『笑顔を君に』


 彼女はしっかりしているけれど、少しぼんやりしている所があった。
 いつも隣にいるのは僕ではなくて、彼女を溺愛しているラクチェだったけど、遠めに見ている時も、時々話すときも、ちょっとびっくりした顔をしてはにかんで笑う姿が可愛らしく思えた。そう、一番年下の彼女らしいしぐさだった。
 だけど、そんな彼女の様子が変わったのは最近の事。ぼんやりしている事が特に多くなった。驚き方も、以前のものとは変わっていた。
 その変化に気付いてはいた。それがどうしてなのかも僕は気が付いていた。
 だけど…僕はどうしてやることも出来なかった。それは、僕自身も酷く不安だったから。
 心預けられる人の不在というのは、なんとも心細いものだ。無意識にその人を探してしまう。そして、居ない現実に気が付くのだ。その寂しさは言葉に出来なかった。
 きっとそれは彼女も同じなのだろう。
 だけど、自分の寂しさもぬぐえない僕に、誰かの寂しさをぬぐってやれるとは思えなかった。


 小鳥がさえずり朝の唄を楽しそうに歌っている。その歌声に誘われるようにしてセリスは外に出た。
 朝の風は冷たくて、思わず身震いする。今日の風は一段と冷たく感じた。
 見上げると青い空が広がっていた。気持ちの良いくらいの青空。
 オイフェ達もこの空を見ているのだろうか。
 セリスはそんな事を思った。
 彼等が旅に出てから数週間が経っていた。少しずつだが、彼等の居ない生活にも慣れ始めてきていた。家族と呼べる人達が欠けて、誰もが寂しさを抱えていたけれど、それを皆心にしまっていた。
 少し、寂しさにも慣れてき始めていた。あまり慣れたいという思いでも無いけれど、このままよりはましだと思うからだ。
 それにこの空を彼らも見ているのだとしたら、繋がっているような気がした。遠く離れても一緒に居るような気持ちになった。これは少し大人になったという事なのだろうか。
 セリスは思いっきり身体を伸ばすと、屋敷のほうに身体を向ける。そろそろ朝食の支度をするために皆も起き出して来ているだろう。
 戻ろうとするセリスの方に後ろから誰かが走ってくる音が聞こえた。セリスがその人物を確かめようと振り返るのと同時に、その誰かはセリスの服を後ろから掴み叫んだ。
「……兄様……!」
 その言葉にセリスは目を丸くした。
 自分の服を掴み、セリスに兄様と言ったのは小柄な金色の髪の少女。必死の表情をしていた彼女はセリスの顔を見て、はっとした顔になった。慌ててセリスから手を離すと、頭を下げる。
「……セリス様!……ご、ごめんなさい!」
「いや……、別にそれは……」
 それは構わない、そう言おうとしたセリスは、頭を上げたラナの顔を見て言葉を失ってしまった。
 彼女は泣いていた。
 それに気が付いたのだろうか、ラナは慌てて顔を隠す。そして、そのまま走り去ってしまった。
 セリスは彼女を呼び止めることも、声をかけてやることも出来ず、その後姿を見送った。
 髪の色が良く似ているせいで、ラクチェとスカサハみたいに双子でも無いのに、たまにセリスはレスターと間違われることがあった。歳も近かったから背の高さもある程度の歳になるまではあまり変わらなかったから余計だろう。今はレスターの方がひょろりと背が高くなってしまって間違われるなど無かったのだが。
 それに……今、このティルナノグにレスターは居ないのだ。
 居ない人と間違える。それは彼女が必死で居ない人を探していた事を意味していた。
 そして、相手がセリスだと気が付いて、現実に気が付いたのだろう。
 ラナの精神状態を狂わせているのはレスターの不在である事は誰もが気が付いていた。
 レスターは優しい兄であり、ラナとの兄妹の仲は誰もが羨むくらい良かった。優しい兄の不在はラナにとって不安を抱かせるのだろう。もしかしたら帰ってこない父親と同じように兄が戻ってこないのではないかという不安にかられているのかもしれない。
