私小説:アラビアンナイトは生きている。〜わたしは愛で成功した

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<登場人物>
わたし ・・・ 池田 麻美
レダ先生 ・・・ エジプト国立舞踊団の創始者
マフムード・レダファルーク先生 ・・・ 同舞踊団の講師・振付家
レダ先生の助手ラキア先生 ・・・ エジプトで1番の振付師
DR.モーゲッダウィ ・・・ ドイツとオーストラリアに舞踊団を持つ国際的に活躍している振付家
サマーハ ・・・ カイロの女性歌手 友人
ハナーディ ・・・ エジプトのベリーダンサー。ラキア先生の教室で知り合った。
シーコ ・・・ ベリーダンサー付のヌビアン歌手
ネフェルティティ ・・・ ガーデンシティで出会った赤ちゃん猫
アリババ ・・・ 本名セミール・アリー。カイロで最初の友人、ホテルの土産物屋のエジプト人
木村佳寿美さん ・・・ 現在カイロで踊っている唯一の日本人ダンサー

<地名・アラビア後・その他>

エダ ・・・ 何=what
ザマレック ・・・ ナイル川に浮かぶ島
カジノ ・・・ ナイトクラブ
ブリザリオ ・・・ マネージャー
ペーパー ・・・ ビザのこと 芸能人が全てエジプトで必要なもので芸能ビザ・労働ビザあともう一種類のビザが必要。毎年とるもので価格は2000ポンド(約4万円)といわれている。
エジプト人女性の服装 ・・・ 今イスラム回帰で頭はスカーフで多い首筋も見せない。服装も長袖のシャツにロングスカートかパンタロンをはいている女性が多数を占めている。

 

前書き  わたしは10年間ベリーダンスを習ってきた。日本では3人の先生につきまた外国人講師招いたワークショップも受講してきた。誰よりも練習熱心なダンサーと言えると思う。

    その間教室の発表会や自治体のイベント、またアルバイト先のスナックやそこのお客様の

    紹介の明治記念館のパーティ等様々なステージで最初は友人達と、数年後からは1人で踊ってきた。5年前のエジプト人の先生DR,モーゲッダウィのワークショップでわたしにエジプトにこないか、といわれたのをきっかけに本格的に留学すること、そしてカイロで踊ることを夢に見始めた。念願がかない1995年のお正月わたしは以前オリエンタルダンスフェスティバルで言ったカイロに再度留学することになった

  

1. エジプトへ  〜4年振りにカイロへ 

強烈に不安を感じる。外務省のアルバイトを辞めたのは果たしてよかったのか。しかし気を取り直し家族からもらった新しいメールアドレスをメモしながらゲートに入る。遅刻のわたしを機内のお客さんが皆で待っててくれた。飛行機の中でもひたすら不安が頭を駆け巡る。わたしはカイロへ行くと決めた前の半年間、仕事しながらも好きだった恋人が忘れられずろくに準備も出来なかっのだ。 

 踊りは4年前のエジプトで買ったビデオから振り移して勉強していたが・・・・。

 空港は真っ暗。いろんな人が一緒に行こうと声をかける。公衆電話でレダ先生にかけるがつながらない。今夜ベリーダンスを見よう、そう決めてタクシーに乗りホテルの名前を連呼する。ここだよ、運転手さんに手伝ってもらい、たくさんの荷物を降ろすと正面だと思ってた裏口から入る。パスポートを見せ、持ってたステッキを聞かれたので、ここで踊りたいの、という。「マネージャーを連れてきたまえ、そうすればホテルの人に話してあげるさ。」アブドッラーを金文字で書かれたネームプレートのエジプト人。受付で何とかチェックインし、悪い癖で寝ないようにすぐ着替え、さっき聞いたナイトクラブへ向かう。どこへ座ろう、お客さんは外人さんばかりで緊張する。1人でも丁寧に接客してくれ、ほっとする。なんだかロックをやっている。本当にここでベリーダンスが見られるの。幕が下がり、衣装をつけた女の子たちが出てくる。きれいだし上手、でもこんなもの? あまり感動しない。もう2時になる、ショーは終わりなのか。すると、もう1度幕がさがりオーケストラの曲と共に幕が上がる。しばらくして1人の金髪のダンサーが登場。踊りは表現力がさっきのダンサー達とぜんぜん違う。バックは全部男性、歌手もついている。なんてファンタスティックでかっこいいの。ここで踊りたい、心底そう思った。

 次の日ホテルから電話するとディアナ先生が出た! 予定よりずっと遅れてきたわたしだけど今カイロなのと話すと、迎えに行くと行ってくださった。時差を忘れていて、ピラミッド行きのタクシー運転手さんの誘いも断り、ディアナ先生の到来を待つ。セミラミスのロビーで5〜6時間荷物の横に座ってて、家まで行ってみようと決めたとき「HAIASAMI」突然現れたディアナ先生はわたしを抱きしめ頬にキスする本当にほっとした。

 「いい、ここがシェラトンカイロ。そしてあれがホテルピラミザ」わたしはとても覚えられそうにないと思う。先生のマンションに着くと入り口は暗くてエレベータは扉がついてない、びっくりする。こわれないかしら。だが先生の部屋はシャンデリアがさがり、広くて素敵だった。後でわかったがカイロの家は外見は地味だが中は格段に広く、鏡やシャンデリアや美しい家具で詰まっているのだ。あるスチュワーデスさんが世界中で1番空から見て美しい町並みはカイロだと言っていた。

まだろくに観光をしてないわたしだけど家を見るだけでも本当に、そう思う。

 ディアナ先生はステイする部屋を案内してくれて、早速カギを手渡してくれる。「Iwant go Mr.REDA Today.」というと「ここでのレッスンは何時からでもいいのよ。行きなさい。」とおっしゃる。来た早々、暑いカイロの町へ出る・・・・。 

     ファルーク先生

カスラニール通りの50番地何度もタクシーの運転手に確認し、ここだと教わった建物に入る。1階は銀行。階段のガラスが破けてる、びっくりする。なんで直さないの。やっと3階にMAHMOOD REDA STUDIOと書かれた扉を見つける。呼び鈴を鳴らすと肌の黒い男の子が迎える。レダ先生はティーシャツにジャージ姿で「わたしに何が出来るかな」という。「民族舞踊を習いたいのです」と答える。お茶が出てきてわたしは昨日、ホテルでダンスを見たわ、というと「あなたも踊ったの?」と先生。「いいえ、ただマーネジャーを連れてくれば紹介してあげると言われた、日本にわたしが踊る場所はないの」「ああ、君に帰る場所などない。」こう言われた。

少しレダ先生の前で踊った、この動きは好きだよ、とヒップテンションは褒めてくれたが「ファルーク!」誰かを呼ぶ「アイワ!」Gパンにズック靴のおじいさんが現れた。ファルークムスタファ先生との初めての出会い。「ファルークも良い先生だ」とレダ氏。こんな年取ってるかたが踊れるの? イスケンドレイアだ。力強くステップを見せるが。わたしは覚えるのが遅い。驚いた先生は 

手をつないで一緒に動いてくれる。稽古場のマフムード氏の写真にはっとした。「ファルーク先生、若い頃のレダ先生、これ日本で夢に見たわ」先生は何も言わない。レッスンが終わってわたしは次の約束を土曜日に取り付けた。「さあ、支度はまだかね?」先生は急いでわたしを帰す。

     アリババ

カイロについた初めての晩に入ったセミラミスホテル。ここでベリーダンサーは契約していると聞きまず昼間ホテルへ行く。リザーベーションデスクで、ナイトクラブの関係者は夜8時から来ると聞いて、わたしは通路を歩いて明るいお店に入った。「ようこそ、始めまして。わたしがアリババです」アリババ・バザールと書かれた店で口ひげを生やし、ブルーの帽子をかぶった男が日本語で言う。「ここにはベリーダンスのために来たの」「ほう、わたしはあなたと結婚したい、どうかね?」いきなり何?でも話しこむとなんだか気があう。「ピラミッドのそばにわたしの家族の店がある。そこではあなたがお好みの自然の化粧品や香水がたくさんある。お金は要らないから、車で乗せていくよ」でも不安でその後何度も話に行ったが招待には応じずにいた。ある日、やっと決心し彼と共にホテルの前でタクシーに乗る。ああっ、ピラミッドが見えてくる。初めてで感動するわたしのためタクシーを止めてくれた。ガラベーヤを着た男の子やロバが行き交う道を通り真ん中が公園になっている広い通りに出た。もっととても広い店を想像していたが彼の家はピンクの明るい外観の家くらいの大きさの店で、中は本当にアラビアンナイトのよう。壁は香水や香水ビンでの棚でびっしり埋まり、足元には香料が満杯のたるが並ぶ。唐草模様の極彩色のソファに腰をおろすと、「何を飲みたいですか?」と彼が聞く。暑かったのでカルカデを頼む。彼は日本の家族のことをしきりに尋ねる。化粧品を見たいわ、というと少し間があって幾つかの包みを持って戻ってくる。「これはわたしの家族の女が皆使っているものだ」コフルとい美しい木の入れ物に入ったアイラインに顔を白くするというパック、死海で取れた原料を使った石鹸を選んだ。考えた値段の倍ある、でもせっかくだから買う。「今度はわたしの娘をお見せしましょう。またホテルで」タクシーを停めてくれ、夕暮れのピラミッド通りを後にした。

