『想い続けるために』 「アレス」 優しい母の声が聞こえる。牧場で馬を見ていた金髪の少年は、優しい母親の元に走っていった。 「なあに、母上」 目をキラキラさせている息子の前で、母、グラ―ニェは微笑む。 「アレスは、お馬さんが好き?」 「うん!大好き!」 母の言葉にアレスはぐっと力を込めて頷いた。 アレスは馬が好きだ。よく父と一緒に遠乗りに出かけた。それはとてもワクワクするもので、アレスは遠乗りが大好きになっていた。 「じゃあ、そろそろ、アレスにも乗馬を教えた方がいいかしら?」 「え!いいの? でも、父上はアグストリアにいて、僕はレンスタ―にいるんだよ。どうやったらいいの?」 不思議そうなアレスにグラ―ニェは優しく微笑んだ。 「大丈夫よ。私が教えるから」 母の言葉に、アレスは目をくるくるさせる。 「は、母上、乗馬できるの?!」 「ええ、遠乗りくらいなら、大丈夫よ」 しかし、アレスはすぐに教えて欲しいとは言えなかった。 アレスの母、グラ―ニェは身体が弱い。今回のレンスタ―への帰郷も、父、エルトシャンが母の心配をして、こちらに来ることになったのだ。丁度、アレスのお披露目会も兼ねるので、アレスの一日もなかなか忙しい。傍にはいつも母がいてくれた。それがどれだけ大事に想われていたのか……アレスにも分かっている。 楽しそうな息子をグラーニェは温かく見守る。まだ、遠乗りくらいなら教えられる。剣術や槍術はもう、ほとんど教えてあげられないけれど、乗馬なら、まだまだ大丈夫そうだ。 グラ―ニェは、内心焦っていた。自分の命がどこまで続くのかと。体調をみれば分かる。もう、武術はふるえない。アレスに教える事も出来ない。 それが出来ていたなら、ノディオンを去る必要も無かったのだけれど……。 別れた時のエルトシャンの顔を思い出す。辛い顔をしていた。苦渋の決断だったと。 それでも彼なりに考えてくれた事なのだろう。 だが、エルトシャンは従順な騎士でもあった。それが、いつ、身を滅ぼすのではないか……それが心配だった。 「母上っ、僕お馬さんに乗りたい!」 目をキラキラさせた息子が、顔を見上げてくる。 グラ―ニェは無理に明るい笑顔を作り、息子にまで心配させないようにする。 「ええ、分かったわ。じゃあ、まずは服の支度からね?」 「はい、母上!」 アレスは母親にべったりとくっつくと、着替えの部屋に向かう。 その時間さえ、グラ―ニェにとっては、とても大切な時間だった。 「母上、かっこいいー!」 恐らく、まだアレスは自分の乗馬姿を見せていなかったのかもしれない。 びしっとした、乗馬服にアレスが目をキラキラさせている。そんなアレスも小さな乗馬服を着せて貰っていた。 「……ありがとう、アレス。アレスもよく似合っているわ」 「えへへ、そうかな。母上に言われると凄く嬉しい」 アレスは本当に嘘のつかない子だった。感情をそのまま前に出してしまうと言う欠点もあるが、褒める時にはしっかり褒めるのだ。 「じゃあ、お馬さんを用意して貰いましょう? 確か、ここには私の愛馬もいるはずだから」 そういうと、グラーニェは馬を一頭一頭見ている。そして、ある馬の前でとまった。 「よかったわ、プリンセス。貴女、まだ頑張っているのね。 今日はね、息子と一緒に来たの。貴女の背中で走らせてくれないかしら?」 まるで、人間に話すような口調で、その馬、プリンセスに話しかけ続けていた。 父上の乗馬姿とは大違いだ。 だが、こうして走る前に声をかけていたりしたのだろうか? 馬の方が鳴き、それは親しみが籠ったものだった。 「ねえ、アレス。いつもは父上が一緒だったでしょう?今日は私と遠乗りにでかけない?」 母の提案に、アレスは顔を輝かす。 「うん、母上と一緒に乗りたい!」 「ふふ、じゃあ、プリンセスの用意をしてくるから、外でもうちょっと待っていてね」 アレスはウキウキしていた。父との遠乗りだって、とても楽しいのに、今回は母なのだ。嬉しくないはずは無い。 (母上、どんな風に乗るんだろう?