「……ラナ」
 どうしたら良いのだろう。考えてみればこうしてラナが明らかに混乱を見せたのは初めてのような気がする。
 一番年下である意味甘え放題であるはずの彼女は非常に気丈で泣き言など言わない女の子だった。初めて見る彼女の姿にセリスはどうにかしてやりたかった。すこしでも安心させてやりたかった。自分は少しずつではあるが、この寂しさから抜け出せてきている。彼女にもそうなって欲しかった。
 とは言ってもどうして良いのかも分からない。
 しかし、セリスの頭からはラナの泣き顔が離れなかった。彼女に何かしてやりたかった。


「……ええと、これと、これ。よし、これで全部だ」
 その日の午後、セリスは一人台所を占拠していた。台所の机の上には小麦粉やら卵やらバターやら並んでいる。さらにはボールや天板までもがぞろぞろと並べられていた。
 セリスは小さな紙とにらめっこをしながら机の上に乗っているものを確認していった。
 紙には綺麗な字で細かにこれからすべき事が書かれている。本当に綺麗な字だとセリスは思った。
 この紙を書いてくれたのはエーディンである。
 ラナになにかしてやりたいと考えたセリスは、いつも自分が彼女にしてもらっていることを思い出したのだ。
 何か仕事をしていたり大変な時に彼女はセリスのためにお茶を入れてきてくれたり、差し入れを作ってきてくれた。それはとても嬉しいことだった。
 だったら、今度は僕の番だ。
 そうセリスは考えたのだが、料理といっても手伝うくらいしかしたことの無いセリスにはなかなか難しい話だった。
 だが、どうしても作ってやりたかった。ラナが少しでも元気になって欲しかった。そして、どうせ作るのであればラナが大好きな甘いものをつくってあげたかった。
 そして、エーディンから聞き出したのがカステラの作り方だった。エーディンは結構難しいからついていてあげましょうか?と言ってくれたのだが断った。どうしても自分ひとりで作りたかったのだ。
 代わりにラナが台所に近づかないようにと頼んで、こうして一人で挑戦しているのだ。
「……えっと、まずは卵……」
 卵を割り、泡立て始める。これが一番大切だと書かれているから頑張らなくては。
 セリスが必死で卵を泡立てていると、こちらを不思議そうな顔で見ている人物が居る事に気が付いた。
 その人物は明らかに何故セリスが居るのかという顔をしている。きっと、普段ここによく居るラナを探しに来たのだろう。
「……な、何してるんですか、セリス様」
「カステラ作ってるんだ」
「だ、だから…なんでカステラ作ってるんですか!」
 淡々と答えるセリスに相手の少女は、聞きたいのはそれじゃない!といった口調で問いただしてくる。だんだんイライラしてきているようだ。
 セリスはちょっとバツの悪そうな顔をした。ここで目的を話しても良いのだが…相手が相手なので悩む。きっと言ったら次に出てくる言葉は決まっているからだ。
「セ〜リ〜ス〜さ〜ま〜?」
 だんだんと彼女の目が据わってきた。形相が恐ろしくなってきたので、さすがのセリスも黙ることをやめて観念して告白した。
「ラナにカステラ食べさせてあげようと思って。
 元気ないでしょう?だからちょっとでも元気になって欲しいなって思ってね」
 セリスの言葉に彼女は最初ぽかんとして聞いていたがだんだん顔が引きつってきた。
「…………るい」
「……えっと、ラクチェ?」
「……ずるい!セリス様だけラナにカステラ作るなんて!!
 私もラナにカステラ作る!!」
 ガッツポーズでラクチェはそう宣言した。予想通りの展開にセリスはため息をつく。
 僕だってどうなるか分からないカステラなのに…ラクチェが作ったらどうなるんだ?
