『双子の恋』 「はあ、はあ、はあ……」 ブリギッドは必死で走っていた。まさかオーガヒルの海賊達に裏切られるとは思わなかった。 とにかく、今は逃げることが最優先だ。あいつらより強い自信はあるけれど、それ以前の問題だった。 「うわぁ!」 すぐ傍で、海賊の断末魔が聞こえる。 何故?私は何もしていないのに? 「……はぁはぁ、だ、大丈夫ですか?」 その声は上から降って来た。見上げると、馬にまたがった、緑の長い髪をした女性がいた……いや、この声は男性? 「ご無事で何よりです。お怪我はされていませんか?」 その人物はブリギッドの前で馬から降りると、心配そうな顔でそう問いかけてきた。 誰だろう。何故、自分を助けてくれるのだろう。それがブリギッドには分からなかった。 「……」 目の前の相手は呆然としてブリギッドの事を見ていた。 「な、なんだ?」 「い、いえ、美しい方だと思いまして……」 照れた顔でそう言う言葉に、ブリギッドも顔を赤くする。 「な、な、なにを、言うんだ。お前こそ……戦場など似合わない綺麗な女性じゃないか」 ブリギッドの言葉に彼女(?)はがっくりと肩を落とした。 「え、えーと、何回も間違われるのですが……私は男です」 「え、え、え、お、男なのか?!間違う方が普通じゃないか?」 「……えーと、どうでしょうか」 彼は困った顔をしている。別に困らせるつもりではなかったのだが、彼は綺麗だとブリギッドは思った。 「それはとにかく、我々の本陣に来て戴けませんか、ブリギッド様」 彼の言葉に違和感を覚え、ブリギッドは強い口調になる。 「何故、私を知っている?そもそも、お前は誰だ?」 彼は慌てて頭を下げた。 「私はユングヴィの騎士、ミデェールと申します。貴女はユングヴィの公女、ブリギッド様です」 「……え?」 ブリギッドの思考が停止する。何者だろう、このミデェールという青年は。 自分の名を知っているだけでなく、公女と言う。 そんな訳が無い。自分はずっと海賊だったし、記憶も海賊の物しか無い。 「な、なにを言うんだ?私はオーガヒルの……!」 否定しようとしたブリギッドにミデェールは優しく微笑む。 女性のような風貌の青年だ。その笑顔は優しく温かい。 こんな温かさなんて知らなかった。きっと内からでる優しさがこの笑顔を作り上げているのだろう。 ふわりとした気持ちになる。温かい気持ちが広がる。 「ブリギッド様、エーディン様がお待ちですよ。お連れします」 「エーディン?」 どこかひっかかる名前だった。どこで、いつ、聞いたのだろうか? 「……ふふっ。お話では伺っていましたが……本当にエーディン様によく似ていらっしゃる」 ミデェールは納得したように微笑む。その意味がブリギッドには分からなかった。 ブリギッドが全てを思い出したのは双子の妹エーディンに会いイチイバルに触れた時だった。 双子の妹、エーディンはブリギッドと同じ顔をしていた。 いや、正確にはよく似ているといった所だろう。 エーディンの肌は透き通るように白く、自分の日焼けした肌を見ると悲しく感じる。 もし、攫われなかったら、自分もエーディンのようになれただろうか? 「嬉しいわ。お姉様に会えて」 「ええ、私も嬉しいわ」 ふわりとエーディンが笑う。温かく優しくて……そして幸せな笑顔だった。 こんな笑顔をどこかで見なかっただろうか。 「お邪魔いたします」 優しい声がかかって、あたたか紅茶の香りがする。紅茶なんて本当にいつ以来だろう。 その紅茶を持ってきた人物、ミデェールを見るとエーディンがより一層幸せな顔になる。 「ミデェール、ありがとう」 「いえ、温かいうちにいただいてください」 優しい笑顔。 エーディンもミデェールも優しく微笑みあう。 二人の様子を見ていたブリギッドは、自分の中で小さく生まれた感情をしまいこまないといけないと感じた。 エーディンはにっこりと笑ってミデェールを紹介する。 「彼はミデェール。私の近衛騎士で……」 そう言ってエーディンは、ぽっと顔を赤らめ、ミデェールと微笑み合ってから言葉続けた。 「彼は……私の夫なの。だからお姉様の義弟になるわ」 「宜しくお願い致します」 ミデェールは頭を下げた。 ……そう、エーディンの……お相手だったのね。 「これから宜しくね」 「はい、ブリギッド様」 ブリギッドの中で小さく胸がきしんだが、それを抑えてブリギッドはにっこりと微笑んだ。 「あ、ブリギッド様」 廊下でミデェールがひとなっつこい笑顔で声をかけてきた。 「おはよう、ミデェール。朝が早いのね」 にっこり笑ってブリギッドは答える。それと一緒にふわりとした気持ちになる。 初めは追い出そうと思っていた感情だが、今は受取るだけならいいと思っている。 ブリギッドはミデェールをゆっくりと見る。優しげな笑顔は、エーディンの笑顔とよく似ていた。 「あ、ブリギッド様。今、お時間大丈夫ですか?」 