『バレンタイン・デイ』


「ねえ、エイリーク。ケーキをいくつ焼くつもりなの?」
 隣国の姫君であるターナが次から次へとオーブンにケーキを入れて焼いていく様を見て、呆れた顔で言った。彼女のエフラムへのケーキは既に焼きあがっていて、仕上げも綺麗に終わっていた。だが、友人のエイリークは大きなケーキ型を使って、いくつも生地を練っては、オーブンに入れて焼いていくのだ。
「……ねえ、そんなに焼いて誰にあげるの?」
 ターナは不思議そうにエイリークに尋ねる。
 忙しさの汗をぬぐいながら、エイリークは手を止めてターナに微笑んだ。
「せめて一口大くらいでも、城の人たちに食べてもらいたくて……。いつもお世話になってるから、そのくらいしたいの」
 エイリークらしい言葉にターナは苦笑した。城の人数となると相当の数になる。それを配り歩こうというのだから、たいしたものだ。
「仕方ないね。私のは出来たから手伝ってあげるよ」
 そう言って、ターナはエイリークのケーキ作りに加わる。そんなターナにエイリークはにこやかに笑った。
 ケーキのタネを混ぜながら、ターナはエイリークの顔を伺う。どこかうきうきした顔をしていた。
 エイリークも本命チョコの人がいるのかしら?
 そうターナは思うと、こそっと彼女に耳打ちする。
「エイリークの本命って誰?」
 その言葉を聞いて、エイリークは耳まで真っ赤になった。
「そ、そ、そ、そんな人、い、いないわ」
「どもってるじゃない。ほんとはいるんでしょ?」
「え、え、え、えっと、まだ、そんなんじゃ……」
「ねえ、エイリーク。私とエイリークの間で隠し事?」
 しかめっ面でそういうターナにエイリークはため息をついた。
「……一応、特別にあげようと思っている人はいるわ」
「やっぱり!じゃあ、特製の作らなきゃ!」
 エイリークの反応にターナは目を輝かした。だが、エイリークはその言葉に首を横に振った。
「いいえ。ケーキは皆と同じものをあげるつもり」
「え?」
 エイリークの思わぬ言葉にターナはビックリした顔をした。
「なんで?特製のケーキとか作ろうよ!こんな大量な義理チョコ作るより本命にちゃんとしたのあげなきゃ!」
 そう言ってターナはエイリークに詰め寄った。
 だが、エイリークは首を縦に振らなかった。
「いいの。特別扱いはしたくないし……」
「でも、それじゃ、エイリークの気持ち、伝わらないよ?」
 ターナは心配そうな顔でエイリークの顔を覗き込む。エイリークは心配ないという顔で微笑んだ。
「いいの。伝わらなくても。まだ……とても淡い想いだし……それに……」
「それに?」
「それに……一緒に渡したいものがあるから」
 エイリークの言葉にターナはにっこりと微笑んだ。
「そっか!じゃあ、エイリークの気持ち、きっとその人に伝わるよ。大丈夫、エイリークって綺麗だし優しいから絶対大丈夫だよ!」
 ターナはまるで自分の事のように喜んではしゃいでいた。それを見てエイリークも嬉しくなってきた。
 そう、あの特別なものを渡すのだ。その時、彼はどんな顔をするだろう。
 そう思ったら、胸がどきどき高鳴って、エイリークは平静を取り戻すのに少し時間を要した。


