『NOW』


 

 淡いブルーが吸い込まれそうなほどに美しく広がっていた。
 青い空だった。久しぶりに晴れた空を見た。
 先日まで居たのは雪の国、イリア。これからベルンに向けて、本格的な攻略が始まるのだ。
 ベルン本国に入ってしまえば激戦は避けられないのだろう。だが、まずはエリミーヌ教団と合流する手筈になっている。
 本戦までには、まだ心の準備をする余裕があった。
「クラリ〜ネ〜!」
 元気の良い声が聞こえてきて、金色の髪の少女は長いポニーテールを揺らしながら振り返った。向こうで弓を抱えた、おかっぱ頭の少女が手を振っている。
「ドロシーさん!その格好……これから弓のお稽古ですの?」
 弓に矢筒を背負ったドロシーの姿を見て、クラリーネは少しため息をつく。
 彼女は元気が良いし、明るくていい子なのだが、なかなかレディらしくさせるのは難しそうだ。レディならもう少しおしとやかに振舞ってもらわなければ。
 だが、にこにこと嬉しそうなドロシーが誰と弓の稽古をしようとしているのかは、クラリーネにも分かっている。
「……本当、ドロシーさんの弓のお稽古でしたら、お兄様を貸して差し上げますのに……なんだってあんなに無口な人が宜しいのかしら」
 クラリーネからすれば、弓の名手といえば兄のクレイン以外に他ならない。同じスナイパーのドロシーがクレインに憧れるのであれば納得なのだが、彼女が弓使いとしているのはサカ出身の無口な青年である。素敵なお兄様とシン。その差は考えるまでも無い。
 そんなクラリーネの言い分にドロシーがそんなこと無いと首を横に振る。
「そ、そりゃ確かにシンさんはおしゃべりではないけど…本当に弓の腕が凄いんですよ!本当に!」
「分かってますわよ。ちゃんとお話できるようになって良かったですわ」
 必死でシンの弁護をするドロシーに、クラリーネは微笑む。
 憧れを抱いた経緯はよくは知らないが、彼女がシンと接触を図ろうとして結構な時間が経っていた。まともに話せるようになったのはわりと最近なのだが、それ以降、暇さえあればドロシーはシンに弓を教わっているらしい。
 クラリーネから見れば、ドロシーの弓の腕がシンに劣るとも思えないのだが、弓使い同士にしか分からない何かがあるのかもしれなかった。
「……クラリーネは、これからどうするの?」
 どうも彼女にからかわれている事に気がついたドロシーは話をクラリーネに摩り替える。だが、彼女はそれに対してさして気に留めることなく、魔導書を見せた。
「セシリア様にちょっとご指導していただこうかと思っていますの。
 同じヴァルキュリアですし、私もこの先も皆さんとご一緒に戦場に立つつもりですから」
「……セシリア様かあ」
 ドロシーはごくっと息を呑む。エトルリアの魔導将軍であるセシリアは、ドロシーからすれば眩しい存在だ。だが、エトルリアの貴族であるクラリーネにとってはそこまで緊張する相手でもないようだ。
「でも、クラリーネも一緒に戦うんだ。さらに心強くなるね」
 嬉しそうに微笑むドロシーにクラリーネは少し表情を固くした。
「……ドロシーさんは、戦場では不安ではありませんの?」
「私?そりゃあ怖くないって言ったら嘘になるけど…シンさんは傍に居てくれるし、むこうでは神父様が居るって思うと安心するから。それにクラリーネも居るんだったらもっと心強いかな」
 クラリーネの問いにドロシーは少し困った顔をしたが、すぐにそう答える。
 傍に信じている人達が居るのは精神的にも大きな支えだった。
 だが、クラリーネはまた少し寂しそうな顔をした。
 そこでどうして彼女が寂しそうな顔をするのか分からずドロシーは首をかしげる。
 彼女の兄はペースを崩されながらも、妹を大切にしているし、傍から見ていても羨ましいくらい仲が良い。それに彼女には他にも好きな人がいるはずで……。
 ここまで考えて、ドロシーはある事に気がつく。
 そういえば、先日までクレイン以上に聞かされていた相手の話をここ二、三日、聞いていなかった。何かあったのだろうか。
「どうしたの?何かあった?」
 ドロシーが心配そうに尋ねてくるのを見て、クラリーネは慌てる。プライドの高い彼女は、心配をかけるとかそういう事は嫌うのだ。
「な、なんでもありませんわ!」
 そう力一杯否定してから……再び塞ぎがちになる。
 いつもの彼女らしい覇気が無くて、ドロシーもどんどん心配になった。
「……私、文句言ってきます!」
 ドロシーがぐっと拳を握る。その表情は真剣そのものだ。だが、それを見てクラリーネは慌てた。
「ち、違います!あの方は関係ありませんわ!
