『戦場の女神』


 トルパドール。それは彼女が選んだ道だった。共に育ってきた幼馴染の母親と同じ職業。母とも父とも違うけれど、馬に乗れて回復魔法を使うために戦場を走り回っていたというリーフの母エスリンの話をいつもリーフとナンナは目を輝かせて聞いていた。だから、ナンナがトルパドールになりたいとそう思うのは自然の事だったかもしれない。

「ごっ、ごめんなさいっ」
 まただ。ナンナは頭を伏せ謝った。もう数え切れない。
「いいよ、ナンナ、気にしないで。上手くいくまで頑張れば良いんだから」
 そう言って微笑む幼馴染のリーフの顔がナンナに安心感を与えてくれた。そう、いつも彼はそう言って優しく励ましてくれる。
「……じゃあ、もう一度……」
 そう言ってナンナはライブの杖を構えなおした。意識を集中させる。今度こそ、上手くいくようにしないと……。今回はそこまででも無いが一刻を争う時にライブのミスでもしたら致命的だ。
 ナンナがトルパドールを志したのは回復をしたかったからだ。リーフや父は温かく見守ってくれているけれど、ナンナはライブの杖を使うのが苦手だった。失敗した回数は数え切れない。それがまだ、戦場に出てからも続いていた。母は杖も使えたが勇ましかったと聞いているし、父も武術系だ。仕方が無いのかもしれない。
 少しでもリーフや父の力になりたかった。だけれども、ナンナにはその力が足りていなかった。それがとても歯がゆかった。
 パァァァと輝いた光は、そんなナンナの心を知ってか知らずか、しぼむようにして消えていった。
「ああっ、また……」
 目の前のリーフは怪我をして後方にまで下がってきている状態なのに……早く治してあげなければいけないのに。なのに、どうして失敗してしまうのだろう。
「大丈夫、ナンナ、焦らなくていいから……」
 ふわっとリーフの手がナンナの髪を優しく撫でた。リーフはいつも優しい。ナンナが何度失敗しても、どんなに自分が痛い思いをしていてもこうやって微笑んでくれる。それがナンナには嬉しくもあり、心が痛くもあった。
「大丈夫、ナンナはちゃんと出来るんだから……心を落ち着けて、ね?」
 優しいリーフの笑顔にナンナはこっくりと頷く。そしてライブの杖を握り直した。
 ライブの杖の宝玉が輝き始めて、その光はやがてリーフの傷口を癒していく。
「ほら、ナンナ、出来たでしょう?ありがとう」
 傷口が綺麗に治ったのを確認してからリーフはにっこり笑った。その笑顔にナンナは頷いた。
 リーフは再び立ち上がると剣を握り、前線へと駆けていく。それをナンナはじっと見送っていた。
 ……リーフがこうやって励ましてくれるから、なんとか自分は回復魔法を使っていられるのかもしれない。何度失敗しても、励ましてくれるから、傍に居てくれるから。
 だけれども、ナンナにも分かっている。リーフの優しさに甘えたままではいけないと。このままじゃいけないと分かっているのだ。


