『BLUE』


 見上げると真っ青な空だった。
 雲一つ無い、どこまでも澄んだ青い青い空。
 その真っ青な空に吸い込まれてしまいそうな瞳で、金色の髪の少女は空を見上げていた。
 青い空。真っ青な空。その広さと深さに吸い込まれそうだった。
「ラ〜ナ!どうしたの?」
 明るく元気な声が聞こえて、金の髪の少女は振り返る。
 そこには黒髪で意思の強そうな顔をした少女が人懐っこい笑顔で笑っていた。
「……空を見ていたの」
 彼女はにっこりと笑って、少女に答える。そして再び視線を空へと向けた。
 その答えを聞いて、ラクチェも空を仰ぐ。
 太陽の眩しさに、思わず目を閉じるが、その光を避けて、再び空を見た。
「うわあ……、今日は本当に良い天気ね」
 そう、今日は特別に天気が良かった。
 空の色も深い青で美しく、風もとても心地良かった。
 ラナは空の青さが好きだった。
 その青さに包まれていると、とても安心して心地良かった。
「不思議ね〜、どこに行っても空の青さは変わらないんだもの。
 エーディンさんは元気にしているかしらね?」
「そうね、毎日お祈りをしているけれど…本当にお元気だと嬉しいわ」
 ラクチェの言葉に答えながら、ラナは視線を北の方角に移す。
 ……母もこの空を見ているのだろうか。
 ティルナノグも、今日はこんなに晴れているのだろうか。
 空は好きだ。
 離れていても、いつも繋いでいてくれるから。
 だから空の青が好きだ。
 心がとても安らぐから。
「……そういえば」
 ラクチェが近寄り、ラナの金色の髪を撫でる。その金の髪には空の色に良く似た青い小さなリボンが結ばれていた。
 ラクチェは、にっこりと笑う。
「や〜っぱり似合うわね、そのリボン。セリス様の見立ても大したものね。ちょっと悔しいわ」
 最後の「悔しいわ」に自然に力が入り、ラクチェは思わず苦笑いをする。ちょっとだけ、やっぱり悔しい気がした。
 聞いたわけでもないのに、ラナが大好きでよく似合う色を選んできたセリスに、彼もラナの事を良く知っているのだと思わざるをえないからだ。……しかも、これをセリスがラナに贈ったのはもっと昔の事だったから。
 ラナは照れくさそうに笑う。
「……うん、そうね。貰った時はびっくりしたけど……とても嬉しかったな」
 ラナは思い出すかの様に目を細める。
 そう、昔といえば昔、この間といえばこの間、そんなくらいの事だ。
 このリボンはセリスからラナに贈られた、誕生日の贈り物だった。
「ラナ、ラクチェ?どうしたの?」
 二人の姿を見かけて、青い髪の人物がやって来る。噂の張本人だ。
 セリスはラナの髪に飾られた青のリボンを見て、嬉しそうに笑う。
「ラナ、そのリボンを持ってきていたんだ」
 ラナも笑顔で答える。
「ええ、私の大切なお守りですから」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいな」
 和やかに笑いあう二人にラクチェは複雑な顔をする。こういう時は素直に退散した方が良いのだろうか。
 ……でも、あからさまに行動するのも嫌だし……それに……このまま素直に退散するのも何だか悔しい気がする。
 それなら……。
「ねえねえ、前から聞きたかったんですけど……」
 ラクチェはラナとセリスの間に割って入る。居辛いのなら、割り込んででも入ってしまった方が良い気がしたし、昔からの疑問もついでに知ることも出来るかもしれないからだ。
「なんだい、ラクチェ?」
 セリスはラクチェに、ニコニコと笑って答える。そんなセリスにラクチェは指をびっと指して質問を続けた。
「ラナのリボン、どうやって見つけたんですか?」
 ラクチェの質問にセリスはちょっと驚いた顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「……そうだね、もう結構昔の話だね……」
 セリスは懐かしそうな顔をして話し始めた。
 


