『大きな手』


 決して忘れない。
 あの大きく優しい手。
 あんな手を持てる人間になる事が目標だった。


「ラドネイ、ロドルバン!太刀筋が迷っているぞ!」
 シャナンはイザーク兵であるラドネイやロドルバンに剣の稽古をつけている。王、直々の鍛錬とあって、皆、覇気が高い。
 その中でシャナンのお気に入りはラドネイとロドルバンの兄妹だ。この二人はそのうち頭角を示すだろう。
「シャナン様、シャナン様」
 ラドネイが息を上げながら、シャナンに迫る。
「シャナン様が目標とされている方はどんな方なのですか?」
 その言葉にシャナンは目を細める。
 あの大きな優しい手を。
「……そうだな、お前達に話しておくのも悪くない」
 シャナンはそう言うと腰を下ろし、淡々と語り始めた。


「大丈夫か?!」
 それが彼の第一声だった。牢番が何者かに倒されて、誰かが駆け込んできた。
 青い髪の……気品を持った騎士。彼はシャナンを見つけると、ほっとした顔をした。
 そして頭に大きくて優しい手を乗せた。その大きさと優しさにシャナンは捕らえられていた恐怖からの解放と、大きな優しさに心を満たされた。
「ね、ねえ、アイラが僕のために戦ってるの。止めて!」
 安心したのもつかの間、次の問題があった。叔母が戦いに出てしまっている。
 彼は優しく笑った。
「大丈夫。様子がおかしいのでね、牽制してる。今から君を連れて行くよ」
 そう言って、彼はシャナンの手を引いた。シャナンはこの時、初めて彼の名前を聞いていないことに気がついた。
「あ、あの……僕はシャナン。あなたは?」
「ああ、私か。シグルドという。さあ、急ごう」
 その声があまりにも大きく、優しく、シャナンの心に響いた。


 アイラに関しては大した事にはならなかった。シグルドの部下のノイッシュが、上手くアイラを誘導していて、大事には至らなかった。
 アイラは少々不服だったようだが、それでもシグルド軍に所属する事になった。


「ねえねえ、アイラ、剣の稽古つけて!」
 元気なシャナンは、叔母であるアイラにまとわりつく。
「アイラ様はお疲れですから、私が代わりとはいけませんか?」
 そう提案してきた騎士はアイラを誘導していたシアルフィの赤騎士だった。最初は少々険悪だった二人も、今は心許せてきているのだろうか、あまり緊張感も無く、穏やかだった。
「うん、それでも良いよ。でも、あなたの名前、なんだっけ?」
「私はノイッシュ。シャナン様、宜しくお願いします」
 彼は子供であるシャナンに一礼する。
 騎士という生き物の事を聞いていたが、子供が相手でも身分を大事にするんだなと思う。
「ノイッシュって、シグルドの側近?」
「ええ、そうですよ」
 その言葉にシャナンは目を輝かせた。
「じゃ、じゃあ、やっぱり、目標はシグルド?!」
「ええ、勿論、シグルド様です」
 その言葉にシャナンは両手を上げて跳ねた。
「やった、仲間!僕も、目標、シグルド!」
 その言葉に聞き捨てならないと、アイラがきっとした目を送る。イザーク王の息子なら、イザークを考えろと思っているのだろう。
 だけど。
 だけど、シャナンは忘れられない。
 助けてもらった時の手の大きさ、優しさ。忘れられないのだ。
「僕、強くなって、シグルドから一本取るよ!それが目標!」
「……まあ、強くなろうと思う心には変わりが無いからな。
 よし、シャナン、手始めにノイッシュをやっつけろ」
「……やっつけるって……」
「よおし、頑張るぞ〜!」
 そうしてシャナンはノイッシュやアイラを相手に、剣を学んでいった。
 あの手に近づくため。あの優しい手に近づくために。
 そのうちにアイラはノイッシュと仲を深め、シャナンの本当の義叔父になってしまったりという、ちょっとびっくりするような事も起きたりもした。

 だが、そんなシャナンを落ち込ませる事態が起きた。
 ディアドラの失踪だ。
 シャナンはシグルドを父のようにディアドラを母のように慕い、二人の愛息子は弟のように思っていた。
 シグルドはシャナンを責めなかったが、その背中はとても寂しそうだった。
 シャナンは思った。セリスを守ると。命に代えても守ると。
 それがシャナンに出来る、シグルドとディアドラへの謝罪でもあった。

「アイラ、流星剣、教えて」
 意を決して、シャナンは奥義を教わろうと叔母にそう言った。
 叔母は嬉しそうな顔をした。シャナンが自主的にやる気を出してくれたのが嬉しかったのだろう。
「じゃあ、とりあえずだな。毎日剣の素振り、打ち込み100回。それから組み手。私が組み手の相手を決めておいてやる」
「うん、僕、頑張るよ!」

