『その身に流れる血は』


 解放軍の休息の時間、セティは焚き火の側でぼんやりとしていた。その手には大事なバルキリーの杖がある。火の粉に照らされてキラキラと美しく光っていた。
 セティはぼんやりと考えていた。
 ブラギの血を引く自分に母はセティと名づけた。シレジアの神の名前だ。
 何故、その名をつけたのかと問えば「昔から男の子にはセティと決めていたの」そう母は返した。
 父は反対しなかったのだろうか。ブラギの直系にあたる自分。
 セティをいう名のエッダの当主が生まれることに、何の反対もしなかったのだろうか。
 ……聞いている父の話だと、懐の広い人物だったらしい。
 もしかしたら、セティという名の少年がバルキリーの杖を使うのを面白く思ったのかもしれない。
 でも、どちらにしても迷惑な話だった。セティの名を聞いて、フォルセティを思い浮かべない人などいない。私は、ブラギの司祭なのです。そう説明して回るのに一苦労だった。
 母、フュリーはフォルセティの後継者であるレヴィンを慕っていたらしい。しかし、母が選んだ人生のパートナーはエッダの当主であり、ブラギの司祭であったクロードだった。
 一体何があったのかは知らない。しかし、夫婦仲は良かったと聞いている。
 父はもしかしたら生きているのかもしれない。
 セティの中でその気持ちは大きくなっていた。
 確信があったわけではない。でも父は死を予知しながらバーハラに向ったと聞いている。だけど、バーハラの戦いで皆、行方不明になったが、死者として発表されたのはシグルド公子だけだった。
 後の者は行方不明だった。
 どこかで生きているのかもしれない。セティはそう思っていた。
 母の病気が進むにつれ、早く父に会わせてあげたい一心で、家を飛び出してきた。
 ……だけど、父はまだ見つからない。
 両親を探している子供たちも中にはいた。
 セリス軍は、シグルド軍の遺児達で構成されていると言っても差し支えなかった。
 母に会わせてあげたかった。
 フィーの話によれば母は安らかに眠ったのだという。
 父に会わせたい一心で旅に出て、母の死に目にも立ち会えなかった。
 私は何をしているのだろう。
 バルキリーの杖はその人の運命の死以外は生き返らせることが出来る。
 父は反応しなかった。生きているか、運命の死を迎えたか、だ。
 ……母は当然生き返ることなどないのだ。
 父は何をしにバーハラに行ったのだろうか。
 何故、運命を別れ際に母に告げて、他の人には伏せたまま、バーハラに向ったのだろうか。
 父が何か言えば、シグルド公子も死ぬ事は……みんなの両親は死なないで済んだのではないかと思う。
 それでもあえてその道を選んだのは。バルキリーを自分に託したのは。何を意味するというのだろうか。
 勿論、行軍は順調で、バルキリーの杖など必要ない。いや、必要としてはいけないのだ。人の命はそんなに軽いものではない。それはセティ自身が一番良く知っていた。
「セティさん、外は冷えますよ。テントの中に入らないんですか?」
 上から可愛らしい声が聞こえてきた。コープルだ。
 コープルはセティの顔を見て、ちょっと困った顔をしてから、セティの隣に腰を下ろした。
「考え事ですか、セティさん」
 不思議な事に、コープルは人の考えている事を読める術を心得ていた。要は心配性なんだと彼はそう説明するが、見透かされているような気もする。
「……少し、父の事を考えていた」
 セティはぽつりとそう言った。不思議とコープルには自然に話す事が出来た。ありのままの自分でいられるような気がした。
「セティさんのお父さん……クロード神父さまのことですね」
 コープルはにっこりと笑って続けた。
「僕がブラギの洗礼を受けた時、クロード神父様のお話は伺いました。
 とてもお優しく、それでいて厳しいお方だったとか。不思議な方ですね」
「うん、不思議なんだ」
 コープルの言葉にセティは肯定する。
 そう不思議なのだ。父の行動も母の行動も……両親が何を考えていたのかさえ、セティには分からなかった。
「私は、父の事も母の事も尊敬している。でも、分からない事も沢山あるんだ」
 セティはシャンとバルキリーの杖を振った。
「セティという名前にバルキリーの杖。これだけでもおかしいと思うだろう?でも、両親はそれを認めた。私に何を望んでいたのだろう」
「……レヴィン様がもたれているフォルセティ、それと関係があると、確かに誤解されやすいですよね」
 コープルもそれに同意した。
 レヴィンはマーニャを失ったフュリーを気遣い、時々顔を見せにくれていた。まるで俺の息子みたいな名前だなあ、と言われたこともある。
 父はそれで良かったのだろうか。自分の息子がセティを名乗る事を気にも留めなかったのだろうか。
「……でもきっと、意味があるんですよ。セティさんの名前」
 コープルがそう言った。意味…なんてあるのだろうか。セティは疑問に思う。
「セティさんに未来を繋いだんじゃないですか?」
「未来を……繋ぐ?」
 セティの疑問の声にコープルはこくんと頷いた。
「あの時は無理でも、時をまたげば可能になる。そういうことなんじゃないですか?」
「それは……」
 その言い分は分かる。でも、分からない。何故、死地に赴いたのか。
「……コープル。やっぱり父は罪を犯しているよ。
 運命を告げなかった大きな罪が……」
「そうでしょうか?」
「うん。父は運命を見た。
 シグルド公子達を襲う未来。
 そして、おそらく私達、子供が決起する未来を見たと思う」
