『遠い日の唄』


 最初に出会ったのはヴェルダンだった。
 忘れない。新緑の森では特に目立つ真紅の鎧を着た金色の髪の騎士。
 一定の距離を取り、本気で戦ってこない。
 ……それは、誘導であり、甥を救うための作戦だったという。
 だが、私は苛立たしかった。
 相手はあのグランベルの男。私の祖国を奪おうとしている国の男。
 本気で殺すつもりだった。
 ……シャナンが現れなければ、どちらかが死んでいたかもしれない。
 いくつかの偶然と知略。
 それによって私と赤騎士ノイッシュの命は救われたのだ。
 ノイッシュに対する私の印象は最悪だった。
 ……だけれど、今はその偶然に感謝している。
 話して、共に戦って。
 ……今は、大切に思える。
 人の気持ちは変わるものだと思う。
 それに感謝している。


「ほら、ほら、アイラっ、こっち、こっち」
「わ、ちょ、ちょっと待て、シルヴィア」
 元気の良い踊り子に引っ張られて、アイラはよろめくようについて行く。
 普通の者はアイラの殺気に近いオーラに押され話しかけてくるものは少ないのだが、この踊り子には全く通じないらしい。
 その後ろを二人の騎士がついて歩いていた。ノイッシュとアレクである。
 シルヴィアは最近合流したばかりの踊り子で、いつの間にやらみんなの中に溶け込んでいて、アレクなどは随分親しくなっていた。
「ねえ、シルヴィアはどこに行く気なんだ?」
 事情がさっぱり飲み込めないノイッシュはアレクに尋ねる。
「さあ、なんか美味しい果物売ってくれる人がいるんだとか言っていたけどな」
 適当にアレクは答えておいた。
 実は、本当はアイラとノイッシュを二人きりにさせようという目的がある。
 解放軍に入ったシルヴィアが、まず気にしたのはアイラだった。彼女のような人を寄せ付けない雰囲気を持っている人はシルヴィアからすれば珍しかった。
 そんな彼女が時折、ノイッシュには砕けた表情をする事に気がついたのだ。
 これは助太刀が必要かもしれない。そうシルヴィアは思った。
 人生、暗いのは御免である。それは誰に対してもそうだ。
 暗いの反対。そんな訳で、彼女はアレクを捕まえたのである。
 アレクはノイッシュの友人でもあるから、大体ノイッシュの事は知っていたし、アイラとの関係も知っていた。
 という訳で、Wデートにかこつけて、ノイッシュとアイラを二人きりにして、幸せになってもらおう計画が立ち上がったのだった。
 ……そんなに簡単に幸せになれるのなら楽なものだと、アレクはこっそり思った。
 でも、アイラが少しずつ変わってきているのは良い傾向である。できるならこの傾向を維持したい所である。
 ノイッシュも、不器用なりにアイラの事を気にかけているし、この二人が親密になっていくのは自然なことなのだ。
 ただ、シルヴィアがせかしただけである。
 だが、この傾向をアレクは良い方向だと感じていた。アイラがノイッシュだけでなく、多人数と関わるからだ。
 アレクから見てのアイラは人付き合いが苦手なタイプに見えたし、その後の様子からしても、おそらくそうであろうと言える。
 対するノイッシュもあまり広い人間関係は得意ではない。
 両方とも得意ではない同士だが、それでも誰かと話すのは大きな進歩といえるだろう。
 現に、今、シルヴィアの登場で、アイラはペースを乱されている。だが、彼女の顔は明るい。おそらくシルヴィアの明るさにつられているのだろう。
「あ、戻ってきた」
 ノイッシュが声をあげる。向こうからシルヴィアとアイラがぶどうの籠を抱えてやって来た。
