『ホワイト・デイ』


 非番の日、いつものフォルデであれば、のんびり散歩やら、スケッチやら昼寝の場所でも探しに外出するのだが、その日ばかりは部屋からずっと動かなかった。
 目の前にあるのは鏡。
 その鏡に向かって色々な顔を作ってみる。
 しかし、いまいち納得できない。
 軽い気持ちで引き受けたものの、どうもそう楽なものではないらしい。
 そんな時、コンコンとドアを叩く音が聞こえる。
「ああ、入って良いですよ〜」
 と相手も確認せずに、フォルデはそう言って、再び鏡に見入っていた。
「じゃあ、お邪魔します」
 そう言って入ってきたのは弟のフランツだった。
 弟の気配を感じて、フォルデは振り返る。
 手には、焼きたてのクッキーを持っていた。
「ちょっと作りすぎちゃったんで、兄さんにもおすそ分けです」
 そう言ってはにかみながら弟は笑った。
「クッキー?珍しいな。お前が何か作るなんて」
 フォルデとフランツは兄弟であるが、歳の差もあるだけでなく、早々に両親を亡くしたために、基本的には食事等の家事の担当はフォルデになっていた。そんな関係だから、少しびっくりしたのだ。
 驚いた顔の兄を見て、フランツはふふっと笑った。
「僕だってたまには作りますよ。それにこれは明日のホワイトデーのお返しですから」
 そう聞いて、フォルデは納得する。なるほど、それでクッキーなのか。
 そういえば、カイルも数日前、お菓子の箱を送っていたことを思い出す。おそらく、その相手はシレーネなのだろう。ヴァネッサも元気にやっているのだろうか。
「お前は何人から貰ったんだ?」
 兄の問いかけにフランツは指を折りながら数を数え始める。
「えっと、エイリーク様、アメリア、ナターシャさん、それから同じ騎士仲間から7個くらいかな?」
「なんだ。俺とたいして変わらないな」
「そりゃあ、同じようになってしまいますよ」
 くすくす笑う兄に、フランツは苦笑した。
「でも、ナターシャさんに渡す時は、気をつけた方が良いぞ?」
「なんでです?」
 不思議そうな弟の髪を、フォルデはくしゃくしゃと撫でる。
「ゼト将軍がいるんだからさ。ナターシャさんには」
 そうやっていたずらっぽくフォルデは笑った。それに対して、フランツも納得がいったような顔をした。
「分かりました。気をつけますよ。
 ところで兄上は何をなさっているんです?先程から鏡とにらめっこされてるようですけど」
 弟の言葉にフォルデは苦笑いをする。
「自画像描こうと思ってるんだけどさ……なかなかどういう顔していいのかなって思ってさ」
 フォルデはそう言って苦笑した。
「そうですね……兄さんだったら、やっぱり笑った顔でしょうか」
 フランツは考えながらそう答える。その言葉にフォルデはまた苦笑いを浮かべた。
「俺もね、それは考えたんだよ。でもさ、笑いながら絵って描けないだろ?それに、どうしても作り笑いになるわけでさ」
 ぐい〜っと背伸びしながらフォルデは、へにゃっと笑ってみせた。
「俺、どうも、絵描いている時、顔つきがきついみたいなんだよね。そこから笑顔作るのもどうしてもぎくしゃくしてさ」
「……確かにそうだね」
 フランツもそう言われて納得した様子で、首を傾けた。
 フォルデと言ったら、いつも笑顔の人という印象だ。そしてフランツ自身、そう感じている。兄は負の顔を見せた事が無い。
 でも絵を描いている時の兄はまた別の顔をみせていた。真剣な表情は剣や槍の稽古でみせる真剣さとまた違った顔だった。
「じゃあ、絵を描いている兄さんの顔でも良いんじゃない?」
「小難しい顔でか?」
「うん。だってそれも兄さんの顔だもん」
「……俺の顔、かあ」
 フォルデは気の抜けた声で、そう呟いた。
 確かに自分の顔には違いない。
「でも、どうして急に自画像を描くことにしたの?」
 弟の問いに、フォルデはへらへらと笑ってみせた。
「とある女の子からのリクエストなんだよ」
 勿論、その女の子はエイリークなのだが、所詮、騎士と姫だし、弟にも余計な心配や不便をかけたくない。
「じゃあ、クッキー、ここに置いておくね。自画像、頑張ってね」
 そう言って、弟は机の上にクッキーの入った皿を置くと、部屋から出て行った。
 それを見送りながら、フォルデはため息をつく。
「……俺の顔ねえ……。なんか一番難しい注文つけられたみたいだねえ」
 一息つくと、フォルデは鏡を隣に置き、真っ白なボードに手を伸ばした。
 とりあえず描いてみよう。手を動かさなければ始まらない。
 鏡とにらめっこしながら、フォルデは筆を進めていく。
「……う〜ん、似てるのかねえ、この顔」
 少しずつ仕上がっていく顔に、フォルデは苦笑いする。
 なんだか小難しそうな顔の人間が出来ている。
 他人を描くより自分を描く方が難しい。
 昔、誰かがそう言っていたような気がする。
 そんな気持ちになっていた。
 だけど期日は明日だ。
 とりあえず、仕上げよう。形だけでも良いから。そうでもしなければ、あの姫君に申し訳ない。
 フォルデはフランツが置いていったクッキーを食べながら、ボードに描きこんでいった。