 どうしようもない不安が襲ってきたが、ラクチェはやる気満々だ。さっそく余っているボールを取ると、さっさと卵を割り始める。そして、そのまま卵の上に砂糖を投入し、そのまま小麦粉を入れようと……。
「うわ〜?!待った〜!!」
 あまりにも豪快なその行動にセリスは慌てて止めに入る。だが、止められた本人はきょとんとした顔をした。
「カステラってこの材料を全部混ぜたものでしょう?」
「そうだけど…!順番ってものがあるんだって!
 ほら!エーディンさんに教えてもらった作り方!!」
 説明しても無駄だと分かっているセリスは必殺技としてエーディンのメモを突きつける。セリスが説明するよりラクチェが信用するのは間違いない。
 その通りで、エーディンの名前が出てきたラクチェは目の前に出されたメモを読む。
「……本当だ。砂糖、もう入れちゃったよ、どうしよ〜……!」
「小麦粉入れるとき混ぜすぎるなって書いてあるから…そのまま泡立てるしかないんじゃない?」
 卵と砂糖が豪快に放り込まれたボールを見てラクチェが慌てる。それをセリスはため息をつきながらそう答えた。失敗したからといって貴重な食べ物を無駄にする訳にはいかないのだ。
「う〜〜〜〜〜!!いいもん、頑張ってセリス様より美味しいカステラにしてラナに喜んで貰うんだから!!
 負けないからね、セリス様!!」
 ラクチェはもうどうしようもないと諦めたのか、それとも開き直ったのか、セリスにそう宣戦布告する。何故かセリスは事あるごとにラクチェにライバル視されているような気がするのだが、原因はよく分かっていなかった。だが、もう彼には慣れっこになってしまっていたので苦笑する。
「はいはい。僕も負けないからね」
「その言葉、後悔させてやるんだから〜!」
 そう言うとラクチェは力任せに泡立て始める。それを見て、セリスもラクチェに負けじと泡立て始めたのだった。


 オーブンにカステラを入れて焼き上がりを待っている時間、セリスとラクチェは共にオーブンの傍から離れようとしなかった。競争していたとは思えないくらい、二人共自分のカステラに自信が持てなかった。その不安がそこから離れさせないのだ。
「……ねえ、ラクチェ」
 セリスはポツンと話しかける。ラクチェが気が付いていないはずは無い。
「……ラナはやっぱりレスターが心配なのかな」
 セリスの言葉に、オーブンとにらめっこしたままでラクチェは頷いた。
「でしょうね。何だかんだ仲が良かったもの。
 ……本当、レスターが羨ましかったからね、あの兄貴の座」
 椅子の背もたれに肘とあごを乗せ、オーブンからは目をそらさないままラクチェはそう答えた。ラクチェがレスターを羨んでいる事はセリスも知っていた。それがラナを大切に思うが故にもたらされている感情であることも承知している。
 ……つまり、ラナが誰より好きだと思っているラクチェから見ても彼等の繋がりはとても深かったということだ。
「……夢を見るんだって」
 ラクチェは一人ごちのような感じで呟く様に言った。
「夢?」
「うん。レスターがね、呼べば呼ぶほど遠くに行っちゃうんだって。追いかけようとしても、どうしても動けないんだって。そこで目が覚めるみたい」
「……そうか」
 ラクチェの話を聞いて、セリスは今朝の出来事に納得がいった。
 ラナは追いかけていたのだ。兄を。
 夢の中では動けなかったのに動けたから必死になって追いかけたのだ。
 だが、夢では遠くに行ってしまう兄はそこには居なくてセリスだった。
 そこでラナは現実に気が付いたのだろう。夢でも現実でも兄には決して会えない事を。