     ディアナ先生

レダ先生のスタジオでレッスンを受けた顛末を話し、いつでもいいのよ、と言われたレッスンを午後3時から受ける。東京のクラスで受けてウムカルツームのリサ・フェーカーの続きをまず教わる。「これを外国人が習得するのは難しいわ。」「何故」とわたし。「元の歌のメロディーが聞き取れないと、10ポンドでカセットが売っているはずよ。」翌朝、早速わたしはダウンタウンに繰り出す。お菓子屋さんの奥の通りにテープやさんが見つかる。わたしはリサフェーカーのフレーズを口ずさんでみる。「ウンム・カルツームは皆20ポンドさ。」まあいいか、と初めて彼女のテープを買い、先生に見せる。レッスンの時先生はその曲とダンス用のト代わる代わる使う。「ここはわたしは悲しくて涙を流す、というところ。振りは忘れたから今作るわ。」わたしは覚えが悪く先生が休む間何度も復習をする。「麻美、私の友達はダンスをやる人ばかりじゃあないの。明日の晩皆と会うけど一緒に来る?」「はい!」「8時よ、いったいどうしたの?」疲れて寝たままのわたし。言い訳して急いで着替え、先生と一緒にタクシーに乗る。途中で1人の男性をあるアパートで広い、ナイルに浮かぶ遊覧船へ。音楽が流れ、色とりどりの電球がナイルに映えて美しい。予約を先生が確認し、長いテーブル席に座る。しばらくして先生の友達のフランス人女性が来る。「彼女は?」特別なダンサーなのと聞いてるみたい「来たから教えてやってるのよ」きつい先生のお言葉。そうよね、勝手に名刺を調べてメールを送り、いきなりカイロに来たわけだから。先生はワイン、わたしはジュースを注文し、他にも同じ友人の来たテーブルでわたしは緊張する。途中で落ち合った男性が話し掛けてくれる。スペイン人で今カイロで暮らしてるがいずれ帰りたいそうだ。「麻美、踊ろう。」正面のステージで彼のステップに合わせて踊る。彼はわたしの髪の毛を持って踊る。面白い。すると別のカップルも踊りだす。何曲も踊って席に戻ると、今度はディアナ先生たちもステージへ行く。「麻美、このままいる? それとも帰って寝たい?」先生が聞く。帰るわ、というとさっきの彼ががっかりした顔をする。レッスンの復習がしたかった。ディアナ先生はタクシーの運転手と言い争わない、外国人だからと割り切って高い値段で乗る。わたしを車に乗って家まで一緒に送ってくれた。

もうちょっといればよかったかな、少し後悔しながら先生の猫をなぜて大きな鏡の前で練習を始めた。

     ラキア先生

ある日わたしは手帳をディアナ先生の家に忘れたことを思い出した。スタジオがどこかわからない。1度セミラミスホテルのビジネスセンターへ行く。「あのマフムード・レダ?」びっくりしながらもスタッフのお兄さんがある住所をくれる。そこはアグーザなんだか屋根の丸い建物。入り口にいるかたに身振り手振りで話すと、ここじゃあない、とダウンタウンの住所を書いてくれる。ほっとしてスタジオへ行くと「随分遅いじゃないか」とレダ氏。このままではディアナ先生の家にも帰れない、と説明すると「ラキアのTELをあげよう」と1枚のメモをくれる。東京で何度かワークショップを取り、1度お食事も一緒にした方。5年前のラムセスヒルトンでのパーティーで一人ぼっちだったわたしの頭に手を置いて慰めてくれた方。必死で電話すると、弟さんが出る、「今は留守だがじき戻るよ。来てよろしい。」そのマンションの先生の部屋を探すまでも大変でやっと扉が開いたとき、わたしは憔悴して上手く離せなかった。久しぶりの先生と対面するとエネルギーを感じさせる方でわたしは緊張しながら、ひたすら謝る。「あなた見たことがあるわ。いいのよ、ディアナに電話をかける?」先生を待つ間、紅茶とサンドイッチを出してくれた。美しい熱帯魚が泳ぐ水槽を眺めながらカイロに来てはじめての安堵感を感じた。雨の中いらしたディアナ先生はとても怒っていた。方向音痴なの、と言い訳するわたし。先生はそのまま帰りわたしに1人で戻るよう言ったがラキア先生が間に入り、外国人だからとかばう。ディアナ先生と家に戻るとこれからは道をちゃんと覚えようと、決心した。

ある時ディアナ先生が家を留守にするという。なんとなくひかれてラキア先生の家にいってしまう。事情をいうと先生は快くいれてくれ、友人に電話で私のことを話す。そこで色んなダンサーのレッスンを見るうちラキア先生のレッスンも受けたくなった。助手のイハッブさんが勧めたせいもある。ディアナ先生に悪いな、そう思いながらも1時間のレッスンを決める。「あなたは皆にいくら払ってるの?」わたしが正直に答えると「じゃあ、わたしは250ポンドだわ」わたしのせいで50ポンドもレッスン代が上がってしまったのだ。

2. レッスンの日々

 「エジプトで踊りたい。」あるとき思い切ってディアナ先生に言った。「それにはお金がたくさんいるわ、それとあなた専属のオーケストラもね。」先生はもっともな調子で答えた後、「アハハハ。」電話でわたしのことを友達に話してからかう・・フランス語で。エジプト人のラキア先生は「仕事があるのは夏です!」と言ったのに。初めての会話で「あなたも昨夜ホテルでダンスしたの?」とレダ先生は言ってくださったのに。でもそのあと「あなたは良い芸術的センスを持っている、それはわかるの。でもあなたの基礎はエジプトのと違うのよ。」といってディアナ先生は今の倍力を入れる腰中心のアンジュレーションやシュミを教えてくれた。

  デコレートな家具に囲まれての個人レッスンは贅沢で本当に幸せを感じた、そして先生の作るフランス料理もとても繊細な味・・。日本と同じように水や卵やお茶、どこからくるのかわからないまま。また先生はダンスだけでなくフランスの大学の講義をとっていて、勉強もしていた。大学を出て以来勉強なんてまったくしていないわたしは立派だなあ、と感じる。ある時ラキア先生のレッスンから帰ると「ラキアのレッスンはどうだった?」と静かに聞きなさる。申し訳ない気持ちになる。3週間たつと先生が外国へいくから新しい家を探しなさい、という。「あなたは少し習って帰ると思ってたのよ。」と。何の当てもないわたしは先生にお願いし、ダウンタウンのペンションローマというホテルに移った。先生の家を出てホテルに移ったとき、レストランの見つけ方もわからなかった。アラビア語の上料理の見本も外に出ていないし、ホテルのパンでは体がもたない。そこで夕食だけ5つ星ホテルで毎晩食べ、米やしょうゆを日本から送ってもらった。

 歩いていけるのは楽。朝11時にレダ氏のスタジオに向かう。入り口のジューススタンドのお兄さんと仲良くなり、何かしら会話を交わしてから上に上っていく。わたし一人の時は少なく、レダ先生が外国から招いたダンサーや、舞踊団の女の子が同じようにレッスンを受けていた。1人のときは大抵ファルーク先生はテレビニュースを見ている。わたしが来るとまずお茶を入れてくれ、それからレッスンが始まる。イスケンドレイアは足が重くて持たない。こんなに長い踊りを重たいミラーヤをもって踊るなんて、初めは辛かった。次のアサーヤの曲も難しかったが、力強いステップが気に入った。先生はエジプトの地図を書き、イスケンドレイア、ハッガーラ、ステッキとそれぞれの由来の地域も説明する。民族舞踊を2曲習ったところで、先生はベリーダンスを習いたくないかね、とおっしゃった。ビデオでみるベールの踊りはあまり冴えなくて、「わたし、この踊り嫌い」と思わず言ってしまった。先生は傷つき「君が嫌ならいいんだよ。」とさっとデッキを片付けさっき書いた地図もびりびりに破ってしまった。ガワージを習うとき、「この歌の意味は何ですか」と聞いた。先生はわたしをバルコニーまで連れて行き、太陽のさんさんと射すカイロの通りを指差し、「今日はいい天気だな、そんなような意味だよ。」とおっしゃった。「それをわたしにくれ。」飲みかけのジュース(1.25ポンドのお気に入りの100パーセントグアバジュース)を先生と分け合う。初めはクラシックバレエを民族舞踊だけだったのが段々ベリーダンスも見てくれるようになった。この振り付けは良い、この部分は直す、などと構成や振りを変えて頂く。先生が直された振りは前より魅力的でますます尊敬の念を抱く。ある時屋台で買ったスヘイラザキのDVDを持っていく。「この相手役の男は大変もててベッドの上で女性に殺されたのさ、君もわたしを殺すかい?」などと説明する。「このビデオはいったい何時終わるのかね?」「ベリーダンスは好きじゃないね、衣装を何度変えてもずっと同じステップ、君もこの通り真似するのでなく民族舞踊のステップを組み入れなさい。そうすれば踊りも格段に良くなるだろう。」トッファーファという踊り(りんごの意味)はレダ先生がお留守のときに教わった。わたしはいつもカイロで踊れるところを探していると話す。「君はここでは踊れないよ」「何故?」「もっと練習も必要だしこの娘はこんなに美しい、今踊って見せましょう。こう言ってくれるブリザリオ(マネージャー)がついてないとだめなのさ」

  ある時日本から持ってきたヒシャム先生のCDをみて何となく電話をかけた。するとすぐ彼が出て瞬く間にレッスンを受けることになってしまった。場所はアグーザのとあるマンションで1室がスタジオになってる所。壁に様々な人のポスター。あれはエジプトの有名な芸術家達だよ。黒いサングラスの女性がウンムカルツーム。ベリーダンサーはいない、何故? ヒシャム先生からはエジプトのポップソングを使うダンスを習った。他のどの先生よりも体の動きを厳しく注意される。「膝が硬い、まるで棒のよう。君はいったい人形か?」何か緊張感が抜けないのだ。

その頃居たディアナ先生のマンションの下にファーストフードのレストランがあった。安くターメーヤやその他エジプトの食材のサンドイッチが食べられるためよく利用していた。ヒシャム先生とわたしはなぜかいつもすれ違い同時にお互い相手を見つけられない。そこでわたしはいつもアラビア語しか話さないがレストランをやってる家族と遊びながら待っていた。ある時太った女の人がダンスをしてると話したら、わたしの手首を掴んで目の前の彼女の家に連れて行った。ベッドで寝ている息子さんを通り越し狭い台所に入るとスプーンをドアの掛け金に突っ込む。そして小さなカセットデッキに合わせて踊りだした。あまりのセクシーさにわたしは目を見張った。こんなに太って貧しい身なりをしてるのに体全体の動きは柔らかくも表情がとにかくセクシー! 一緒に真似して踊りながら、今までわたしが習った踊りは何だったのかと思った。こんなに強い女らしい表現は日本の先生はもとよりラキア先生も教えてくれない。「フルース(お金)」と彼女は手を出すがわたしはあげない。エジプトの女性って踊りに自信のある方はどんなところでもお金を出せ、という。あげなければいけないのかな。ドンドン、と誰かがドアをたたく。彼女は開けない。男には踊りを見せないのだ。そのときアラビア語で彼が叫ぶ、彼女はやっと開ける。ヒシャム先生が車で来たのだ。往来へ出ると、お金は払わなかったけど車乗り込むわたしに彼女は子供と手をつなぎ笑顔で送ってくれる。「あんたまたいらっしゃい!」その日のレッスンでは彼女の踊りを再現しようと何かに憑かれたように動き、先生から美しい・・と褒められた。

