『記憶』 「ユリア」 優しげな声が馬上から聞こえてくる。ユリアと呼ばれた薄紫の髪を持つ少女は、その言葉に、にっこりと微笑んだ。 「はい、何でしょう?ヨハンさん」 馬上の人物、ヨハンは馬から降りてきて、小柄なユリアと対峙する。 「先程の奇襲を貴女が注意したと、聞き及んでな。どうだったのだろうかと、本人に話して貰おうと思ってな」 その言葉に、ユリアは真っ赤になる。もしかしたら、色々な人に聞かれまくっていた、という可能性も高い。その事に気がつき、ヨハンは慌ててフォローを入れる。 「い、いや、別に、無理に聞こうと思った訳ではないのだ。だから……あまり気にしないでくれ」 「ふふ、ありがとうございます、ヨハンさん。先程の事は私にも分からないのです」 「分からない?」 「はい、記憶が飛ぶような感じでして……でも、なんだか懐かしくて温かかったんです」 ユリアも言いながら、なんて矛盾した事を言っているのだろうと思った。 記憶が無いのに、懐かしさを感じるなんて。 ヨハンはそんなユリアを愛しそうに見つめると、優しく頭をなでた。それがユリアにも嬉しい。 「ユリアは良い子だな」 蘇る薄紫色の小さな小さな姫君。彼女はこんなにも大きくなって。まさか、こんな形で再会するとは思わなかった。 「ありがとうございます」 ユリアもユリアで、優しくなでてくれるヨハンに嬉しそうな顔をした。 砂漠を越えた頃には、ヨハンとユリアは親密になっていた。よく言葉を交わす事も多くなり、内気なユリアも、だんだんと明るく話すようになった。 「おい、そこの馬鹿兄貴と、霊感女。進軍の準備を始めてんだけど」 とても呆れた顔で、ヨハルヴァはそう言った。わざわざ呼びに来てくれたらしい。 「愁傷な心づかいだな、ヨハルヴァ」 「ありがとうございます、ヨハルヴァさん」 本当は文句を言いに来たヨハルヴァだったが、この二人を相手に怒っても糠に釘のような気がしたので、踵を返し、本陣へと戻っていった。 「ほう、あいつが文句を言わないのは珍しいな」 「そうなのですか?」 驚いた顔のヨハンにユリアはきょとんとする。 「ヨハンさんとヨハルヴァさんは仲の良い兄弟だと思っていましたが……」 「残念ながら、仲は悪い方だろうな。最近は何だか割り切ったような態度が多いが」 ユリアは残念そうな顔をして俯いてしまう。その態度にヨハンは慌てた。 「ど、どうした、ユリア、何か気に障る事でも?」 「いえ……せっかくのご兄弟なのに、残念だなと思います」 ああ、なるほど、とヨハンは思う。ユリアは確か、レヴィンという人物が育てていたと聞いている。やはり、兄弟がいるのが羨ましいのだろう。 「わかった。出来るだけ穏便にするように心がけよう」 「はいっ」 ヨハンの言葉にユリアは嬉しそうに、にっこりと笑った。そんな様子がヨハンには可愛く思える。 きっとラクチェへの失恋も、彼女がいたから、乗り越えられたのかもしれない。 ユリアは優しい子だ。自分達、兄弟の事まで気にしてくれている。 それがなんだかくすぐったくて、なんともいえない優しい気持ちになるのだ。 そして……もう一つ感じる事がある。この時間はそうは長く続かない。と、いうことだ。 まだ、漠然としか分からないが、きっと、そう長くは続かないだろう。確信に近いものがあった。 それはユリアの正体であり、ユリアの失くした記憶でもあった。 いつかは分からない。だが、必ずユリアの正体は分かるだろう。 つまりは……彼女にとって悲しい運命が待っている。そういうことだ。 セリス軍は勢いに乗っている。おそらくグランベルまで進軍するのは間違いないだろう。 ……さすがにグランベルまで来たら、ユリアのことも分かってしまうに違いない。その時、彼女はどういう選択をするのだろうか。 それはまだ分からない。出来れば、そんな選択をさせたくはない。 「おはよー!ユリアにヨハン。最近二人とも仲良いねー」 いきなりユリアとヨハンの背中が押された。聞きなれた元気な声。まるで、ひやかすように。 「ラクチェー!そろそろ行くぞー!」 「あ、待ってってば、レスター!」 