「え?時間?空いているけど……」 ミデェールの顔が、ぱあっと明るくなる。 「ジャムカ様と弓の鍛錬に行くんです。ブリギッド様も宜しかったら……」 「ええ、良いわよ。支度するから、もう少し待っていて」 「はい」 ミデェールの笑顔に送られて、ブリギッドは自室に戻り、支度を始める。 その時、ふと気がつく。 ジャムカ様……? 誰だろう。弓が使える者である事は分かるのだが。 ブリギッドはある事に気がつく。そういえば、記憶が戻り、嬉しくてエーディンやシグルドやエスリンと一緒に話す事ばかり していた。 そう、シグルド軍の要人達に会っていないのだ。 ミデェールが「様」とつけて呼ぶので、身分の高い人なのだろう。 まあ、いい。これから会うのだから。 そう思い、ブリギッドは弓の鍛錬に必要なものを準備していった。 「ブリギッド様、ご準備の方は大丈夫ですか?」 ドアを開けると、ミデェールが微笑む。ドアの外で待っていてくれていたのだ。 優しい笑顔がブリギッドの心を包み込む。甘くてそして切ない気持ちになった。 ……だけどいいのだ。内緒で抱く。そうすれば、ミデェールもエーディンもずっと優しく微笑んでくれるだろう。 「ええ、ありがとう。待っていてくれたのね」 「はい、ブリギッド様を置いてなんて行けませんよ」 どくんと胸が高鳴る。多分、双子のエーディンも同じ気持ちを持っているのだろう。 ……もし、私とエーディン、二人同時に会っていたら……彼はどちらを選ぶのだろう。 ブリギッドは大きく頭を振った。何を考えているのだろう。 決めたじゃないか。エーディンとミデェールが笑う、そんな日が続くようにと。 「ブリギッド様?どうされました?」 ミデェールが慌てて駆け寄る。 それにブリギッドは、くすりと笑った。 「大丈夫。じゃあ、行きましょう?」 「はい」 「遅いぞ、ミデェール」 低く強い声が聞こえてきた。 「すいません、お待たせしまって」 「なにが、すいませんだ……」 ミデェールが駆け寄った相手をブリギッドはジャムカという人物の顔を見る。厳しそうな顔つきの人に見えた。 だが、ジャムカは呆けたような顔をしている。 「……ミデェール」 「はい、なんでしょうか」 笑顔で答えるミデェールにジャムカが胸倉をつかみあげる。 「あのなっ、お前、いくら妊娠が分かったからって、エーディンまで連れてくるのか?!」 「あ、あの、そのことは私も今日知ったばかりで……!」 「……エーディンが妊娠?」 その言葉はジャムカとミデェールを黙らせるのに十分な凍ったような言葉だった。 「あ、あの、私もつい先程、知りまして……ですが、まだ実感がなくて……。 すいません、ご報告が遅れまして。ブリギッド様」 真っ赤な顔で慌てて弁明する。彼はブリギッドにその事を告げなかった事を悪い事だと思ったようだ。 ……エーディンに子供が出来た。 笑って、おめでとうと言わなければならないのに、その言葉が出ない。 どうして。 どうして? どうして!! 「……ああ、あんたがブリギッドか。エーディンの双子の姉の。 俺はジャムカだ。宜しく」 不自然な時間が空く前に、ジャムカがブリギッドに手を差し伸べる。 「え、ええ。こちらこそよろしく」 ブリギッドは手を握って、なんとか笑顔で言葉を絞り出した。 「ミデェール、準備は出来ているな?行くぞ!」 「はい、ジャムカ様」 その時、ブリギッドは気付いた。ジャムカに助けられたのを。 もし、あのままだったら、何も言えなくてミデェールを困惑させただろう。 だけど、それを破ってくれた。 もしかして、彼は気付いたのかもしれない。自分がミデェールの事を想っていることを。 とにかく、お礼は言った方が良いだろう。 ブリギッドは先に行ったジャムカとミデェールを、慌てて追いかけた。 弓の鍛錬はつつがなく進んで行った。 弓に集中すれば、心は真っ白になる。今は真っ白でいたかった。 それに、油断が出来ない。イチイバルの継承者は自分なのに、ジャムカもミデェールも弓の腕がいいのだ。 負けられない。 そう思うと自然にブリギッドは、いつもの心の平静を保つ事が出来た。 「あ、ああー!!」 休憩中に、ミデェールが大きな声を上げた。 「なんだ?」 「すいません、冷やしておいた飲み物を忘れてきてしまったみたいで」 「へえ、お前にしては珍しいミスだな。やっぱり浮ついていたな?」 ジャムカがにやりと笑うのを見て、ミデェールは真っ赤になる。 「す、すいません。い、今、とってきます!」 大慌てでミデェールは来た道を走っていった。 ジャムカが、ふぅと息を吐いて、ブリギッドの顔を見る。 改めて見られると、ブリギッドはなんと喋って良いものかと困る。 「……なあ」 ジャムカの方から声がかかる。ブリギッドは、その声にどきどきした。多分、彼はきっと…… 「やっぱり、あんたもミデェールに惹かれるのか?