『andante』

 ねえ、あなたは知っている?
 あなたに出会えてとても嬉しかった事と同時にとても不安だった事。
 あなたは一目見て、変わっていなかった。
 昔と同じ瞳をしていた。
 だけど5年も経ってしまえば人は変わるわ。
 私だって…あまり変わっていないつもりだけど、きっと変わっているでしょうね。
 だからあなたの本心を聞くまで、安心できなかったの。不安だったの。
 私があたなに望む事…それは一つだけ。
 今も私たちと同じ同志である事。
 あなたが今もバージェを思っている事。
 ガルダに引き合わせたのは、ガルダが喜ぶから。あなたが喜ぶから。
 だけど…それ以外に、あなたを試したかったのかもしれない。
 あなたの心が竜騎士に戻れるかどうかと。
 でも、もう不安ではないわ。
 あなたがあなたの信念を忘れていないのなら、とても心強いから。


 
 澄み渡った空を竜が自由自在に飛んでいく。
 それを半ば驚きと好奇の瞳で仰ぎ見ている人達がいた。
「ラフィンがバージェの騎士だというのはマーロン伯から伺っていたが…竜騎士だったとはね」
 空を仰ぎ見るようにして、大地色の髪の青年が太陽の光に目を細めながら感心したように呟く。
 その隣で、太陽の色にも似たオレンジの髪の女性がくすくすっと笑って答える。
「ふふ、でも5年も乗っていませんから、しばらくは役に立つとは思わない方が良いですよ?」
「はっはっは、それは手厳しいですな、シャロン殿。
 確かに、ウエルトでも特攻しようとして驚きましたからな。気をつけないといけませんな」
 女性の答えに、大地色の髪の青年の隣に立っていた初老の男性が豪快に笑う。
 その答えに女性の方が驚いて、その赤い瞳を丸くさせた。
「やだ、まだあの人、その癖治らないんですか?」
「おや、ラフィン殿のあの癖は昔からですか。
 はっはっは、それはそれは。シャロン殿も大変ですな」
 女性のいかにも呆れきったその表情を見て、初老の男性はさらに快活に笑う。
「ふふっ。確かに、そういう事もあったね」
 彼の笑い声に、青年も滅多に崩れない表情がほぐれ笑顔が零れた。
 そんな二人の様子を女性は温かく見守る。
 リュナン公子と老将オイゲンの間にある信頼関係はまるで家族のそれに似ているようで、彼女にとってはとても微笑ましく温かいものだった。
 特にリュナン公子は、厳しい使命を負っている為に、厳しい表情である事が多いのだが、この老将の前では年相応の顔を見せていた。
 少し羨ましくもあった。
 彼女にはとても身近な人がいて、信頼し、家族にも近いような感情を持っているのだが、相手の方はそうはいかないようであくまでも忠実な臣下だった。
 もしかしたら、この二人のように歳が離れていれば違ったのかもしれない。
 それでもその人がいてくれたからこそ、ここまで来れたのだと彼女は深く感謝していた。
 どことなく重なるものを感じて、余計に優しい気持ちになれた。
「でも竜騎士がいてくれるのといてくれないのでは随分違う。助かるよ。
 彼がこうして飛んでいるのは、あなたが竜を大切にしていたからだ。あなたの気持ちを踏みにじるような事はしない。約束しよう」
 優しい顔で、公子はそう言ってシャロンに微笑んだ。温かい笑顔だった。
「ありがとうございます、公子」
 シャロンも微笑む。
 不思議だった。
 おそらく、公子は彼女と竜騎士の関係を知りはしないだろう。
 彼女が竜に込めた思いも知らないだろう。
 それでも、彼は分かっているようだった。
 細かい部分は知らなくとも、一番彼女が望む事を。
 ……この人なら。
 シャロンは思った。
 ユトナ同盟に名乗りを上げた時から、感じていた。
 ……この人なら、何かをしてくれるに違いない。
 いつかバージェを奪回するきっかけをも作ってくれるかもしれない、そんな思いで同盟に名乗りをあげた。
 だが、彼に会って、彼女の政治的な感覚が告げていた。
 彼の力になるべきだと。
 彼は歴史を動かそうとしているのだと。
 だから、今は少しだけ祖国を第二にして、この軍に力を貸そうと決めていた。
 そう、今は少しだけ……祖国は後にして。
「シャロンはバージェの遺臣だったね。
 本当は、祖国を取り戻したいのだろう?僕もラゼリアを失ったから良く分かる。
 ラゼリアは良い所だった……きっとあなたの国も素晴らしい所なのだろう。
 ……まずはラゼリアを取り戻す事になるだろう。その時は、あなたにも見て欲しい。ラゼリアを。
 ……そして、僕にも見せてもらえないか?あなたの祖国を」
 公子から続けられた言葉に、シャロンは息を呑む。
 彼は、優しい笑顔で彼女を見ていた。
 彼は分かっているのだ。彼女の気持ちを。
 互いに祖国を失っているからこそ分かるのだろう。
 今は、自国の事で精一杯のはずなのに、それでも彼は気にかけてくれていた。
 そして、バージェを見てみたいと言ってくれる。
 希望が湧いてきた。
 シャロンは力強く頷く。
「ええ、是非。必ずいらしてください」
 ……改めて彼についていこうと思った。
 そして、空を見上げる。
 その青く澄んだ空にはガルダと彼女の良く知っている騎士。
 何故、彼が公子の下にいたのか分かった気がした。