     佳寿美さん

東京で始めたレッスンを始めた頃から、カイロで成功した佳寿美さんの事を先生や直接習った友達からよく聞いていた。吸い込まれそうな黒い眼をしていて、高い志を持ち威厳もあって向かい合うと威圧感がある。そんな風に皆語っている。いつかお逢いしたいと思っていた。ラキア先生から「彼女の踊りは素晴らしい。シェラトンカイロの下のレストランで踊ってるわよ。」と聞き、早速観にいく。ステージはないが日本のレストランとは比べられないほど広くて5人の楽士がついている。初めはサハラサイーダ、日本でも習ったが佳寿美さんの方が格段に難しい振り。衣装はビーズがたくさんついた重いエジプト製のもの。次は衣装を換え、ドラムソロ。踊るとき目が変わるとサマーセムから聞いてたけど、右目が燃えるように変化している。見ていてわたしも教わりたくなったドラムソロで手先も美しい。ディスコタイムになると、楽士さんたちが誘ってくれる少し佳寿美さんと一緒に踊ると彼女はお客さんのテーブルを廻る。わたしはお客さんをひっぱってどんどん一緒に踊った。次にラキア先生の家で彼女がきたとき椅子に座っていた彼女は「あー、ラキアこの娘よ!わたしにお客さんを連れて来たのは」と言った。先生を待つためわたしも椅子に座る。ふと稽古部屋から“マリワナマリ”の曲が聞こえこの歌の大好きな私ははっとした。すると彼女はさっと部屋に入って行った。生徒に教えているのだ。日本で1度帰国して時新宿でみた踊りがダイナミックで今のところ1番好き。ブリッジまでしていて迫力があった。

 

3. .ナイトクラブで踊りたい。

「初めて見たのは君の笑顔なのに今はなんでそんなに悲しそうなの?」仲良くなったセミラミスホテルのスタッフ、ムハンマドに言われた。「それはわたしが踊れないからよ」「何で皆が君のことをマグヌーンって言うか知ってる?ディーナも初めはピラミッド通りのカジノで踊ってたさ。僕は君の踊りを見たから、君がダンサーだということは知っている。でもエジプトの他の人達は誰々も知らないよ。」靴磨きスタッフのハサンは「ダウンタウンのホテルでまず踊るといい。それにしてもベリーダンサーは過酷な仕事だから君には勧めないよ」という。彼は観察力が鋭くホテルの中で逢った人のエピソードをいつも聞かせてくれていた。

ラキア先生と話して、まずナイルフェローへ。「君は日本人としては新人だ。佳寿美を知ってるかね?」「ええ。」「彼女はプロフェッショナルだ!」どこへ行ってもエジプト人は彼女を褒める。ビデオを渡して船から下りる。

ファルーク先生にも相談する。「悪いがわたしはここしか知らない」「あなたは有名だとホテルの人が言っていたわ」「それは、昔の話さ。」「君はここに1人きりだカイロは危険だよ。日本へ帰って、半年働いてまた来なさい。わたしはシリアスなんだ」いつものように言い合いする。

あるとき先生はエジプトのニュースを見ていた。「麻美この亡くなった俳優はエジプトで一番だった。彼はカイロに来たとき食べられなかった。それを我々レダのグループで助けたのさ。なぜなら彼はとてもいい男だったから。」

     買い物

ダウンタウンのホテル近くにはたくさんのお店がある。洋服、靴屋、ランジェリーショップ、ガラベーヤショップ。嬉しいのはデザインがどれも女らしくサイズが無限大にあること。靴も好きなものが買える。セミラミスに向かって歩きながら女性たちが着ているベールコートの店に入る。黒と紺、値段は記事の厚さによって違う。「ダークブルーがあなたに合うわ。」お店の女主人が言う。「でもボタンが一つしかない、下は全部空いちゃうわ。」奥の階段に座ってる

店員さんたちが一斉にコートの下を開く。私たちのも同じよ、と。それに決める。フードを

かぶりゴムバンドで留めるとアラブ女性そのもの!着て歩くと今までより男たちの視線がなく、何となく安心する。佳寿美さんもこれをラキア先生のところで羽織っていた。

 ランジェリーショップでは100ポンド(1ポンドは20円)以上の高いスリップをドンドン出してくる。「これは、ラブリー。これは、ファンタスティック。これはベリーベリーセクシー。これは・・・・。」1点ごとにぴったしな表現をつける。エジプト人って詩人だ、そう思う。シルクはなく生地は日本と一緒だがデザインが格段にセクシーで美しい。スカートやブラウスもそうだが、切り替えがたくさんありカットがどれも体にフィットしている。店員さんの表現に魅せられて高い美しいスリップを買ってしまう。(残念なことにこのほとんどは後からメイドさんに盗まれてしまう。)赤いボンボンがついているコートも買う。ラキア先生の家で落ち込んだ様子のブラジル人ダンサーソライアが、アラビア語で先生と話している。「彼女は今あなたのコート可愛いわって言ったのよ」ラキア先生が言う。嬉しい、エジプトの洋服がこんなにお洒落だって知らなかった。インド製のはすぐほつれるのだ。グランドハイアットに行きアラブ服も見るが3万も4万もしてとても買えない。どれも2枚重ねで美しく暖かそう。いつか買いたいな。エジプトでなら着れるだろう。

 

     ライラ

ディアナ先生が外国に行くためダウンタウンのホテルに移った。従業員は皆若くて唯1人だけおばあさんが居た。彼女はライラといって黒いプリーツのスカートを黒いベールに金の飾りをつけ、おしゃれでわたしの存在に気づいてから、それまでしてもらえなかった掃除をするようにと男のスタッフたちに言ってくれ、なにかと可愛がってくれた。あるとき部屋に広げたい衣装を彼女が喜んで胸に当てた。「ライラは若い頃ベリーダンサーだったのさ。」とスタッフが言う。だからおしゃれなんだ…。踊りも見せてくれ、またわたしの踊りも見てくれた。あるとき彼女はドアをたたき開けると、わたしの腕に金色のブレスレットをはめてくれた。イミテーションのブレスを東京に居たときから付けてたが、もう色がはがれていた。彼女は新しいのをプレゼントしてくれたのだ。そのホテルから出なければならなかったとき、お別れするのがとても辛かった。新しい家はラキア先生から紹介されたアメリカ人ダンサー、ライラのドッキにあるフラット。初めて電話したときからはきはきした答えで、話においでといわれた。

 吹き抜けの明るい階段を上まで上がると、ドアの真ん中の小さな格子窓が開き、ライラが顔を覗かせた。澄んだグレーの瞳にこげ茶の髪、きれいな方だなと思うと、アメリカでモデルをやっていたという。1ヶ月ワークショップにアメリカに渡るため、その間部屋を貸せるわ、とはっきりした英語で語る。そのときわたしは聞きたかったことを質問攻めにした。「カイロでは皆どうやって踊るの? あなたはマネージャーはいるの?」「おお、わたしたちは佳寿美も含めて新しい法律が出来る前にペーパー(芸能ビザ)を取ったの。外国人禁止の法律が出来て以来新しいダンサーは1人も誕生していないの」とライラ。えー、と驚く。それでは、不可能ということ?? 「あなた知ってる?」ライラはダンサーたちの名前をあげ、法律違反で逮捕された事件を話す。「ペーパー無しで踊ったら危険よ。」「わたしはマネージャーはいないのよ。楽団の皆に直接お給料を支払うの。」

ラキア先生に直接ライラから聞いた話をする。「麻美、バンビーの(赤ちゃん)。皆踊ってるわよ。」そこにはビデオで見たオーストラリア人ダンサー、キャロラインもいた。「そうよ、これを御覧なさい。今この人たちのビザを作ってもらってるのよ」「laila knows laila」ラキア先生はそういって彼女にはエジプトで最も力のあるマネージャーセミラ・サブリという男性がついていることを話してくれる。ラキア先生はベリーダンスのことを全てを知っている。セミラミスで踊ってるダンサーのことも話す。「彼女は踊りは良くないけど。金持ちの夫がいたのよ」「いいな」とわたし。「おお、あなたは可愛い人ね」とキャロライン。ぼろぼろのわたしには涼しげなキャロラインがまぶしい。「わたしはここにもう5年もいるのよ。」とキャロラインが慣れている理由を語る。

ライラのアパートにはその彼が同居していて、他にも男の子をつかって彼女のかばん持ちをさせたり、家の改装を皆でしたり、ライラ彼らとアラビア語で自由に話をしていた。彼女のためにビデオクリップも見せてもらった。また何気なく置かれた女性雑誌の表紙がライラだったのにも驚く。若いしいつも明るいライラを羨ましく感じた。何もかもうまく行くはずだったのに。しばらく使ってなかった色の出ないガスのことを忘れていて、朝漏れていたガスにセミラが気づいてわたしには貸せないということになってしまった。やっとバスタブの付いた部屋に来たと思ったのに、本当に悲しかった。

     ライラのお付きの男の子の助言を拒み、自分で選んだホテルは大失敗で部屋は古ぼけててシャワーだけのお風呂では風邪をひいてしまった。わたしは高いホテルのスパを使ったり、同情した先生のお宅でお風呂を借りたりしていたが、あまりに辛くて時々号泣した。そんなある日セミラミスホテルの隣の芝生のある敷地で小さな動くものを見つけた。可愛い!!白くて黒くて。最初は抵抗したこの赤ちゃんを手にとるとタクシーでダウンタウンのホテルに連れ帰った。ホテルの人が運んでくれたわたしの朝ご飯を食べる食べるこの子は、人間の坊やか。確かに尻尾もあるのに・・・・。人生で2回目に拾った子猫を育て始めた。1日出かけた後、迷路の廊下を歩くと猫ちゃんの叫び声。「あんたは悪い子だ、悪い子」猫のことしかられてなくてよかった。淋しかった?ネフェルティティーを抱きしめる。ダウンタウンでも友人ができた。深夜に入ったホテル脇の食堂で。「わたしはナイトガードさ。」という、12時過ぎにナイトクラブ廻りのホテルから戻りやっと入れるようになったレストランで皆が話し掛けてくる、と彼に相談した。悪気はないよ、ただここはいろんな国の人がくるから君は誰で何をしているのか興味で聞いてるだけさ。カイロは安全だよ。「ベリーダンサーにも守る人が要るのよ」「その時は僕が引き受けるよ」