 彼がそのリボンを見つけたのは、たまたまオイフェについて町まで買出しに出かけた時だった。
 オイフェの買い物が終わるまで、セリスは時間を持て余していた。
 以前より、帝国の監視は厳しくなっていたが、ティルナノグはイザークの北東にある事から、山を隔てた南部にある本拠地のリボー城からは遠すぎて、まだまだ安心してセリスでも出歩けるような時代だった。
 セリスは、露店に広げられている雑貨に興味を持ち、眺めていた。
 並べられているのは手作りの小物だった。小さな手提げ袋や、髪飾り、ハンカチ等が可愛らしく並べられていた。
 男の子であるセリスには、特に気に入ったものは無かったのだが、なんとなくラナやエーディンは好きなんだろうなと思えて、つい見入ってしまっていた。
 ふと、目が止まる。
 そこには空の青に良く似た色のリボンがあった。
 これは……。
 直感的に思った。きっとラナに似合うだろうと。
 でも、そう思ったところで買うお金なんてあるはずもない。
 それでも、心惹かれるものがあった。今、買わなかったら後悔してしまうような気がした。
 それに……もうすぐラナの誕生日だ。
 あれをプレゼントすることができたら、彼女はどんなに喜ぶだろうか。
「セリス様?どうされました?」
 声がしてセリスは振り返った。
 優しい顔の青年がセリスを見下ろしている。セリスにとって一番大好きな人物だった。
 彼はセリスが眺めていた露店の商品をざっと見渡す。そしてセリスに声をかけた。
「何か気に入ったものでもありましたか?」
 その言葉にセリスは思わず頷く。そして、すぐに後悔した。
 買って欲しいと言っている様なものだ。そう、人に贈ろうと思っているものを買ってもらうなんてどうかしている。
「……どうしました?」
 セリスの表情に気がついて、オイフェが心配そうに声をかけた。
 その心配そうな瞳が、セリスを悩ませる。
 どうしよう。正直に話した方が良いのだろうか。
 そんなセリスに気がついたオイフェは再び視線を露店の商品へと戻す。
 ある程度は見当がつけられるのではないかと思ったからだ。
 セリスが欲しいと考えて…そして言い出せないようなもの。
 そして…リボンに気がついて、オイフェは目を細める。きっとセリスも同じ事を考えたのだろうと。
「……あの青いリボンなんか、ラナによく似合いそうですね。買ってかえってあげたら喜ぶでしょうね」
 オイフェの言葉にセリスは目を輝かした。満面の笑顔でオイフェに飛びつく。
「やっぱり?オイフェもそう思う?絶対ラナに似合うと思うよね!
 僕ね、もうすぐラナの誕生日だからあげたいなって思ってたの!」
 セリスは自分の言葉を聞いて、再び自分の悩みを思い出す。オイフェから手を離し、視線を落とした。
「……だけど、僕にはお金がないし……でもプレゼントは僕が買ってあげたいし……」
 そう言って、余計にセリスは悲しくなってしまった。
 オイフェ達は確かにお金は持っていたが、決して生活が楽なわけではなかった。それを知っているから、セリスは自分にも好きなものを買うお金を欲しいと思ったことはなかったし、今もそれは思っている。
 だけど…プレゼントを…お金のかかるものをあげるということになると…そのことが障害になった。
 我儘を言って、貰おうとは思わない。だけど、お金を得るために働くなんてことは年齢的にも当然難しかった。
 しかし、オイフェはにっこりと笑ってセリスの頭を撫でた。
「じゃあ、セリス様。こうしませんか?
 今日は私が立て替えてあげましょう。そして、セリス様が御自分で収入を得られるようになったら…返して下さい。
 それだったら、構いませんよね?」
 オイフェの言葉にセリスは満面の笑みを浮かべた。
 やっぱり、オイフェは自分のことを良く分かってくれていると改めて思った。
 ちゃんとセリスの思いを受け止めて、それに対して最善策を提供してくれる。
 セリスはオイフェの申し出に、大きく頷いたのだった。