 兄弟の居ないセリスには若干分かりにくいところはあった。血の繋がりというのはまた違ったものだったからだ。セリスにとって皆は家族で兄弟のようであるけれど、レスターやラナ、スカサハやラクチェに感じるような『似ている』ものは無かった。強いて言えば遠縁に当たるオイフェに癖が似ていることに気が付いて密かに喜んだものだが。
 ラナの気持ちを全部分かってやることは出来ないけれど、その不安を払ってやれればと思った。きっとラクチェも同じ気持ちなのだろう、彼女は難しい顔をしていた。
 ああ、だから彼女はセリスがカステラをラナに作ると聞いて余計に躍起になったのだ。何をしてあげればいいのか分からないのはラクチェも同じなのだ。
 セリスはため息をついた。
「……ねえ、ラクチェ。
 ラクチェはレスターが心配?」
 その言葉にラクチェはやっと振り返り、セリスの顔を見たが難しい顔になった。
「……セリス様はどうなんですか」
 逆に質問されてしまってセリスは苦笑する。レスターについてはラクチェも複雑な思いを抱いているらしかった。
「僕は……あんまり心配していないかな。
 彼はしっかりしているし、何でもこなしてしまうし」
「そうですか?!」
 セリスの言葉にラクチェが急にくってかかった。
「レスターっていったら、すぐにぼんやりするし、おっちょこちょいなトコもあるし……心配するなっていう方が無理じゃないですか?!」
「……そ、そこまで酷い?」
「ええ、そうです!!」
 ラクチェは拳を握り締めてそう断言した。これはどうやらレスター心配症がラクチェにも伝染しているようだ。……それともラクチェからラナに伝染したのだろうか?
 そんなに心配するような人じゃないはずなんだけどな、レスターは。
 何故そこまで彼が心配されているのか、少なくともセリスの知るレスターはしっかり者のイメージが強いのでどうしても違和感を覚えてしまう。……確かにぼんやりしている事はしているのだが……。
「あれ?ラナかと思ったらセリス様とラクチェ……。
 二人揃ってレスターの噂ですか?」
 急に声をかけられてセリスとラクチェは声のする方に顔を向ける。そこに居たのはラクチェとよく似た顔をしている少年……スカサハが居た。
「あ〜、スカサハ!いいにおいにつられて来たんでしょ〜!」
 ラクチェがびっと指をさしてスカサハにからかうように言った。それに対して彼は苦笑する。
「そうだよ。そうしたら、変な取り合わせで……何してたんだ?」
「ラナにカステラ作ってるの!元気だしてもらおうと思って!」
 ラクチェは自慢げにスカサハに言う。それを聞いてスカサハはセリスとラクチェをかわるがわる見た。
「ずるいですよ。俺だけのけ者にして……」
 自分だってラナに何かしてあげたかったという顔でスカサハはそう言った。それを聞いてセリスは慌てる。
「い、いや…最初は僕だけで作ってたんだ。そうしたら……」
「……ラクチェが乱入したんですね」
 スカサハが呆れたようにそう言う。セリスはその言葉に頷いた。渦中の人ラクチェは悪びれた様子もなく、むしろ胸をはっている。そんな妹を見て、スカサハは余計にやれやれと首を横にふった。
「それで?どうしてレスターの話なんかになってるんです?」
「あ……その、ラナが元気無いのはレスターが心配なんじゃないかって。
 僕は彼なら大丈夫だと思うんだけど、ラクチェは心配だって言い切るし……。
 あ、スカサハはどうなのかな?」
 セリスは事の次第を説明しながら、新たな意見を聞くべく、スカサハに話しかけた。
 スカサハは急にそう問われて少し考えるしぐさをしたが、すぐに笑って返した。
「そうですね。俺は半々かな?
 大丈夫だと思うけれど、ちょっと心配かなって。
 でも、それはそれぞれ違ってて良いんじゃないですか?