 ただ……」
 そこまで言って、クラリーネは再び言いよどんだ。小さな声で弱弱しく続ける。
「……ただ、国の差を感じただけですわ。
 あの方にはクレイン兄様がそうであるように、守るべき主君が居て……そして私は他国の姫。
 どんなに望んでもあの方は私の騎士にはなりませんし、いつかはそれぞれの国に帰る運命ですわ。
 少しだけ、この気持ちをどうして良いのか悩んでいるだけですから」
 いつも元気の良いクラリーネらしくない、落ち込んだ様子だった。ドロシーもここまで元気の無い彼女を見るのは初めてで、どうして良いのか分からず困った顔になる。
 何かあったのだ、それは確かだろう。だが、それが何であるのか理解するのは難しい。
 しかし、元気の無いクラリーネを見るのは辛かった。
 かけるべき言葉に悩む。こういう時ばかりはサウルのような人が羨ましい。いつも女の子を見つけては口説いてまわっているが、あれくらい口が上手ければ慰めるのも容易いのだろう。
 ……かといって、サウルにこの話をしてみたところで解決策が出てくるとは思えない。むしろややこしくなるだけだろう。
「ドロシー」
 誰かが自分を呼ぶ声がする。慌ててドロシーはその声の方へ振り返った。
 切れ長の目に大きな緑色のバンダナと特徴的な民族衣装。その姿を見て、ドロシーは本来の目的を思い出した。
「あ!シンさん、ごめんなさい!」
 そう、これからシンと弓の稽古をする約束になっていたのだ。だが、今はそれどころでは無い。ドロシーはクラリーネの方を見た。
 だが、クラリーネはいつもと変わらない顔に戻って、シンとドロシーを代わる代わる見るとにっこり笑った。
「ほら、ドロシーさん。無口なお兄さんが呼んでいますわよ。いってらっしゃいな。
 私はセシリア様の所に行く事にしますわ」
 そう言ってクラリーネはドロシーの背中を軽く押すと、笑顔で手を振りながらその場を去っていった。
「ク、クラリーネ!」
 ドロシーは呼び止めようとするが、その後に続けるべき言葉が見つからず、そのまま言葉を飲み込んでしまう。こういう時はやはりサウルのような口達者ぶりが羨ましい。
「……何かあったのか?」
 ドロシーの様子がおかしいのに気がついたのか、シンは彼女と去っていったクラリーネの方を見て、そう言った。ドロシーとクラリーネの仲が良いことはシンにも分かっている。だが、喧嘩したわけでも無さそうなのにドロシーは元気がないようだった。原因がクラリーネにあるのだろうという事は想像がつくのだが。
 シンの問いにドロシーは顔を上げる。
 サウルとはまた全然違うタイプの人だが、落ち着いていて冷静に物事を考える思考回路はサウルとシンは似ているとも言えた。
 サウルに相談すれば、事がややこしくなりそうだが、シンならばその心配はほとんどないだろう。ドロシーは思い切って聞いてみる事にした。
「あの……クラリーネが元気なくって。
 ……あの……シンさんが他の国の人を好きになって……離れ離れになってしまうとしたらどうします?」
 ドロシーはおそるおそるそう尋ねる。シンはその問いの真意を図りかねるような顔をしたが、すぐに答えが返ってきた。
「連れて帰る」
 その答えにドロシーは目を丸くする。
 確かに……確かにシンならやりかねない気がする。だが、求めている答えとはかけ離れている事だけは確かだ。
 それに対してどう答えるべきなのか、ドロシーはさらに困ってしまった。
「え〜っと、その……そうじゃなくて……そう出来ないというかなんというか……」
 上手く言葉の見つからないドロシーにシンは呆れたような視線を投げかけた。
 そして彼女の頭の上に、その大きな手をぽんと乗せる。
「俺とお前も異国の人間同士だが、いずれ別れが来るのだから付き合いはやめようとかそう考えるか?」
 そう問われて、ドロシーは慌てて大きく首を横に振った。
「そ、そんなことないです!
