『秘めた想い』


 いつもと変わらぬ午後の一時。
 窓から差し込む日の光は優しくて柔らかくて穏やかな気持ちにさせた。
 ごとごととやかんが音を立てる。ラナはやかんを火から下ろすと、その代わりに夕飯のための大きなスープ鍋を乗せる。せっかく焚きつけた火だ。このまま消してしまうのも勿体無い。
 棚から小さな紅茶の缶を取り出してきて、ティースプーンで掬い取ると、ティーポットの中に入れた。そして、ラナは沸いたお湯をそのポットに注ぐ。
 しばらく蒸らす間に、ラナはティーカップを2組用意した。一先ず持っていくものから用意しようと思ったからだ。
 十分に茶葉が開いてから、ラナはカップに紅茶を注ぐ。紅茶独特の芳香がして、ラナは思わずその香りに心を奪われた。
「……いい香り」
 紅茶もそうそう手に入るものでは無いが、母のエーディンが修道院に手伝いに行ったときにお礼で戴いてきたものだった。今日は出かけがちの母もオイフェもシャナンも居る。こういう時こそ、使っても良いだろう。
 お茶請けには先ほど焼いたホットケーキがある。貴重な砂糖は入っていないけれど、ミルクと卵のお陰で十分風味があるものに仕上がっていた。
 ラナはホットケーキを切り分けて、お皿に乗せる。そして、ティーカップとケーキをお盆に乗せて、目的の場所に向かった。
 台所を出て、階段を上がる。そして廊下を歩いて突き当たりの部屋で足を止めた。
 両手が塞がっている。ドアをノックする事も出来ない。
 ラナは少し考える仕草をした。声をかけると邪魔になるかもしれない。だけどノックでも大して変わらないのではないだろうか。せっかくの紅茶が冷めてしまうのは勿体無い。
 ラナは心を決めて、ドアの向こうの人物に向かって声をかけた。
「セリス様、オイフェ様、お茶をお持ちしました。少し休憩なさいませんか?」
「ラナ?ありがとう」
 すぐにドアの向こうから返事が返って来る。そしてこちらに向かう足音が聞こえてきて、目の前の扉がゆっくりと開かれた。
 中から顔を出したのは青い髪の少年。長い髪を後ろで一つに結っている、いかにも優しそうな雰囲気の少年だ。
 彼はラナが大きなお盆を持っていることに気がつき、手を差し伸べた。
「ありがとう、ラナ。重いだろう?僕が持つよ」
 セリスの親切な言葉にラナはにっこりと微笑んだが、首をゆっくりと横に振った。
「お気遣い、ありがとうございます。でも、ここまで持ってきましたから」
 ラナはそう言うと、セリスが開けてくれたドアから部屋の中に入る。
 その部屋は書斎で、沢山の本が所狭しと本棚に詰まっていた。中にある大きな机でさえ本が山積みになっている。その山積みの本の向こうからオイフェの顔が見えた。
「ラナ、ありがとう。すまないね、ちょっと片付けるから」
 オイフェはそう言って立ち上がると、目の前に置いてあった書類や資料などをまとめ、机の上にスペースを作る。ラナは場所が空いた事を確認すると、そこに持ってきたお盆を乗せた。
「紅茶とホットケーキか〜!ホットケーキはラナが作ったの?」
 ラナの後ろを心配そうにやって来ていたセリスが、おやつの正体に気がつき、嬉しそうな顔をした。
 セリスの言葉にラナはにっこりと頷く。
「はい。今日は結構上手く焼けたんですよ」
「ふふ、ラナが上手く焼けたっていうんなら、美味しい物がもっと美味しいんだね」
 セリスは嬉しそうに笑った。料理関係の上手なラナはお菓子作りも上手だった。その彼女が上手くいったというのだから期待して損はないだろう。今日のおやつは最高だ、とセリスは思った。
「そうか、ラナはどんどんエーディン様に似てくるな」
 オイフェも優しく微笑んでいる。ラナはにっこりと頷いた。
「そうですか?嬉しいです。私も早く母様みたいになりたいですから」
 ラナにとって母であるエーディンは憧れの存在だった。エーディンはラナやレスターの実の母ではあるが、同時に他の子供たちの母親でもあった。わけへだてなく優しく接する母は何よりの自慢で憧れの人だった。今は、それだけでなく同じシスターとしても尊敬の念を抱いている。そんな母に似ていると言われることはラナにとって最大の褒め言葉だった。
 本当に嬉しそうに微笑むラナにセリスも思わず笑顔になった。彼女が笑うと何故か嬉しい気持ちになるのが不思議だった。それはエーディンが与えてくれる温もりに良く似ていて、だけど違っていて……不思議な思いがした。
