『ライラック』


 放課後の花壇の一角はここ最近の彼の指定席だった。近くにある大きな木のお陰で適当な木陰があり、長時間そこに居ても快適に過ごせるからだ。
 春の季節は好きだった。花が色とりどりに輝いている。決して人間には真似できない色を輝かせて、優しい気持ちにさせてくれるからだ。
 金の髪の少年は、お気に入りの一角に腰を下ろすと、持ってきた画材一式を傍に並べる。
 スケッチブック、鉛筆、消しゴム、水彩絵の具にパレット、小さな水入れ。一通り確認すると、ゆったりと腰を下ろしてスケッチブックの真っ白なページを開いた。
 この花たちの色を真似することも残すことも出来ないけれど、それでも何かしら形にして残したいと思うのが絵を描きたいと思う心なのだろうと思う。
 鉛筆を握り、一つの花に目星をつけてゆっくりと観察する。全体を見て、細かい所を見て。それから、少しずつ鉛筆をスケッチブックの上に滑らせていく。言葉を交わすことが出来ないけれど、それが彼にとっては花との対話でもあった。

「あら、シードル。何をやっているの?」
 そう声をかけられて、シードルはびっくりして顔を上げた。絵を描き始めると夢中になってしまって、周りのことなど目に入らなくなるからだ。見上げたその先にはシードルと同じ色の髪と大きなピンク色の帽子が特徴的な少女が目に入った。
「……トルテ。君こそどうしたのさ?」
 あまりに意外な人物の登場にシードルは目を丸くした。トルテは誰が見ても元気者で、トーストの属性のキルシュ同様、じっとしているのが苦手のタイプの人間だ。そんな彼女が花壇にやって来ること自体珍しい。そんな彼女だからこそ、シードルは羨ましくもあり、憧れもするのだけれど。
 シードルのその反応にトルテはちょっとむっとした顔をした。
「あら、失礼ね。私と花壇って似合わない?これでも可憐な乙女なんだから、花くらい綺麗と思う心はあるわよ」
「あ、ごめん。そういうつもりは無かったんだけど……」
 むすっとするトルテにシードルは慌てて言い繕った。
 そう、別にトルテが来たのにはびっくりしたが、花が似合わないなんて思った事は無い。むしろもっと興味を持って欲しかったくらいだから、それは嬉しい事だった。
「ふふ、どうなのかしらね?」
 からかい口調でトルテはくすくすと笑う。その態度にシードルは敵わないなと感じてしまう。歳は大して差が無いのに、トルテにはいつもどことなく余裕があるように感じられた。実際、彼女はしっかりしていて頑張り屋であり、レモンやアランシアがよく心配していたものだった。特に、あのガナッシュの一件では。
「それにしても……やっぱりシードルは絵が上手よね」
 そう言ってトルテはシードルのスケッチブックに描かれたパンジーの花を覗き込んで感心したようにそう言った。
「どうやったらこうやって絵が描けて色が塗れるのかしら。私ももうちょっと絵の才能があったら良かったのに。羨ましいわ」
 トルテはそう言うとにっこりとシードルに笑いかけた。その笑顔にシードルはどきっとなる。彼女が彼に対してこうやって笑いかけてくる事自体珍しい。駆けずり回っている彼女と、じっとしている自分。あまりにも対照的だから。
「ありがとう。でも、僕がどんなに頑張ってもなかなか本物の花みたいに上手に描けないよ」
 そう言ってシードルはそっと花壇の花に手を触れた。
 自然の生み出した、花達の生み出したこの色は誰にも真似できない。
 そんなシードルの説明をトルテは不思議そうに聞いていた。
「ふうん、そんなものなの?私にはシードルの絵も素敵に思えるけど。やっぱり絵の上手な人は感じ方も違うものね」
 そう言ってトルテはすくっと立ち上がった。
「でも私、シードルの絵、好きよ。ねえ、私にも一枚絵を描いてくれない?」
「え?僕の絵で良いのなら喜んで」
 彼女の思ってもみなかった申し出にシードルは嬉しくて頷いた。
「じゃあ、トルテの好きな絵をプレゼントするよ。何が良いかな?」
 その問いにトルテは少し考える仕草をした。
 そして少し悲しそうな笑顔で、言った。
「ライラック、ライラックの花がいいわ」
 その笑顔の奥の悲しい光にシードルが言葉をかけようとした瞬間、彼女はまたにっこりと笑った。
「じゃあ、宜しくね!楽しみにしているわ!」
 そう言うとトルテは花壇から元気良く走り出していった。残されたシードルは、彼女の言葉の意味を考えていた。
「ライラック……。なんでライラックなんだろう」
 彼女が一瞬見せた悲しそうな光にシードルは考え込んでいた。
 ライラックは木の花だ。シードルが描いていた花壇に咲くパンジーの類ではない。確かにこれから花が咲くのだけれど……。
 ライラック、その言葉の意味に込められたものをシードルは理解できなかった。


