『迷える子羊』


「アルテナ様、アルテナ様」
 誰かが自分を呼んでいる。それに気がついて、振り返ると、コープルが息を切らせて追って来ていた。
「コープル?どうしたの?」
 走ってくる彼に驚いて、アルテナは、歩くのを止めた。コープルがやっと、アルテナの元に辿り着く。
「あの……その、ここで不自由な事とかありませんか?
 アルテナ様は突然真実を知られたでしょう?僕も両親と姉を知りました。
 だけど、まだ、全面的に受け入れられる訳じゃなくて……アルテナ様の事が心配になりました」
 アルテナは小柄なコープルの頭に手を乗せて撫でる。
「ありがとう、コープル。私を心配してくれているのね」
「は、はい」
 はにかみながら、コープルは頷く。アルテナはコープルを弟のように思っていた。その弟に心配されるようでは、まだまだなんだなとおもう。
「そうね。私は父上を……トラバントを父として疑った事は無かったわ。
 多分……本当の両親には悪いけれど、私にとって父はトラバントだと思っているわ。
 コープルは……どう思っているの?」
 アルテナは似たような境遇にある、コープルにそう尋ねる。コープルは一瞬困った顔をして、それから、手をぎゅっと結んで見せた。
「……僕も父はハンニバル将軍だと思っています。……ただ、変ったのは、姉がいた事、両親は決して僕を捨てたりしていなかった事。本当の両親を……少しずつですけれど、受け入れられてきました。
 なんたって、オイフェ様は僕の父と旧知の仲ですから、色々な話、いっぱい聞いています。だからでしょうか。手放せない指輪も、本当の両親の事も、父と同じくらい大きくなりました」
 それは、コープルがセリス軍に入って間もない頃、指輪で、コープルとリーンが姉弟であることが分かったのだ。そして、父を知る人たちに色々と聞かされ、納得がいったのだろう。
「……私もオイフェ様やフィンにもっと話を聞いてみた方が、いいかしら。
 ……本当の事を言うとね、私、アリオーン兄様と戦いたくは無いの。兄様はいつも私の心配をしてくれて、武術を教えてくれて……私に指導者たる心構えをおしえてくれたわ。父上も……それを温かい目で見つめてくれた。
 私の本当の両親は私を愛してくれたんだと思うわ。それはね、感じるの」
 アルテナはどこかに隠していた感情をコープルにぶつけていた。それは決して悪意のあるものではなく、自分の気持ちを一番分かってくれそうなコープルだからいえるのかもしれない。
 コープルはにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ、アルテナ様。怖い事なんてありませんから」
「ええ、そうね。きっと、そうね」
 コープルに励まされたアルテナは、まず、誰から聞くべきなのを悩んだ。
 手っ取り早いのはフィンである。だが、フィンは息子のデルムッド、娘のナンナ、そしてアルテナの実弟リーフと居る事がほとんどだった。
 それに、まだ、フィンと話すのはためらいがあった。
 アルテナには両親の知識がまるでない。かろうじて残っているのは、おそらく母だと思われる女性に何度も「アルテナ、アルテナ」と呼ばれた記憶しか無かった。
「あ、姉上。これから訓練に行くんですけど、一緒にいかれます?」
 そう声をかけてきたのは実の弟、リーフだ。リーフは育ちの良い優しい子で、面倒を見てきたフィンの教育が窺われる。
 だが、アルテナはその申し出を断ることにした。まだ、心の整理はついていないのだ。リーフを弟に見れるかというと、まだそういうふうに見る事が出来なかった。
 弟なんていなかった。兄のアリオーンが付き合ってくれるだけですべてだった。……もう何もいらなかった。
 別にリーフ達が嫌いなわけではない。ただ、どう接していいか分からない、それだけだ。
 それだけの事が大きかった。
「ごめんなさい、リーフ。ちょっとね、用事があるの」
 アルテナは出来る限り優しい声で。弟の申し出を断った。
 リーフもリーフで戸惑っているのを感じられた。レンスタ―の王子でありながら、彼はゲイボルグを持つ事は許されなかった。それが、どんなに彼を苦しめているのか、アルテナには分かる。
 でも自分がゲイボルグの後継者であり、トラキアをずっとずっと護って来た。ゲイボルグはレンスタ―に帰ってくることも無いかもしれない。
 しかし、アルテナはトラキアを愛していた。トラバントとアリオーンが護って来た、あの厳しい国を愛していた。
 でも、アリオーンはユリウスによって連れ去られてしまった。愛しい、あの兄が。
 本当の事を言えば……アルテナは、おかしいとはずっと思っていた。トラキアにつたわる伝説の武器グングニル。なのに、自分はゲイボルグという別の伝説の武器を持っていた。
 本当の血のつながった家族ではない。その事は気が付いていた。
 その事に気付いてから、アルテナの目線が変わっていった。
 兄、アリオーンだ。
 アルテナは元々兄に懐いていた。大好きだった。
 血がつながっていないと分かった時、アルテナの心は変わった。いつの間にか変化していた。
 兄から恋心を抱く相手へと……。
 だから、アルテナに進軍は辛い。兄はどこかへ行ってしまった。しかも、最大の敵、ユリウス皇子に。
 いつか、対峙してしまう。どんな時だろうと。
 兄に、自分の言葉が届くだろうか。それは分からない。それでも叫ぶつもりだ。愛する兄へと。
 ああ駄目だ。どうしても考えてしまうのは兄の事ばかり。
 リーフの事も考えてあげなくてはいけないのに。思いだすのは愛するトラキア。
 どんなに苦しい国であっても、トラキアを愛していた。これからもずっと変わらないだろう。