「それじゃあ、失礼しますね」
 ラナはぺこりと頭を下げ、扉を閉めようとした。
「ありがとう、ラナ」
 扉を閉めるときにオイフェにそう声をかけられて、ラナはまた嬉しそうににっこりと笑うとパタンと扉を閉めた。パタパタと足音が遠ざかっていく音が聞こえた。
「それじゃあ、ラナの厚意に甘えて休憩にしましょうか?」
 オイフェがセリスを促す。その言葉にセリスははっとしてオイフェの方に向き直った。
「そ、そうだね!そうしようか!」
 慌てているセリスに気がつき、オイフェは不思議な顔をした。
「どうされました?」
 尋ねられてセリスは困った顔になる。うまく説明が出来そうになかった。
「えっと……その、ラナって本当にエーディンさんに似てきたなって」
 同じ女の子で歳の近いラクチェは元気一杯で、やることも男顔負けの勢いで、ラナと比べてしまうと全く別の存在のようである。ラクチェが変わっているのか、ラナが変わっているのかは判断がつけ難いところだが、ラナは確実に他の子供達とは違った雰囲気を纏う様になってきていた。それは彼女が選んだ道がシスターだったからなのだろうか。勿論、それだけの理由ではない。持っている雰囲気、やりとり、それは少しずつかつてとは違うものになっていっていた。彼女の変化はセリスが意識するようになってからそれなりの時間が経っていた。その度に感じる気持ちを未だにどう呼んで良いのか…それはセリスには分からなかった。ただ、彼女の存在が少しずつ遠のいているような、そんな思いがするのは確かだった。
 オイフェはセリスの表情から、彼の言葉の奥に秘められているものに気がついたのだろう、にっこりと微笑むと、それ以上その事を問わなかった。
「さあ、セリス様。せっかくのお茶が冷めてしまいますよ」
「あ、うん。そうだね、いただかないと」
 オイフェにそう促されて、セリスはラナの運んできてくれたお茶とホットケーキを見下ろした。
「ふふ、いい香りだ……」
 セリスは紅茶の芳香に目を細めた。
 彼女の提供してくれた休息の時間を、セリスとオイフェは楽しんだのだった。


「おいし〜♪ラナのお菓子は最高ね!!」
 それはそれは幸せそうな顔をして自分の作ったホットケーキを頬張る友人をラナは嬉しそうに見ていた。短い黒髪の元気の良い少女はあるだけのケーキは全て食べてしまいそうな勢いだ。他の人達の分はちゃんと分けておいたのは正解といえば正解だろう。もっとも、これだけ喜んでもらえるのだったら、それも良いかもしれないけれど。
「……欲を言えば、ラナが取り置いているっていう残りのホットケーキも戴きたいとこだけど……」
 やはり狙っていたらしい。そんなラクチェにラナは思わず笑ってしまう。
 せっかくお茶を用意したのだが、スカサハはシャナンと出かけていて、レスターとデルムッドはエーディンと一緒に買出しに行ってしまったのだ。夕飯の手伝いをする!と主張したラクチェだけが残っていて、一緒にお茶を飲んでいる。実はラクチェだけには今日のおやつについて話していたので……用事から逃げてきたのはそれもあるのかもしれない。
「ふふ、そんなに喜んでくれて嬉しいわ」
 そこまでして食べたいと言ってくれるラクチェにラナは嬉しそうに微笑んだ。それに対してラクチェもにっこりと笑う。
「そうよ!ラナの作るものなら何でも美味しいもの!お嫁さんに欲しいくらいよ!」
「ふふ、ありがとう」
 ラクチェは食後の紅茶を戴きながら、ふと思い出した顔をする。
「そういえばセリス様達には持っていったの?」
 ラクチェの言葉にラナはこっくりと頷く。
「ええ、持っていったわ」
「そう、セリス様は喜んでくれた?まあ、ラナのお菓子を喜ばないわけないけど……」
「ええ、ありがとうって」
 ラナはにっこりとラクチェの言葉に頷く。
 ラクチェはラナがセリスに好意を抱いているのを知っている。その事で、セリスが羨ましく思ったりしたこともあるのだが、出来ることならラナの想いが叶って欲しいとは思っていた。
 だが、ラクチェは性格的にまどろっこしいことが好きではない。いざ、自分も恋愛をしてみたのなら違うのかもしれないが……少なくとも今はこのラナとセリスの関係が非常にまどろっこしく感じていた。