 それから…こっそりしまったその贈り物をセリスは早く渡したくてならなかった。
 本当のことを言えば、買って帰ったその日に渡してしまいたかった。
 でも、これは誕生日の贈り物。
 ……だから、朝一番に渡そう。そう思った。
 一番におめでとうと伝えて…一番に贈り物を渡したかった。
 だから、ラナの誕生日の当日はもう夜もろくに眠れなくて…夜が明けるのをひたすら待っていた。
 そして…太陽が昇り始めたころ…待ちきれなくなってセリスはこっそりと部屋を抜け出した。
 どう考えてもまだラナは起きていないのだけれど…我慢が出来なかった。
 初めて買った贈り物。
 まだ、正式には自分が買ったとはいえないけれど、いつかはそうなるものだし思い入れは格別だった。
 ……そして何より早くラナの喜ぶ顔が見たかった。
 ラナが眠る寝室の扉の前でセリスは座り込んだ。
 いくら待ちきれないとはいえ…早すぎるのだろう。分かってはいても…どうしようもなかった。
 早く渡したくて、それだけで心が躍り、いっぱいになっていた。
 ギィ……。
 扉が開く。
 セリスは慌てて立ち上がる。
 長い金色の髪の女性が現れた。綺麗という言葉しか浮かんでこないような人だ。
 彼女はセリスの姿を見て驚いた顔をした。
「あら、セリス様。こんなに朝早くにどうされたの?」
 優しく声をかけられて、セリスはハッと我に返った。
「あ、あの…ラナは起きていますか?」
 セリスの言葉にエーディンは優しく微笑む。
 彼女は気がついた。セリスが大切そうに持っている包み、そして朝からラナを待っていること。
 自分の娘に、誕生日のお祝いを贈ろうとずっと待っていてくれたことがとても嬉しかった。
「いいえ、まだ寝ているわ。もうすぐ目を覚ますと思うけれど……」
 エーディンは部屋の中の様子を見る。
 ベッドにはラナが安らかな寝息をたてて眠っていた。
「セリス様もそこにいたのでは寒いでしょう?暖かいミルクでも作ってあげましょうか?」
 エーディンの言葉にセリスは首を横に振る。
「いいえ、もうちょっとここで待ってみます」
 その答えはエーディンにも予想がついていた。
 今までずっと待っていたのだ。この場をすぐに動くとも思えない。
 本当ならラナを起こした方が良いのだろうけれど、セリスはそんなことをしてもらっても嬉しくはないだろう。
「でしょうね。じゃあ、持ってきてあげるわね」
 そう言うと、エーディンはセリスに自分が羽織っていたカーディガンをセリスに着せて、キッチンへと歩いていった。
 セリスは断ることもできなくて、そのままエーディンを見送った。
 エーディンはレスターとラナの母だけれど…セリスにとっては母親同然の人だった。
 優しくて温かくて…一緒にいるといつも包まれているような気がした。
 ラナもだんだんとエーディンに似てきたような気がする。
 彼女もいつかエーディンのような人になるのだろうか。
 そんな事を思った。
 それから、セリスはエーディンに貰った温かいミルクで身体を温めながら、ラナを待った。
 待つことは不思議と辛くはなかった。
 むしろ、その瞬間を楽しみにする気持ちの方が大きくてドキドキしていたのだから。
 そして、その時はやって来る。
 ゆっくりと扉が開き、中から金色の髪の少女が現れた。ふわふわの金の髪のセリスが待ち望んでいた少女が。
「ラナ、おはよう!」
 突然声をかけられて、ラナは驚いて目を丸くした。
 そして、そこにいた人物をみてさらに驚く。
「セ、セリス様?!」
 ラナからすれば思いもよらない事態だった。今まで一緒に生活してきたが、こんな風に声をかけられたことなんて無かった。
 通りすがりならともかく真正面にいるなんて……想像したことすらない。
 驚くラナに対してセリスはニコニコと満面の笑顔で包みをラナに差し出す。
「お誕生日、おめでとう」
 その言葉にラナは初めて合点がいった。
 セリスはわざわざ自分の誕生日を祝うためにここにいたのだ。いつ起きてくるとも分からないラナを待っていたことは、なんとなく想像がついた。
 なんだか済まない気持ちと嬉しい気持ちが半々になって、ラナはどんな表情をしていいのか分からなくなった。
「……ありがとうございます」
 小さな声でそう言うと、包みを受け取る。
 ちょっと顔を上げるとセリスがワクワクした顔でラナを見ていた。
「ねえねえ、開けてみて!」
 そうせかされてラナは包みを開ける。
 中からでてきたのは空色のリボン。
 その色にラナは言葉を失った。
 そう、空の色をしたリボン。大好きな空の色。その青と同じ色をしたリボン。
 自然に笑顔が零れ落ちる。
 嬉しかった。とてもとても嬉しかった。
 あまりにも嬉しくて…言葉がでなかった。
 ラナの笑顔を見てセリスも満面の笑みになる。
 そう、ずっとその顔が見たかったのだ。
 ラナの笑顔が見たかったのだ。
 やっぱり、買って良かった。あげて良かった。
 ラナのこんなに嬉しそうな顔がみられたんだ。それ以上に嬉しいことがあるだろうか。
「ラナ、ちょっと貸して?」
 セリスはラナからリボンを受け取ると、彼女の金色の髪にそっと結った。
 リボンの青がラナの金色の髪に映えて、とてもよく似合っていた。
 セリスはさらに嬉しそうな顔になる。
「良かった、やっぱりよく似合ってる」
 ラナからは見ることが出来ないが、セリスの顔と言葉で、そのリボンが自分に合っていることは分かった。それがとても嬉しかった。
「セリス様…ありがとうございます」
 そう言うのが精一杯だった。それ以上に言葉が見つからなかった。
 嬉しくて嬉しくて…それだけで心が一杯だった。
「ラナ〜!!お誕生日おめでと〜〜〜!!」
 元気の良い声が聞こえてきて、あっという間にラナは走ってきた人物に抱きしめられる。
「……ラクチェ?ありがとう、なんだか今日は朝から良い事がいっぱい」
 ラクチェに抱きしめられたラナが嬉しそうに笑う。そんな二人の様子にセリスもつられて笑った。
 セリスにとっても今朝はとっても良い朝だったから。