     マフムード&シーコ

「麻美、アムル・マスウードが来ているよ!」ああ、やっと逢える。緊張してハールーンナイトクラブの支配人部屋に入る。「ここで踊りたいのですが。」「そうか、ではマフムードを知ってるかね?」「いいえ」「ディーナのもとマネージャーさ」わたしの携帯が通じないのでマスウードさんが自分のモバイルを貸してくれる。じきにマフムードさんが来た。日本人みたいな顔立ちの小柄な男性。「good、わたしに任せなさい」嬉しくなる。皆が仕事を始める。「何かお手伝いしましょうか?」「thank you!」「ディーナをみたいかね」とアムルさん、「ええ」。特別にボックス席に座らせてくれる。「踊りを見せてくれ」とマフムード氏。ステージの楽団の音合わせて踊ると、大変よろしいといってクルット背を向ける。そんなにまずいの…。「ディーナを見なさい」ナイトクラブの別のスタッフが言う。彼女の踊りを見て前の席の男のほとが喜んで立ち上がって踊る、するとスタッフが慌てて座らせる…。ヌビア人だというムハンマドというスタッフがからかう。「触ってご覧」うっそ、皆働いてるのに。「わたしのは、暖かいよ」これがエジプトのナイトクラブか・・・。気が付くと大きな黒い肌の男が横に座っている。わたしが日本人とすぐわかったらしい。(着物で行ったから)これはウンムカルツームだよ。歌詞は? と聞くと英語で教えてくれる。「マフムードは元マネージャーだと聞いたけど」「違うよ、あれがディーナのマネージャー、ターリックさ」がっちりした体格の男性を指差す。「わたし、スヘイラザキさんのレッスンを受けたいの」シーコはさっそくターリック氏に聞いてくれる。「スヘイラは今カイロの外だ。」ターリックさんが答える。ショーが終わった。「送っていくよ、麻美」どうしよう。「あの男と帰るのか」マフムード氏が聞く「ええ」「no.problemproblemって思ってるくせに。車を運転する彼は赤い帽子をかぶっている。彼がディーナと踊っていて歌手だということがわかった。

待っていたマフムードからの電話は来ない。こちらからかけるとホテルの外で待っている、という。「中には友達がたくさんいるからね」なんでわかるとまずいの。彼と一緒にわたしの家へ行く。衣装を見たいというから。赤いファルーク先生のところで作ったイスケンドレイアの衣装を見るとか胸のカップをつけなさい、と指摘する。何か必要なものはないかね、と丸いベッドから起き上がりわたしのブラシで髪を解かす。「仕事の話は?」「ああ、いいよ、明日一緒にラキアの家へ行こう」

     娼婦

何かおかしい。マフムードと何度あって具体的な仕事の話にならない(彼は確かに何人ものベリーダンサーの派遣をしていたけれど)のに業を煮やし、もう1度セミラミスへ行く。ナイトクラブでまたマスウドさんを待つ。ここでは幕間に知らない人同士話をする。「おお、ここはなんて寒いの!」香港からきた女性が訴える。マフムードがさっと来ていたモーニングを脱いで着せてあげる。不思議と日本人はいない。アフリカから来た男性二人が隣のカジノに行く途中外の椅子に座っているわたしに話し掛けてくる。「麻美、君の家に遊びにいっていいかい?」するとスタッフの女性が急いで下に降りていった。日本人はほとんどいなく、服装も外観もエキゾチックで大学でもアラビア語をとっていたわたしはじっと人をみてしまうし、片言でも話せると嬉しい。結局ホテルのガードマンに追い出されることに・・・・。娼婦だと思われたのだ。わたしの部屋にきたマフムードと話す。「麻美はどこだ、というとここには来れない、というじゃないか」事情を言うと「何てことだ、彼らは君が日本人だということを知らないのじゃあないか」「でも大丈夫、わたしがここにくるから、君が日本人だということがわかってないのさ」ところがわたしは彼に八つ当たりをしてしまった。「もうお終いよ!」

 部屋に来たシーコとも話す。「MR.アムルザーレナ(怒っている)、麻美おしりペンペンだよ」

 わたしがカイロで踊りたい、というと・・・「ディーナ、ビッグスター。君はお金たくさん持ってる?ペーパーはあるの?」こんな風に言う。友人として生活の面で相談に乗ってくれるけど、ベリーダンサーとして見てはくれない。ファルーク先生やラキア先生にも話すが、全然動じない、そんなの当たり前だし、大したことない、というように。これからどうしよう、とわたしは真剣に悩む。セミラミスのカフェに座っていても涙が出てくる。ほらっ。今かけ出て行った白い超ミニのワンピースの女性、彼女に注意するべきじゃない。何故わたしなの。それでもわたしはアラブ人が好き。考えてることはともかく大きな瞳や、いつも笑ってるような唇、まっすぐに背筋を伸ばして歩く彼ら、そしておしゃれな女性ををじっと見てしまう。

     詐欺

君の踊りは素晴らしい!だがディーナよりアンダーだ。すごい匂いを出している中華料理屋の隣のビルで、雑音だらけのラジオにあわせて踊るわたし。「キティだ、君はキティにそっくりだ」

キティって誰?「今エジプトにいいダンサーはいない」「ディーナがいるじゃない」「彼女の踊りはエジプト人好みではない、GULFの人には受けるけどね。君はイブラヒーム・アキフのレッスンを受けるべきだ。とりあえず40万円先払いだ。」さっそくディアナ先生に聞く。「キティって黒髪でショートカットの昔いたファンタスティックなダンサーよ。確かこんなことをやってたわ。」大きく体をそらせるヒップテンションを教えてくれる。ラキア先生のところのイハッブは「イブラヒームはもうお年だよ。2年前に彼の助手をしたがあっちへふらふらこっちへふらふらという感じだったさ。」

それからもあの手この手で言ってくる。君はバルーンシアターで踊れるよ。ファルーク先生に聞くと今外国人は雇わないのさ、という。弁護士をしながらダンサーの派遣をしてると言う。「キャバレーでもいいか」「はい。」ところが政府は外国人にビザを出さない、という。結局会社が倒産し、ベイルートへ移ることになったと言ったきた。「君は諦めずに頑張れよ。」最後にこう、言われた。

★画家

  「麻美、わたしは有名人さ。オスカーも取ったんだ。」ゲジーラ・シェラトンホテルから出る途中、ひげを生やした男性が話し掛けてきた。何度か会ううちに昔は名の売れた画家(画集も見せて頂いた)だが今は売れずに苦しんでいるというパレスチナからきたこの人に共感を持った。食べられないのに芸術を捨てられない、わたしにそっくり。その頃ラキア先生は年に1度のベリーダンスフェスティバルの準備に入っていた。毎日のように先生方が彼女の家に集まり、招待するプロダンサーやパーティーの詳細を決めていく。わたしもクラスを取りたかったがまた新しく移った家で寝ている最中に男の子二人にお金を盗まれ、生活費が苦しかった。後から1つくらいとればよかったと後悔したが。だから行けるのは夜のパーティーだけであるときこの画家と一緒に行った。ところが入り口でエジプト人の男の子が彼を入れない。招待客だけだと。「何とクレージーな集団だ!」

彼は怒ったがその後ロビーで彼の名を知っている女性の集団にサインを求められ、機嫌は直った。わたしはファラオニールニ確認にいきたいというと、彼も付き合ってくれた。予想通り、だめ。「何てことだ、彼も憤慨する。」「麻美、なんとかしよう。マリオットホテルのカジノに行くんだ、そしてサウジの奴らを君が引っ掛ける。」「それでどうするの?」「お金だけ受け取ったら、二人で逃げるんだ!」うまくいくとは思わなかったが一緒に初めてのマリオットへ行く。庭はテーブルに座った人で一杯、結局彼もあきらめ、とりあえずムハンデシーンの彼の家でその夜は泊まった。

     恐怖

believe me これが最後の物件さ」いつ掃除したの電話があるってやっぱりないじゃない。大嘘つき!「OK それならこの荷物全部通りに放り出すさ、いいかい?」「わかりました、有難うございます」。カイロの男の子に頼んだ家は1日で人の手に渡ったし、はいれるだけいいか。

 レッスンはお休み。1人で練習する、今年のフェスティバルも受講する予定で。マフムードが様子を見に1度来る、「明日新しい家を探そう」「有難う。」でもそれっきり。そこにあった日本製の扇風機は1週間で壊れ、毎晩暑くて眠れない。昼間ティティはお風呂場に逃げているし。 エダエダエダエダ!!!ある夜の4時、ガラベヤを着て片目のつぶれたおじいさんと子供が2人、半開きの寝室の扉から除いてる。ティティもびっくりでにゃーにゃーいってる。4時・・翌日も現れる。もうたくさん! お化けなんて初めて見た。お金なくても行けるとこ、グランドハイヤットのウッドデッキで夜明かしする。ここで踊れるかしら、ホテル付きのマネジャを探した。

  船に繰乗船する彼を待つ、と男性と腕を組み歩いてきた美しい黒髪の女性がきっと睨む(ベリーダンサーだ)。「すいません、ブリザリオですよね、わたしここで踊りたいのですが」「帰りに聞くよ」・・・。 ラストのダンスを船の外から除いた。ほんとにエジプト人?よく動く、ステッキもあんなに使って。もう1度声をかけた。「だめだよ。」

  ティティのトイレを光が入る北西に置いていた。このせい?風水では良くない、という。 暑いので服を脱いで寝てたらエジプトの男の子が2人、ベッドの上のお金を盗んでる! キャー ! どうして通じたのか、大家さんにアラビア語で今すぐきてと説明、隣のおじさんにもアラビア語で怖くて家に入りたくない、という。「大丈夫だよ。戻っとれ」良かった、大家さんが新しいカギを作ってくれる。お金も取られた、フェスティバルのレッスンとれない。「ラキア先生・・・・・。」「あなたはもう日本へ戻りなさい、しまいに殺されるわよ。」