 私、シンさんと一緒に弓のお稽古をするのも、お話しするのも楽しいです!止めたいなんて考えた事無いです!」
 必死で言うドロシーに、シンはふっと優しく笑った。
「俺もそう思っている。
 大事なのは未来じゃない。今、こうしている時間が大切なんじゃないのか?」
 そう言われて、ドロシーはハッとなった。
 求めていた答えがそこにあった。
 クラリーネに言ってあげたかった事はそれなんだと気がついた。
 さすがシンさんだ。
 ドロシーはぐっと拳を握る。思い立ったらすぐに実行が一番だ。
「シンさん、ありがとうございます!
 私、クラリーネにそう伝えてきますね!」
 そう言うが早いか、ドロシーはシンの元を離れるとクラリーネが向かった方角へと駆けて行った。
 そんな彼女の後姿をシンは苦笑しながら見送った。
 本来なら一緒に稽古の予定だったのだが、予定が随分と変わってしまった。
「あら、ドロシーは居ないの?」
 これからどうするか考えている時に、別の声が馬の足音と共に聞こえてくる。その聞き慣れた声の方に向き直り、シンはその人物を見上げた。
 長い緑の髪に赤いバンダナ、彼の護るべき人が彼女である。
「いえ、今日はお流れになったようです」
「そう、今日の稽古は私達も一緒に混ぜてもらおうと思ったのだけれど……」
「私…達ですか?」
 スーだけでなく他にも誰かが来る予定になっているらしい。問うたものの、その相手は誰だかなんとなくは検討がついている。
 スーは馬から下りると、シンに頷いた。
「ええ、ウォルトも誘ったの。一緒にシンの邪魔でもしないかって」
「…………」
 邪魔をしに来たというスーに、何て答えてよいのやら分からないシンは黙り込む。だが、そんな彼に構うことなく、スーは困ったような顔をした。
「せっかく邪魔しに来たのに、シンが振られてしまったのなら意味が無かったわね。
 どうしたの?嫌われるようなことでもした?」
「……別れの話を少し……」
「別れ?」
「この戦いに勝てば、皆、散り散りになります。そんな話を少し」
 シンも気にしているようだった。確かに皆とは別れが来る。
「シン、ドロシーならお持ち帰りでいいんじゃないの?」
 やはりスーもサカの人間だ。自分と同じ事を言うので、少しおかしかった。
「す、すいません、遅れてしまって!」
 大きく肩で息をしながら走って来たのはウォルトだった。
 なるほど。スーのお気に入りだから誘ったのか。シンにも納得がいく。
「ど、どうされたのですか?お二人とも、とても真剣なお顔をされているようですが」
 ウォルトの言葉にスーはくすくすと笑う。
「まだ勝ってもいないのに、この先の別れを考えている人がいる。それだけ」
 ウォルトは、ああ、なるほど、と答えた。
「スーさんと、シンさんは、やはりサカにお戻りになられるのですか?」
 ウォルトの言葉にスーはちょっと、ひっかかったようだ。
「私は、帰るか、ウォルトについていくか、悩んでいるところ」
「え、ええ?!」
「私が一緒なのは不満?」
「い、いえ、とんでもないです!
 あ、あの、なんでそんな話になったんですか?」
 ウォルトが必死に話をそらそうとしているのが分かったが、シンは簡単に説明する。
「……つまり、ドロシーさんがクラリーネ様を心配している、と」
「ああ、そうだ。詳しくは分からないが」
 ウォルトは考える仕草をする。何か思い当たる事があるのだろうか。
「……うん、やっぱり、そうだな」
「何か思い当る事があるの?」
 スーの質問にウォルトはコクンと頷く。
「ちょっと、行ってきますね。
 おそらくクラリーネ様は悲しがられたと思いますから」
 そう言うとウォルトは本陣の方に走っていった。
「困ったわ、私とシンだけになってしまって」
 スーはシンを見てため息をつく。貴方の顔は見慣れているわ、そう言わんばかりに。
「シン、なんだか面白そうだから、私、ウォルトの所に行ってみるわ。
 あなたもドロシーの役に立ってきなさい」
 そう言うとスーは本陣に向かって馬を駆る。
 残されたシンは困ったような顔をしたが、ドロシーが走り去った方へと馬を駆ったのだった。


「え、ランスさん、いらっしゃらないんですか?!」
「うん。用があるって、少し前に出て行ったんだ」
 ウォルトはロイとリリーナの元に来ていた。
 多分、クラリーネ姫が元気が無いのは、ランスのせいだろう。
 そこまで読んできたウォルトだが、肝心の本人がいなければ話にならないだろう。
「ねえ、ウォルト、それってランスの恋愛関係じゃない?」
 わくわくした顔でリリーナが話に潜り込んでくる。
「え?ええ、多分、そうじゃないかと……」
「やっぱり!ふふ、ランスもお固い顔をしているのに、なかなかやるわね」
 嬉しそうなリリーナにウォルトもロイも頭をがっくりと下げる。
「リリーナ、それ多分、逆」
「なによ、ロイ。自分の臣下のくせに、喜んであげないの?