双子は同じ気持ちを持つと聞いた事がある」 その言葉を聞いて、ブリギッドは真っ赤になる。どこで見破られたのだろうか?少し前に言葉を交わした相手に。 「そうか。同じなんだな。じゃあ、俺とあんたは失恋同盟みたいなもんだな」 「え?同じ?」 ブリギッドはきょとんとした。彼は何を言っているのだろうか。 ジャムカは、ふふっと笑う。 「ああ、同じさ。 俺はエーディンの事を好きになった。でも、ミデェールがいた。 あんたはミデェールを好きになった。でも、エーディンがいた。 だから、なんとなく分かったんだ。ああ、同じ傷を持ってるんだなってさ」 その言葉を聞いてブリギッドはうつむく。 「……それで、あなたは、今もエーディンの事が好きなの?」 「いや。ミデェールを知っていくうちに、エーディンがあいつを選んだ理由が分かったからな。 今は、似合いの夫婦だと思ってる」 その目は真実を言っているのが分かる。 「……私も、エーディンとミデェールを見ていると、幸せな気持ちになるの。 だけど、ちょっと、やっぱり妊娠したのを聞いたら……ちょっと。だめね、私」 「いや、俺もちょっとカチンときたぞ」 「ジャムカも?」 「ああ、分かっていても諦めても、なんかちょっと悔しくてさ」 「ふふ、私だけじゃなかったのね。なんだか、安心した。 それとありがとう。あの時、助けてくれて」 「ああ、いや、まあ、仲間ってことで」 そしてお互いの顔見あって、くすくすと笑う。 ブリギッドは、なんだか救われた思いがした。同じ経験を持っている人がいたのだから。 「しかし、あんたとエーディンはよく似ているな」 「ええ、双子ですもの」 「それに綺麗だ」 ジャムカの言葉を聞いて、ブリギッドはミデェールに初めて会った時の事を思い出した。 彼は自分にエーディンを見ているのだろうか。 「ま、見た目は似てても、中身は違うからな。あんたの方がたくましくて、きっといつか背中を預けられる気がする」 「……え?」 彼は何を言っているのだろう。一つ一つの言葉に何か温かいものを感じる。 ……もしかして、彼も同じ思いをしている? ……もっとお互いを知りたい、そう思っている? きっかけは単純だ。同じような失恋をした者同士。同じ気持ちを共有できる相手。 そして、いつかは……戦友として。 「すいません、遅くなりましたっ」 ミデェールが向こうから大きなバスケットを抱えて戻ってくる。 「ちぇっ、ちょっといい雰囲気になってきたのに……まあ、あいつは天然だからな……」 「え?」 ジャムカが何か小さな声で何か呟いた……ような気がした。 「お二人ともすいません。でもエーディン様から差し入れの焼きたてのパンを戴いてきましたよ。ジャムもあります」 ふわっと笑ってミデェールが言う。 不思議と、胸が痛まない。ジャムカが気持ちを共有してくれたから? ブリギッドは自分の気持ちの変化に戸惑っていた。 でも温かい気持ちは広がる。先程までとは違う温かさ。 自分もジャムカのように笑って話せるようになるだろうか。 ブリギッドの心の中に、ジャムカの存在が生まれていった。 優しく、温かく。 「ブリギッド様?パンは如何ですか?」 優しい笑顔でミデェールがたずねてくる。それにブリギッドは微笑みで返した。 「ええ、ありがとう」 「ミデェール、俺にも」 「はい、ジャムカ様」 パンを頬張る二人に、ミデェールは自分の分にを手につけず、にこにこと笑っていた。 にこにこ笑っている事に、ジャムカもブリギッドも気がつく。 「どうした?」 「嬉しそうね?」 二人が尋ねると、ミデェールは更に笑顔になる。 「お二人がとても仲が良さそうなので、嬉しくなりました」 「……なんで、お前が嬉しいんだ?」 「ええ、これからの鍛錬がとても楽しくなりそうなので」 「……で?」 「ブリギッド様がこんなに早く溶け込めて……安心しました。そう思ったら嬉しくなりました」 本当に嬉しそうにミデェールが言うので、ブリギッドはふふっと笑う。つられてジャムカも笑った。 「え?何か、おかしなこと、言いました?」 「いや、お前の頭はいつも他人の事ばかりだな、と思っただけだ」 「そうですか?」 きょとんとするミデェールに、ジャムカもブリギッドも笑いだす。 「な、なんで、皆さん、笑ってらっしゃるんですか?」 理由が分からず、ミデェールは困惑していたが、二人はころころと笑っていた。 心惹かれた人 同じ気持ちを共有してくれた人 そして大切な大切な妹、エーディン ……彼らに出会えて、ブリギッドは本当に良かったと心から思った。 いつか、4人で楽しく笑える日が近いうちに来るような、そんな気がした。 終 ジャムカ→ブリギッド→ミデェールvエーディンのお話でした。ジャムブリの恋の始まりでもあります。 私、この4人が物凄く好きでして。弓を愛している人なので(笑)。 こういう展開も良いかなーと思うのですが、如何でしょうか? |