     フェスティバル

レッスンを取らず競技だけ申し込むなんて、初めて。自分でも後ろめたく、嫌な予感もする。

アリババに話すと、みすぼらしいバッグに目を留めこんな格好でメナハウスに行かせられますか、とお店のピンクのショールとエジプトのクイーンの姿の入った袋をプレゼントしてくれた。オープニングの夜、外国人の女の子たちとステージの側のテーブルに席を取る。一皿ずつ食事が運ばれる。隣のテーブルの金髪の女の子に話し掛ける。「あなたは仕事をしているのですか?」「わたしはラキアに習っていて、たぶんこのフェスティバルが終わったら彼女から仕事をもらうわ。」飲み物は水だけだけど、とても美味しい。「あなたこれ食べる?わたしはベジタリアンなのよ。」さっきの女の子が肉のお皿を勧める。その時のわたしは何も考えずラッキーと思って、頂いた。ベジタリアンの人に生まれて初めて出会った・・・・。 ベリーダンスを見ながら何度か会場の外を廻る。ディーナの為にきたシーコからカティアの楽団の人を紹介してもらう。「何かあったらいつでも力になるよ。」女性も含めいろんな方と名刺を交換する。マフムードも現れる。外国の女の子たちが一斉に彼に声をかける、折をみてわたしも。ラキア先生は彼にアラビア語で何か言い聞かせる。帰りはどうしよう、

するとさっきの楽団の人、オサマさんが送って下さるという。「君はベリーダンサーになろうと思ったら、ライアのところへたくさん通い、一生懸命練習しなければならないよ」。帰りの道すがらこう語る。どうして楽器を始めたのですかと聞くと軍隊の楽隊にいたという。

 コンペティションの日がきた。お化粧はアリババの紹介で彼の店の近くの美容院に頼んだ。あっ、紫のヘンナ。こんなのもあったんだ。これをマニュキュアにして、髪は幾つか細い三つ網を作ってくれる。お化粧に入ったときマダムが歌いだした。「アマル・ハヤーティ、ヤレイナ・・・。」わたしが今夜踊る曲だ。眼にかなり強くアイラインを入れる。瞳ぎりぎりに書くことで眼がくっきりと際立つ。「50ポンドだって?」怒り気味。アリババにこの値段でしてもらうよう言われたのだ。何とか了承して頂き、いったん彼の店へ行く。お兄さんから何から皆がいた。「大変良いよ、お茶を飲んできなさい。」しばらくお話してからメナ・ハウスへ向かう。ライア先生に正面から出会う、「麻美、ステージはここじゃないわ」「why

彼女は助手のイハッブに別のホテルの名をアラビア語で書かせ、そこに行け、とわたしに言う。信じたわたしはタクシーで移動する。そこもフェスティバルをやってたが何かおかしい。出演者の名簿にわたしの名前がない! 騙された・・・。エジプトに着て神経の太くなったわたしはメナへ戻り、

ライア先生に詰め寄る。「あなたが自分で確認しないのがいけないのよ。」と先生。ひどい、たくさん個人レッスンを取ってきたのに。バックステージに行くと外国のダンサーがわたし同様勝手がわからずうろついてる。2人で受付の人のところへ行き、CDを渡してから、着替えに戻る。「あなた見たことあるわ」レダ先生の所にいたナビーラだ。ついでに覚えられなかったステップを聞いてしまう。懐かしい日本人ダンサーも・・・。頼まれて彼女のホックを留めてあげる。踊りの出来は足が地に付かず良いものとはいえなかった、これは先生の個人的なパーティーなんだ、と痛感する。でも

次の日小松先生が「池、踊ったじゃない!」と言ってくれて嬉しかった。 

 

 ★ハナーディ

 エジプトのダンサーは1人で活躍し、また活動する。ラキア先生のところでももう芸能ビザを持って仕事をしているダンサーは1人でまたは生徒をつれて先生のお宅に来ていたし、ステージ入りもディーナからダウンタウンのキャバレーのダンサーまでマネージャーと、あるいは恋人か夫とだ。

ナイトクラブの企画で8人のダンサーを一緒にステージにあげるというものもあったりしたが、それは特別。だからエジプトのベリーダンサーのショーはそれぞれ個性があり、面白いのだろう。       6月のある日ラキア先生のお宅で(わたしは3日に1度はドッキの先生の家を訪れていた)小さな赤ちゃんを連れたすらっとした女性に出会った。「あの方はどなたですか?」「ハナーディーは有名なベリーダンサーです。」ラキア先生が答える。警察官の夫は「パスポートを見せなさい。」、わたしにジョークを飛ばす。呼び鈴が鳴る「開けなさい」とラキア先生。がっちりした体格のエジプト人のおじいさん。聞けばスヘイラザキのドラムをしていたそう、感動して話しかけると、「君は良い、君の家にレッスンしに行くよ」と答えてくれる。隣のスラジオでレッスン、ハナーディーは気前よく「あなたもいらっしゃい!」ラキア先生の助手のイハッブを見ると行け、と目で言う。「どうなるか見てみましょう」とラキア先生。音楽にあわせてさっきのドラマーワッハバがダルブッカを鳴らす。ハナーディーが見をひねって踊る。わたしもまねをする。途中でフロアワーク(身体をつけて踊ること)を始めるとそれは綺麗じゃない、とハナーディが言う。イハッブがはいり様々な動きをしてみせる。つと見るともう1人のイハッブがソファーに疲れた様子で座っている。「たったいまフットボールのゲームが終わったのさ。」彼はフットボールのコーチ兼ベリーダンサーのマネージャーをしている。女は嫌いだと宣言している珍しいエジプト人男性。赤ちゃんが彼女を追って這いずりだし、わたしはしばらく彼女を抱いて見学する。ナイトクラブへ行く予定を思い出し、わたしは席を立つ。「おお、どこへ行くの?」ハナーディ。「グランドハイアットよ。」 「わかったわ」。

 バンケットオフィスでマネージャーは今シャーリマシェックにいると聞く。戻る日を確認してグランドハイアット1階のトイレに行くと化粧道具をたくさん広げて鏡に見入っている女性がいる。「アサミ」あっ、ハナーディ。「何しに来たの」こんな訳で、と説明する。わたしも横でお化粧をすると「何か変よ。」という。「アイシャドーが暗いのよ、あなた、マスカラ持ってる?」いいえ、というと貸してくれる。横に座っている綺麗な女の子は誰? 妹だという。「わたしはこれから船に行くけど、あなたも来る?」トイレから出るときハナーティーはさっと脇へよける。車椅子の人がいたのだ。彼女は出るまでドアを押さえていて上げる。わたしは気づかなかったのに、マナーがいいなと思う。船の支配人は、わたし達一行をみて大声で質問をしだす。ハナーディがアラビア語で丸め込んでくれるのを横で見つめる。今回だけなら、という感じで許可をもらい、初めてのったホテル持ちの船の2階へ上がる。船窓からナイルを隔てホテルが離れていくのを見る。ああ、きれい吹き抜けの場所にソファーとテーブルがあり、後からきたマネージャーのイハッブと共に陣取る。ハナーディーの隣に楽団のおじさんが来た。2人はアラビア語で会話する。「何を話しているの?」「彼の母親がなくなったらしい」イハッブが答える。ディーナがどうこう、カイロのナイトクラブのやり方はどうこう、と話している。やがて出番らしく彼は階下へ。気づくとわたしの向かいに立てロールに髪を巻き黒いワンピースを着た女の子が座っている。「あなたはダンサーなの?」「ラ!・・・」アラビア語で何か言う。イハッブがサマーハは歌手だと説明する。彼女はわたしを見ながらハナーディーと何か言って笑いあう。ばかにされてるのかな。でも暫くすると前に来てわたしの服をひっぱって直し始めた。エジプトの女の子は打ち解けると、髪型や化粧などきれいに見えるよう手をかけてくれるのだ。踊ってよ、という。皆にはやし立てられて、ピンクのワンピースのすそを持ち上げ下の楽の音に合わせて踊る。2階のデッキへと向かうお客さんも喜んで見る。船のスタッフが連れ立って見にきた。「俺の母親は昔ベリーダンサーの衣装を作ってたのさ」カイロってダンスに関わってる人多いな。「君のことは忘れないよ」「Thank you」 わたしは答えた。するとマネージャーがきて「ここではいかんよ」と注意する。「彼はわたしに怒っているの?」イハッブが「いいや、われわれ皆にさ」。今夜のハナーディーには、イハッブ、わたし、妹さん、それに彼女の赤ちゃんと面倒を見るメイドの女の子まで一緒なのだ。わたしたちは乗船料を払っていない。「わたしは仕事を探しているのよ」「オー、大丈夫、サマーハに任せて。わたしの友達でダンスのマネージャーがいるわ。」サマーハが言ってくれる。少し希望が出てきたかな。「麻美、ここには既に大勢ダンサーがいる」とイハッブ。「でも踊れるナイトクラブもたくさんあるじゃないの」わたし。「日本のほうが踊れるさ。君は日本へ帰ったほうが良いよ」悲しくなって外のデッキへ行く。わたしはここにいてはいけないのかしら。たくさんの船が行き交うナイルの夜風の中、片隅の乳母車にいるにハナーディの赤ちゃんをつっつきながらメイドさんと片言の会話をする。「あなた、ここで何しているの」ハナーディーも出てきた。「だってイハッブがね、私のことを嫌って・・。」こう答えた。「あなたはベリーダンサーでしょ、そんな大きな頭でどうするの!」この言葉、日本でもよく言われたな。そうやって頭で考えるからだめなのよって。「ハナーディ、疲れてない?」「ええ、でもそれよりわたしは眠いのよ」もう12時を過ぎている。彼女と一緒に冷房の利いた部屋に戻るとイハッブはサマーハと歓談中で、やがてボーイさんが食事を持ってきた。「あなたもどうぞ」わたしは喜んで豆のスープをスプーンですくう。5年前アフランワサフラン(ラキア先生のベリーダンスパーティ)で着た時1人路上で買った女性誌アルヤウムを見つけ喜んで買った。それをハナーディーとサマーハは交互に見る。当然2人はアラビア語全部読める。つとハナーディーが出番に立つ、着替える彼女をメイドさんがドアの前で人が来ないように見張る。螺旋階段を最初のステージに下りていく。ドラムソロのあと衣装換えにまた上がってくる。今度はピンクの宝石がたくさんついた衣装。写真を撮りたいと言うわたしに立ち止まってポーズをとってくれる。待つ間メイドさんは赤ちゃんをあやしてはキスする。 やっとショー終了でわたしたちは船を降りる。ハナーディーは「早く、話をするのよ」わたしの前を歩くイハッブを指差す。「Hi、イハッブ。ラキア先生のとこで言った、わたしにナイトクラブを探してくれるという話はどうなったの?」わたしは必死。「Don,t worry.I will find for you surely