そして何処に連れて行ってくれるのだろう?) 疑問は尽きない。 でも、母との遠乗りはアレスにとっては、本当に別格だった。アレスは自分こそ自覚はしていないが、周りから見れば、十分マザコンなのである。そのくらい、母を愛していた。 そんな事を考えながら、外で時間を潰していたアレスに、グラ―ニェの声がかかる。 「母上!」 騎乗した母の姿は、いつもとは違い、凜としている。それがアレスには新鮮で、どきどきしてしまった。 「……は、母上、とても素敵です」 「あら、ありがとう、アレス。お世辞でも嬉しいわ。さあ、貴方も乗せるわよ」 母の手がアレスに向けられる。それに必死でアレスはしがみつき、登った。 そこに繰り広げられる風景は……。 アグストリアとは全然違っていた。 アグストリアは緑の国である。でも、母の故郷は、そう緑が多いとは言えない。また、違った空間だった。 「アレス?ふふ、びっくりしているんでしょう? これでもレンスタ―は潤っているのよ。南のトラキアはもっと厳しいと聞くわ」 環境の違いに、まだ、慣れていないアレスだけれど、不安からだんだんと冒険心が湧いてきた。 「母上、僕、早く遠乗りにいきたい!」 「ふふ、慌てなくても、遠乗りくらいはいつでも出来るわ。でも、そうね、そろそろ出発しようかしら」 母は、馬を上手に駆る。父と違って、馬に敬意を払うような……そんな駆り方だ。 それは優しい母の駆り方で、アレスはまた嬉しくなってしまった。 初めての母と一緒の遠乗り。アレスはどきどきしっぱなしだった。どこにいくにも母が一緒でとても安心できたのだ。 「……そろそろ、この辺かしら」 グラーニェが手綱を引いて、プリンセスが止まる。 それからグラ―ニェは馬から降りると、アレスも降ろす。 そして、アレスの小さな手を取って、丘の上へと導いて行った。 「……うわぁ」 アレスはそれ以上の言葉が出なかった。そこからは、レンスタ―が一望できる。 どこに城が合って、どこに人々は住んでいて……。 「あのね、アレス。あなたはノディオンの……もしかしたらアグストリアの王になるかもしれないわ。 だからね、こうやって、たまには人々の暮らしを見ていく事も重要だと思うの」 アレスは母の言う事は半分くらいしか理解できなかったが、この土地を護る。それはアレスではないかもしれないけれど、アレス自身もいつか、こういう日が来るのを分かった。 今はレンスタ―で、出来る限りの事をしっかりやろうと思った。 そして、祖国への父のもとに、母と二人で、また、温かい生活をしたかった。 それが、アレスの目標となった。 父の話はあまり聞かない。どうなっているのかが分からない。それを母も心配しているようだった。 まあ、勿論。アレスだって、心配である事には間違いが無かった。 グラ―ニェとアレスがレンスタ―に来て一年の歳月が過ぎようとしていた。 母は今は武術は駄目だと、レンスタ―の騎士に頼んで、稽古をつけて貰った。 ……そして、午後からは、母と遠乗りに出かけるのが日課となっていた。 母の馬を駆る腕は凄かった。アレスが本気を出してもかなわない。なのに母はにこにこしていた。まだ余裕があるということだろうか。 きっと身体さえ壊さなければ。母は戦乙女になっていたかもしれない。そのくらいの実力だった。 「ごめんなさいね、アレス」 ある時、母はそう言った。アレスには当然意味が分からない。 でも母は、悲しい空気をまとっていた。 「……もっと昔の私だったら、アレスに剣術も槍術ももっとしっかり教えられたのに」 母はそれが歯がゆいらしかった。でもアレスは笑う。 「父上にそれは教わればいいよ、母上。だから心配しないで?」 アレスの乗馬能力はかなり上がっていた。母が心配するように、今では剣も槍も持つ事が出来るくらいに。 「大丈夫。父上の元に戻るまで、僕が母上を護って見せるよ」 「……ありがとう、アレス。その言葉だけでも十分嬉しいわ」 そうして微笑む母の顔が、アレスにとっては宝物だった。 