「ほら、見て!美味しそうでしょう!」
 良い物を見つけた!と誇らしげな顔のシルヴィアに一同も頷く。上等のぶどうだった。
「じゃ、あたしはアレクと一緒に食べようっと」
「そうだな、そうするか」
 打ち合わせどおりに、アレクとシルヴィアは楽しそうに去っていった。
 残されたアイラとノイッシュは、ぽかんとしてしまって、次の言葉が出てこなかった。
 しばらくするとノイッシュが、はっと現状に気がつきアイラを見た。
「と、とにかく、せっかくのぶどうですし、食べましょうよ」
 そう言って、ノイッシュは地面に腰を下ろす。それを見て、アイラも腰を下ろした。
 腰を下ろしたのはいいものの、沈黙が続く。何を話して良いのか分からない。
 今まで二人で話す事も無かった訳ではないのだが、事務的なことだったり、ちょっとした雑談だったりで、二言三言交わしては終わるような関係だった。こうやって、ゆっくり話す機会は今まで無かった。
 とりあえず、二人はぶどうを食べる事にする。一粒つまんで、口に入れた。
「……美味しい」
「本当、美味しいですね!」
 二人とも、味の良さに驚く。シルヴィアがこだわったのは、この味だからだろう。
 美味しいものを食べると、自然に顔はほころぶ。
 アイラの表情も柔らかくなる。その事に、ノイッシュは目を細めた。
 彼女は人を寄せ付けない空気を持っている。でも、本当は優しくて温かい心の持ち主である事が、時々見せる彼女の仕草や言動で分かってきた。
 だんだんと纏っている雰囲気も柔らかくなっている。シグルド軍に慣れてきてくれた証拠だろう。そのことが不思議と嬉しかった。
「何を笑ってるんだ」
 アイラが急に不機嫌そうな顔に変わった。笑っていたのだろうか、とノイッシュは思う。感情が表情に表れてしまうのは自分でも止めようもない。我ながら情けない、と思う。
「いえいえ、ぶどうが美味しかったからですよ」
「そ、そうだな。シルヴィアが天下一品だと言っていたがその通りだ」
 ノイッシュの返答に、アイラは嬉しそうにそう言った。随分、ぶどうが気に入ったらしい。
「……父上や兄上との剣の稽古の後に、よくこうやって果物を食べたんだ」
 アイラがぽつりと零した。
 彼女が昔話をするなんて初めてだった。辛い思い出と重なるからだろう、話さなかった事だ。だが、彼女の方からその言葉が零れた。
 アイラはその事に気付いていないのだろうか。どこか遠くを見るような目で、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私の父上と兄上は剣術の達人でな。それは見ていて震えるほどの迫力でな。実際手合わせしても、本当に重たくてそれでいて軽やかな剣でな、いつも敵わなかった」
 アイラは自分の両手に視線を移す。まめだらけでごつごつした両手だった。
「私の目標は父上でいつも必死で剣を振るっていた。女の子なのにこんな手になって……と呆れられたものだ。だが、私はこの手が誇りだ」
 そう言ってアイラはそのまま視線を空へと向けた。
 唄が聞こえてきた。ノイッシュは驚いてアイラを見た。
 アイラは空を見上げながら唄っていた。
 ノイッシュには聞いた事の無い音の唄だった。高く低く、それでも滑らかに……どこか古風な音色を乗せて。
 ノイッシュは思う。アイラは思い出しているのだろう。イザークでの日々を。
 ……そして、その思い出を唄にして思い出せるくらいに心の整理がついたのだろう。
 アイラが唄い続ける。それをノイッシュはじっと聞いていた。

