『薔薇一杯の花束』 「おはようございます、ユリア様。今日もお花が届いてございます」 女官の言葉にかるく挨拶をすると、ユリアはいつもの場所に出かけた。 花が届いている、庭園のテーブルの上だ。 今日の花は……見事な真っ赤な薔薇の花束だった。 (ヨハンさんらしい……) ユリアの表情が柔らかくなる。きっと今日も朝早くから起き出して、届ける花を選んでくれたのだろう。 ドズル城はバーハラ城から近く、馬を駆ればそんなに時間はかからない。 だから、この毎日の花束は、必ずユリアの元に届くのだ。 ユリアとヨハンが再会したのは、セリスがユリアを正気に戻してからだった。 やはり、私では彼女を救えなかったのだな。そう呟いたのをユリアは聞き逃してはいなかった。 もしかして、ヨハンが来てくれても正気に戻れたかもしれないんじゃないか、それが頭から離れない。 貴方が……貴方が好きな気持ちは本物だったから。 ただ、血の絆が心の絆より深かった、それだけのことだ。 だが、実の兄を倒し、やっと会えた恋人を救うことが出来なかった。その事実はヨハンを打ちのめしているようだった。 バーハラでしばらくは兄を弔いたいと願ったユリアにヨハンは何も言わず、優しく笑っただけだった。 そんなこんなで、ユリアとヨハンは離れてくらしている。 ミレトスの街で楽しく過ごしたあの日は、遠い昔の思い出だった。 さらっと風がユリアの長い髪をなびかせる。 ……あの時も、ヨハンさんが傍にいて、こうして髪を撫でてくれた。 ヨハンとの思い出はたくさんというほどではないが、ある。 黙って、ユリアの話を聞いてくれたこと。いつも傍に居て守ってくれたこと。 ひとつひとつが大事な思い出で、ユリアの中でさざめく。 ぽつり、ぽつり、水が頬を伝う。 「ユリア?どうしたの?」 いつもより戻ってこないユリアを心配して、ラナが飛び出してきた。 ラナはユリアの顔を見て、そのまま抱きしめた。 ラナに抱きしめられた安堵感で、ユリアは心が赴くまま泣き続けた。 会いたかった。傍に居たかった。あの人の傍で笑っていたかった。 ユリアは自分の決断を呪った。 本当は意地を張らずに、ドズルに行きたいと言えばそれで済むはずだったのに。 だけど、兄を倒した後のユリアには自分だけが幸せになれる道なんて、選べるはずが無かったのだ。最初から。 自分は幸せになってはいけないのだ。 愛する人と共に過ごすなど出来ないのだ。 「ユリア、大丈夫よ。大丈夫だからね」 優しいラナの声がする。救いの声、だった。兄、セリスが妻にと望むにふさわしい人だった。ラナの声を聞くと安心できる。ユリアはラナに身をゆだねたのだった。 「ねえ、セリス様」 ラナはセリスの執務室にお茶を運ぶと、そう切り出した。 「なんだい、ラナ」 「ユリアの事なんですけど……ドズルに嫁がせる訳にはいきませんか?」 あまりにも単刀直入な発言に、セリスは思考が一時停止したが、言いたい事が分かる。 「僕としては、ユリアがドズルに嫁ぐのは賛成だよ。 だけどユリアがね。やっぱりここから動くのには抵抗があるみたいで」 「ですけど、セリス様。毎朝、ドズルからお花が届けられるでしょう? 今日、通りかかったら、花を前にして、ユリアが泣いてたんです」 ラナは心配そうにそう言った。ラナには分かる。ユリアが泣いていた理由は。会いたいのだ、花の贈り主、ヨハンに。 セリスも分かっているのだろう。困ったようにため息をついた。 「どちらにせよ、ユリアは肉親が死んでしまっているからね、すぐに結婚とかめでたい話にはならないんだけど……婚約くらいだったら、しても良いんじゃないかな。そういうのがあった方が、あの二人は喜びそうだしね」 「婚約、ですか。良いですね、その案」 セリスの具体的提案にラナも乗り気になる。ラナとしてはユリアに笑っていて欲しいのだ。今の花束一方通行だけでなく、違うものが加わったら、彼女にとってどんなに喜ばしい事だろうか。 「……でもどうやって、婚約させます?」 ラナの質問に、セリスも尤もだと頭を振り、考える。そして何かひらめいたらしい。 「僕がヨハンにユリアと婚約してくれるように書状を書こう。それの中身は知らせずにユリアに届けさせるんだ。そうなれば、後は、向こうでなんとか決着はつくだろう」 かなり他力本願である。だが、これ以上の名案が残念ながら浮かばなかったのだ。それなのでしょうがない。 「まあ、そんな事で、僕は書状を書くよ」 「じゃあ、私はユリアの旅したくをしてきますね」 そんなこんなでユリアの兄夫婦は早速、ユリアの婚約へと動き出したのだった。 