『キセキ』


「ラナ」
 母は娘の名を呼んだ。はあい、と元気な声が聞こえて、ぱたぱたと走ってくる。部屋に顔を出したのはくるっとした金の髪が印象的な少女。娘のラナだ。
 彼女は父親によく似ている。性格も雰囲気も夫、ミデェールの気質を受け継いだらしく、彼女の中で、夫、ミデェールは生きていた。
「戦いに行くのでしょう?」
「はい、母様。私、少しでも皆の役に立ちたいのです」
 毅然とした態度。その決心は揺らぐ事はないのだろう。
 エーディンは手を首の後ろにまわす。そしてネックレスを外し、ラナの首にかけた。
「これ、エーディン母様の宝物のネックレス……!」
 ラナは自分の首にかけられたものを見て、慌てた。それは父が…まだ見ぬ父が母に贈ったネックレス。お守りのようにして、母は毎日つけていた。
「……私はここに残るから、何も出来ないけれど……そのネックレスなら、きっと……あなたを守ってくれる」
 ラナはその言葉に、これから先の戦場の恐ろしさをかいま見た気がした。
「と……父様は……父様は……?」
 やはり、生きては居ないのかと、ラナに失望の色がかかる。
 エーディンは首を横に振った。そういう意味ではないのだと。
「レスターはお父様が使っていた弓があるからいいけれど、ラナにもお守りを……と思って」
 ラナは自分の首にかけられたネックレスをきらきらさせながら触った。母が何よりも大事にしていたそのネックレス。
 特別な思いがあるのだろう。そして特別な意味を持つのだろう。
「母様、そのネックレスはどうして宝物になったんです?」
 ラナは穏やかな口調で、でもはっきりと追求した。
 エーディンは強い娘の視線に、ゆっくりと頷いた。
「それはミデェールから……父様から貰ったものなの」

 
 それはイード砂漠での事だった。女性、子供は逃亡するように命が下った。それはシグルド公子がしてやれる最後の贈り物だった。
 エーディンは会いにいった。逃亡するより前に、愛する夫に。
「エーディン様」
 彼は嬉しそうな顔をしてエーディンの傍に駆け寄ってきた。
 まるで、戦争のこと等忘れてしまうくらい、ミデェールは穏やかだった。
「……死に戦をしにいく訳じゃないんですから」
 ミデェールはそう言うと微笑んだ。
 彼は諦めては居ない。シグルドを信じているのだ。彼の無実を心から。
 幼馴染の自分が信じなければ。自分が信じていられないのか?そんな事は無い。
 だけど、不安なのだ。
 不安でしょうがないのだ。
 不安そうなエーディンにミデェールは優しく微笑みかける。
「大丈夫です、エーディン様。必ず帰ってきますから」
 彼はそういうと、首元に手をやり、ごそごそとネックレスを取り外した。
 今までしていたネックレスをミデェールはエーディンに手渡した。まだ彼の体温が伝わってくるネックレス。
 ミデェールは微笑んだ。
「それ、母が初陣の時にお守りでくれたんです。ずっと私と共にあったネックレスです。今度はエーディン様が持っていてください」
「……どうして?貴方のお守りなんでしょう?」
 エーディンはこれからくる別れに胸を痛めながら、そい言った。
 ミデェールがふわりと笑う。
「ええ、私のお守りです。だからエーディン様には貸すだけです」
 ミデェールは微笑んだ。優しい、温かい笑顔で。
「私のお守りを持っていてください。私が必ず受け取りに帰りますから」
 ミデェールの優しい言葉を聞き終わって、エーディンは彼の意図した事を理解した。
 これは別れのネックレスではない。再び会うためのネックレスなのだ。
 そのネックレスの重さに、エーディンは涙が零れた。
 一体、どのくらい、それは起こるのだろう。起きてくれる奇跡なのだろう。だけど、信じて待つ他、どうしようもないんだ。
 その事実がエーディンを失望させた。
 このネックレスを返せる日が来ればいい。
 あの優しくて穏やかな騎士が帰って来るのなら。

 エーディンは最初に落ち延びたオイフェやシャナンの元に行く事にした。
 そこにはレスターが待っているし、おそらく母親が足りなくててんてこ舞いになっているのではないかと思ったからだ。その予想は的中しており、オイフェやシャナンはエーディンを救いの神だと思った。
 別に自分の子供だけではない、他の子も大切に大切にエーディンは育ててきた。
 強い心と、正しきものを教えながら。
 シグルドの死と従者達が行方不明との知らせは、エーディン達に深い悲しみをもたらした。
 ミデェールは……あの人は帰ってこない人になってしまったのか。
 でも、泣くまいとエーディンは誓った。今、自分が泣いてしまっては子供達にもオイフェとシャナンにも重たい悲しみ増幅させるだけだ。
 信じよう、そう思った。
 ミデェールはネックレスを『預けた』だけなのだ。だから、いつの日にかきっと、彼は来るだろう。奇跡にも近い、願いなのかもしれないけれど。

「じゃあ、なおのこと母様が持っていなくては?」
 ラナがそう答えた。返ってくるべくして返ってきた答えだから、エーディンは微笑んだ。
「貴女が、これからの戦いで行く場所に父様がいるかもしれないわ。そうしたら、私がここに居ると伝えて」
 ラナにも分かっている。それが奇跡に近い事だと。
 それでも父の話をする母の姿は、いつも優しくにこやかだった。
 ラナにとっては会った事の無い父親。
 髪は緑色をしていて長くて、女の人に間違われるくらいの顔立ちで、優しくて、穏やかで。だけど弓の腕は一級で。
 ラナは頷いた。
 会っても分かるはずが無い。
 これは父が母にしたように、母から自分へのお守りなのだ。
 『貰う』訳じゃなく『預かる』のだから。
「分かりました、母様。これは『お預かり』しておきますね。父様に会ったらお返ししますから」
 ラナはにっこりと笑った。娘の笑顔にエーディンは微笑んだ。
 この子は似ている。本当にあの人に。言わなくても汲み取ってくれる。
「ラナ、気をつけてね」
「ええ、母様もお気をつけて」
 笑顔での別れ。あの時もそうだった。ミデェールは笑っていた。優しく微笑んでくれた。心配させないように、大丈夫だと。
 この子はきっと大丈夫。
 そんな別れだった。また、会うことを信じて。