 トルテの事が気になったシードルは翌日ある場所へと足を運んだ。
 調べものをするなら本だ。そう思い立って、手当たり次第にライラックに関する図書館の書物を読み漁る。
 分かることは花時期とか、いつくらいが見ごろとか、どこが名所とかそのくらいのものだ。トルテが見せた表情とはどこにも繋がらない。思い当たるものが無い。彼女の思い出の花か何かなのだろうか。
 そんな事を思いふけっている時、上から声が降ってきた。
「あら、シードル。花の事を調べているの?」
 ふと顔を上げると、くるくるとした青い髪の背の高い少女が立って笑っていた。ブルーベリーだ。彼女と図書館はことのほか良く似合う。
「うん、ちょっとね。だけど、思い当たる事が載ってないし……」
 そう言ってシードルは積み重ねた本の山を見て苦笑した。手当たり次第というのが良くないのかもしれないけれど、本当に欲しい情報は見つかっていない。
 そんなシードルの顔を見て、ブルーベリーはくすくすと笑った。
「あら、その様子じゃ花について調べてるんじゃないわね。そうね……シードルの事だから女の子の事、かしら?」
 ふふっと笑うブルーベリーを見て、シードルはちょっとむっとした顔になる。
「僕はカシスとは違うよ!」
「あら、でもシードルはカシスとはちょっと違うけど、フェミニストでしょう?」
 反論するシードルに、からかい口調でブルーベリーはそう言って笑った。シードルは比較的口が上手い方だが、頭の良いブルーベリーにはとことん頭が上がらない。
「……本当にブルーベリーには敵わないな」
 苦笑気味に笑うシードルにブルーベリーはお姉さん顔で笑って見せた。
「じゃあ、やっぱり女の子?それなら、ヒントでもあげましょうか?」
「え?本当?」
 思わずそう答えてシードルは慌てて口を手で塞いだ。自ら、そう言ってしまった様なものだ。そんなシードルをブルーベリーは楽しそうに見ている。
「ふふ、素直ね、シードルってば。
 そうね、女の子って占いとかそういうのが好きなのよ。後、花なら花言葉とかね。ちょっとした事でおまじないかけてみたりするものなのよ」
「……花言葉?」
 ブルーベリーの言葉にシードルは目を丸くした。花言葉は考えていなかった。確かにそこになら、何かヒントがありそうだ。
 やっぱり女の子の考えている事は女の子にしか分からないものだな、シードルは改めてそう思わされる。女の子の事なら何でもお任せといった顔をしているカシスだって実際はそうに違いない。
「ええ、そう。じゃあ、がんばりなさいね?」
 そう告げると、ブルーベリーは自分の調べものを探しに本棚へと向かっていった。
 やっぱり敵わないな、そう思ってシードルは肩をすくめると、花言葉が置いてありそうなコーナーへと自分の足を運んだ。
 花言葉の本は思ったより簡単に見つかった。自分が調べていた花の本の近くに置かれていたからだ。やはり手当たり次第に探したといっても肝心のものが見つかっていないのはダメだな、とシードルは思う。
 花言葉の本を本棚から抜き出すと、シードルは目次をめくった。
「えっと、ライラック、ライラック……」
 目的のページを見つけると、シードルはそこに書かれていた花言葉に言葉を失った。
 ……トルテの表情が意味していた事はこの事だったのだ。
「……僕はちゃんと心を込めて描いてあげないといけないな」
 シードルは真剣な表情でそう呟いた。
 そう、心を込めて描いてこそ、この気持ちはトルテに伝わると思ったから。