ユリアの旅も、そう大した事はない。馬は駆れなくても、徒歩でも一日あれば辿り着けるドズル城。 何故、ヨハンへの書状をユリアに持って行けと命が下ったのかはよく分からなかった。 唯一、心当たりがあるとすれば、封書の届け先がヨハンであること、だろうか。 ラナが気を利かせて、ヨハンに会わそうとしているのかもしれない。 ユリアはその気持ちが嬉しくもあり、不安でもあった。 ヨハンはユリアを救えなかったと思っている。ユリアは、操られていたから、本当の自分の気持ちを知らない。セリスの声が初めて聞こえたのだ。 ……だから、結果的にヨハンに会ったのは意識を取り戻してから。 ヨハンはずっと知っていたのだという。ユリアがバーハラの王女であるという事を。その真実を伝えなかったのは、父親や兄と敵対する事になるからである。その苦痛はドズルのヨハンが一番知っていた。 ユリアにはそんな思いをさせたくなかった。だけど、現実はやはり消し去る事など出来ないのだ。 ユリアはヨハンの気持ちが痛いほど分かっていた。 だが、ユリアのことを、セリスもラナも支えてくれている。 だから……ユリアはヨハンを支えたかった。傍にいて、力になってやりたかった。 でも兄の最後を思うと、ヨハンの元に走っていけないのだ。 そんな事を思いながら、ユリアはドズル城まで辿り着く。そして、正門を開いてもらって中に入った。 薔薇だった。薔薇が一面に咲いていた。 ああ、この薔薇が届けられていたのだ。毎日、毎日。 ユリアは朝の光景を想像する。 薔薇の花壇から花を摘むヨハン。そして出来上がった花束を従僕に頼むのだ。バーハラのユリアへと。 「ユリア」 優しく温かく、そして何よりユリアが聞きたい声がした。 ヨハンは優しく微笑む。 「どうした、ユリア。何かあったのか?」 ヨハンの質問にユリアはこっくりと頷く。そして、懐にしまっておいた書状をヨハンに渡した。 「どれどれ」 ヨハンは書状を受け取る。包みをひらいて、書かれていた言葉に絶句した。 「どうしたんですか?」 ユリアは心配そうに声をかけるが、ヨハンはそれどころではない。 セリスの書状には書いてあった。 『かねてから、二人は親しい付き合いで、好意を寄せ合う関係である。そこで、我が妹姫の婚約者となってはいただけないだろうか。妹は貴公に好意を寄せている。貴公もまた妹に好意を寄せているものと思う。今すぐとは言わない。だが、ユリアを幸せにしてやってくれ。』 書状はそれで終わっていた。 ユリアを幸せに……出来るものなら、もうとっくにやっているのに。 今のヨハンの愛情表現は、毎朝の薔薇の花束くらいなのだ。 それ以上のことが出来ない。 ヨハンはユリアを呪いの呪縛から解く事が出来なかった。彼女を守る事も出来なかった。ほんの少し、目を離した隙に消えていった。 ヨハンとしては、とりこぼしだらけなのだ。 こんなに欠落だらけで……ユリアを幸せになどできようか。 だが、ユリアを愛している。その気持ちには偽りはないし、今薔薇の花を嬉しそうに眺めている彼女を愛しく思う。 ……好き、なのだ。 ヨハンは改めて思った。 抱き寄せたいと思う。抱きしめたいと思う。 ……ずっと傍に居て欲しいと思っている。 私にできるだろうか。彼女を救えるだろうか。彼女の力になれるだろうか。 押し問答は続く。 本当は、もう少し、心の整理がついてからユリアに会おうと思っていた。だが、ユリアは今、来てしまっている。 来ていると……感じるのは……愛情。愛しさ。 このまま居て欲しい。そう感じてしまう。 ヨハンはユリアの気持ちを知らなかった。そこで、密偵が送られることになった。 ドズル城の薔薇の花壇で、ユリアは楽しそうに花を見てまわっていた。 そこに、そこには不恰好な青年が現れる。ヨハンの弟のヨハルヴァだ。 「なあ、変な事聞くけどさ」 「はい?なんでもどうぞ?」 面倒ぐさげにヨハルヴァは腕を空に突き上げた。 「兄貴のこと、好きなのか?」 ここでヨハルヴァは言葉を切って、また続けた。 「薔薇の花を毎日送ってくるバカだとか思ってねえか?」 その言葉にユリアは酷く青い顔をした。 「わ、悪い。悪く言うつもりじゃなかったんだ」 ヨハルヴァは自分の言葉足らずに悩まされる。何故、兄は異様に豊富なのだろうか。 ユリアはヨハルヴァを見て、にっこり笑った。 「私、ヨハンさんのこと、好きです。大好きです。 ……叶うなら、傍に居たい。