 みんなそれぞれレスターを好きで、信頼してて、そして心配してて。現れ方がちょっと違ってるだけですよ。誰が正しいってことも無いんじゃないですか?」
 そう言われてセリスは納得した。そう、スカサハの言う通りかもしれない。
 人を思うのはそれぞれ違うし、感じ方もまた別だ。
 レスターなら大丈夫だと思っている自分の気持ちも真実だし、ラクチェのように心配だという気持ちもまた真実なのだ。
 だからきっとラナが抱えている不安もまた真実なのだろう。
 セリスはため息をついた。朝の出来事を思い出す。
「……僕じゃあ、レスターの代わりにはなれないんだよね」
「当たり前じゃないですか」
 さも当然、といわんばかりの顔でラクチェはそう言った。その顔は『私がお姉さんになれないんだから当然でしょう?』と言っているかのようだ。
「……そうだね、当然だね。僕はレスターじゃないものね」
 セリスはそう呟いて、その言葉をかみ締めた。
 あの時、ラナがセリスをレスターと間違えたように、そのままセリスがレスターの代わりになってやれるのなら一番手っ取り早いだろう。
 だけど、自分は自分なのだ。誰の代わりにもなれない。
「……そろそろ焼けるんじゃないですか?
 セリス様、ラナを呼んで来てくださいよ」
 スカサハが場の空気を読み取ったのだろうか、セリスにラナを呼んでくるように促した。
 セリスもその言葉に頷く。
「そうだね。そろそろ探してくるよ」
 そう言うとセリスは立ち上がり、台所を去っていった。
 後ろからはラクチェが何やらぶつぶつと言っていたけれど、今日ばかりはちょっと遠慮してもらうことにした。
 兄の代わりにはなれなくても、彼女に何かしてあげたかったし、言葉をかけてやりたかったから。
「……ところでさ、ラクチェ」
 残された双子はオーブンを見ていた。兄の呼びかけにラクチェは不機嫌そうに横に居るスカサハを見た。
「何?」
「お前、そんなにレスターが心配なのか?お前より遥かにしっかりしてるじゃないか」
 そう問われてラクチェは難しい顔をした。
「スカだって心配だって言ったくせに」
「言ったけど……なあ」
「だってレスターっていったら、すぐにぼんやりするし、おっちょこちょいなトコもあるし……心配するなっていう方が無理じゃない!!」
 ラクチェはぐっと拳を握り締めてそう主張する。それを聞いてスカサハはちょっと呆れ顔になった。確かにそれは間違っては居ないのだが、きっと彼もラクチェには言われたく無いだろう。
 だが、スカサハはそれにひっかかりを覚えた。
「……なあ、ラクチェ。それ、ラナの前で言ったか?」
「うん、言った」
 いたって明快な答えが返ってくる。それに対してスカサハはとても苦い顔をした。
 それをラナの前で言ったということは…彼女にいらぬ心配をさせている可能性もある訳で……。勿論、そんなことを妹は考えているはずも無いのだけれど。
「……ラクチェ」
「なによ」
「……それ、きっとラナの元気無い原因の一部だと思うぞ」
 スカサハの言葉にラクチェは一瞬意味が分からないという顔をした。それからその表情はさーっと血の気が引いていく。
「うそ〜〜〜〜〜〜〜?!」
「……だといいなあ」
 絶叫する妹に、兄は悲しげに呟いたのだった。


 ラナはその頃、ぼんやりと庭の木陰で思いにふけっていた。
 朝、何故セリスと兄を見間違えたのだろうか。見間違えるはずなんてないはずなのに。
 セリスとレスターでは似ているのは髪の色くらいだ。
 背も違う。髪形も違う。体格も違う。
 それにセリスは自分の大好きな人のはずなのに……。
 ラナはため息をつく。何が間違わせたのだろうか。
「……あ」
 一つだけ、思い当たることがあった。
 雰囲気が似ているといえば似ていた。優しく温かい雰囲気。傍に居ると居心地が良いあの雰囲気。
 もしかしたら、セリスを好きになったのは兄の持っている雰囲気にどこか似ているのを感じたのかもしれない。それは小さな発見だった。