 トルパドールは前線を駆け抜け、回復に回る者。だが、今のナンナは後方支援が精一杯だった。失敗するライブやリライブで、相手を落胆させた事も何度もある。その度にナンナは苦い思いをしてきた。
 上手くいかない歯がゆさ。本当なら、もっと活躍できなければいけないのに。
 後方で回復や支援を手伝っている中、ふと顔を上げると兄の姿が見えた。兄は前線で戦っているはずである。怪我でもしたのだろうか。そう思ったらナンナはたまらなくなって駆け出した。
「お兄様、デルムッドお兄様!」
 慌てた妹の声を聞いて、金色の髪をした長身の青年は驚いてその方を向く。そこには慌てて駆けてくる妹の姿が目に入った。
「どうした、ナンナ!何かあったのか?」
「いいえ、お兄様こそお怪我をされたのでは?」
 ナンナの慌てぶりに何か起きたのかと慌てたデルムッドだったが、その慌てている理由が自分にある事に気が付き、デルムッドはくすっと笑うと、ナンナの頭を優しく撫でた。
「ナンナは優しい子だな。ありがとう、心配してくれて。でも、大丈夫だから。ちょっと頼まれて後方の様子を見に来たんだ。前線での戦いもひと段落つきそうなんでね。怪我人の数とか、そういうのを知りたくってさ」
「ああ、そうなんですか。……あ、でも私じゃ怪我人の数は……」
 兄の言葉にナンナは俯いた。兄が怪我していなかったのは安心したのだが、怪我人の数となるとナンナは知らない。回復が不得手なので、他の事を手伝ったりしている事もあるので、正確には把握できないのだ。
 だが、兄は心配ないと笑った。
「大丈夫、それはラナに聞けば分かるから」
「ラナさん?」
 不思議そうに聞くナンナに、デルムッドはナンナがラナと面識が無い事に気が付いた。ナンナはレンスター軍の方に主に居るから、解放軍の主軍たる場所で後方支援を行っているラナにはまだちゃんと会っていないのだろう。
「ラナは俺の幼馴染のハイプリーストなんだ。この軍の被害状況なんかをきちんと把握してくれている縁の下の力持ちさ」
「お兄様の幼馴染……」
 ナンナはそう聞いて、リーフが少し前に話していた事を思い出した。セリス軍にはシスターがいて、セリスを一番しっかり支えているのが幼馴染でもあるそのシスターなのだと。
 ナンナは急に会ってみたいという欲求にかられた。解放軍の盟主、セリスを支えているシスターに興味が沸いたのだ。彼女なら……ナンナの分からない事を知っているのかもしれない。
「お兄様は今からラナさんの所へ?」
「ああ、そうだけど?」
 思ったとおりの兄の返事だった。ナンナはがしっと兄の腕をとった。
「私も……私もラナさんに会わせてください」
 真剣な表情の妹に、デルムッドは少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を柔らかくした。妹が杖で苦労しているのをデルムッドも小耳に挟んで聞いている。ラナなら何か手助けをしてくれそうだった。
「ああ、構わないよ。おいで」
「ありがとうございます、お兄様!」
 そうしてナンナはデルムッドに引かれて、ラナの元へと向かっていった。