だけど……兄の事が……」 ヨハルヴァも返答に困った。このバーハラのお姫様がヨハンの事が好きだと聞いていたが、障害もあったのだ。 彼女の兄は全てを滅ぼそうとしていたのだから。 はい、めでたいね。御幸せにね。たったそれだけの言葉がこの二人には言えないのだ。 ヨハンは父と兄を殺した業を負い、ユリアは兄を殺した業を負っている。 二人とも、今は幸せになれないのだ。 片付けないといけないことが沢山ある。 ……でも約束なら? ヨハルヴァは名案を思いつき、兄の部屋に出かけた。 「婚約、だと?」 「そう。一応ね。早目に決めたって良いだろう?」 「そ、それはそうなのだが……」 ヨハルヴァの提案にヨハンはイマイチ乗り気ではないらしい。 「ユリアが好きなんだろ。オマモリのつもりでも良いから指輪くらいやったらどうだよ」 「……しかし、ドズルでもバーハラでもこなせばならない事が山のようにある。ユリアをいつまでも待たせられない」 「兄貴は一気に全部考えすぎなんだよ。 婚約期間中にだな、仕事入れた翌日に休みとって馬駆ってバーハラ行ってデートとか、そういうのを途中で入れるんだよ」 「そ……そうか。セリスさまにも頼まれたし……私も決めるとするか」 翌日。 ユリアはドズルの城下町に出ていた。隣には大好きなヨハンが一緒で、嬉しくて嬉しくてたまらないようすだった。そんなユリアをヨハンは愛しく思う。 「さあ、ここだ。こちらにおいで」 一軒の店の前でヨハンは立ち止まり、ユリアを店内に入れた。 お店の中は宝飾品で彩られていた。ユリアはあまりの豪華さに驚いてしまっている。 そんな彼女をヨハンは指輪の所に連れて行った。綺麗なリングが並んでいた。 「どれでもいい。好きなのを選びなさい」 ヨハンが薦めるが、ユリアはどれも綺麗に見えて決められない。 「その指輪の宝石はアメジストか。ユリアの髪の色に良く似ている……」 言われて見れば、確かに自分の髪と似ていて、安心感があった。 「じゃあ、私、これにします」 「私も同じものを」 「同じものですか?」 ユリアが驚いてヨハンの顔を見た。そんな彼女の髪をヨハンは撫でた。 「恋人同士が持つのだから、お揃い、だろう?」 そう言われて、ユリアは耳まで真っ赤になってしまった。 宝石店から出て、城下を見下ろせる落ち着いた場所に移動し、ヨハンは先ほど買った指輪を取り出した。 「これを渡す前に言わねばならないことがある」 ヨハンの真剣な表情に、ユリアもどきりとしながら、次の言葉を待った。 「……いつか私と結婚して欲しい。私も、ユリアもやる事が沢山あるから……すぐには無理かもしれないけれど。結婚の約束をして欲しい」 ユリアはその言葉を真っ赤な顔をして聞いていた。そしてそのまま顔を覆う。 「……嬉しいです。私……ヨハンさんの事、大好きです」 ユリアの告白にヨハンは嬉しそうに頷いた。 そして、取り出した指輪をユリアの左手の薬指にはめた。そして、自分の分を左手の薬指にはめる。 「これで婚約したことになるな」 「はい!」 「……まだしばらくは花束を贈る日が続くと思うけれど、許してくれるかい?」 「……はい」 「だけど、手が空いたときは君を迎えに行くよ。どこかに行こう」 「……はい!」 二人の関係はまだすぐには結ばれないけれど……それでもいつか二人が笑顔で並ぶ日も、そう遠くは無いだろう。 ヨハンvユリア完結編です。まだ終わってない感じなんですが、この二人だったら、すぐに結婚云々にはならないんじゃないかなと思いまして。 でも、これからも毎日ユリアには薔薇の花が届いて、ユリアが遊びに行って、そんな感じで続くんじゃないかな〜と思います。 ヨハルヴァが普通に出てきてますが、うちの話の中ではスカサハに引きずり込まれた事になってます。それなので元気にしてます。なんだかんだ言いつつ兄貴が心配な弟なのです。それにしてもどうして二人とも仲間に出来ないんだろう。 私は馬に乗ってるからという理由でヨハンを選んだのですが、キャラクター的にもヨハンは好きです。でも、私がヨハンを書くとこんな暗い人です……。なんでだろう; やっぱあれかな。「ドズルの民は私を許してくれるだろうか」という台詞からですかね。 ユリアにヨハンと思ったのは、ユリアはストレートに愛情表現してくれる人の方が良いと思ったのです。それに加えてヨハンはユリアの正体に気付いていたかもしれないという背後関係。なかなか面白く惹かれるカップルです。 私もバカップルになってるヨハンとユリアが見たいところです。 |