」相変わらずの返事・・。サマーハはホテルのスタッフと気軽に言葉をかわしながら歩く。リザーベーションデスクで彼女が教える「麻美、彼はパーティー専門のマネージャーよ!」暢気にさっきもらったお菓子を食べてるわたしに「食べてる場合じゃない!!」。そこでその人にわたしは話し掛ける。「OK,麻美、必ず電話するから」返事を伝えるとサマーハも安心してくれる。又逢いましょう、約束した。迎えに来ただんなさんの車にハナーディーとメイドさんと赤ちゃんが乗り込む。楽しい夜を終えてわたしも家へ帰る。

マネージャーさんが戻るという日、グランドハイアットに行ったわたしはエレベータが開いたとき偶然その人に逢えた。彼は名刺を出し電話するよ、とわたしに言って別れた。エレベータでN/Cというボタンを押し直接交渉へ向かうわたし。いつも通りに説明すると「麻美、まだ始まらないけど後で電話するよ。」と支配人が言ってくれる。地下の雑貨屋さんに入ると「わたし、サマルよ」スカーフを巻いた売り子さんが話し掛ける。「何でカイロに?」皆聞く。「ナイトクラブでおどりたいのよ」ああ、そう。彼女は机の下からデッキを出し、音楽を流し踊れ、と言う。「次はあなたの番よ」わたしはサマルの踊りも見る。白いエプロンをかけたかわいい制服女性スタッフが見物に来る。ピンクのストライプのスカーフを1枚買い、さよならを行ってナイトクラブへ戻る。支配人は手前のテーブルに座らせてくれた。あらっ、ハナーディ! 彼女が支配人は彼女の肩を抱き楽屋へ連れて行く。ここでも踊ってたんだ・・。セミラミスのハールーン・アッラシード(9世紀に実在したイスラムの王の名)ナイトクラブより、2階席もあり格段に広い。金の柱が何本も立ち、天井は月と星が描かれている。ただ冷房が効きすぎて寒い。前座のバンドの歌のとき何度も専用のトイレにたった。リーコだ! 男性のバンドの前で乗りのりで歌う、アラビア語だけどメロディーは好き。知己時ベリーダンスの動きもする。エジプトでは嬉しいとき男性もシュミなど腰の動きを入れて踊る。

マイクをおき、ステージから降りてきた、うしろのボックス席の女の子たちの前で、歌い踊る。

わたしの前にも来る。彼の歌に合わせて踊る、マイクないのに音はそのまま、携帯のに切り替えたのだろう。暑くなっていったんロビーに出る。セミラミスと違い、人が集ってなくてなんとなく淋しい。やっとダンスが始まる。楽団の方を見てはっと思う。ダンサーによって雰囲気が違う。

ディーナの楽団はなんか楽士の間から煙が上がってるようなのが見え、皆もお祭りのような雰囲気を漂わせていた。ロジア人ダンサーカティアのは荘厳な雰囲気で、ハナーディーの楽士たちはとてもまじめなオーラが漂っている。舞台に出るときすたすた歩いてくる、わたしが日本で教わった満面の笑顔や大仰な身振りとは違ってそのまま彼女独自のステップを淡々と始める。ずっとシュミしながら時々座るステップが好き。初めはえっと思ったが踊りが進むうち彼女の気高い人格が現れていてセクシーさはあまりないけど、惹きこまれる。上からわたしを見つけ手招きする。マネージャーも手をとってくれ、ステージへ行く。「日本から来たベリーダンサー、麻美!」彼女はわたしを踊らせてくれる。楽団の人は当たり前のように演奏を続け、グランドハイアットで勝った赤いドレスで即興でマイヤーやラーシャ、アラベスクのステップを踏む。ネックホルダーが壊れ後ろを向いたまま直す、楽団の人たちはぜんぜん動じない。3分くらいしてハナーディが拍手で客席に戻してくれる。続けてステージでドラムソロを踊り、次はステッキを持ち客席をまわりだした。喜んでいる湾岸のお客さんを立たせて一緒に踊るハナーディーは。1人座っているわたしにのテーブルに来るとわたしを立ち上がらせ、かわりに彼女が腰をおろす。そのまま手をたたきながらスポットライトでわたしが踊るのを見て、終わると又立ち上がりステージに戻った。最後は歌手が彼女の名を繰り返し呼びながら歌う、早いステップでそれに答え、お辞儀を終えると着た時と同じように頭をもたげたまま悠然と幕間に消えた。

 「麻美、この紳士が君と話したがっている。」マネージャーが奥の席に1人でいる口ひげを生やした男性を紹介する。クウエートから来た方で部屋にいらっしゃいと手招きする。初めて入るハイアットの客室はたくさんの靴、スーツケース、ミネラルウオーターの詰まった箱でいっぱい。ミニテーブルの上にはフルーツが乗ったお皿。壁には金縁の真ん丸い大きな鏡が。テープで聞く山田無文禅師の大きな丸い鏡のような、という講和が思い浮かぶ。鏡のようなきれいな心が本来の心…。「これに着替えなさい。」こわれたドレスを脱いで彼が持ってるパンタロンとシャツを着る。何着もの女性用の服、ナイトガウンにアクセサリーまで。用意がいい・・・。机の上ではいい香りのお香が煙を出している。肉感的で暖かい雰囲気のお顔を見ながら英語で話す。「奥さんは何人いるのですか?」「ハハハ、1人だよ。」「音楽は好きかね」「ええ」スーツケースから幾つかのカセットを取り出しわたしに選ばせてくれる。これまた持参のカセットデッキにかけると、アラブの歌謡曲が流れ出す。彼も踊りが上手、わたしももう1度踊る。ピスタチオを食べながらカイロに仕事と観光をかねて2ヶ月いるつもりだという。ベッドにねそべって見るテレビの画面にフィリピンの女の子たちが移っていた。「麻美、彼女たちはとても貧しいんだよ。」憐れみのこもった言い方。なんかこんな風にわたしも言われてる、「おお、君はなんて貧しいんだ」ファルーク先生から。2時過ぎに終わったショーだからあっという間に朝、引き止めてくれたけどわたしはすぐお別れしてしまった。

「グランドハイアットに来て!」電話でサマーハに誘われる。夜2時過ぎにいくと仕事のすんだ彼女はわたしの手を握り、「ハナーディーにはトップシークレットよ。」出口から下のナイル川沿いの大通りまで下り、そこでタクシーを拾う。家に連れて行ってくれるという。「どこ?」「ギザよ」ギザってハラムストリートしか知らない。タクシーの運転手は彼女のお抱えのお兄さんで女性にしては珍しく助手席に座りサマーハは彼とずっと話しては笑い転げている。周りは林や砂漠でわたしにとっては淋しい道をいき、アパートの前に止まった。少し不安だったが、応接間で彼女はきさくにわたしをお父様に紹介してくれた。「鳥肉は好き?」「Yes」わざわざタクシーの彼を買い物に行ってもらい、待ってる間わたしは壁にかけてあるサマーハのポスターを眺める。とてもセクシーな表情。エジプトの芸能人って皆セクシー。サマーハは初めオペラ歌手志望だったという、「歌って、聞きたいわ。」わたしが言うと、彼女は家族皆の前で<アヴェマリア>を歌い始めた。上手・・、うっとりして聞き入った。やがて鶏肉がきて遅い夕食を皆で食べる。ギザの鶏肉はおいしい、プロイラーじゃないから。地鶏の付け合せはさいころ型に切ったトマトなど野菜のサラダとパン、それにチーズ。食べ終わるとサマーハがどこかへ行くと言う。上の階に住んでいる彼女の親戚のアパートに皆で団欒する。今度はお手製のフライドポテトとサイダーがでた。テレビを見てるときサマー.ハが何か言って奥の部屋へ行き、携帯で長話をしている。泣いている・・。電話が終わってどうしての、とわたしは聞く。「ボーイフレンドと別れたの。あいつはろくでなしよ、逢ってもすぐ行っちゃうし、わたしの他にたくさん彼女が居るのよ。」

「でも電話くれたじゃない」「こっちからしたのよ」彼氏は警察官だったという。同情したわたしだったが、わたしの彼氏もたくさん愛人が居たことが後からわかった。

サマーハの手をとって「手相を見るわ」とわたしは語りだす。彼女の左隣に座っているサマーハの叔母さんがニコニコして見ている。「次はわたしの番よ」「おばさんの珈琲占いはとてもよく当たるのよ!」。わたしのにわか占いと比べ物にならない。かなり長い時間をかけてサマーハ、そして彼女のお兄さんのカップを見ながら話し込む。わたしの番。「あんたはには親しい友人が居ない、サマーハやわたしらのような。それで心はとても悲しんでる。ボーフレンドは3人居る」「ワオ、わたしでさえ1人よ、タラータ、タラータ(3人、3人)」サマーハがからかう。「そのうちの1人があんたをカイロの外へと連れ出すだろう。」シーコがアレキサンドリアへ連れて行くといってた、このことだろうか。「あんたは大きな門をくぐるだろう」「きっとオーディションよ。」サマーハ。「その前に大きなお金を手に入れ、それで欲しいものは何でも買えるだろう。門をくぐるときにあんたはたくさんのお金を払うだろう。

最初に小さなダンスを1つ、次の日にダンスを2つ踊るだろう。そしてあんたはとても幸せになるだろう」・・・わたしは有頂天になる。セミラミスは1週間かけてオーディションをすると言っていた。民族舞踊も踊るということかしら。

3時をとうに過ぎてわたしは家に帰る、と言った。サマーハは同じ運転手を頼んでくれて、往来まで見送りに出てくれた。「来週、パーティーがあるの。あんたまたおいで」

 ザマレックヘと向かうナイル左岸の道から彼は観光案内をしてくれる。「Hey,that is…PHALAO NILE! ….Hey,that is Friday!」ナイルに、煌煌と浮かぶ観光船を指差しては説明してくれる。

行ってみよう。今度は乗船せずロビーで彼女を待つ。胸のあらわなシャツを着たサマーハ、ホテルの中でなければ、がんがんにナンパされるだろう。普通のエジプト人の女の子と、やっぱり違う。「やあ、いらっしゃい。」違うアパートの広い部屋、人がたくさんいる。