 デルムッドはラナの元に辿り着くと必要な事だけ聞いて引き上げるようだった。
「ほら、ちゃんと話しておいで」
 別れ際に兄はそう声をかけて去っていった。自分の心は見透かされていたらしいとナンナは気が付く。
「……あの……」
 ナンナはおずおずと話しかけた。
 ラナはナンナと歳が大して変わらない……もしかしたら若干彼女の方が上かもしれない、そんな程度だった。背はナンナよりも小柄で小さく、金色のふわふわした髪に小さな髪留めをつけていた。服装はシスターというよりは庶民のそれに近く、傷ついた兵士達の中に居ても、何の違和感も無いような姿だった。
 おどおどしているナンナにラナは微笑みかけた。
「初めまして、ナンナさん。デルムッドの妹さんなんですって?」
 優しい笑顔で微笑まれて、ナンナはどきっとなる。ふわっとした包み込むような優しい笑顔だった。
「は、初めまして、ラナさん。わ……私、ナンナです。ナンナって呼んでください」
「じゃあ、私もラナって呼んで?」
 緊張しているナンナの手を優しく包み込んで、ラナはそう微笑んだ。不思議な落ち着く笑顔だった。リーフの笑顔とも父の笑顔とも違う、また違った温かさの笑顔。……これを人は慈愛と呼ぶのだろうか。
「私ね、デルムッドの妹さんの話を聞いた時からずっと会ってみたかったの。やっと会えて嬉しいわ」
「そ、そうなんですか?」
 そう答えてから、ラナは兄の幼馴染である事を思い出す。よく知った友人の妹に興味を持つのは不思議な事ではない。
「……あの、私……その、ラナさん……ラナに聞いてみたい事が……」
 ナンナは何とか本題を切り出す。このままでは聞きそびれてしまいそうに感じたからだった。
「何かしら?私で答えられる事なら何でも答えるけれど……」
 ナンナの緊張した面持ちにラナも気押されるものがあるのか、緊張気味に声をかけた。
 ナンナはぎゅっと手を握り締めた。本来、トルパドールである自分がこういう問いかけをするのは恥も同然なのかもしれない。だけど、聞かなければ前に進めそうに無かった。
「あの……!私……あんまり杖の使い方が上手くなくて……それだから……あまり皆の役に立てなくて……。だから……杖を上手に使えるような方法ってありますか?」
 そう言いきって、ナンナは真っ赤になって俯いた。とてもトルパドールの言葉ではなかったからだ。
 だが、ラナは優しい笑顔でナンナの頬を優しく撫でた。
「ナンナはもしかして、杖は独学?」
「え?……ええ。母が使えたと聞いてますけど、実際には自分で学んで自分で覚えて……最近になってから他の人に聞いてみたりもしてますけど」
 そう、ナンナの杖については独学だった。母が使えたといっても、周りには誰一人として杖が扱える者の居ない生活だった。本当につい最近、トラキアに隠れ住んでいた所を出てから、初めてシスター達に出会ったのだから。
「じゃあ、しょうがないわよ。私も最初凄く苦労したし、今ちゃんと杖が使えるのは私の傍に母様が居たからよ。だから、恥ずかしくなんてないわ。杖、使うのってとっても難しいんだから」
 そう言うと、ラナは持っていたライブの杖を手にとって微笑んだ。
 ナンナにはラナの一言一言がずっしりと重たくかかっていた。そう、ラナは恥ずかしくないと言ってくれたのだ。独学なら大変だとも。やっと杖の難しさを分かってくれる人が、ナンナの前に現れたのだ。
「じゃあ……上手になれますか?」
「ええ、勿論」
 ナンナの言葉にラナは笑顔で微笑んだ。そして、それからナンナの額に人差し指をとんっと当てた。
「でもね、それは貴方の心次第。ナンナの気持ち次第なのよ」
 ラナはナンナの顔を覗き込みながら、ナンナの手をとり、両手で優しく包む。
「ねえ、ナンナは杖を使う時に何を考えている?」
「杖を使う時ですか?」
 そう言われて、ナンナは杖を使う時の気持ちを考えてみる。
「えっと……早く治さないといけないって思って、失敗しちゃダメって思って……」
 そこから先の言葉はラナの人差し指が唇を塞いで言えなかった。
「ふふ、やっぱり。でもね、それじゃ駄目なの」
 ラナはライブの杖を高くかざして見せる。
「ライブを使う時の気持ちはね、誰より強く優しくなくてはいけないの。その人を助けたい。治してあげたい。その気持ちでいっぱいにして意識を集中するの」
 そう語るラナはまるで女神のようにナンナには映った。まるで戦場の女神のようだと。だから……彼女はセリス軍を影で支えている功労者なのだ。
 私は……私はリーフ様のためにそう出来る?そう考えてナンナは胸が詰まった。
 そうだ、私の気持ちはいつもそうだ。
 リーフ様の役に立ちたくて、失敗を恐れて、怖がってばかりいた。
 杖を使う時も、癒す気持ちよりもずっと失敗を恐れていた。
 ラナが優しくナンナの髪を撫でる。
「失敗を恐れてしまうのは分かるわ。でも、大事なのは相手の人を思いやる気持ちなの。それがライブの力に込められた大切な心の魔法」
 そう言ってラナはくすくすっと笑った。
「でも、これはエーディン母様の受け売りなんだけどね」
 ラナはライブの杖を大事そうに抱える。
「私もまだまだ駄目だなって思う事も沢山あるし、大変な事も焦る事も沢山あるわ。まだまだ母様には及ばないハイプリーストだもの。
 だけど、少しでも解放軍の……セリス様の力になれるなら私も精一杯頑張らないと、と思うの。
 ナンナ、あなたも同じなんでしょう?」
 ナンナはその言葉に大きく頷いた。
 同じだから。ラナと同じ気持ちだから。だから、自分は今ここに居るのだ。
 彼女がセリスのためにと思うように、ナンナはリーフのためにと思って。
 ……いつか、私も彼女のように戦場の女神になれるのだろうか?
「ナンナ、もし困った事があったらいつでも相談に乗るから、気軽に言って?私もナンナも解放軍の貴重な回復役なのだから。これからも一緒に頑張りましょうね」
「……はい!ありがとう、ラナ」
 ナンナはラナの手を握り、明るい笑顔を見せた。その表情に、ラナも嬉しそうに笑う。
 こうしてナンナにとって新しい友人が生まれたのだった。