「ねえ、ラナ。セリス様の事が好きなら『好き』って言っちゃえば良いじゃない」
 至極、簡単そうにラクチェはラナに提案する。だが、その言葉にラナは慌てた。
「そ、そんな!だって……私はセリス様の幼馴染だし……それに……」
「それに?」
 単純明快な親友は畳み掛けるように聞いてくる。それにラナは言いよどみながらも何とか返答した。ちゃんと返答しなかったら、何を言ってくるのか分からないところがあるからだ。
「……それに……セリス様にはまずしなければならない事があるもの。私は……そのお手伝いがしたいの」
 ラナの精一杯の回答にラクチェはそれこそ納得がいかないという顔をした。
「それとこれとは別の話じゃないの?」
 そう言われてラナは言いよどむ。それは間違いの無い事実だった。確かにそれとこれとは別の話である。だが、ラナはどこかその言葉で自分をごまかしている所があった。
 自分はセリスの幼馴染だから。
 彼はしなくてはいけないことがあるから。
 私はそれを手伝いたいから。
 ……だけど、それは別にセリスの事を想う事とは繋がらない。気持ちを伝えないことには繋がらない。
 分かっている、ラクチェは心配して言ってくれているのだと。
 そういう状況を作っているのは自分自身なのだから。
 多分、小さな頃なら何のためらいもなく言えたのかもしれない。
 いや、小さい頃は普通に言っていた。セリスの事が好きだと。
 それが言えなくなったのは年齢のせいもあるだろう。そして……昔感じていた気持ちと違うからだろう。そして……そう思っている自分をセリスがどう思うのかが怖いのかもしれない。
 嫌われるのが怖いとか、そういうものではない気がする。
 ただ、今まで長い時間をかけて築いてきた絆が途切れてしまうのが嫌なのだ。
 セリスの事は好き。だけど、大切な幼馴染であることには変わりが無い。その関係が崩れてしまうほうが怖かった。
 もし、セリスを好きにならなければ……こんな痛みを感じずに済んだのだろうけど。
 それでも……それでもセリスを想い続けようと思ったのは自分だから。この宝物みたいな思いを大切にしたいと思ったのは自分なのだから。
 だから、ラナはゆっくりとうなづく。
「うん、分かってる。でも、それでいいの。
 私は大丈夫だから……心配しないで、ね?」
「……ラナがそれでいいなら……私も無理には言わないけど……」
 ラクチェがちょっと困った顔をして、頭を掻いた。こういう色恋沙汰はラクチェは得意ではないし、一緒に盛り上がって話すタイプでもない。だから、こういう時、どういう言葉をかけてやれば良いのかラクチェには分からない。それでも……ラナが決めていることなら見守るのも一つの手段だろう。
 ……だけど、ラナを泣かせるような事をしたら、いくらセリス様でも許さないんだから。
 そうラクチェは心に決める。
 そう考えるのが良いのか悪いのかは判断がつかないけれど、それは確かな思いだから。
 ラナにもその気持ちは伝わっていた。仲の良い幼馴染だ。口にしなくても分かることなら沢山ある。
 だから、ラナに出来ることは大丈夫だと微笑むだけしかなかった。
 それが、真実であるのだから。


 再び夕食の支度に取り掛かった時、誰かが台所に近づいてくるのに気がついた。振り返ると、そこには青い髪の少年がこちらに向かってきていた。その手には先ほど持っていったお盆を持っており、上に乗っているお皿とティーカップがぶつかってカチャカチャと音を立てていた。
 ラナは慌てて彼の元に近寄った。
「あ!ごめんなさい、運ばせてしまって」
「いいよ、このくらいなら」
 ラナは却って手を煩わせてしまったと思って慌てるが、そんな彼女にセリスは優しく微笑むと、さし伸ばされた彼女の手を断り、そのまま流しへと運んでいった。
「ありがとうございます」
 ラナはセリスに感謝の言葉を述べる。それにセリスはちょっと困った顔をしてから、にっこりと微笑んだ。
「お礼を言うのなら僕の方だよ。
 ラナが淹れてくれた紅茶は本当に美味しかったし、ホットケーキもすごくすごく美味しかった。
 どうもありがとう」
 嬉しそうにセリスはそう言った。その表情が本当に心からの言葉であることを物語っていて、ラナは胸が押される思いがした。
 優しい笑顔。優しい言葉。ラナが一番好きなセリスの顔がそこにあった。