 シャロン、君は知っているか?
 君やビルフォードに会うたびに、俺がどんな気持ちになるのかを。
 最初は、純粋に嬉しくて懐かしくて…再会を素直に喜んでいた。
 話しても、出てくる話題は昔の事ばかりで、まるで昔に戻ったような気がした。
 とても居心地が良かった。
 ……でも、俺と君たちは違う。
 5年の間に変わってしまった。
 君たちはバージェの為にいつも闘っていたのに、俺は何をしていたというのだろう。
 考えている事は、いつも祖国の事だった。
 国を取り戻せるように、鍛錬だって怠らなかった。
 いつも、外交関係を気にかけていた。他国の動向を調べていた。
 ……でも、それだけだ。
 リュナン公子に出会わなければ、俺は今もヴェルジェに居たに違いない。
 マーロン伯やエステルを置いて飛び出していけるはずなんてない。
 ユトナ同盟の話を聞いても、参戦する事が出来たかさえ正直に言って怪しい。
 それほどウエルトは安穏で…危機感を常に感じる状況ではなかった。
 勿論、ウエルトにも争いはあったし、宰相の反乱もあった。
 でも、それは明らかに滅亡した国を取り戻す事とは違いすぎている。
 いつも思う事と、行動する事は違うんだ。
 懐かしさ、愛しさ、温かさ。
 それと同時に感じる自己嫌悪、困惑、やり場の無い思い。
 ……シャロン、君は俺にガルダを返してくれた。
 だけど……俺は竜騎士に戻る資格があるのだろうか。
 ……バージェを思ってもいいのだろうか。