「もう夕飯は食べた?」「いいえ」可愛らしいサマーハの妹がお盆にお料理を盛ってきてくれる。マカロニに、トマト煮の肉、日本で作ったのよりずっとねっとりしているムルーヒーヤ。量が多くて食べきれない。ライスプディングのデザートも頂く。「あんたのような女がいるよ。」黒髪の綺麗なアジア系の女性が入ってくる。サウジで看護婦をしていたフィリピン女性でそこでエジプト人の今の夫と知り合ったのだそう。「あなたの国はお金持ちなのに、何でエジプトに来たの?」彼女が尋ねる。「ベリーダンスを勉強しに・・・。今は仕事を探しているの。」そうかね、皆が聞く。サマーハも説明してくれる。ナビーラは踊りが上手いよ、見ないかね。突然ソファのかげから太鼓やタンバリンなどの楽器が登場し、ナビーラが腰にスカーフを巻き、踊りだす。ずっとシュミシュミというステップでくるくる向きを変えて踊る。「どうだね、エジプシャンダンスは?」「とても上手です。」「次は君だね」マシャールと言う曲をデッキに入れてわたしも踊る。終わって頬が真っ赤になったわたしにフィリピン人のおくさんが「どう、来週知り合いの結婚式があるの、あなた来ない?」

といってくれた。

 宴が終わってその晩はサマーハの部屋に泊まる。2段ベッドの眠った。サマーハは上にいる。翌朝、サマーハはこれから女の子がくるという。スカーフをしたエジプト人の女の子がやってきてサマーハの手をとる。お化粧の出張ガールなのだ。フェイスケアから足の爪までやって、最後に洗面器のお湯に足を浸す。わたしにもやらせてくれる・・・・、サマーハ優しい。顔の産毛を長い糸をでからめとり、抜く。「痛い、痛い。」日本語で叫ぶ。「バーデン、クワイエス(少しの辛抱、後はきれいになるのよ)。」とサマーハ。次は爪、マニキュア代わりにヘンナを塗った爪をサマーハは馬鹿にする。「ヘンナはロークラス、アッパークラスは今はマニュキュアよ」爪に良さそうだと思うんだけど・・・。整えた爪に彼女の白いマニュキュアを塗らせてくれた。足の裏の硬い皮の部分をはさみで切る、サマーハは出張ガールに質問しながらじっと見守っている。「はい、終わり。」わたしはビューラーを取り出す。「エダ(何?)」とサマーハ。エジプト人の眼には必要ないのだ。しばらく雑談した後、彼女は次の客のところへ言って行ってしまった。カイロの女の子っておしゃれ、わたしはまた感動する。お父さんが「サマーハは今日、ビザの更新に行くよ」と教えてくれる。全身映る鏡で(エジプトは鏡が多い、建物の入り口やエレベータなどあらゆるところに大きな鏡がある。)ジーパンにノースリーブのシャツの服装をチャックしたサマーハはわたしを連れて街道にでる。「何なの高すぎ、マグヌーン(気違い)」エジプト人も、タクシー値切るのね。暑くてわたしは植物園らしき入り口の門の日陰に入る。3台目くらいの車にやっと乗る。この道の風景、沖縄と似ている、いつかサマーハといけたら良いな。登記所は階段からして人でいっぱい。これがもしかして?? 岡本という日本レストランで産経新聞の記者さんが芸能ビザを出す建物がナイル川沿いにあると前話してくれたのだ。のどから手か出るほど欲しい芸能ビザ! 出会った友人とテクテク行くサマーハ。やっぱり男たちがなんぱする、「マグヌーン、相手にしちゃだめよ」軽くかわしてわたしをタクシーに押し込んでくれて、私たちは別れた。

     ムハンマド

道で声をかけられたのがきっかけで、彼は幾度かわたしをデートに誘った、礼儀正しく友達とのダブルデートで行き返りはホテルまで車で送ってくれる。彼の友達の歌手の歌を聞きにカフェ(といってもとても広いレストランだったが)に行ったとき、知り合いからあいてる物件を聞いたといい、家探しも手伝ってくれた。そこはムハンデシーンの学校の前にある家で1階を2000ポンドで貸すというもの、だが3ヶ月だと1500ポンドになるという。不動産屋がイスラム教徒で話の途中でお祈りをはじめ、これをみてアラビア語を十分に出来ないし不安を感じて辞めてしまった。だが後で外国人相手の不動産屋のほうが信頼できないことがわかった。

ダンスをやっているといったら、エクササイズだと言いヘリオポリスのシェラトンホテルのディスコに連れて行ってくれた。そこは劇場位のひろさでステージもライトも立派。お客は地元の人ばかりで、ウエディングドレス姿の花嫁さんの一行もいた。男女4人で席を取ると、エジプトの流行のポップソングが次々に掛かる。今ヒシャム先生から習っている曲も・・。初めは彼と一緒に踊ったが、暫くすると入り口の席の男の子が誘ってくる。彼はとても踊りが上手で話していても楽しい。名前を教えあっただけだが、わたしは心残りで帰りに何度も彼のほうを振り返った。それがムハンマドを怒らせてしまい、「エジプトでは男性と一緒にいる女の子を誘うのはルール違反。だが1人でいる女の子は誰が誘っても良いのだ、と」誰と踊っても勝手でしょ、とわたしは言い返し気まずい雰囲気のままその晩は別れた。

また彼と逢うことになる。今回は彼の友人も一緒。ダウンタウンのショッピングモールのカフェに入る。若いティーンエージャーで一杯。スカーフをし、シーシャを吸ってなければ日本と一緒だ。この間の件をその友人はからかう。「彼が何故怒ったかわかるかね。彼の父親はお母さんとディスコで出会い、席で待ってるように言われた。彼女は別の男性と遊びに行ってしまい、お父さんはいまだにディスコのテーブルで待ってるからさ!」エジプト人のジョークは好き。アリババも30年在位しているムバラク大統領のことをからかう。彼は歩くときも大統領の椅子を話さないんだ。トコトコトコ、宝石店の椅子を掴んで座ったまま歩いてみせる。ムハンマドの友達は更に続ける。「エジプトではベリーダンスは50%ダンスで50%セックスだよ」紙に書いてみせる。だからセクシーじゃないってあちこちで言われるのか…。振りを正確に覚えること、良い姿勢でダイナミックに踊ることしか日本では教わらなかった。

     アフマド

ナイルに浮かぶ客船、“エル・サラーヤ”をたづねとき受付のお兄さんが事情を聞き、「今支配人は留守だが待っていられる?」と聞くええ、といって1時間以上待つ間、彼は仕事の大変さを語り「ここのオーナーはほとんどの売上を取ってしまう、わたしは1日立ちっぱなしで給料も少ないんだ」わたしの仕事探しを手伝うし友達になってほしい、という。いいわ、と答えた。船のオーナーはラキア先生を知ってらして今はないけど何かパーティーがあるときは連絡ををくれる、といって下さった。

 アフマドからダウンタウンのホテルのオーナーを知ってるから行こう、といわれカイロオペラ座の前で待ち合わせをした。地下鉄に乗り、ホテルアトラス(わたしが以前泊まろうと思ったところ)に入った。ナイトクラブまで行ったが、彼の知り合いのオーナー、マダムサーハーは出産休暇中だということ。それで途中までショーを見てナイル川を散歩して別れた。ある日彼から連絡が入った、話したことがあるから、と。部屋に着た彼はテイクアウトの料理をたくさん持ってきてくれてわたしはティティと一緒に食べる。「今、エルサラーヤを辞めたんだ、友人がシャーリマシェックのホテルにいてそこでよい仕事が決まったから明日ここを発つ」という。休憩時間には海で泳げるし友人と一緒に暮らすのさ。アトラスへは折をみて行きなさい、といいまたウンムカルツームの曲を一緒に聞く。明日汽車でここを出るききわたしは悲しくなる。次の日プラットホームのにいつ彼から電話が着たが、観光をまったくしてないわたしはどこに駅があるやらわからず、いつか帰ってきてほしいと伝えた。

わたしは早速ラキア先生に聞く「アトラスホテルってどう?」その場に居合わせたディアナ先生が口をパクパクさせる、ラキア先生はアラビア語でディアナ先生に何か言う。そして「ペーパーを作ってくれるならどこのホテルでもいいのよ。」先生はわたしに言う。

     Dr.Mo,Geddawi

 わたしを日本でスカウトしてくれた(その時お話には乗れなかったが)、モー先生が、フェスティバルのためにカイロに来るという。ぜひ逢いたくってわたしはラキア先生に日にちをきく。もうすぐ来ます、2月からこう答えている。ほんのちょっと振りをつけてすぐ応接間に消える先生のレッスンでわらしは振りがなかなか覚えられない。もたもたしてると「アッサミ、覚えられない。アッハッハー。」弟さんに語りかける。恥も何も捨てて「ラキア、わたし覚えられないわ!」というと、「おお、いいのよ覚えられるまで復習しなさい。時間は気にしなくていいから」と言って下さる。

 ある日やっとモー先生が来た。ムハンデシーンの家に先生が来るとティティは甘えるように彼の前に身を横たえる「いい猫だ」、とおっしゃってくれる。カイロで踊りたいというと、ピラミッド通りの店は悪いよ、という。家をシャアする気はないか、とオーストラリアの女の子を紹介するという。新しいCDを作ってきていてラキア先生からそのCDを買う。“AMALY”という曲を選ぶと可愛い、ウンムカルツームね、といい早速振付けてくださる。一生懸命踊るわたしを助手のイハッブ先生と眺めながら、「どうなるかしらね」と話している。先生にファルーク先生にはこの頃バレエは無しでベリーダンスをみて頂いてた。モー先生の話をすると、「彼とわたしは親友同士だよ。」と教えてくれる。レダ舞踊団の全てのダンサーをファルーク先生は教えたのだそうだ。AMALYを踊ると、途中のステップを変化をつけてかえる。「今度ステッキを君に教えてあげよう。」相変わらずカイロで踊る件については、「ラキアのフェスティバルできれいな娘たちを見ただろう。彼女たち皆がエジプトで踊りたいと望んでいる、だが踊れやしないよ」

 