 だからといって、やはり間違えるのは不自然かもしれない。それだけ不安だったのだろうか。
 とにかく心配してくれるラクチェだけには話していた。毎晩のように見る夢を。
 不安になっていた。もしかしたらまだ戻ってこない父のように兄も戻ってこないんじゃないかと。
 一緒に行ったオイフェやデルムッドはきっと戻ってくると思っているし、そう信じている。
 何故、兄だけはこんなに不安に感じるのだろうか。
 戻ってこない父を思い出すのだろうか。
 ラナは小さく震えた。そうかもしれない。
 どんなに祈っても祈っても戻ってこない父。兄は会えると強く信じているし、母もそう信じているようだ。勿論、ラナもそう信じている。
 だけど……戻ってこない現実は影を落とす要因にはなっていた。
「……父様……兄様……」
 急に不安に襲われてラナは震えた。普段はこんなに落ち込むことは無いのにどうしてこんなに不安になってしまったのだろうか。こんなに気持ちが弱くては、今の混乱した世界では生きていけないのに。神に仕える者として人を照らしていくことなど出来ないのに。
「……ラナ?」
 誰かが呼んでいる声がする。だが、ラナは怖くてその声に答える事が出来なかった。
 彼女の異変に気がついたのだろう、その人物は近寄ってくるとラナの肩に手を置いた。
 温かい手がラナの肩に感じる。この温かさは……。
「……兄様?」
 ラナは涙目のまま、顔を上げた。見上げた先に居たのは…大きな青い瞳に青い髪長い青年。その表情は少し驚いた顔をしていた。
 ラナはしばらくその顔を見てから、やっと自分の間違いに気がつく。
「……セリス……様?」
 一方のセリスはどうするべきか悩んでいた。
 庭でラナを見つけた。呼んでも返事が無かった。様子がおかしいのは分かっていた。
 だが、こうして肩に手を当てた時、彼女の肩は酷く震えていた。見上げてきたその瞳は涙で滲んでいた。
 ……ラナは滅多にこうして取り乱すことはない女の子だった。少なくともセリスの前では心配させまいとして気丈に振舞っているらしいことは知っていた。だから、こういう場面には本当に遭遇することは少ない。
 だけど、裏を返せばそういう表情を見せてくれるということは、それだけ気を張っている訳では無い証拠でもある。少なくともいつもより心を開いてくれているのだろう。無理の無い自分のままで。
 だったら、今こそどうにかしてやるべきなのだ。
 ラナはいつもセリスの事を気遣って声をかけてくれたし、励ましてくれた。疲れたときには、お茶を持ってきてくれたり、笑わせてくれたりして気持ちを緩やかにさせてくれた。
 今度はそれをセリスがしてやる番なのだ。
 いつも傍に居てくれる大切で大好きな少女のために。
 だけど……今ラナが求めているのは兄だ。セリスではない。だけど、その兄はここには居ない。だから…セリスがしてやれる事は一つしかなかった。
 それはセリスとしてラナと接してあげる事。
 セリスはそっとラナの肩を抱いた。
「ラナ……僕はね、ラナの事が大好きだよ。だから元気を出して欲しいんだ……」
 ささやくようにそうセリスは言った。突然の行為と言葉にラナは驚いてセリスを見上げようとするが、肩を抱かれているためにその表情を知ることは出来なかった。
「僕は……レスターじゃないし、彼の代わりにはなれないけど……傍に居てあげる事は出来るから。一緒に待っていることは出来るから。
 寂しいなら傍に居るよ。だから…一人で悲しまないで……」
 それはセリスが言える精一杯の言葉だった。精一杯の思いやりでもあった。
 そして……それ以上、かける言葉も無かった。してやれる事も無かった。
 ラナはこれから先もレスターを待ち続ける。それを早めてやることなんて出来ないし、レスターを迎えに行く事も出来ない。彼の代わりにもなれないし、なることも出来ない。