 だから……そうか、だからか。
 セティはやっと一つの答えを見つけた。
「父は未来を変えないために、あえて誰にも告げず死地に赴いたんだ」
「……じゃあ、僕の本当の父さんは……死ぬべきだったと」
「い、いや、そうじゃない」
 悲しそうにうつむくコープルにセティは慌ててフォローする。
「レヴィン様のように生き残ってる方もいらっしゃるんだ。
 だから死んだとは限らないよ」
「あ、そうか……レヴィン様は生き残った一人でしたよね」
 セティの言葉にコープルは指にはめた指輪をぐっと握り締めた。
 変わったんだな。とセティは思う。
 コープルは本当の両親のことを嫌っていた。だが、姉に出会い、真実を知る事で、今は受け入れられるらしい。
 それが少し羨ましかった。
 彼の両親は生きているかもしれない。
 だけど……きっと、父は……父さんは死にに行ったのだ。
 運命を変えないために。
「セティさん?」
 心配そうにコープルが覗き込んでくる。それに驚いてセティはコープルを見た。
 その時、初めて気がついた。頬をつたう涙が流れていた事を。
 そう、気付いてしまったのだ。父は死んだのだと。
 いや、本当はずっと前からそう思っていた。だけど奇跡的な確率で生きているかもしれないと思った。
 今、その可能性を否定したのだ。自分自身で。
 セティは涙をぬぐう。
「……ごめん。何でもない」
「何でもないことありませんよ!」
 コープルはぎゅっとセティを抱きしめた。
「大丈夫です。きっと……きっと生きていますよ。セティさんのお父さん」
 セティは腕の中からコープルを見上げた。そこにはコープルの優しく穏やかな顔があった。
「……諦めたらダメですよ。信じなきゃ。
 僕も本当の父さんと母さん……いつか会えるって信じてますから」
 コープルはまるで子供をあやすような口調でそう言ってからにっこりと笑った。
「……だって、僕、生き別れのお姉さんに会えたんです。
 奇跡ってきっと沢山あるんだと思いますよ」
 その言葉がセティの心に染み込んだ。
 自分より年下の少年。ブラギの血をひくハイプリースト。
 その笑顔は優しくて温かかった。
 ……父さんが生きていたら、こんな風に笑うのだろうか。
 いや、きっと違う。
 コープルはコープルなのだから。
「……君は不思議な子だね。私の気持ちなんて見透かされてるようだ」
 コープルは、あはっと笑った。
「僕らのお母さんが親友だったからじゃないですか?」
「それだけじゃないよ……」
 感じていた。母親同士が親友だっただけじゃない。
 これはブラギの血の共鳴なのだ。
 ……父が見せてくれているのかもしれない。
 会えない代わりに、彼に会わせてくれたのかもしれない。
 父さんと同じブラギの血を引くハイプリースト。
 セティは感じていた。
 彼だ。
 彼を探していたのだ。
「……コープル」
「はい、なんですか?」
 セティの言葉にコープルは無邪気に笑う。その笑顔にセティは穏やかな気持ちになった。
「この戦いが終ったら……エッダに来てくれないか?」
「はい。……え、えええええ?!」
 セティの言葉にコープルは無意識にそう答えてから、言葉の意味に気がつき驚く。
「セティさんには、僕なんかよりももっと相応しい人が……!」
「いや、コープル。君じゃなきゃ駄目なんだ」
 セティは頑固な所がある。こうと決めたら譲らない。
 僕じゃなきゃ駄目――?
 そんな告白のようなことを言われても、コープルには心の準備が出来ていない。
 セティの事は尊敬している。力になれたらと思う。
 だけど……だけど……僕は……
「何かやりたい事があるの?」
 セティは穏やかに聞いてきた。ちゃんとコープルの事を考えてくれているらしい。
「……あの、僕、アルテナ様の力になりたいんです。
 トラキアで……義父さんと一緒に頑張ろうと思ってるんです」
 コープルはたどたどしく言った。自分を必要としてくれている人がいる。その事は嬉しかったが、自分の決めた道とは違っていた。
 セティはにっこりと笑う。
「じゃあ、時々でも……エッダに来て欲しい。そのくらいなら構わないだろう?」
 ……やっぱり譲ってはくれないようである。でも、尊敬しているセティの願いなら……時々でいいのなら。
「……はい。少しでもお役に立てるなら」
「うん、約束だよ」
 そう言って、セティはコープルの手をとり握手した。約束の証だった。
「じゃあ、僕、先に戻ってますね」
「ああ」
 顔を赤くしながらテントへと走り去っていくコープルをセティは優しく見ていた。
 きっと父が会わせてくれたのだ。彼を。
 自問自答し続けてきた日々も、彼となら乗り越えられるだろう。
 セティは気持ちが楽になっているのに気がついた。それはコープルの魔法だったのだろうか。
「……君が居ればきっと……」
 きっと大丈夫だ。そう、信じる事が出来た。
 彼はきっと父からの贈り物なのだから。

 終わり。


うちのセティさんはこんな感じです。純粋にコープルが好きなのです。コープルもセティを尊敬しているので凄く仲がいいのですが、最終的にはセティがトラキアからコープルをかっさらうのでしょうか(謎)。
セティはファザコンかなーと思ってます。で、父親のことで凄く悩んでいるんですよ。そしてコープルに父を重ね、違う事を知り、また悩む。みたいな。なかなか色々と考えられる人です。

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