 結局、アルテナはオイフェを捕まえて、両親の事を聞いた。フィンの方が良いのではというオイフェの言葉を押し切って、オイフェに聞いた。
 ……フィンには聞けるはずも無かった。トラキアを愛しているアルテナは、もし、父や兄のことを言われたらと思うと身がすくんでしまった。
 父は……優しかった。厳しいけれど優しかった。国を何よりも愛し、そしてそれに全てを捧げた。
 兄も、そんな父に連れ添うようにして、力を貸していた。
 ……そして、アルテナも……トラキアを愛していた。
 父が突然、アルテナを引き離したのも分かる、そういう気がしたから。
 きっと父は自分だけではトラキアを豊かに出来ない事が分かっていたのだろう。だから、託した。アルテナとアリオーンに。
 オイフェは、そんなアルテナの心情を察ししてか、簡単な事しか話さなかった。
 父キュアンはレンスタ―の王子。母はシアルフィ出身でセリスの父と兄妹だった。夫婦仲も良く、キュアンは友情に、エスリンは兄思い長けた人で、友人を助けるために帰国。そして、イード砂漠で命を落としたと。そしておそらく、アルテナはその時にゲイボルグと共に自国に連れ帰ったのではなかろうかと。
 それだけの経緯でアルテナは心がいっぱいになってしまった。だってそうだろう。信じてきたトラバントは両親の敵だったのだから。
 ……それでも。
 それでも、アルテナはトラバントを父親だと、まだ思っていた。
 いや、父親だったのだろう……。
 トラバントは、いつも国の事ばかり考えていた。でも、子供たちの事も忘れてはいなかった。
 ドラゴンに乗り、槍術を教え、トラキアにはグングニルとゲイボルグがある。だから、この国は生き返ると。

「アルテナ様?」
 思い悩んでいるアルテナに声がかかった。その子はある意味、自分に近い存在で。
「ああ、ごめんなさい、コープル。ぼーっとしていたわ」
「いえ、凄くお辛そうな顔をされていましたよ」
 コープルらしくなく、強い声。彼にも分かるのだろうか。この辛い気持が。
 いや、分からない方がおかしいのだ。コープルも本当はトラキアの人間ではない。それでも、彼はトラキアを想っている。
「僕、決めたんです。アルテナ様」
 彼は胸を張っていた。
「僕は、この戦いが終わったら、トラキアのために生きます。この国が、もっと豊かになるように、僕は精一杯頑張ります。
 …………アルテナ様、お一人で抱え込まないで下さい。僕も、頼りないかもしれないけれど隣りを歩きます」
 それは朗々とした声だった。迷いのない真っ直ぐな心。それが、アルテナの胸に響く。
「アルテナ様はレンスタ―の王女です。アルテナ様がどんな結論を出すのかは、僕にはわかりません。
 でも、僕はトラキアの復興に捧げます。だから、安心していて下さい。アルテナ様がどんな結論を下そうと、僕は僕で決めた事をしっかりやりますから。だから、アルテナ様はアルテナ様の道を選んでください」
 それは、アルテナにとって、あまりにも心強い言葉だった。
 コープルはトラキアのために生きるんだと。
 だったら私は、どうすればいいのかと。
「ありがとう、コープル。あなたのおかげで結論が出たわ」
「結論……ですか?」
 アルテナはにっこりと笑った。それは、もう、何の迷いも無い笑顔だった。
「私も護る。父上が愛したこのトラキアを。もっともっと良い国にしてみせるわ。
 そして、アリオーン兄様を取り返すの。いつも、私の隣りにいてくれるように」
 アルテナの決意を聞いて安心したのか、コープルは目に涙を浮かべているようだった。
「ぼ、僕、アルテナ様の事、しっかり護ります。
 アリオーン様をとりもどしましょう。一緒に」
 コープルの言葉にアルテナは優しく微笑む。
「ええ、ありがとう。コープル」
 まずはアリオーンを取り戻す。ユリウスの手から。
 そして、ゲイボルグとグングニルをもつにふさわしい国へとしていくのだ。
 おそらく、レンスタ―とも協力しなくてはならないだろう。
 だけど、アルテナとリーフは姉弟の関係だ。きっと、繋がる事が出来るだろう。
 この荒廃した、この地に命をもたらすのだ。
 トラキアを愛する二人は、復興のために力を使う事を、ここに誓ったのだった。






アルテナとコープルを書くのは結構好きだったりします。アルテナvコープルも好きなので。
ただ、今回のお題ではコープルvパティ、アリオーンvアルテナでいきますので、一応、カップリングではないハズです。
アルテナとコープルはトラキア復興に全てを捧げるのではないかと思っています。勿論、アリオーンも。
トラバントというキャラクターに惹かれているので、余計かもしれませんが。
その後は「トラキア」の項目になる予定です。

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