 出来ない尽くしの中でセリスに出来る事といえば決まっていたのだ。
 彼女の傍に居る事。一緒に待っている事。その手を握ってあげる事。こうして一人じゃないと抱きしめてあげる事。
 だから、せめてそれをしてあげようと思った。
 いつも自分を励ましてくれる彼女のために。今まで与えてもらった分を…それ以上のものを与えてあげたかった。
「……さま、……セリスさまぁ!」
 ラナは胸が一杯になって涙がこみ上げてきた。
 どうしようもなく不安だったのが…どうしようもなく寂しかったのが急に暖かなもので包まれた気持ちになった。
 ただ……一人で泣かなくて良いとそう言ってもらえた事で胸が一杯だった。嬉しいのかなんなのかさえも分からなかった。とにかく言葉に出来ない思いで一杯だったのだ。
 ラナはこみ上げてくる涙をそのままにして、セリスの胸で泣いていた。そんな彼女をセリスは優しく抱きしめていた。
 その温かさにラナは心が落ち着いていくのを感じていた。

「ラナ〜!!」
 遠くから必死で自分の事を呼んでいる声にラナは気がついた。
 ラナはセリスの胸から顔を離し、その声の主を探した。誰よりも一番近くに居てくれる人の声だった。
 顔を上げると、向こうに黒髪の少女が見えた。彼女も気がついたのか、こちらに必死に手を振って駆けて来る。
「ラナ〜!あのね、私、ラナに謝らないと!」
 ラクチェは必死で走ってくると、肩で荒い呼吸をしながらラナの顔を見た。
「……謝る?」
「そう!私、ラナを不安にさせてしまったかも……って……」
 ラクチェはそこまで言ってからラナの目が真っ赤に腫れ上がっている事に気がついた。
 その傍に居るのは……タイミングが悪いなといった顔をしているセリス……。
 そう、彼はラナを呼びにいったのに何故、ラナをまだ連れてこなかったのか。そして、ラナは目を赤くしている……。そうなると考えられる事は……。
 ラクチェは自分が謝ろうとしていた事などすっかり忘れて、怒りがこみ上げてきた。
「〜〜〜〜〜〜!!セリス様、ラナを泣かせたわね〜〜〜〜!!!!」
「え?!」
 怒りに燃えるラクチェを見て、ラナとセリスの声が合わさる。だが、すぐに状況には気がついた。確かに状況を知らないラクチェから見ればラナが泣いていた事実しか伝わらない訳だから、そういう解釈が起きても不思議ではない。
「……ラナを呼びに行く役目を譲ってあげたのに……私の可愛いラナを泣かすなんて……」
「い、いや、その……!別に泣かせたわけじゃなくて……!」
「ラナは泣いているじゃないですか!!セリス様以外に誰が居るって言うんです!!
 ふふふふふふふふふ、覚悟はいいですか?」
「だから……!違うって言ってるのに!」
 弁解もさせてもらえることなくセリスは怒りが頂点に達したラクチェに追いかけられる。
 ラナは驚いてその様子を見ていたが、必死で逃げるセリスとそれを追いかけるラクチェを見ていたら、楽しい気持ちになってきた。まるで小さな頃に戻ったみたいに感じたからだ。
「ふふっ」
 自然に笑みが零れて来る。温かい気持ちになった。
 ここには確かに昔と変わらないものがある事を感じた。
 今、兄は居ないけれど……変わらない家族ともいえる友達が居た。
 ラナは優しい笑顔で二人を見ていた。
「!ラクチェ、ストップ!」
 セリスは追いかけてくるラクチェに静止をかける。
「な、なんですか!観念したんですか?!」
「そうじゃなくて…ほら」
 セリスはラナを指差す。そしてラクチェはそれを見て、ほっとした気持ちになった。
 久しくラナの笑顔は見ていなかった。本当に久しぶりのラナの笑顔だった。
 良かった。ラナが笑ってくれて良かった。
 セリスとラクチェは顔を見合わせて笑った。
 そう、彼等が一番望んでいたのはラナの笑顔だったから。
 ラクチェはセリスを追いかけるのをやめて、ラナに走りよって抱きしめた。
「ラナ!あのね、おやつにしようよ!