 一応、バレンタインにチョコを貰った人へのお礼は用意してあった。
 ストロベリィのキャンディ。可愛らしい缶に入っているものだ。
 一通り届けてから、フォルデは最後の一番重要な人の部屋の前に立っていた。
 こんこんと部屋をノックする。
「どなたですか?」
 丁寧な物腰で、柔らかい言葉が中から響く。
 フォルデは名乗ろうとして、ちょっと考える。少し面白おかしくてもいいかなと思うのだ。
 そう考え、実行に移す。
「貴女の忠実なるしもべです。お姫様」
「その声は……フォルデですね。はい、今開けます」
 そうフォルデの声にエイリークは反応する。フォルデは、エイリークがすぐに自分だと分かってくれるのが嬉しかった。
 ギィと音をたててエイリークが顔を出した。
「いらっしゃい、フォルデ。宿題は出来ました?」
 そう言ってエイリークは、ふふふと笑う。それに対してフォルデは苦笑した。
「え〜っと、ちょっと微妙なんですよね」
 そう言ってから、フォルデはまずキャンディを渡す。そのキャンディに、エイリークがにっこりと笑った。
 それから、エイリークはフォルデからボードを受け取る。そこにはフォルデが四苦八苦して描いたフォルデの顔が描かれていた。その顔はエイリークが時々見せるフォルデの顔だった。絵を描く時の真剣な顔。
 エイリークが顔を上げると、フォルデが申し訳無さそうな顔をしていた。
「すいません。どうしてもこんなのしか描けなくて……」
 ポリポリと頭をかいて、フォルデは頭を少し下げた。だが、エイリークはにっこりと笑った。
「いいえ、これはとてもフォルデらしい顔だと思います。
 私、フォルデの絵を描いている表情、凄く好きなんです。
 だから、凄く嬉しいです」
 エイリークはそう言ってボードを抱きしめる。
 だが、その言葉にフォルデは驚いた顔をした。それにエイリークは分からなくて、首をかしげた。
「……あの、えっと……それはどうとっていいんですか?」
「どうとって?」
 なんだかフォルデは照れているような顔をしている。エイリークはどうして彼がそういう顔になるのか分からなかった。
 だが、フォルデはそうではなくて、慌てていた。
「え、えっと、なんでもないです……!では失礼します!」
 そう言って、フォルデはそそくさと出て行った。その場に残されたエイリークは、きょとんとして、フォルデを見送る。
 何故、彼があんなに照れたのだろう。
 彼は言っていた。『どうとっていいんですか?』と。
 それを思い出して、それより前の自分の言葉はどうだったのだろうか。そう考えてみる。
 その瞬間、エイリークは自分の言葉を思い出した。
『凄く好きなんです』
 私はそう言ったのだと、エイリークは真っ赤になった。
 フォルデは何に対してそう言われたのか問うたのだ。だが、それ以上質問をしなかった。もしかしたら、答えが怖かったのかもしれない。
 エイリークは、どきどきしながらボードに描かれたフォルデを見る。
 笑顔のフォルデも素敵だが、絵を描いているフォルデの顔も素敵だと思う。
 独り占め、したいとも思う。
 それが叶わぬことだとしても。
 姫と従者。それはどうしても変えられない、二人の距離。
 埋める術は分からなかった。
 でも……エイリークはそう思う。
 いつか、彼にこの温かな気持ちを伝えたかった。






同盟に投稿した話です。
すいませんUP忘れてました;;

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