 最近アレンとティトが良い感じになってきて、応援してるのに、ランスはそんな話、全然出てこなくて不思議だったのよ」
 リリーナの言い分は尤もなのだが……相手はランスなのである。ランスに浮いた話が出ないのは、単純にランス自身の問題だった。
「リリーナ、実はクラリーネから、ちょっと相談されたんだ」
「何?ロイ、何か知ってるの?」
 ロイの言葉にリリーナが飛びつく。それにロイは苦笑した。女の子は恋の話が大好きだと改めて認識した。
「ランスを、可能なら、クラリーネの護衛にして欲しいって」
「あ、ランスのお相手ってクラリーネなんだ。へー、それでそれで?」
「僕も、クラリーネの傍に誰か護衛をつけたらって思ってて……それならって、さっき、ランスにその話をしたんだ」
「うん、それで、それで?」
「んー、まあ、平たく言うと『ロイ様のご命令であれば』っていう感じでね」
「ランスさん、多分、恋愛にうといんですよ」
「ウォルトも疎いと思うけど?」
 いきなり別の声が降って来た。いつの間にか、スーまで輪の中に入っている。
「ス、スーさん、稽古は?」
「後回しね。それより、こちらの方が面白そう」
「ちょっとちょっと、まだ話終わってないから静かにして!」
 ウォルトとスーにリリーナの静止の言葉が飛んでくる。
「で、ロイ、どうなったの?」
 わくわくした顔で聞いてくるリリーナに苦笑しながらもロイは話を続けた。
「うん、命令だったら受けるって感じだったんだ」
「……そうか。最近クラリーネが元気が無くなってたけど、そんな事があったんだ」
「うん。多分、クラリーネはランスの事が好きなんだと思う。
 でも、ランスにとっては恋愛よりも君主の命が大事なんだ」
「クラリーネ様、可哀そうですよね……」
「そうね、いかにもランスって感じだけど……ちょっと可哀そう」
 その場にいた全員がクラリーネが気の毒だと思った。
 好きな人が出来て、その人は君主だけを見て、自分を見てくれない。それは、とても悲しい事だ。
「で、そのランスはどこに行ったの?」
 スーが冷静に言葉を零す。
 そう、ロイの命を受けてクラリーネの護衛になる。その事が決まったランスはどこへ行ったのだろう?
