『心、重なる時』


 リボー城から見える砂漠はきらきらと輝き、死の砂漠と言われるイード砂漠も美しく見える。この場所の悲劇は多々聞いてきていた。傍を通った事はあるが、通過した事はまだ無い。
 レスターは屋上で双眼鏡を使いながら敵の動きを見ていた。
 イード砂漠には暗黒教団が巣くっている。所々に、見張りではないかと思われるシャーマン達の姿が見える。だが、こちらに向かってくるような気配は今のところ無い。
 となると、こちらの動きで初めて向こうの動きが分かるという事か。
「レスター!」
 元気な声が聞こえて、レスターは振り返る。そこには、元気な幼馴染、ラクチェが小さな籠を手に立っていた。
「差し入れ。ラナがね、マフィン焼いてくれたの」
 そう言って、ラクチェは屋上にある椅子を二つ引き寄せると、その一つにどさっと腰を下ろして、膝の上に籠の中身を広げた。
 彼女の言ったとおり、マフィンが二つ。
「じゃあ、戴こうかな」
「うんうん、食べよう!」
 レスターはラクチェの隣に腰を下ろし、マフィンを受け取る。ラクチェは幸せそうな顔をしてマフィンを頬張っていた。
「で、どうなの?すぐに出撃っぽそう?それとも、もうちょっと落ち着いてられるの?」
「そうだな……、まだ大きな動きは無い、かな?」
 レスターは現状をかいつまんでラクチェに説明する。それにラクチェはこくこくと頷いていた。
「で、……って……」
 説明を続けていたレスターは返事が聞こえなくなったので、隣を見るとラクチェはうとうとと眠りについていた。
 あまり彼女は政治的な話や戦略的な話は得意ではない。聞いているうちに飽きてしまったのだろう。
「……それにしても、もういい歳なんだから」
 レスターはため息をつく。
 ラクチェも、もう年頃の女の子である。もう少し、警戒心を持っても良いのに。
 幼馴染だからと安心しているのだろうか。
 それとも男だと思われていないとか?
 レスターはラクチェの髪を軽く撫でる。
 小さな女の子だった。明るくて、背伸びして、いっつも一生懸命で。
 いつの間に、こんなに女の子らしくなったのだろう。
 そう思ってから、はっとしてレスターはラクチェから手を離した。
「……どうしたんだろうな。こんな事を思うなんて」
 レスターは頭を掻いた。
 今まで、女の子として意識した事が無かった。
 それが急に意識するなんて。
 お互い歳を重ねたのだから、それは当たり前の事なのに。
「……どうかしてるよ。ラクチェは大切な幼馴染だろう?」
 レスターはゆっくり首を振った。
 今は変化を求めるべき時ではない。それ以上にしなければいけない事があるのだから。

「わ〜い、進撃、進撃〜!」
 解放軍として南下する事が決まり、作戦についての説明がなされる。
 だが、ラクチェは進撃の事ぎりが気になって、他の話は忘れているようだ。それを心配したラナがラクチェに色々話しかけている。
 ラクチェの基本的な役割は、本人の希望もあって、ラナの護衛をしている。だが、情勢が有利な時にはスカサハ達と前線に飛び出していく。好戦的なラクチェらしい行動である。
 いつもの調子なのにレスターはため息をつく。
 気をつけないと、この暴走娘、どこで火が付くか分からない。
 それを忘れないようにレスターは心に刻んだ。

 その時は想像以上に早く訪れた。
 フリージ軍が斥候部隊を送ってきたのだ。
 魔法がメインの軍隊に、騎馬系統の先陣も躓く。
 だが、歩兵が間に合い、斥候隊と戦いが激化した。
 魔法というものにみんな慣れていなかった。自軍で魔法が使えるのは先日入ったばかりのアーサーとユリアだけだが、ユリアはラナと回復に回っている。
 魔法を使う相手とあり、みんな用心しながら戦っている。
 だが、一人、無鉄砲に突っ込んでいく人物に気がつき、レスターは急いで矢をつがえた。
 ラクチェだ。魔法に恐れることなく、というよりは怖さを知らないのだろう。当たらなければ良い、そんな感じの進み方で、危険だ。
 レスターは近くの魔法使いに狙いを定めると、矢を放つ。そして、馬を走らせた。
「ラクチェ!」
 彼女の名を呼ぶが、戦場の激しい応酬の音にかき消される。
 レスターは必死で寄ると、ラクチェの服を掴み引っ張った。
「きゃあ!」
 ラクチェが悲鳴を上げるが、そのまま馬に引っ張り上げる。
「バカ、勇み足だ!一回引き上げるぞ」
 引っ張った相手がレスターだと分かり、ラクチェは安心した顔をしたが、レスターはそれを確認する前に彼女を自分の馬の鞍に乗せた。
「逃げるぞ!」
 それは敵の声だった。
 稲妻が目の前に迫る。
 レスターはラクチェを抱え込んだ。
 右腕に激しい痛みが走る。レスターは痛む自分の腕を見ながら、その痛みがラクチェに分からないように、表情を固くした。
 そのまま、レスターは馬を走らせた。味方の陣営へと。