 シードルが心を込めて描いたライラックの絵が出来上がった。
 ちゃんと気持ちは伝わるはずだと、そう信じて。
 どうやって手渡そうと思案しながら、ふと窓の外の様子を伺う。
 校庭ではキルシュとトルテとアランシアとセサミが楽しそうに笑っていた。シードルは知っている。トルテのキルシュへの淡い思いも。そして、その思いをかき消そうとしていることも。それは彼女のアランシアへ寄せる友情ゆえに起きたものだけれど。
 もしも、トルテが彼をアランシアから奪おうと思っているのだったら、彼女はこんな絵を自分に頼んだりはしないだろう。それが少し切なく感じた。
 ライラックの花は彼女の心を表していたから。
 シードルはすくっと起き上がる。とにかくトルテに完成した絵を手渡せばいいのだ。受け取ってくれるに違いないのだから。
 廊下をかけぬけ、階段をころがりおりてシードルは息を切らせながら校庭へと足を運んだ。
 そんな珍しいシードルに気がついたトルテが驚いた顔をして見ている。
「シードル?何かあったの?そんなに慌てちゃって」
 暢気なトルテの声にシードルは思わず笑ってしまう。まさか自分のためだなんで思ってもいないのだろうから。
 シードルは描き上げた一枚の絵をトルテに差し出した。その絵を受け取って、トルテは目を丸くする。
「……ライラック……本当に描いてくれたのね?」
「うん、きみとの約束だったから」
 そういってシードルは笑う。約束だったのだから、と。
 そんな生真面目なシードルに苦笑しながらも、トルテはそのライラックの絵を見つめていた。
「……綺麗な絵ね。大事にするわ」
 そう言ってトルテはその絵を大きく抱きしめた。
「ありがと、シードル。私の気持ちをくんでくれて。凄く嬉しかったわ。だから……大事にするね」
 そう言ってとトルテ、戻るべきメンバーの待つ方へと駆けていった。
 そう、戻るべき、彼女の居場所へと。


 シードルはそれを見守りながら、考えていた。
 ライラックの花言葉は

 「初恋の痛み」
 「初恋の思い出」

 なかなか寂しい言葉だ。だから、トルテは気持ちの整理をつけるためにそうシードルに注げたのだろう。
 だけど、トルテは知らないものもあるかもしれない。
 シードルが調べた本の中に一つだけ違う意味の花事はもあったのだ。

 「新しい恋へのはじまり」

 トルテの新しい恋が始まってくれることをシードルは願わずにはいられなかった。たとえ、シードルがその相手とならなくても。それでもシードルはトルテを見つめて生きたい。そう感じたのだった。




終わり。


本当にお久しぶりのマジバケ小説です。やっとリクエスト消化のシードル→女主のお話になります。ちょっと季節柄遅れてしまいましたけど;
ライラックが「初恋の痛み」というのは「弟切草」というゲームで知った知識ですが、色々調べてみると他にも意味がある事を知りまして。特に「新しい恋へのはじまり」というのが丁度「初恋の痛み」と重なってて良いなあと。
ライラックは木の花です。なかなか綺麗ですよ(^^
なんか私のシーv女主のイメージはこういう感じです。シードルが見守っている感じなんです。片思いのようなそんな優しい想い。それにトルテが応えるかは彼女次第という所ですか。
こういったシーv女主って珍しそうですね(^^;
まあ、うちのサイトの小説の売りは他には無い小説、ですからね(笑)。変わり者ってことで宜しくお願いしますです。
ところで……シードルvブルーベリーも良いかもしれないと最近思ってる私ってどうでしょうか(苦笑)。カシレモ書いているうちに、なんかこの二人も良いな〜とか思ってしまうように。知的カップルも好きなんですよね。

★戻る★