しかし、そう幸せな時間は続かなかった。 アグストリアからミストルティンと書状が届いたのだ。 それを読んだ母は真っ青になり、しばらく寝込んでしまった。 勿論、アレスもその書状を見ている。 ……父が親友のシグルドによって殺されたと。そして叔母はそのシグルド軍に留まっていると。 届いたミストルティンは、父の死を告げるものであった。 何故、父に尊敬を抱いていた叔母がシグルド軍に残っているのが分からない。 母は何か事情があるのではないかと、そう言っていた。 ……しかし、父の死は、母に多大なる不安を引きよせ、元からよくなかった病気が再発してしまった。 母は、結局、専門医のいる村に身を寄せる事になった。 アレスは少しでも母の心労を癒そうと色々とやってきた。 だが、母は政略結婚のように嫁いできたのに、父を深く愛していた。だから、アレスの言葉も届かなかった。 ……そして運命の日が来る。盗賊や傭兵達が村に一気に攻め込んだのだ。 母、グラ―ニェは動ける状態ではなかった。 グラ―ニェは、早く逃げるように言った。ノディオンやアグストリアの将来はアレスの肩にかかっていたからだ。 でも、アレスにはそんな事はどうでも良かった。 母さえ生きていれば、それで良かった。母さえ無事ならそれで良かった。 ……だが、母の犠牲によって、アレスは生き延びた。 子供のアレスはジャバローという傭兵達のリーダーに拾われた。 辛かった。母を奪った奴等から、武術を学ぶなど。苦しかった。母を護れなかった事を。 そして月日は流れていく。傭兵団として、アレスは色々な事をやってきた。無意味な殺生もせざるをえなかった。 何故、こんな事をしているのか。アレスはその疑問になんどもぶち当たる。 でもいつも母の顔が浮かんだ。ノディオンを、アグストリアを護れる、そんな騎士になるよう、教えられてきた。 それがアレスに出来る母との約束だった。 ダ―ナの街に駐留することになった頃、アレスは一つの出会いがあった。 踊り子のリーンに出会った事だ。 その出会いは、あまり良いものではない。 たまたま、アレスが街を散歩していた時のことである。大きな騒ぎが起きていた。 緑のポニーテールの少女が小さな子供を庇っていた。相手は傭兵、といった所だろうか。 黙っていればいいのに、彼女は子供を庇い、自分たちの正当性を訴えていた。 なんとなく聞いていたアレスは、どうも傭兵側が悪い事に気がついた。 小さな子供から金品を取り上げようとしているのだ。それを少女が必死で抗議している。 ……勝ち目があるとは思えない。それでも少女は自分たちの正当性を訴えていた。 まずい。アレスは気がつく。傭兵達がいら立っているのだ。このままでは少女も子供も危ない。 だが、心が冷め切っていたアレスは、二人を助けようとか、そんな感情が生まれなかった。ただ、見ているだけだった。 そして、怒った傭兵が少女に剣を向ける。 ……すると、少女は剣を取りだしたのだ。この歳の少女が剣を持っているのも不思議だったが、技量が明らかに違う相手に剣を向けるとは危険な事だった。 なのに、彼女は剣を向ける。それは傭兵を挑発しているのと同じだった。 さすがに見ていたアレスも、不安になる。大丈夫なのだろうか、この少女は。怖くは無いのだろうか。 「小娘、そんな事をしやがってタダで済むと思うなよ!」 傭兵の方は血が上っているようだった。だが、少女は全くひるまない。 傭兵が少女に向かって斬りかかっていく。それを少女はこともなげに避けてしまう。 「くそっ、このアマ!」 傭兵の攻撃を、彼女の細身の剣で受け止め、そのまま、傭兵の剣を吹き飛ばした。 その様子を見ていたギャラリーもひそひそとし始める。無論、アレスもあいた口がふさがらない。 彼女は軽装で、踊り子のような姿をしている。だが、その剣の腕は、そこら辺の傭兵やゴロツキなどの上をいくだろう。 「く、くそ!」 傭兵は逃げ出して行った。それから少女は、こともなげに、子供に振り返ると優しく笑った。 