「あ、もしかして」
 リリーナが何か思いついた声を上げた。
「ランス、クラリーネの所に行っているんじゃない?」
 ああ、なるほど。
 一同はリリーナの言葉を肯定する。
 確かにランスの生真面目な性格からして、それは間違いないだろう。
 しかし、問題がある。
 ランスがクラリーネになんと言うかだ。
 きっと……きっと「ロイ様の命により……」とか言うのだろう。
「ねえ、思い切って、ランス、捕まえちゃわない?」
「捕まえてどうするの?」
 リリーナの提案にロイは乗り気ではない言葉を返す。
「クラリーネをどう思っているのか問いただすのよ!じゃないと、クラリーネが可哀そうじゃない!」
 それはその通りなので、一同は黙りこむ。
 問題は、どうやってそれをすればいいのか、だ。
「私は自然に任せた方がいいと思う」
 そう口にしたのはスーだった。サカの人々は独特な考え方を持っている。そして自然を大事にしている。
「……そうかもしれないね」
 ロイがそれに応える。リリーナも先程までの勢いが無くなっていた。
「……見守るしか……ないんだ」
 本当に元気のないリリーナの声だった。
 リリーナはロイと両想いになってから、恋する女の子の気持ちがどんどん分かるようになっていた。
 だけど、クラリーネは、あまりにも可哀そうすぎて……。
「ロイ、やっぱり、お節介かもしれないけど、ランスに文句言ってくる!」
 リリーナは、すくっと立ちあがる。それを、慌ててロイが止める。
「リリーナ、気持ちは分かるけど、当人達の問題だし。
 それに、ランスにはもう一つの事を言ってある。
「もし、クラリーネがその申し出を受けなかったら、ランスはクラリーネに近づかないように言ってある」
「な、何よ!どういう事?!」
「……多分ランスもクラリーネの事を好きなのだと思うんだ。だけど、ランスは僕達の国を護りたいんだろう」
「……そうかもしれませんね」
 ロイの言葉にウォルトも同意する。確かにランスはそういう人間だ。生真面目で自分の心を殺して。
「……持ち帰ればいいのに」
 そう言ったのはスーだった。
「も、持ち帰り?」
 リリーナはスーの言葉に驚く。そんなことまでは考えていなかった。
「サカでは気にいった相手はお持ち帰りだな」
 淡々をそう言うスーに一同は真っ赤になる。サカの風習なのだろうか……。
「クラリーネがランスを好きなのは目に見えて分かる。多分、ランスも気付いているだろう。それを、身分とかなんとかいって誤魔化しているだけだ。私にはそう見える」
 さらっとスーは確信をついてきた。
「私には身分というものがあまり分からない。だが、両想いなのなら、結ばれていいと……そう思う」
 真面目な顔でスーはそう言った。
 それは確かに間違いない事である。
「……じゃあ、僕達はここで結果を待つしかないんだね」
「そういうことになりますね」
「クラリーネ、凄い可愛いのに、振ったら私、呪ってやろうかしら」
「リ、リリーナ、まだ決まった訳じゃないから……」
 リリーナはため息をつく。でも、これは当人達にしか分からないものだから。
「ク、クラリーネが泣いて帰ってきたらランス突っ込みまくるんだから!!」
「リ、リリーナ、ちょっとそれ、やりすぎ…;」
「何よ、その言い方。そう言うとロイも共犯?違う違う違うでしょ!違う、神に誓って」
「神に誓って……違います」
 リリーナに圧倒されて、ロイもたじたじになる。そんなロイを見てから、リリーナは大きなため息をついた。
「本当に待つしか無いようね」


 一方のクラリーネは陣地から少し離れた湖に来ていた。水面に自分の姿がゆらゆらと揺れている。
 ドロシーにはセシリアに会いにいくと言ったものの、魔法を習う余裕が無かった。
 どうして、あの人は……いや、ああいう人だから好きになったからかもしれない。
 自分から、告白した所で、あの人はエトルリアには来てくれないだろう。その逆も難しい。姫と騎士なのだから。
 ……それにあの人は誰が好きなのか分からない。いや、誰にも好意を抱いていないのかもしれない。
 カカッと馬を駆る音が聞こえる。誰なのかと振り返ると、クラリーネの想いの人が来ていた。
「クラリーネ様、お探ししておりました。こちらにおられたのですね」
 ランスがいつも通り、礼儀正しく話しかける。それがクラリーネには辛かった。
「ランス……どうなされたのです?」
「クラリーネ様にお話をしなくてはいけない事がありまして……」
 なんだか気まずかった。クラリーネは真っ直ぐにランスの事が見れない。
 そしてランスは何故、彼女が悲しい顔をしているのかが分からなかった。
「……私にお話があっていらしたのでしょう?なんですの?」
 やっと、クラリーネが重い空気を破るように、そう告げる。
 ランスは馬から降りると、クラリーネに一礼した。
 欲しいのは、そんなことではない。クラリーネの胸が痛くなる。