 周囲の様子の偵察を兼ねて一通り飛行した後、ラフィンは青空から舞い降りた。
 ずっとガルダには乗っていなかった。それでも、不思議と身体は覚えているもので、予想以上に飛ぶ事ができた。
 やはり離れていたためにガルダとは息が合っているとは言いがたいのだが、それでも確かに繋がっているものを感じられた。
 もしかしたら、昔のように戻れるのもそうはかからないのかもしれない。
 ガルダの大きな身体を撫でてやりながら、餌を与えていた時だった。
 誰かが近づく気配がしてラフィンは振り返る。
 先にその人物に気がついたガルダが嬉しそうに鳴いた。
「ガルダ、ご苦労様」
 嬉しそうな顔で甘える竜を入ってきた人物は優しく撫でる。
「大変だったでしょう?人を乗せるなんて、本当に久しぶりだものね」
 ころころと笑ってガルダに話すシャロンにラフィンは苦笑いを浮かべている。
 その苦心の表情をシャロンは背中で感じる。
 そしてくるっと振り返るとラフィンに向かって笑いかけた。
「どうだった、久しぶりの空は良かったでしょう?」
「ああ、良かったよ。風も気持ちが良かった」
 ラフィンは微笑を浮かべて答える。
 久しぶりに舞った空は、いつも見上げる空とは違って見えた。
 やはり空は好きだった。
 空の青さも、吹き付ける風も、全てが心地よかった。
 違うのは、見下ろしたその景色がバージェではないという事だけ。
 ……それが心に影を落とした。
「どうしたの?ラフィン」
 表情が陰った彼の変化に気がつき、シャロンが不思議そうな顔で尋ねる。
 それにラフィンはどう答えてよいか分からず、苦い顔をした。
 分からなかった。こういう時にどう対応してよいのか。
 ずっと真っ直ぐに目的に向かって生きてきた彼女と、そこから離れていた自分。
 それでも彼女やビルフォードと話す時やガルダと過ごす時に感じる懐かしさや温かさは昔と少しも変わっていなかった。
 変わらない…本当に変わっていないのだろうか?
 5年もすれば変わっているほうが当然なのだから。
 変わらないと感じているのは自分だけかもしれない。
「そういえばね、今日、リュナン公子と話したのよ」
 ラフィンの考えている事を分かっているのかいないのか、まるで独り言を話すようにシャロンは話し始める。
「不思議な人ね。あの人は。
 私と会って間もないのに、あの人には私の考えている事が分かるみたい。
 私の気持ちを理解してくれているの。
 ……すごいわ、私があのくらいの歳だった時にはあそこまで他の事は考えられなかったもの」
 シャロンの言葉にラフィンも頷く。
 ラフィンも感じていた。リュナン公子という人物の大きさを。シャロンが感じているものとは大きく違うのかもしれないが、彼なりにその事は感じさせられていたからだ。
「そうだな、最初に会った時は頼りない印象も受けたものだが…しっかりしているな。
 俺もあのくらいの時は無茶ばかりしていたからな」
 視線を上げ、遠い記憶を思い出すかのように、やはりこちらも独り言を話すかのように呟く。
 だが、ラフィンの言葉にシャロンは瞳を丸くすると、ころころと笑い出した。
「や、やだ、ラフィン。本気でそう言ってるの?」
 もう、おかしくてたまらないといった顔でころころ笑うシャロンにラフィンはどう対応していいか分からず固まる。
 何故、彼女が笑い出したのかさえ皆目見当がつかなかった。
「……何がおかしいんだ?」
 ころころと楽しそうに笑うシャロンにラフィンは釈然としない顔で文句を言う。
 理由がさっぱり分からないので、こうとしか言いようが無かった。
 そんなラフィンの様子にシャロンは笑いすぎて痛くなったお腹を抱えながら、からかうように言う。
「ふふっ、確かに公子くらいの頃のあなたは無茶ばかりだったけど…今だって大して変わっていないじゃない。
 ちゃんと聞いてるのよ?単身突っ込もうとしたんですって?
 ほんっと〜っに、あなたってば変わってないんだから。
 いいかげんに人に迷惑かけるようなマネは止めなさいよ?」
 シャロンの言葉に思い当たる節があったらしく、ラフィンは憮然とした顔をする。
 どうやら反論のしようが無いらしい。
「ねえ、ラフィン。でも私、感謝しているのよ?」
 何だかいじけたような表情になってきたラフィンを見て、シャロンは笑顔で話題を変えた。
 これ以上、いじめるのは気がひけたようだ。
 シャロンは視線を落とし、言葉を続ける。
「……本当はね、ちょっと疲れてきていた所だったの。
 バージェを取り戻すために、傭兵をやりながら過ごして来た訳だけど…一向に光明は射してこないし、帝国の勢力は広がっていくばかりで…。
 昔は結構それでも大丈夫、いつかはチャンスが来るんだって思っていたんだけど…さすがに5年も経ってくるとね…このまま一生、バージェを取り戻せないような気がしてきていたの。
 やっぱり、疲れが溜まってきていたのね。何も出来ない歯がゆさが募るばかりだったんですもの」
 そして視線を上げる。その視線の先には、彼女の言葉を聞いて、深刻そうな顔をしたラフィンがいた。
 その表情にシャロンの表情は優しく緩み、笑顔が零れる。
「でも、セネーでリュナン公子とあなたに会えた。
 やっと光が見えてきたのよ。頑張ろうって、また思えてきたわ」
 シャロンはそう笑って言うと、表情がもう一度引き締まった。
 そしてラフィンを真っ直ぐに見つめ、問い掛けた。ゆっくりと、しかしはっきりとした口調で。
「ねえ、ラフィン。
 ……考えたら、私、あなたの意見を聞いていなかったのよ。
 もう、あれから随分経つし、あなたも変わっているでしょうしね。
 だから、ちゃんと答えて。
 私は、あなたが同志だと思っている。
 だけど……あなたはどう思っているの?」
 その問いかけは、ラフィンにとって重要な意味を示していた。
 彼はずっと悩んでいた。
 同志でいられるのかどうかを。
 もう一度、彼女たちと手を取り合える資格があるのかと。
 だけど彼女は自分を『同志』だと言ってくれた。
 そして今もはっきりと言ってくれた。
 それならば……悩む必要は無いのかもしれない。
 自分に素直になって良いのかもしれない。
 だから、正直に答える。自分の心のままに。
「ずっと、バージェの事を忘れた事は無い。
 ずっと思っている、バージェを取り戻し、復興させたいと」
 その言葉にシャロンは大きく頷き微笑んだ。
 とても嬉しそうな満ち足りた優しい笑顔。
 ラフィンも久しぶりに見る、彼女の笑顔だった。
「ありがとう、ラフィン。
 リュナン公子とあなた……これ以上の光明はないわ」
 その微笑に、ラフィンは自分の心が安らぐのを感じていた。