「あ〜、アイラが唄ってる〜!」
 しばらくして、シルヴィアが突然割り込んできた。後ろでアレクが苦笑いを浮かべている。シルヴィアの暴走を止め損ねたらしい。
 唄ってると言われてアイラは真っ赤になって俯いてしまった。
 おそらく無意識で心許して唄ってしまったのだろう。
 失態だったとアイラは思う。ノイッシュが一緒に居たのに……。
 いや、ノイッシュが一緒に居たから?
 彼が一緒に居たから穏やかな気持ちになれた?
 アイラの中で押し問答が続くが、シルヴィアはぷんぷんと怒っている。
「アイラ、唄えるなら唄ってよ!あたし、それに即興で踊るからさ」
 シルヴィアの提案に居合わせた三人は驚いて固まる。
 てっきりアイラが唄っていたのをからかうのかと思っていたのだが、踊り子の血が騒いだ方だったらしい。
 くすくすとアレクが笑う。
「アイラ様、唄ってやってくれませんか。自分で言い出したんだから良い踊りを披露してくれるはずですよ」
 その言葉にシルヴィアも顔を輝かす。
「そうよ、なんたってプロの踊り子なんだから!」
 シルヴィアは胸を張ってそう言った。
「唄ってあげたらどうですか?俺もあの唄好きです」
 ノイッシュが優しくそう言った。
 アイラは真っ赤になって照れていたが、顔を上げた。
「よし、唄ってやる」
 ぱちぱちと拍手がなり、アイラは唄を唄い始めた。その唄に合わせてシルヴィアが舞を披露する。懐かしさと郷愁を感じさせるメロディにしなやかなシルヴィアの踊りがあいまって絶妙なハーモニーを生み出していた。
唄と踊りが終わるとノイッシュとアレクはおしみなく拍手を送った。
 アイラの顔が頬を赤くしながらほころぶ。
「こういうのも良いものだな。私、舞いをまじかで見たのは初めてだったから、どきどきした」
「あたしもだよ、アイラ。アイラの唄、綺麗で負けちゃ駄目って思ったもん。踊り子を本気にさせるあたりプロね」
「そ、そんな……」
 シルヴィアとアイラのやりとりを見て、ノイッシュとアレクは微笑む。
「アイラ様、いい顔してるな」
「うん、今日は本当に優しい顔をされてるよ。
 突然、唄いだした時はびっくりしたけどね」
 それは多分、お前が傍にいたからだろ、と思うのだがアレクは口にしないことにした。
 元々のアイラとノイッシュをくっつけよう作戦は失敗に終わったが、アイラの心を開かせるのには丁度良かったのかもしれない。
 今日のアイラはいい顔をしていた。
「ずっとあんな顔で笑ってくれるといいのにね」
 ノイッシュの言葉にアレクも頷いたのだった。

 帰り道。前の方をアレクとシルヴィアが楽しそうに話しながら進んでいく。後ろのノイッシュとアイラはお互い言葉をかけるタイミングを図ろうとしているのだが上手くいっていない。
 アイラがしびれをきらして、ノイッシュの服の裾をひっぱった。
「あのな、今日、唄ったのは……その安心したからなんだ。
 ……多分、お前が隣にいてくれたからだ。ありがとう」
 アイラらしくない感謝の言葉にノイッシュはびっくりする。
「そ、そんな、俺、座ってただけだし…!」
「うん、だから嬉しかったんだ、きっと」
 今日のアイラは素直だった。素直で優しい女性。こんな一面も持っているのだ。だから、ノイッシュはアイラの判断に従う事にした。
「……俺も、アイラ様の唄が聞けて嬉しかったです」
 不器用にしか言えないけれど、素直な思いで。
 アイラは微笑む。
「唄を聞いてくれたのが、ノイッシュで良かった」
 そう言ってアイラは頬を染めると、くるりと方向を変えて先に進んでいるシルヴィアたちにちょっかいをだしに行っている。
 ノイッシュは今日、色々なアイラの表情を見たと思った。
 ……これからもっと知っていけたらいい。
 そう思った。


終わり。


ノイッシュvアイラ&アレクvシルヴィアです〜。ノイアイメインですが。
なかなか打ち解けにくい二人なので、時間が必要かと。
こんな感じの穏やかな時間があって…その上で幸せになれたらあなあと思いました。
ノイッシュとアイラだけでは話を進める自信が無かったため、参入したばっかりのシルヴィアに色々ひかきまわしてもらいました。そしてアレシルはおさえとく。と。
アイラの唄ってどんなのでしょうね〜…。

★もどる★