「どう、大丈夫?」 「うん、ありがとう、お姉ちゃん」 駆けていく子供を少女は笑顔で見送っていった。 ギャラリーが減った頃、アレスは思わず少女の腕を引いていた。 少女は驚いて、アレスの顔をまじまじと見る。 「……貴方、傭兵さん?さっきの奴とは違うみたいね」 「一つ、聞きたい。お前は何者だ?」 アレスの質問に少女はきょとんとする。 「……あ、もしかして……最近来たばかり?」 「ああ、たまたま駐留することになったんだ。今のやり取りを見ていた。お前は武術の心得を持っているのか?」 なんだか興奮しているらしいアレスを見て、少女はくすくすと笑った。 「あたしはリーン。ここの孤児院の出身よ。今は踊り子で稼いでいるわ。武術に関しては、まだ独学だけど……ああいう奴見ると、我慢できなくなっちゃうのよね」 少女、リーンは笑顔で答えた。その答えは、前々からあったように明朗で快活だった。 「あ、良ければ、あなたの名前を聞いても良い?」 「俺は……アレス。今は傭兵をやっている」 傭兵と聞いたリーンはアレスを上から下まで見て回る。そして、難しい顔をした。 「あなた、ただの傭兵じゃないようね。どちらかと言えば騎士様に近いかしら」 リーンの言葉にアレスはどきりとする。この少女はどこまで見抜いているのだろうか。リーンはアレスの顔をじっと見つめている。 「な、なんだ?」 「あなた、良い人みたいね」 「……は?」 リーンの見解に、アレスはぽかんとする。先程までのいざこざさえ、遠くから見ていただけなのに。 「瞳がね、そう言ってるの。あなた、きっと気高い騎士様だって。私、これでも、人を見る目はあるのよ?」 リーンはにっこり笑ってそう答えた。騎士……確かに間違ってはいない。 「……あのね、ダ―ナにあなた、どのくらいいるつもりなの?」 リーンの声のトーンが若干下がる。それと共に、アレスはなんとなく次の言葉に想像がついた。 「ねえ、あなたがいる間で良いの。あたしに剣術教えてくれないかな?」 「…………は?」 想像以上の答えが返って来て、アレスは戸惑う。 「あたしね、両親がいないの。だけど、必ず迎えに来てくれるって約束してくれたんだ。でも、もう待つだけじゃ嫌。あたしから探そうと思うの」 「……それで、何故、見ず知らずの俺に頼むんだ?」 アレスの苦言に、リーンはまったく気にしていなかった。 「あなた、優しい瞳をしている。だから、大丈夫だと思ったの。……どうかな、ダメ、かな?」 リーンに見上げられ、そう懇願されると、アレスは断りづらい。 ……そして、優しい瞳など、初めて言われた。自分は極悪非道の傭兵だと思っていたのに。 このリーンという少女はどういう子なのだろう。その事にアレスは興味を持ち始めた。 男の訓練に、女がついていけるはずが無い。それなら少しの間でも、もう少しリーンと話してみたくなった。 「……ああ、わかった。少しだけ、ならな」 アレスの答えにリーンが目を輝かす。そして、アレスの手を取った。 「ありがとう!凄く嬉しい!」 リーンは、ぱあっと顔を輝かせる。それが、アレスもなんとなくだが嬉しかった。 それからアレスは時間が取れる日にリーンに剣術を教える事になった。リーンは太刀筋もよく、今まで、子供たちをゴロツキから護ってこれたのも、納得がいった。 アレスの中でリーンの存在がどんどん大きくなっていった。 誰よりも大切な少女になっていった。 父を失い、母も護れず、アレスには誰かを護ると言う事が怖かった。また再び失くしてしまいそうで……死に別れてしまいそうで。 でも、今は。リーンを命にかけても護る。そう思っている。いつの間にかアレスにとって、心から大事な人になったから。 「アレス―、お待たせー!」 今日もリーンの元気な声が聞こえてくる。その幸せをアレスはかみしめていた。 終わり。 久々になるのかな。アレスvリーンですvv母親のグラ―ニェさんと恋するリーン、そんな二人との関わりあいとか書いてみたかったのですよ。 |