「ナンナ、怪我みてもらえる?」
 後方で作業に追われていたナンナは頭から聞こえてきた声に驚いて顔を上げた。リーフがナンナを覗き込むようにふいに現れる。
「リ、リーフ様、お怪我されたんですか?!」
 慌ててナンナが立ち上がると、リーフは確かに利き腕である右腕を負傷していた。
「うん、ちょっとどじっちゃって。治してもらえるかな?」
「ええ、勿論!」
 ナンナはライブの杖を取り出すと、リーフの傷に向けて精神を集中する。
 ラナに言われた事をナンナは思い出していた。
 大事なのは相手を思いやる気持ち。
 リーフ様の怪我が早く良くなりますように。
 リーフ様が早く元気になりますように。
 ナンナはそれを心から願った。いつも、焦りが先立って霞みかけていたその気持ちを何よりも大事に。
 ナンナのその気持ちに応える様にライブの光はリーフの傷へと届き、その傷を少しずつ、確実に癒していった。
「ナンナ、今回は一回で成功だね!おめでとう!」
 リーフがはちきれんばかりの笑顔でナンナに笑いかけ、その笑顔を見たナンナは胸が一杯になった。
 そう、こうやってリーフに喜んで欲しかったのだ。ずっとずっと。
 ……ラナ、ありがとう。私、分かった気がする……。
 ナンナはラナに心から感謝した。やっとやっと前に進めたのだ。
 だが、ナンナはふと妙な事に気が付いた。
 リーフが後方に下がってくる間にもライブなり介助が出来る人間は居たはずなのだ。なのに、何故わざわざナンナの所へ来たのだろう。考えてみれば、リーフは怪我をするたび、わざわざナンナの所に来てくれていた気がする。何度失敗しても、何度失敗しても、必ず。
「……リーフ様、もしかして私のためにずっと来てくださってたんですか?」
「え?あ、ライブの事?ん〜、半分半分かな?」
 ナンナの問いにリーフは腕を組んで考える仕草をした。
「半分半分?」
「うん、ナンナの練習になればいいなって思うのと……」
 そう言ってからリーフはナンナを見てにっこりと笑った。
「僕が、ナンナに回復して欲しかったから、かな」
「……リーフ様!」
 ナンナは嬉しくて胸がいっぱいでどうにかなってしまいそうだった。ナンナにとってリーフが大切な存在であるように、リーフもナンナを必要としてくれていると分かったのだ。それがとても嬉しかった。
「だから、ナンナも早く前線に来れる様になると良いね。ナンナの事は僕がちゃんと護ってあげるからさ」
「……はい、ありがとうございます!」
 リーフの一言一言が嬉しくて嬉しくて、ナンナは泣いてしまいそうだった。
 こんなにも大事に思ってくれる人が居るのだ。
 ナンナがラナを女神だと感じたように……いつか私もリーフ様の女神になれるように。
 ナンナは心からそう思ったのだった。



 終。



脳内ナンナ祭りだった頃に考えたラナとナンナのお話です。ベースはリーフvナンナですよ。ええ。あと、ちょっとだけセリラナな雰囲気をかもし出しつつ。ラナとナンナです。トラ7のお陰でナンナ=杖が下手なイメージがついちゃいましてね、私;考えてみれば、ナンナは独学で杖を覚えたんだよなと。他にも杖使いと出会いますけど、歳が近くて気楽に話せるのはラナなんじゃないかな〜なんていう妄想から生まれてます。戦場の女神になっているラナとこれからの女神のナンナ、そんなイメージで書いてみましたv
ちなみに裏設定ではリーフがナンナに回復頼むように、セリスが回復頼む相手もラナ限定です(笑)。似ている従兄弟さんs(笑)。

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