 エイリークの目的の人は今日は見張りのはずである。
 先ほど大量に焼いたケーキはほとんどの城の人たちに配られたが、彼の分はエイリークがしっかり押さえておいた。
 渡したいものがあった。
 ケーキと一緒に。
 義理チョコだと思われてもいい。
 だけど、気持ちを受け取って欲しかったから。
 エイリークは見張り台への螺旋階段を胸を高鳴らせながら上がっていった。
 そろそろ見えてくるはずだ。目的の人物が。
 赤い鎧が見える。長い金の髪も見える。
「フォルデ。少し良いですか?」
 エイリークは思い切って声をかけた。その言葉にフォルデはくるりと振り返るとにっこりと笑い返した。
「おや、エイリーク様。見張り台までお越しとはどうされたんです?」
 その言葉に、エイリークはどう返すか悩んだ。
 フォルデに会いたかったから、ここへ来たのだ。
 だけど、まだ、この気持ちを伝える勇気は無い。
 だから当たり障りのない言葉を選ばなきゃいけない。
 エイリークは必死で考えた。
「……あの、今日はバレンタインで……城の皆にケーキを焼いたんです。一口大の大きさしか作れませんでしたけど、フォルデにもと思いまして」
「わざわざ持って来てくれたんですか?!」
 エイリークの言葉にフォルデは驚いた顔をした。
「そんな、エイリーク様自らお越しにならなくても宜しかったのに。一声かけてさえ下されば飛んでいきますよ」
 エイリークの心遣いにフォルデは恐縮したようにそう言うと、ぺこりと頭を下げた。
 それを見て、エイリークは改めて彼と自分の距離を感じる。
 そう。私と彼は姫と騎士なのだと。
「……あ、あの、もう一つあるんです!」
 エイリークはその距離に寂しさを感じたが、それを吹き飛ばすかのようにそう強く言って、フォルデにケーキの包みと一緒に小さなカードを手渡した。
「……カードですか?」
 フォルデはケーキと共にカードを受け取る。そしてカードに目を移した。
 そのカードには風景画が描かれていた。
「これは?」
 フォルデはエイリークに尋ねる。エイリークは高鳴る胸を必死で押さえながら、フォルデの顔を見て答えた。
「あ、あの!私の……私の部屋から見える景色なんです」
「エイリーク様がお描きになったのですか?」
「は、はい。貴方には遠く及びませんが……貴方に受け取って欲しくて」
「俺に、ですか?」
「はい、貴方にです」
 エイリークは真っ赤になって、ぺこりと頭を下げた。受け取って欲しかった。誰よりもフォルデに。
 いきなり姫君に頭を下げられたフォルデは慌てる。
「エ、エイリーク様!頭をあげてください!」
 フォルデはエイリークの頭を上げさせると、改めてエイリークから貰ったカードを見た。
 綺麗な風景が丹念に描かれている。一生懸命描いたのだろう。それが伝わってくる。そんな貴重なものを自分にくれるというのだ。その気持ちが嬉しかった。
「ありがとうございます。俺、この絵を宝物にしますよ」
「え?え?そ、そんなたいしたものじゃないですよ!」
 フォルデの言葉にエイリークは慌てる。そんな彼女にフォルデは微笑んだ。
「だって、一生懸命エイリーク様が描いてくれた絵ですから」
 そう言って、にっこりと微笑む。エイリークはその表情を見ながら、少し恨めしく思った。弱いのだ。そういう顔をするフォルデに。だから、いつも言い負かされたようになってしまう。
「じゃあ、お礼に俺、なんか描きますよ」
 フォルデが思わぬ提案をしてきて、エイリークは目をぱちくりとさせた。
「ケーキもカードも戴きましたからね。何でも言ってください」
 その言葉にエイリークは、ある事をひらめいた。
 いつもフォルデに言いくるめられてしまう。それを打ち破るもの。そして、エイリーク自身が欲しいと感じるもの。
「じゃあ、フォルデの自画像を下さい」
 そう言ってエイリークはにっこりと笑った。
 だが、その言葉を聞いたフォルデは目を丸くして、鳩が豆鉄砲でもくらったような顔をしている。エイリークは勝ったような気分になった。
「お、俺ですか?!」
「ええ、貴方です」
 念を押すように、自分を指差しながら言うフォルデにエイリークはにっこりと微笑んだ。
 エイリークが本気だと分かったフォルデは諦めたように肩をすくめてみせた。
「分かりましたよ、エイリーク様。ちゃんとお届けします」
「ええ、宜しくお願いしますね」
 そう言って、二人で笑いあった。
 お互い話していると優しくて温かい気持ちになれる。それがとても心地良かった。
 二人のバレンタインはそんな形で幕を閉じたのだった。

 

同盟の企画に参加した話です。
ちょっと姫様と騎士の距離が書いてみたくってこんな感じになりました。
ホワイトデーまで書かないといけない感じになりましたが(笑)。