 ラクチェは落ち込んでいた。
 先程の勇み足の事だ。
 自分だけが怪我をしたのならいい。
 だが、そうではなかった。
 自分を止めるために来てくれたレスターが怪我を負ってしまった。
 右腕に魔法が直撃していた。彼は辛い顔を見せなかったけれど、焦げた服からのぞく傷跡は生々しく、ラクチェは背筋が寒くなった。
 レスターが怪我をしてしまった。それも自分のせいで。
 今、ラナが手当てをしている。ラナに症状を聞かなくては。
 レスターはきっと話してくれない。ラクチェの事を気遣って。
 昔からそうだ。
 助けてくれるのは、いつもレスター。
 いつも守られてる。優しく包んでくれていた。
 きっと、今回も変わらないのだろう。それが歯がゆかった。
 自分はそれ以上にはなれないのだろうか。
 ……大切な人なのに。
 いつも傍に居てくれた。
 辛い時は、いつも、いつも。
 いつも沢山のものを与えてくれた。
 ……与えられてばかりだった。
 妹みたいに思ってくれていた。
 ……妹以上にはなれないのだろうか。
 ラクチェの中で押し問答が続く。
「ラクチェ」
 高い自分を呼ぶ声に気が付いて、ラクチェは顔を上げた。ラナだった。
 ラナの表情が曇っている。ラクチェの顔を見てさらに曇ったようだ。
「ラ、ラナ……どうなの、レスター」
 青い顔をしているラクチェにラナはすまなさそうに首を振った。
「……一応、怪我は治ったんだけど……直撃受けてるから、弓を引くにはまだ時間がかかると思うの」
「じゃ、じゃあ、次の進撃には……?」
 食いつくようなラクチェにラナは重たく首を振った。
「無理ね。後方でのバックアップにつくことに決まったわ」
 その言葉にラクチェは血の気が引く思いがした。
「……私のせいだ」
 ラクチェは涙が零れてきた。
「私のせいだ。私が無茶したからレスターが……!」
「違う、違うわラクチェ」
 取り乱すラクチェにラナがあやすように肩を抱いた。
「戦場はね、誰もがいつ怪我をしてもおかしくないの。ラクチェが悪いわけじゃないの。
 それにね、兄様、ラクチェのこと心配していたわ。ラクチェに怪我が無いって分かって安心してた。だからね、ラクチェのせいじゃないの」
「……でも、でも、私……」
 それでも、納得がいかないラクチェにラナはゆったりと抱きしめた。
「……ねえ、ラクチェ。
 今回は兄様が怪我をしてしまったけれど……私、それでも良かったと思うわ。
 だって、ラクチェも兄様も生きていてくれる。私の傍にいてくれる。
 ねえ、それだけでも大きな事なのだから……ね?」
 ラクチェはラナの言葉に頷く。
 辛いのはラナだって一緒なのだ。
 それでも彼女は、辛いのに自分を励ましてくれるのだ。
「……ありがと、ラナ」
 ラクチェは感謝の言葉を述べた。

