『見えない翼』

 実感が無い。その言葉が一番相応しいような気がした。
 ボッシュの濡れ衣を晴らした。
 世界がおかしい事も気がついた。
 そして、それに自分の故郷が関わっているのだという。
 ゲイト村。
 リュウが生まれ育った村だった。
 彼は大きなため息を一つつく。
 おかしいのは最近ではない。
 少なくとも、あの故郷では。
 あの故郷はすでに狂っていたのだ。もう何年も前から。
 突然、父と妹が消えたあの日から。
 ずっと居たはずのリュウを誰一人として覚えていなかったあの日から。
 住んでいたはずの教会は、別の神父が居座っていた。どう見ても、つい先程まで自分が住んでいた家だった。父も妹も居た。
 だけど、何故か全て無くなっていたのだ。
 今、考えても理不尽だった。
 子供の時に至っては何が起きたかさえ理解できなかった。
 分かったのは、もうここには居場所が無いという事。
 だから、父や妹を探さないといけないと思った。
 それはもう昔のこと。
今はそれを実行しようと思えば出来るわけだが、仕事を持って生きていきはじめた彼にはそれが両立できるとは思えなかった。
今も、父や妹はどこに居るのだろうかと思うけれど。思わない日は無いけれど。
でもこの思いはずっと仕舞ってきた。
ボッシュが一緒だったからだ。
彼はそんな事を気にしなかったけれど、リュウにとっては気にならないわけが無かった。
天涯孤独の彼。
その寂しさはリュウも身をもって味わったから。
だが、その苦い思い出の地であるゲイト村がまた関わってきた。
それに家族の事も……どうもひっかかるのだ。
それは多分、あの泥棒に会ったから。
黒い翼。それは母の翼に似ていた。母の翼は白かったけれど、でも髪の色は一緒だった。リュウと同じ青色。
年頃は……妹に近かった。
 まさか。そうは思うけれど否定できない。
 でも、妹なら名前が違うのだが、それでもどこかでひっかかるものを感じるのだ。
 世界が動いている。
 関係するのは生まれ故郷。
 あの家族の離散も関係しているのだろうか。
 よく分からない。
 何が出来るのかも良く分からない。
 一体何が出来るというのだろう。
 世界は広いのに。こんなにも大きいのに。
 こんなちっぽけな人間の出来ることなんてたかがしれているじゃないか。
「リュウ〜?何してるの?」
 能天気に明るい声が聞こえてくる。
 リュウは急に我に返って、その声の主に対して振り返ろうとするが、急に両肩に重みが掛かってきて、そのままのしかかられるような重さが伝わり、視界も遮られる。
「だ〜れだ!」
 無邪気な声が聞こえる。
 こういう事をして、女の子の声ならば、一人しか該当者はいるはずがない。
「リンプーだろう?」
 そう答えると視界が広がり、見上げた先には真紅の髪の少女が楽しそうに笑っているのが見えた。
「えへへ、あったり〜!
 何してたの?」
 無邪気にリンプーは尋ねてくる。
 そんな彼女につられるようにしてリュウも微笑んだ。
 彼女は明るいと思う。本当に。
 自分の人生も十分波乱に富んでいると思うのだが、リンプーの人生はもう全く別世界だった。それにもかかわらず笑える彼女は本当に強いのだろうと思う。
「……考え事、かな?」
 リュウは説明に困る。
 ただ、漠然と考えていただけだ。
 これからどうするべきなのか、どうしたいのか。それ以上に思いつくことも無い。
 リュウの答えに彼の心情でも察してくれたのだろうか、彼女が苦い顔をした。
「……あたし、難しい話は得意じゃないんだよね」
 ……違う意味で、苦い話題だったらしい。
 彼女は自分を頭が悪いだの、バカだの言うのだが、リュウだってまともな教育を受けていないので実際は大差無いと思う。それでも、それは彼女のコンプレックスなのだろう。
 まあ、リュウが突き当たっている問題は確かに難しいのだけれど。
 リュウが言葉に窮しているところで、リンプーはリュウの顔が見える位置までぐるっと回って移動してくる。
 リュウの顔が見える位置になると座り込み、じっとリュウの顔を見た。
 いきなりじっと見られていることに気がつき、リュウは慌てた。
「な、何?」
 思わずリュウは身を引いた。彼女の行動は突飛な事が多いのだ。
 だが、リンプーはそんなリュウの事を気にすることなくじっと見続ける。
 彼女の琥珀色の瞳に自分が映っているのが見えて、リュウは照れくさくて顔を背けた。
 女の子とはこうやって接する事が少なかったし、こういう時どうしていいのかも分からないのだ。普段は少年みたいな彼女もやっぱり女の子には違いない。
 そんなリュウの気持ちを知ってか知らずかリンプーはじっと彼の顔を覗き込んだままだった。
「……やっぱりリュウって変だよね」
 その末に発せられた言葉にリュウもさすがに顔をしかめる。
「……変で悪かったな」