 私とセリス様がカステラ作ったの!どっちのが美味しいか評価してね!」
「カステラ?セリス様とラクチェが作ったの?」
 ラクチェの言葉にラナが驚いた顔をする。彼等がお菓子作りをするのは想像していなかったからだ。驚くラナにセリスも微笑みかける。
「うん、そうなんだ。一緒におやつにしよう」
 セリスはラナの手をひく。
 ラナはその誘いに頷いた。
 引かれた手が温かかった。優しかった。二人の気持ちが嬉しかった。
 悲しみではない何か大きなものをラナは見つけた。

 彼ら三人を待ち受けていたスカサハが呆れた顔でカステラと共に待っていた。
 セリスとラクチェの作ったカステラは共に見事にひしゃげていた。泡立て方が足りていなかったのだろう。
 あまりにも無様なカステラの姿にセリスもラクチェも青い顔をして、ラナに揃って食べるなと言ってきかなかった。
 だが、ラナは二人の反対を押し切ってそのひしゃげたカステラを味わった。
 粉っぽかったり、パサパサしていたりしていたけど……それは今まで食べたカステラの中では一番美味しいように感じた。
 残り三人のカステラに対する評価はなかなか酷いものだった。
 だが、ラナはとても嬉しそうに笑っていた。
 その笑顔を見て三人は安心することが出来たのだった。
 そう、ラナに笑ってもらう、その願いは達成できたのだから。
 これでカステラが本当に美味しかったら良かったんだけどな。
 そうセリスは思ったが、ラナの笑顔を見ていたらどうでも良い様な気持ちになった。
 やっぱりラナは笑っているほうがいい。
 今回はラクチェと共同で笑わせたような気がするけれど……もしまた彼女が落ち込んだ時には、今度こそ自分が笑わせてやりたい。そうセリスは思ったのだった。


 おしまい。

セリラナ同盟への投稿作。テーマは「好き」のセリフ。
どこらへんがセリラナなのか、誰か教えてください。未だにこれを投稿して良かったのか、激しく悩み中。ラブラブっちゃあラブラブなんですけど!!だから投稿しちゃったんですけど!!でもティルナノグ話以外に何があるのか、むしろセリラナベースのラナとレスターの話か?!って感じですが;;
ああ、後悔しても始まらない。言い訳がましくフォローでも。
今回、セリラナを書くにあたって、以前の失敗を元にして…今度はやっぱりセリス→ラナで行こう!!強く心に決めました。しかし…どうにも上手く表現できず、紆余曲折。一般的にセリスを励ますラナはよくあるので、むしろラナを励ますセリスで行こうよ!と思ったわけです。で、結果がこれ。これですよ、ええ。例えば戦いに辛い思いをしているラナを励ますセリスも考えられた訳ですが、ラナがセリスに対してそんな事を言うとは全く思えないし、セリスはセリスでその時点でラナをティルナノグに返しちゃうかと。勿論、心配してなんですけどね。セリスはラナを常に戦場から遠ざけようとしているイメージが強いので、ラナが一言辛いと言ったら、もう絶対強制送還でしょう。それじゃあ駄目だと。だったらラナが落ち込む時ってやっぱり兄と離れた時では?これはどうしようもない事なので、セリスも相当困るんじゃないか?と思って書いてみました。
話的に重なっているのが、ここに置いてある「その距離」ですね。時期的にはほぼ同じくらいかなと。その後、セリス達のお陰でラクチェの過剰なレスターへの心配を微笑ましく見れるようになるのですよ。ちょっと元気になったのですね。
ラナは非常に気丈なイメージの強い子です。絶対に泣き言は言わないんだと思うんです。もし言えるとしたらそれはラクチェや兄のみで、他の人には決して見せないと思うのです。だけど、本当に耐えられなくなった時、そこにラクチェや兄が居なかったら、もしくは二人にはいえないような時だったら、その弱さを見せられる相手はやっぱりセリスかなと思うのですよね。ここら辺はやっぱり一番年上の特権ということで(笑)。
ちなみに…書いている私は結構さくさくと楽しかったです。やっぱり4人とはいえ、人数多くなると心躍るティルナノグ好きでございます。そして長いです(−−;)。

★戻る★