黒髪の少女、ラクチェは青い髪の弓使いの元に走っていく。 「……ラクチェは相変わらず、だな」 ため息にも近い声で、ヨハンが呟く。それに心配そうにユリアが見つめた。 「……大丈夫、ですか?」 「ああ、分かっていた事だしな。ラクチェが幸せなら、それが良い」 なんだかユリアの方が泣きそうな顔をしている。ヨハンはユリアの頭をなでる。 「いいんだ、ユリア。そんな悲しい顔をするな。それに、私はもう平気だ。ユリアが傍にいてくれるからな」 ヨハンの言葉に、ユリアは真っ赤になる。 「わ、私……ヨハンさんに助けられてばかりで……なんのお役にも……」 おどおどとしてユリアはうつむく。ユリアにとってはヨハンはいつも護ってくれる存在だからだ。 そんなユリアの頭をヨハンは再び、良い子良い子と撫でる。 「ユリアはいつも回復してくれるだろう?それはとてもありがたいことなんだ。安心して戦えるからな」 「……でも、私は安心して傷ついては欲しくないのです……」 ふっとヨハンは笑う。 「そこが、ユリアの良い所なんだよ」 優しい言葉にユリアの胸が高鳴る。 いつもヨハンが近くにいてくれるせいだろうか。ユリアはヨハンの優しさに感謝していた。 戦いのときは身を呈してヨハンはユリアを護ってくれる。 その理由を知りたくて、何度かユリアはヨハンにかけあってみたのだが、ヨハンは『昔の約束だから』と、それ以上は何も言ってはくれなかった。 ユリアは記憶が無い辛さを、こういう時に実感する。 昔、ヨハンと約束を交わしたのだ。それは分かるのだが内容がまるでわからない。しかも、問い詰めると『ユリア自身が覚えていないと思うよ』と返されてしまう。 何を約束したのだろう。どんな言葉を交わしたのだろう。 ……ユリアはヨハンに惹かれていた。その記憶が無いのがもどかしかった。 でも、ヨハンが傍にいてくれる。それはユリアにとって、とても安心するものだった。 ヨハンは優しい。いつでも声をかけてくれるし、戦いのときは盾になってくれる。そして、寂しい時、必ず傍にいてくれた。 ヨハンの言う、『約束』がわからない。そのもどかしさはある。 ……今はヨハンが傍にいてくれると、とても安心できるし、とても嬉しかった。 これが『好き』という事なのだろうか?その言葉を思い出すだけで、ユリアは真っ赤になってしまった。 「ヨハンさんが好き?」 ユリアは一番相談しやすいラナに相談を持ちかけた。ラナは幼馴染でずっと想っていたセリスと恋人同士になった。この気持ちを一番分かってくれるのではないかと、ラナに聞いたのだ。 「ええ、ラナ。よくは分からないのだけれど、一緒にいると、とても安心するし優しさが嬉しいし……温かい気持ちになるの」 「そうね、それは確かに好きなのかもしれないわ」 「ラナ、どうしたらいいのでしょうか。……私は、ヨハンさんの傍にいていも良いのかしら。このままご厚意ばかり受けているのも申し訳ないし……」 ユリアは不安げにそう言った。ヨハンの事は好きだ。でも、危険な目にあってほしくない。……それも自分のために。 だが、ラナは微笑んだ。そしてユリアの手を取る。 「ねえ、ユリア。誰かを好きって気持ちはとても大切な事よ。……確かに場合によっては迷惑をかけてしまうかもしれない。でも、ユリアがヨハンさんにしてあげられることもあるでしょう?お互いを大切に想う気持ちは大切だと思うわ」 ユリアがおずおずと話す。 「……じゃあ、傍にいても……」 「ええ、いいと思うわ」 ラナがにっこりと笑う。それはユリアにとって心強い言葉だった。 好きな人の傍にいても良い。それはなんて幸せな事なのだろう。お互い助け合えるという事だ。もう、一方通行じゃないのだ。 ……だから、きっとヨハンの役に立つ、隣に立てる人になりたい。それがユリアの新しい目標になった。 ユリアには記憶が無い。でも作っていけばいいのだ。これから新しい優しい記憶を。 ――――――ヨハンとの優しい記憶を―――――――― 終わり ヨハンvユリアでした。考えたら過程を書いてないなと。またヨハンvユリアかーと想われそうですが。大好きなのでしょうがないのです。 |