「うん、やっぱり変かなって」
 さらに駄目押しされてリュウは苦笑した。彼女との会話はこんな感じになりやすい。彼女の思考は一定に固まりやすいからだ。
 だが、彼女には何か思うところがあるらしい。真剣な顔だ。
「あたしさ…色んな奴に会ってきたんだよ。
 色んな種族、色んな職業の人、いっぱい、いっぱい。
 だけど、リュウみたいな奴には会ったこと無い。
 なんていうかリュウの目って他と違う」
「違う?」
 真顔でそう言われて、リュウは鸚鵡返しにそう問い返した。
 こういう話題ははっきり言ってリンプーの方が強い。レンジャーで色々な場所にも人にも会ったはずだが、リンプーは闘技場での出会いばかりだ。会っている人間はくせが半端ではない。
 リンプーは頷く。
「うん、すごく強いものを感じる。
 リュウ、この間、変身したじゃない。あれも関係あるのかも……」
「ああ、あれか……。
 なんだったんだろうな」
 ドラゴンに変身したのは最近のことだった。
 母は翼は生えていたけれど、どうもそれとは関係が無いような気もする。翼があるからといって変身したりするわけじゃない。
 かといって父は普通だったし、怪しいとしたら母なのだが、その事を尋ねたくても母は居ない。
 結局振り出しに戻るのか。
 リュウは苦笑した。
 行き着くところ、結局ゲイト村になるのかもしれない。
誰かが呼んでいるのかもしれなかった。
そう、呼んでいるのかもしれない。そうとしか思えないところもあった。
「……でも何が出来るんだろうな?」
 リュウは最初の疑問に戻る。
 何かが起きている事を調べる事にはなったが、雲を掴むような話なのだ。
「いいじゃん、とりあえずやってみれば」
 能天気な返事が返ってくる。
 リンプーがにこにこして腕を伸ばした。
「だってやってみないと始まらないでしょ。
 もしかしたらリュウの家族にも会えるかもしれないし、ようは考え方じゃない?」
「そうかもしれないな……。
って、なんでリンプーが俺の家族の話を知って…!」
 話の矛盾にやっと気がついてリュウは慌てた。彼女が知るはず無いのだ。話した覚えも無いというのに。
 だが、リンプーはにっこりと笑って返す。
「ううん、ボッシュからちょっと聞いたの。
 ゲイト村、知ってそうだったからちょっと気になって聞いたらさ」
 その答えにリュウも納得する。
 あの村はボッシュに会ったところでもある。まるで、家族を失った彼に救いのように現れた親友が彼だった。
 確かに彼に尋ねれば、どうしてもその話が出てくるのだろう。
「あたし、家族とか居ないけどさ、そういうのって良いなって思うんだ。
 あったかいんだろうね、家族ってさ」
 リンプーは羨ましそうにそう言った。その表情はどことなく寂しげで、リュウははっとする。
 そう、彼女も家族を知らない少女だった。
「だから、リュウは家族が居るんだからさ、ちゃんと探さないと!
 あたし、人探しくらいは手伝えるよ!」
 リンプーはどんと胸を叩いて、元気良くそう言った。
「……えっと」
 リュウは言葉に詰まる。家族の居ない彼女に対してどう言って良いのか分からなかった。
 そんな彼の様子に気がついたのかリンプーはきょとんとした。
「あ、もしかして、あたしが家族居ないのを気にしてる?
 別に気にしなくたっていいのにさ」
「いや、気にするなって言われてもなあ。
 俺にとって当たり前のことが当たり前じゃないわけだしさ……」
 リュウは言葉を濁した。だが、リンプーはそんな事は関係ないというように首を横に振った。
「でも、あたしは居ないのが当たり前なんだしさ。羨ましいと思ったってどうしようもないじゃん。
 でも今は居なくっても、将来あたしが作れば良いんだよ。
 永久に手に入らないものなんかじゃないんだしさ!」
 そう言ってリンプーはにかっと笑った。
 そう、そう信じているという笑顔だった。
 無いものを嘆くわけではなく、いつか得るために。彼女は前を向いているのだろう。
 そう、きっと彼女の強さはそこなのだ。そんな事をリュウは思った。
 前向きか。
 そう、いつも後ろを向いているのも面白くない。しっかり前を見据えていこう。
 リンプーの言うとおり、前を向かないと出来ないことは沢山、沢山あるのだから。
 そして、また別れ別れになった父や妹と再会できる日も来るかもしれない。
 その日は……いつか来て欲しいものだ。
「そういえばリュウって西側の国って行ったことある?スイマー城よりずっと南の方。
 ランドってそっちの出身なんだってさ!ランドいわく只の田舎だって言うんだけど、あたし、あっちの辺知らないんだよね。
 未知のところって行くのわくわくしない?どんな土地なんだろうとか、どんな景色があるんだろうとか、どんな美味しいものがあるんだろうとか、どんな人が住んでいるんだろうとか!