 ねえ、ラフィン。
 本当は気がついていたのよ。
 あなたが、私に対してすまなく思っていた事なら。
 だけど、私達だって何かが出来たわけじゃないのよ。
 思っていても、行動しても、何もならない事だって沢山あるのよ。
 ねえ、私とあなたはきっと変わっていないようで、変わっているわ。
 だから、この先、意見がぶつかる事や食い違いがでてくるでしょうね。
 だけど、別に私とあなたはお互いを全て分かり合っていたわけではないし、昔と同じように戻ろうなんて思ってはいないわ。
 同じになんてなる必要なんて無いのよ。
 知らないのなら、また知っていく事から始めていけばいいの。
 だから今は、少しずつ少しずつ歩いていきましょう。



 シャロン、君は知っていたんだな。
 俺が、どんな事を考えていたのかを。
 だけど、君は知らないだろう。
 俺が、その言葉にどのくらい救われているか。
 君は俺を『同志』だと言ってくれた。俺の居場所を示してくれた。
 ……君は俺を光だと言った。
 だけど違う。君が俺の光なんだ。
 迷い道に迷い込んだ俺に道を示してくれた光なんだ。
 だから今は迷わずに歩こう。君と進むこの道を……。
 今度は焦らないで、ゆっくりと歩んでいこう。
 バージェに続く、この道を……。


 
 終わり。
 


 お付き合いくださりありがとうございましたv
 前のラフィシャロ小説の『ある日の出来事』で軽く触れたエピソード、あれは最初の再会時の会話でも当てはまるかな?とは思っていたんですが…やっぱりちゃんと書きたいな〜と思って、前になんとなく考えていたものをかたちにしてみました。
 ちょっと変わった手法で〜と思いましてこんな感じです。
 今回、さりげなくリュナン様多め(笑)。最近、すごい好きなんですよv今ごろ彼のカリスマにひっかかる私(笑)。
 結構、シャロンさんってリュナン様とも普通に仲良く話してそうなので♪
 あと、ちょっと無理があったかな〜と思いつつ、オイゲン&リュナンとビル&シャロンを重ねてみたり。ラフィンよりビルの方が信用されてそうですよね、シャロンさんに(笑)。
 さて、うちのラフィシャロってこんな感じな訳なんですが…ちょっとネットでUPしている小説はみんなラフィンが情けな目;;次はもうちょっとかっこよくしてやりたいんですけど…どうでしょう??
 うちのラフィシャロって…基本的にシャロンさんはラフィンがいてくれるだけで支えられていて、ラフィンも彼女の存在が支えになっているというような関係ですか。
 5年も離れていたわけですから、おそらく二人とも今までの様には戻れないとは思っているのでしょうね。だけど、逆に考えれば、『戻る』のではなく『新しく始める』事が大切なんじゃないかと思うんですよ。また新たに知っていけば良いのではないかとv
 で、タイトルなんですが、音楽知っている方はお分かりいただけますよね。
 アンダンテ…歩くくらいの速さで、という意味です。
 あせらずに確実に一歩一歩進んでいけるように、そんな意味です。
 …ところで…この話…シリアスなんだかほのぼのなんだかラブラブなんだか…書いた本人、微妙によく分からないんですが(^^;)。
 宜しかったら感想いただけると嬉しいです。
 ラフィシャロお好きな方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。読んで下さってありがとうございましたv

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