 思わずその事が意識されて顔が上気するのが分かった。セリスから見たら真っ赤になっているのだろう。そう思うと恥ずかしいのだが、こればかりはどうにかなるものでもない。
 一方のセリスは真っ赤になって照れているラナを見て、思わず微笑む。小さい時からラナは恥ずかしがり屋な面が強かった。こういう顔をするのは昔と変わらないんだなと思えて、どこかほっとする思いがした。変わっていく事は悪いことじゃないのは分かっている。それでも変わらないものを探しているような気がした。求めているのは変革かそうではないのか、まだ分からないけれど。
 それでも、なんだか遠ざかっていくように感じる彼女が近くに感じられて、それが嬉しく思えたから。
 セリスは微笑む。
「それじゃあ、ありがとう。僕はまだやることが残っているから手伝えなくてごめんね」
「ええ、セリス様もお勉強、頑張ってくださいね」
 ラナの言葉にセリスはまだまだ難しくて大変なんだよ、とこぼしながらまた二階へと戻っていった。
 セリスは帝王学やら何やら難しい事ばかり教わっているのだと聞いている。それは、彼がその器に相応しいからこそ必要なものなのだと説明されたことがあった。
 ラナはその時はその言葉の意味を理解していなかった。だけど、そうではない事を年齢を重ねるごとに理解してきた。
 セリスにはセリスにしかできないことがあると知った。
 だったら、きっと私にしか出来ないことがあるだろうとラナは思った。
 私にしか出来ない何かがある、そしてそれはセリスの役に立つかもしれない。
 共に剣を振るうことが出来なくても。共に歩むことが出来なくても。
 それが今のラナを突き動かす原動力だった。
 最初はみんなに追いつこうとしていただけのはずだったのに、いつからそれがセリスのためにと変わってきたのだろう。それは思い出すことが出来ないけれど、それはそれで素敵なことだと思うから頑張れるのだ。
 ラナはことことと煮えているスープ鍋のふたをとり、味の確認をする。
「……うん、美味しく出来てる」
 ラナは微笑んだ。今日の夕食はうまくいったようだ。
 そう、まずは出来ることからで良い。
 今日の夕食でみんなが喜んでくれるのなら、セリスが喜んでくれるのならそれが一番の幸せなのだから。
 そんな思いがあっても良いだろう。
 これは私だけの秘密の気持ちなのだから。そして、この気持ちを大切にすると決めたのだから。
 ことことと音を立てる鍋の歌声に耳を傾けながら、ラナは次のおかずの支度にとりかかったのだった。



 おしまい。

 セリラナ同盟に投稿しようとして没にした話です;;書きたかったんだけど、同盟に送る話でも無いかな〜と;;
 セリラナっていうのは終章の会話からして、セリスの方が長くラナを想っていたんだと思うのですが、恋愛として先に意識したのはラナの方じゃないかなと思うのです。だけど、長い付き合いから、セリスにとって自分は非常に妹に近い存在であることには気がついていると思うのですよ。だから、ラナはセリスに自分の想いを伝えようとはしないと思うのです。セリラナって…ラナからセリスに告白するって無いんじゃないかと思うくらいです。ずっと、ラナは想いを胸に秘めたままいるつもりなんじゃないかな、と。一方のセリスはラナの変化に戸惑って、自分は彼女をどう思っているんだろうって考え始めて、そしてセリスがラナへの想いに気がついて、彼女に想いを告げる。というのがMYセリラナかな…?セリスが動かなかったら成立しなさそうな感じですね…;;
 とりあえずそんなイメージの話です(^^;)。ラクチェからしたら、きっとラナの行動っていうのはまどろっこしく感じるんだろうなと思いますよ。でも自分が恋したらラナよりもっと奥手になってそうなのがラクチェなんですが(笑)。
 そんな感じで片思いなラナを書いてみました。実質は限りなく両思いなんですけどね。双方向片思いみたいな感じで。セリラナってぱっとくっついてしまうのか、最後までなかなか思いを告げられずにいるのかのどちらかと思います。個人的にはゲームの6章で成立するのでぱっとくっついてラナに幸せになって欲しいですv

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