「……そういえば、私が割りこんだんでしたよね」
 セリスの話を聞き終わって、ラクチェが苦い顔をする。その事を思い出したらしい。
 ラクチェは首を思いっきり横に振る。気を取り直すことにしたようだ。
「でもオイフェ様も出世払いで良いなんて、良い事言ってくれますね!結局、いつ払ったんですか?」
 切り替えが早い。いかにもラクチェらしくて、セリスとラナは思わず微笑む。
「そうだね、初めて闘技場に行った時にもらったお金で返したよ。本当に返済までに時間がかかっちゃったけど……」
「私のためにわざわざ……本当にありがとうございます」
 セリスの言葉にラナは改めて御礼を言う。考えてみれば、今までどうやって手に入れたのかなって聞いたことがなかった。
 セリスが色々と考えて買ってくれていたなんて思っていなかったから、それが嬉しく感じられた。
「いいよ。ラナのためにあるって思ったくらいなんだから。大事にしてくれているだけで嬉しいよ」
 セリスの言葉にラナは微笑む。とても嬉しかった。
「私…本当にこの色が好きなんです。
 空と同じ色で…空の下にいる限り、私たちみんなが繋がっているんだって感じられて……とても安心するんです。
 だから、私にとって大切なお守りなんです」
 ラナの言葉にセリスもラクチェも優しく微笑む。
 同じ事を、思っている。
 空という繋がりで、離れていても一緒だということ。
 それは彼ら、幼馴染達の心の繋がり。
 それをいつでも思い起こせる、空の青は幸せな思い出を伴い、今日もラナの髪を優しく結って…その美しい青を優しく放っている。
 

 END

 セリラナ同盟への一周年企画に投稿したお話です。とはいえ、セリラナというよりは微妙にティルナノグ話…。
 実は私にとってティルナノグ=空のイメージを持っていまして、そのテーマは『この空がある限り僕らはいつも一緒』というのがあるんですよ。うちの本はみんなそれがテーマになっている訳ですが…これもやっぱりかなり色濃くでていますね。でも、私はやっぱりティルナノグLOVEな人間ですので…一応セリラナですし…こいつの話はこうなんだと思ってくださいませ(^^;)。
 『おめでとう』がテーマでして…機会があればラナからセリスへの贈り物の話を書きたいですv…最初はそれで考えてたんですけど…実はセリラナ話じゃなくなったので(^^;)。
 このお話の対になっている話が番外編です。宜しかったら、そちらも見ていただけると嬉しいです。『姉心』読まれていた方が内容は理解できそうですけどね…(^^;)。

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