『エーディン様』
 懐かしい彼の声がする。
 振り返ると、ミデェールが微笑んでいた。優しい笑顔で。
 エーディンには分かっている。これが夢なのだと。
 久しぶりの彼の夢だった。嬉しかった。
『エーディン様、子供達は元気ですか?」
 エーディンは微笑む。
 ええ、元気よ。レスターは貴方を目指して日々稽古をしているわ。貴方の弓も使いこなせるようになったみたい。
 ラナは…ラナはまだ貴方は見ていないのね。貴方にとてもよく似ているわ。雰囲気も、気の配り方も、優しい笑顔も。
『そうですか。良かった』
 ミデェールは微笑む。本当に嬉しそうな表情だった。
『レスターもラナも戦いに向かうのですね』
 ミデェールはそう微笑む。
『大丈夫ですよ、エーディン様。セリス様もいるし、味方はいずれにしよ増えていきます』
 ミデェールは穏やかな笑顔で、エーディンに微笑んだ。
『きっと、朗報が入ってくると思いますよ。私には分かるんです』
 ミデェールにしては強気な発言だとエーディンは思う。本当に、この解放戦争は成功するのだろうか。
 そんなエーディンを、ミデェールが優しく抱きしめる。
 実体の無い抱擁。だけどそれは心まで包んでくれるようなものだった。


 エーディンの耳にはセリス軍が活躍しているという朗報が届いた。
 時折、暇を見つけて書くのだろう、ラナからの手紙も届く。
 ラナの手紙には戦場だけでなく、仲間達の事まで事細かにかかれ、まるで、そこに行っているような感覚さえ受けた。
 概ね、順調にいっているようだった。
 これからグランベルとの戦いになる。その手紙を最後にラナからの連絡は途絶えた。
 分かっている戦況が佳境に入ったのだ。
 エーディンは胸を痛めた。
 ミデェールの無事を信じて、もう何年経っているのだろう。
 今度はラナもレスターもスカサハもラクチェもデルムッドも、そしてオイフェとシャナンと。
 彼等が無事でいてくれることが、今のエーディンの願いだった。

 バーハラでの勝利宣言が発せられた事は、エーディンの耳にもすぐに届いた。一年ほどの戦争だったと思う。長いようで短い行軍だった。
 エーディンは身の振り方をどうするのか考え始めた。
 このままティルナノグに残ってもいい。
 思い出溢れるユングヴィに戻るのもいいかもしれない。
 まだ、決めかねていた。でも一度はユングヴィに戻らねばならないだろう。エーディンは公女なのだから。


「エーディンさん、たっだいま〜!」
 明るい声がティルナノグに響いた。この元気のいい声は……ラクチェ!
「迎えに来ましたよ。母上」
 落ち着いたレスターの声。久々に会う子供達に、エーディンは涙が零れて零れてしょうがなかった。
「他のみんなはどうしたの?」
 エーディンの言葉に、レスターもラクチェも複雑な顔をする。
「みんな、戻ってやらなきゃいけないことばかりみたいです。だから、母上を先に迎えに来たのですよ」
 その言葉に、エーディンはレスターとラクチェをかわるがわる見る。
 レスターは分かる。何故、ラクチェまでいるのだろう。彼女ならシャナンの力になっているはずなのに。
 エーディンの視線に気がついて、レスターとラクチェは照れたように笑う。
「母上、まだ約束レベルなんですけど……俺、ラクチェと結婚することになると思う」
「宜しくお願いします、お母様!」
 二人のやりとりに、エーディンは微笑んでしまった。
 レクターとラクチェは昔から喧嘩が耐えなくて、最後はレスターがラクチェを慰めて終わり。みたいな感じだった。それが、今はそれだけじゃない絆が生まれたのだろう。それが嬉しかった。
「あ、ラナから伝言と預かりものがあるのです」
 ラクチェは、慌てて自分の荷物をひっかきまわす。
「あったあ!」
 そう叫ぶと、エーディンに古ぼけた、それでも磨きをかけているネックレス。
「これをエーディンさんにお返ししてって」
 ネックレスをエーディンが受け取り、微笑んだ。
 ここには帰って来れなかったけれど、エーディンには返してくれた。
 ……残るのは、ミデェールに返す事。
 探せば見つかるだろうか。また、話せるだろうか。


 ユングヴィの凱旋は賑やかだった。沢山の拍手と、何より、エーディンが帰って来た事が大きかったのだろう。
 パレードのような形で懐かしいユングヴィ城に帰ってきた。
 エーディンは何気なく視線を取り囲む人たちを見ていた。
 見ていた。緑の髪のよく知った、あの人が……!
 見待ちがえかもしれない、でも今を逃したら……分からなくなる。
 エーディンはパレードから外れて、その観客の中の人物を。
 探す、探す。

 これはキセキに近いこと。

 だけど……起きて欲しいキセキ。

 エーディンはその人物の肩を叩いた。



終わり。


ここで終わりですいません。
ハッピーエンド、だと信じたいです(><)!
ミデェールvエーディン幸せになって欲しい人達なんですが、生きているミデェールが書けませんでした;多分、振り返ったその人はミデェールです。それであって欲しい!!

★戻る★