 シャナンの強化訓練は、アイラが厳しいせいもあるが、子供相手には過酷とも言えた。
「シャナン様、大丈夫なんでしょうか」
 心配そうにノイッシュが気遣う。彼は穏便で優しい。
「惚れた男のために強くなろうというのだ。手は抜けまい」
「惚れた男?」
 不思議そうな顔をするノイッシュにアイラは指をつきつけた。
「お前も惚れてる男だよ」
 そう言われてノイッシュははっとした。
「そうか、シャナン様、シグルド様のために……」
「気にしているんだろう。ディアドラのこと。
 それに初めて会った時に、シグルドに強い憧れを持ったに違いない。
 シャナンの剣は憧れる目標に向かっていく剣だ。その相手がシグルド公子であるならば、どんどん強くなる可能性を秘めている。
 シグルド公子は強いからな。誰よりも」
 その言葉にノイッシュは頷く。
「そうですね。シグルド様は誰よりも優しくお強い方です」
 そう言って笑うノイッシュの顔も、シグルドに惚れている。
 アイラはシャナンとノイッシュの顔を思い出して、どうして自分の周りにはシグルドを思っている人達が集まっているのだろうと思う。
 だけど、アイラもシグルドに惚れてる一人だから、あんまり文句は言えない。
 あんなに心優しく強い君主はそういるものではない。
 出会えて良かったと心からそう思えるのだ。


「シャナン、君はオイフェとセリスと一緒にイザークに落ち延びて欲しい」
 シャナンが告げられた言葉は衝撃的だった。
「本当はアイラにも頼むつもりだったのだが、ついていくと聞かなくてね」
 シグルドは申し訳無さそうにそう言った。
 落ち延びる。子供でもその意味は理解できた。
 シグルドは死にに行こうとしているのだ。
「やだ。僕、強くなって…セリスもシグルドも守る!だから行かないで!」
 子供の駄々だとは自分でも分かっている。でも行って欲しくなかった。
 シグルドは優しい目でシャナンの頭をなでた。
 あの大きくて優しい手で。
「ありがとう、シャナン。気持ち、凄く嬉しいよ。
 だけど、セリスをこの先には連れて行けない。
 シャナンとオイフェを信頼しているから、任せてたいんだ」
 シグルドの言いたい事はシャナンにもよく分かった。
 息子を任せるのだから、それだけ信頼されている証拠でもある。
 でも。でも。
「……シグルド、死んじゃ……ヤだ……!」
 子供でも分かる事だ。彼が…あの優しい彼が死地に向かうなんて。
 シグルドは優しくシャナンを抱きしめた。
「……大丈夫だから、シャナン。きっと、イザークに迎えに行く。
 だからセリスを守ってやって欲しい」
「……うん」
 涙を零すしかなかった。涙で溢れるしかなかった。
 受け入れないといけない現実がそこにあった。
 憧れの人は……もう手が届かなくなるのだ。
 だから……伝えるべき言葉は
「……僕が、セリスを守るよ。安心して、シグルド」
「うん、ありがとう、シャナン」
 シグルドはもう一度、シャナンの頭を撫でてくれた。
 優しく大きな手だった。
 一生忘れられない手だった。


「……だから、私はシグルドのような人に……シグルドのような手を持てる人になりたいのだよ」
 シャナンは思いでをかみ締めるようにそう言った。
「そ、そんなことないです!」
 ラドネイがそう叫んだ。シャナンは驚いて彼女の顔を見る。
「シャナン様は私達を帝国兵から守ってくださいました。
 私達はシャナン様の手を……優しい手を忘れた事などありません!」
 それはシャナンにとっては大きな告白だった。
 ……自分はなれたのだろうか、シグルドのような人に。あの憧れた大きな手に。
 それはまだ分からない。分からないけれど、嬉しかった。
「ありがとう、ラドネイ。気持ちだけ受け取っておこう」
 そう笑うと、ラドネイとロドルバンを順に見た。
「そうそう、今の話は内緒だからな。要らぬ心配をされたらたまらん」
 ラドネイとロドルバンは顔を見合わせて笑う。
 イザーク王との秘密の約束。
「では行こうか。ラクチェやスカサハが待っているぞ」
 シャナンは声をかけると、ラドネイとロドルバンがその後につき従った。


 シグルドの大きな手は、今、シャナンの大きな手へと代わっていっていた。



シャナンとシグルド様のお話です。シャナンっていったら、一般的にはアイラ・オイフェ・双子・セリスとの関わりが一番大きい所だと思うのですが、シャナンとシグルドも大きいかと。
優しい大きな手という形でこの二人の関係を表してみましたが、如何なものでしょう?


 

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