振り返る。後ろには肩で大きく息をしているチナミがいた。 「どうした、チナミ。別に走らなくても、私はちゃんと居るぞ?」 「……嘘つけ!ゆきの近くにいるのかと思えば、こういう時に限っていないんだ!!」 「いや、私もゆきにべったりな訳じゃないし」 都は宿の自分の部屋にいた。 チナミからすれば、都はいつもゆきの隣りにいるイメージが強い。だから、その周りを探していて、基本的な場所を探すのを忘れていた。 「大体、何で自分の部屋にいてお前に怒られないといけないんだ」 都は釈然としなくて、チナミを睨む。 そして、その言葉にチナミは自分がここに来た本当の理由を思い出した。そして、思わず赤くなる。 何をしに都の所に来たのだろう。何を言おうとしていたのだろう。 肝心の理由が思い出せない。 「何、顔を赤くしているんだ?もしかして、私の心配でもした?」 その言葉に、チナミは自分が何が言いたいのか、分かった気がした。 「大丈夫、私はお前に心配されるほど―――」 「心配だ!!」 チナミに大きな声ではっきりそう言われて、都はびっくりする。思いがけない言葉だった。 「心配だから、無理するな!!」 そう言ってから、チナミは真っ赤な顔になる。 都の反応が見たくなかった。怖かったのかもしれない。 そう言い切ると、チナミはばたばたと都の部屋から去って行った。真っ赤な顔をしたままで。 都は突然起こった出来事についていけず、ぼんやりしていたが、少しずつ、チナミの言葉を理解した。 「バカだな、あいつは。……まあ、そういう所が可愛いんだけど」 でも、本心で言ってくれたのだろう。真剣な顔をしていた。 都は、ふふっと笑う。 「……ありがと、な」 終。 ************************************************** 龍馬vゆき+チナミv都でした。 こう、男性視点側の話が書いてみたくて。如何でしたでしょうか。 龍馬が今までの3作とも別人のような気もしていますが、龍馬の『お嬢』に対する強い気持ちが伝わればいいなと思います。 |