 レスターは後方に下がっての進軍を始めたが、おかしな事に気が付いた。
 本来、ここには居るはずが無い人間がいるのだ。
「ラクチェ?」
 普段なら前線ではりきっているはずのその少女に声をかける。
「どうしてこんな所にいるんだ?」
 ラクチェは来るべくして来た言葉に、どんな顔で答えるか決めていた。にっこりと笑顔で。でないと泣いてしまいそうだから。
「私も後方につくことにしたの」
 予想通り、レスターの顔が曇る。ラクチェは来るべくして来る言葉を待つしかない。
「……俺が怪我したからか?」
 ラクチェはきゅっと口元を締めた。そうだとは言えない。だが、そうでないとも言えない。
 どう伝えたら良いのだろう。この気持ちを。
「……この怪我は俺の不注意でなったんだ。ラクチェが気にする事はないんだ」
 レスターは優しい口調でそう言う。いつもと同じ、優しい声。むしろ怒ってくれた方がどんなに良いだろう。謝る事が出来るのに。これじゃあ、謝る事も……庇ってくれた事を感謝する事も出来ない。
 変わらない、この関係。
 ラクチェの目から大きな涙が零れる。ぼろぼろととめどなく流れ落ちた。
「ラ、ラクチェ?」
 レスターの慌てる声が聞こえる。だが、涙を止める事など出来なかった。
 ラクチェはレスターの胸に手をどんっと当てた。
「……ばか」
 ラクチェはそう言って後悔した。
 こんな言葉では何も伝わらないのに。
 この……レスターを大切に思う気持ちを伝える事なんて出来ないのに。
 言ってしまおうか。
 でも、返ってくる言葉が怖かった。
「……ばか、ばか……!」
 ラクチェはレスターの胸をどんどんと叩いた。
 悔しかった。歯がゆかった。
「ラクチェ?どうしたんだよ」
 レスターがラクチェの肩を掴む。心配そうな目がラクチェを見下ろしていた。
「……なんでだろ。なんでこうなっちゃったんだろう」
 涙は止まらなかったが、ラクチェは顔を上げてレスターを見た。
「なんで、こんな優しくて酷い事言う人、好きになっちゃったんだろう」
 レスターの目に驚きの表情が浮かんだ。だが、もうラクチェはその事はどうでも良かった。
「……好きなの。好きだったの、ずっと。
 だから、大切だから……怪我なんてして欲しくなかった。私のせいで傷ついて欲しくなかった。
 なんでそれなのに優しくするの?私、ごめんなさいもありがとうも言えないよ」
 ラクチェはレスターの胸に顔を押し当てた。
 言いたかった事は全部言ってしまった。
 答えが怖くて顔を上げられない。涙が止まらなかった。
「……ごめん。ごめんな、ラクチェ」
 その言葉にラクチェはきゅっと顔をしかめたが、そのままレスターに抱きしめられて、驚く。
「ごめん。俺……ただ、お前が心配したらいけないと思って。
 お前が傷ついたらいけないと思って。
 却って、それが傷つけてしまったんだな」
 レスターの優しい声が耳元で響く。それが否定の言葉ではない事にラクチェは気が付いた。
「……俺もラクチェが大切なんだ。ずっと、妹みたいに思ってた。だけど、それだけじゃない事に気が付いてた。
 ……それを認めて良いのか、迷ってた。……だけど」
 レスターの腕に力がこもった。ラクチェの心臓の音も聞こえそうだが、レスターのどきどきする鼓動が感じられた。
「……俺にとっても、ラクチェは大切な人だから。だから、……怪我して欲しくなかったし、心配かけたくなかった。
 ごめんな。それがお前を傷つけてしまったなんて」
 ラクチェはレスターの言葉の一つ一つをかみ締めていた。そして……ある事に気が付く。
「じゃ、じゃあ、レスターは私の事……」
「ああ、好きだよ。俺の……本当に大切な人だから」
 ラクチェはレスターの胸に飛び込んだ。そんな彼女をレスターは優しく抱く。
 初めて、二人の本当の気持ちが重なった。
 子供の頃から兄妹のように育って、それが当たり前だった。
 それが、レスターが離れて行ったことから、ラクチェの中でレスターの存在が大きくなった。その気持ちがなんなのか理解するのに時間はかかった。
 でも、自分の中の大きくて大切な気持ちに気が付く事ができた。
 レスターも、戻ってきてからの彼女の変化に、自分達の関係が変わっていっている事に気が付いていた。
 でも、今までの関係が大切だった。それが逆に気持ちを認めさせなかった。
 だけど、今は。今は、ラクチェが自分を好いていてくれたのだ。
 この気持ちを認めても良いのだ。
「だけど……俺でいいの?」
「うん。レスターじゃなきゃ駄目」
 ためらいがちなレスターの言葉にラクチェは満面の笑みを浮かべた。
 二人はお互いを見つめて、にっこり笑ってから、照れた顔をした。
「……じゃあ、これからも宜しくお願いします」
「……うん、宜しくお願いします」
 そう言って二人は笑いあった。

 幼馴染。それは気心が知れていて家族のような存在。
 だけど、それは時として恋にも変わるのだ。
 そして、大切な人がもっと大切な人に変わる。
 ラクチェとレスターは、やっとその一歩を踏み出したのだった。

凄い久々のラクvレスです。これ、もともと漫画で描こうと思っていて…書きながら、「ああ、ここはこんな表情なんだけど、上手く書けない〜〜!!!」とじたばたしてました。
セリラナもそうなんですが、幼馴染が恋人に変わる瞬間って難しそうですよね。
この二人だと、やっぱラクチェからかなと思います。レスターは多分、妹みたいに思ってるしラクチェのシャナンへの憧れを知っている訳で。だから、彼からは言い出さないし、大事にすることだけは変わらないんじゃないかなと。
しかし、文章書けない病で、大苦戦しました。こんな内容ですいません;お待たせしたのに;

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