 あたし、それ考えたらわくわくするんだよね!」
 リンプーが目をキラキラさせながら離しかけてくる。それが本当に楽しそうで、リュウも思わず引き込まれる。
「確かにそうだよな。
 俺もレンジャーやってたけど、半人前だったからモトの町周辺しか歩いてないんだよね。
 コルセアの闘技場を見た時も、ウィンディアの風車を見た時も、スイマー城で水の中を歩いた時も……世界って色んなものがあるんだなって思った」
 リュウは思い出す。今まで歩いてきた道を。短い期間だったが、本当に色んな所を早足で歩いてきた。今まで行ったところも、もっとゆっくりすれば色々とした発見がまだまだ残されているのだろう。世界を歩くということは世界の広さを知ることだった。
 リンプーもリュウの返事に上機嫌な顔をした。
「でしょ、でしょ?
 あたしさ、ニーナの羽を最初見た時、感動したんだよね!
 この世にはあんな綺麗な翼持っている人が居るんだってさ!
 そういえばあの泥棒の子も翼が生えてたよね、ニーナと違ってコウモリみたいだったけど。
 いいな〜、あたしも翼が欲しかったよ!」
 リンプーは羨ましそうにそう言った。そういえば、リンプーはニーナに一目惚れしていた事を思い出す。彼女の使う雷の魔法に感激していたようだったが…今の話を聞くと魔法だけではないようだ。
 リンプーに翼か……。
 一瞬、想像してみたが……あまりに似合わないのでリュウは思わず吹き出してしまった。
「ははは!似合わないって!」
「ちょっと……そんなに笑わなくてもいいじゃん!」
 おなかを抱えて笑い出すリュウにリンプーは渋い顔をした。そこまで笑われる筋合いはない。
「良いじゃないか、翼なんてなくても。
 空は飛べないかもしれないけど、リンプーなら自力で行くんだろう?」
「そうだけどさ〜。でも、憧れたっていいじゃん」
「翼の代わりに立派なしっぽがあるじゃないか。強そうだぞ、それ」
「しっぽ〜?
 う〜ん、鍛えれば武器になるかなあ」
 リンプーはしっぽをばたばたさせてみる。
 どうやら、本当に武器になるか試しているらしい。でも、確かにあのしなやかで丈夫なしっぽなら……武器になりそうだ。
 そんな彼女を見ながらリュウは考えた。
 だけど、本当は彼女には翼が生えているのかもしれない。ただ、ニーナみたいに見えないだけだ。体も浮かばないけど、その心には大きな翼があるのだろう。
 前へ、前へと向いて。
 そんな彼女が少し羨ましいとリュウは思った。
 俺にも翼があるんだろうか。
 リュウはそんな事を考える。
 もし、翼があるのなら…飛んでいけるかもしれない。どんな所にでも、どんな世界にでも。
 きっとあるのだ。リュウはそんな風に考えた。彼女のように好奇心を持つ事は出来るし、そう感じている。ただ、不安を感じてそれが小さくなってしまっているだけなのだ。
 それに少し必要なのは小さな強さ。ほんの少しの勇気。
 リュウはリンプーを見つめる。彼女はまだしきりにしっぽを動かして、考えているらしい。そのうち新たな技でも開発されそうだ。
 見えない翼か……。
 リュウはリンプーの背中に大きな翼が見えた気がした。大きな空に羽ばたく翼が。
 彼女の飛び立つ空はどんなものなのだろうか。
 それは自分と同じ空なのか、それとも彼女だけの空なのか。
 その空を見ていたいと思った。
 彼女の飛び立つ時を見てみたいと思った。
 そして、その飛び続ける姿を見ていたいと思った。
 リュウは知らない間に優しく微笑み、彼女を見つめていた。
 心の中で、彼女の存在が少し変わったような気がした。


               END


かなり昔に書いた小説になります。でも、今でも気に入っている話でもあります。
少しでも気に入っていただければ幸いです。

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