「……クラリーネ様?」
 ランスはクラリーネの様子がいつもとは違うので、心配そうに声をかけた。それにクラリーネは気丈に振る舞う。
「私になんのご用なのですか?」
「は、はい。クラリーネ様は今後、前線にいらっしゃるのですよね?」
「ええ、そのつもりですけど……」
 クラリーネはなんとなく分かって来た。ランスが自分の所に現れたのか。
 駄目で元々と思って、ロイに頼んだ事を、思い出す。
 ……ああ、だからランスは自分の前に現れたのだ。
「クラリーネ様お一人だと危険です。歩幅があう私が護衛致します」
「……それはロイ様のご命令?」
「……ええ、そうですが、何か?」
 クラリーネの反応に、ランスは少し驚いた顔をした。
 ああ、やっぱり、と、クラリーネは思う。彼はロイの命令でしか動かない。
 自然と涙が流れるとめどなく流れる。止める事が出来なかった。
「ク、クラリーネ様?!」
 ランスの驚く顔が涙で歪んで見える。泣くのは止めないと……。そう思っても涙があふれる。
「クラリーネ様……」
「馬鹿ですわ、ランスは馬鹿ですわ。私の気持ちも知らないで……」
 涙ながらに、なんとか口にした事は憎まれ口だった。でも、今のクラリーネにとっては、それはとても重要な事だった。
 ランスがあたふたしているのが分かる。「クラリーネ様」と呼ぶ声も聞こえる。でも涙は止まらない。
 ランスは悩んだ末、クラリーネを抱きしめた。
「ラ、ランス?!」
 想像もしなかったランスの行為。だけど、クラリーネにとってはとても嬉しいものだった。
「泣かないで下さい、クラリーネ様。これからは私がお傍におります。ですから、もう泣かないで下さい」
「……でも!」
 クラリーネはランスの胸を叩いた。
「貴方はどうせ、私の前から消えてしまうのですわ。戦争に勝ったって、貴方はいなくなってしまうのですわ!」
 それはクラリーネに出来る精一杯の事だった。
 そんなクラリーネに、ランスは優しく微笑む。
「クラリーネ様。未来はまだ誰にも分かりません。だから、今は私をお傍に置いて下さい」
「ロイ様の命令だから?」
 涙が零れたままのクラリーネはそう問う。そんなクラリーネにランスは彼女の額に軽くキスした。
「ロイ様のご命令ですが、私自身も貴女のお力になりたいと……そう思うのです」
「それは本当なのですか?」
「はい。神に誓って」
 その言葉を聞いてクラリーネはランスに抱きつく。
 まだ、きっと色々あるだろう。辛い事も沢山あるだろう。
 だけど、ランスが……ランスが傍にいてくれる。
 今だけかもしれない。だけど、今は傍にいてくれるのだ。この時間を大切にしたかった。
「私も貴方がいてくださるのなら、こんなに嬉しい事はないですわ」
「……ありがとうございます。姫」
 そして二人はゆっくりと身体を離す。
 今思うと随分恥ずかしい事を言ってしまったが、それでも、やっと二人の心は重なった。
 それはクラリーネにとっても嬉しい事だった。……ランスもそう思ってくれていたら、最高に嬉しいのだが、さすがに聞けなかった。
 でも、これからはランスが傍にいてくれる。自分自身でも傍にいたいと言ってくれた。それはクラリーネにとって、宝物だった。
 やっと、最初の一歩を踏み出せた。


 そして、そんな彼らを見つめるドロシーとシン。
「……良かった。クラリーネ、幸せそう」
「……では、稽古に戻るか」
「あ、はい、シンさん……」
 突然黙ったドロシー。シンはなんとなくその後ろを振り返った。
 ……違う所でリリーナ達が、やっぱり隠れるように見ていた。
「あたしたちだけじゃなかったんですね」
「……そうだな」
 ドロシーは親友の恋の成就が嬉しくて、シンに、にっこり笑った。
 シンもつられて少しだけ微笑んだ。
「何を楽しそうにしているの?」
 突然のスーの声に、シンもドロシーもびっくりする。
 隣にはウォルトもいた。
「ど、どうされたんですか?」
 ドロシーの問いにスーは頷く。
「まあ、解決したようだから。弓の稽古に戻ろうかと思って」
「そういう訳で宜しくお願いします」
 堂々としているスーの横でウォルトがいる。
 向こうも同じ結論に至った事を知って、シンとドロシーは微笑み合ったのだった。


 もう一方の隠れている人々。
「……ねえ、ロイ」
「うん、なんなんだい、リリーナ」
「今日はお赤飯よ!!」
 リリーナの意気込みに、ロイは苦笑するしかなかった。


終わり。


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初めての封印です。ランスvクラリーネなんですが、私の趣味でロイリリ・シンドロ・スーウォル
が入っておりますが(^^;
この二人には個人的に幸せになって欲しいので、ランvクラ応援中です。

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