★優ちゃん

  何とか安く新しい家をさがそうと、わたしはザマレックの日本人会の掲示板を見に行く。するとフラットメイト募集の張り紙が目に入った。ナイルヒルトンで待ち合わせといわれ、久しぶりの日本の女の子とお茶をする。彼女はアラビア語学校から仕入れた知識を披露してくれる。「ベリーダンサーなんて、下の下よ。ここでは芸術家で1番上はアラビア語の詩人なの。」レダ先生にまつわるスキャンダルやエジプトのベリーダンサーの噂話も。見方が違うと見える面も変わるのね、と思う。その場では話は進まないが、連絡先だけ交換した。その後、ムハンディシーンの家に彼女と一緒に現れたのが萩原優ちゃんだった。美人でロングスカートの優等生っぽい雰囲気。ベリーダンスをしたら似合いそう。あるときセミラミスの横の道を歩いてたら黒いジャージ姿の優ちゃんに出会った。ここでわたしはナンパや痴漢によく会う、よく彼女はのんびり歩けるものだと思った。あれきりそっけなくなったヒルトンであった子のことをわたしの噂をホテルの人から聞いたせいだと、教えてくれた。ベリーダンサーもわたしもあばずれ扱いするその彼女が日本でしていた仕事は…聞いてびっくりだった。よく学生ぶって非難できるもの。なかなか家が見つからないというと優ちゃんが、わたしが行ったことのないセミラミスの2階のお土産やさんを紹介してくれる。階段を上がった手すりに腰をかけて話す。「わたしは携帯あの人達に持ってないって言ったんだ。」と優ちゃん。「ザマーレックで探しているの。」「何で?」「響きがいいじゃん!」ブランドの場所なのね。そんな感覚ベリーダンスを初めて以来、忘れていた。わたしは彼らに携帯を教える。彼らのうちの1人から連絡がある。土産屋さんに1人でいくと、ザマレックのとある家へわたしを案内してくれた。そこではある国連職員の男性と同居することになるらしい。その前に20ポンドものタクシー代をとられ、家を決めるなら紹介料500ポンドを出せという。正常な判断力と言うより500ポンドに怒ったわたしは何で不動産屋でもないのに、自分で探すわよ!と言い薄暗いザマレックをあてもなく歩きだした。ふと出会った1人白髪頭のおじさんに声をかけた、家を探しているの。「ついておいで。」不動産会社らしい事務所に寄った後、透かし模様の大きな門をくぐる、わあ、きれい。真っ白な部屋家具も彫刻が施して合って白い。ナイルがバルコニーから見渡せる、ティティ喜ぶだろうな。「明日の午後6時にあの薬局に来いよ。」白い看板の薬局を指差す。次の日きっかりにタクシーで着くと、「あなたはよく約束を守る」と褒められた。          

     ザマレックの家

ティティは喜んで飛び回り、電気製品で調子の悪いのはあるが、清潔で風通しもよい。ラキア先生にも報告する。「そこはお風呂はあるの? トイレは?」今までの悲惨な状態を知ってる先生が聞く。私が答えると先生も嬉しがった。1人で掃除を済ませると優ちゃんから電話が入った。「麻美ちゃんザマレックで決まったの?見に行っていい?」ボーフレンドと来てお家だね、と羨ましがっていた。その後彼女も友達とザマレックのフラットを借りた。何度かカイロの風習について

(恋愛やタクシー運転手のこと)情報交換しているうちにダンスのレッスンを受けたいと言い出した。そこで相変わらず夜はナイトクラブを巡りながら、昼間基礎の踊りを教えた。彼女は1時間でもとても疲れるといい、それでも時々クラスをすっぽかしながらも楽しんで勉強していた。形は忠実だけど感情表現が踊りに入ってこない。「ザマレックやホテルを歩くように、この踊りでも歩いて見て。」Dr.モー・ゲッダウィの振りでわたしは言った。「ねえ、ベリーダンサーのゴールって何?」わたしは答えられない。(名をあげてお金を稼ぎ結婚して子供も生む、エジプトのダンサーはこんなゴールだけど。)暑い日が続きエジプト料理を作れないわたしはひどい夏ばてで、昼間は立ってることも出来ない。先生に言われたとおり何度もシャワーを浴びるが、効果がない。深夜のマリオットホテルからアラブ音楽が聞こえる。これはもしかして! 行ってみたら庭園のステージで生演奏のベリーダンス。皆シーシャ吸いながら思い思いに雑談している、色とりどりの電球が縁日のよう。シーシャの香りのステージに近づき踊りを見てたら、テーブルからある紳士が手招きをする、いいのかなと思いながら座ってしまう。毎晩ここで過ごすのさ、

おじさんたち6人。日本の飲み屋感覚で仕事を終えて毎晩11時過ぎにここで会合するらしい。「君はアラビア語が出来るかね?」「少し」「あなたは大変よくアラビア語が出来るよ」今度アレキサンドリアへつれてこう、CITYSTAR(ヘリオポリスにあるショッピングモール)に彼の店がある、ドライブしないかい?ちょうどインターコンチネンタルシティースターズホテルに預けてあるビデオをナイトクラブにとりに行きたかった。

初めてのCITYSTAR,入ってすぐにお香の御店、なんていい香り、蒸気も漂う。あとは洋服にCDにアウトレットショップもある。ヴァージンのレコードの宣伝文句が掛かっている“われらは今、エジプトにいる” レストランで食事をした後、2階にあるその友人のお店へ行く。華やかなロングドレスがたくさん置いてある。彼は今モデルを探してる、という。歩いてごらん・・・店で端から端まで歩いて見せる。レジには彼のきれいな奥さんがいた。「君たちはいつ結婚するのかね?」その友人がたづねる。一緒に店を閉めて出てから彼が家に招待すると言う。ウムカルツームを聞く、違う人に逢うたびカルツームの違う曲が聴けてとても楽しい。音楽を聞いたあとサイダーを一緒にのみ、彼の家を出た。アトラスホテルで踊りたいの、本当かい? 車をホテルの前につけてもらう。マダムサーハーは、あっあのシーシャを吸ってる人かな。わたしダンサーです。お前がかい、どれ、写真とパスポートを見せる。「うちはペーパーはつくらないよ。あんたの出番は4時さ。」彼の家でもらったドレスに着替え(皆ちゃんとした衣装は着てなかった)さっそく背中を押され出番。全部知らない曲、即興で踊る。ドラムソロが続く、袖に引っ込もうとしたら、まだまだ、追い返される。お客さんが立ち上がり、エジプトポンドを頭から降りかける、嬉しい! お札はボーイさんが出てきてかき集める。1時間出ずっぱりなんだ。踊り終わってギャラは約束の半分。でもうれしい。カイロで初めてのギャラ。帰りに外で男たちがタクシーに乗り込むという、何のことかわからずにわたしは断った。

 次の日ひどい夏ばてが治っていた、踊って良かった!!

 よし、ラムセスヒルトンに行こう、セミラミスを出て歩き出す。すると「麻美、そっちは行き止まりだ」後ろから声が聞こえる。「あなたは誰?」「セミラミスのレセプション係だ!」わたしは振り向かない。何でラムセスヒルトンに行くのがわかるのよ。行き止まりなんてない、車に通行止めもしていないのに。翌日の晩、ザマレックに事務所を持つホテル付きのマネジャーをラムセスは紹介してくれたのだが彼は、私の部屋でオーディションをすると言った。ラキア先生は絶対に部屋に人を入れるなと言っていた。「殺されても知らないわよ。」と。白い衣装に着替えて1曲踊った後踊りでなくプロポーションが問題だといった。「ここはエジプトなんだからお客はダンスより体を見るんだ。胸のパットを入れる位置が違う下じゃなくて横」なんていって衣装のブラに手を突っ込む。「この問題を解決したらわたしに電話しなさい。ところで君はこのマンションに、中東1のマネジャーが住んでるのを知っているかね?」こういってその方の部屋を教えてくれた。早速行くと、ラムセスのマネージャーとお話中。かなりのお年を召したで「悪いが、わたしはもう引退したんだよ。」という。それにしてもアラブはイスラムとの建前とは別にベリーダンサーやそのマネージャーが職業として確立されてるんだなあ、と感じた。

     マフムード

ところで優ちゃんは語学学校に行っているためエジプト人や外国人の友達がたくさんいた。あるときわたしの話を聞いてくれるという、日本人ガイドの男の子を紹介してくれた。日本語の本当に堪能な彼は、エジプトでダンスの仕事を探すのは金の無駄だと思う、という。しかしわたしが何とか再度ハールーンアッラシードに予約を取れたときお願いしたら、彼は快く祐ちゃんと一緒に面接に付いてきてくれた。威厳のあるナイトクラブの雰囲気とスタッフに直面した優ちゃんは「こっわ〜」とつぶやく。以前と同じ部屋に行くと下のリザーベーションデスクにいた男性がなぜか優ちゃんの隣に座る。アラビア語でアムルさんとマフムードとの会話が始まる。「彼女はよくわかっていないようだ」アムルさんはいう。まず30名位の楽団を揃えること、マネージャーを連れてくること、一週間かけるオーディションにふさわしいドレスをそろえることを条件に挙げる一方、今うちのホテルで外国人ダンサーのためにペーパーは作らない、という。

  わたしはがっかりしながらマフムードにお礼を言い、その後優ちゃんと語り合った。「全然見当違いだったね。」と彼女。わたしはその時の緊張で後から風邪で寝込んだ。マフムードも風邪で仕事を休んだ、と聞いた。  

4. 一人きりのラマダン

  知らない間に優ちゃんが帰国し、わたしはまだ職探しで残っていた。生活はもう崩壊寸前。「この一ヶ月はどのナイトクラブもお休みだよ」時々行く日本料理屋さんのオーナーが教えてくれる。昔、フィフィアブドとお付き合いがあったそうだ。「わしに今文化省のエジプト人とお付き合いがあれば何とかしてやれるのになあ」いつもこう言いながらエジプトについてここのナイトクラブについて教えてくださる。レッスンもないし1人でホテルへ遊びに行く。相変わらず「どこへ行く!」と入り口でマークされる。「綺麗」「どう、素敵でしょ」グランドハイヤットの売り子さんのサマルがのお店のカンテラを自慢する。それぞれいろんな種類のラマダン用のカンテラがホテルの中や街のあちこちに飾ってあるのだ。初めてのラマダンを何が起こるかと期待していたら初日からカイロ中の音楽がぴたっとやんだ。街中がしーんとしている、お祭りのイメージと全然違う。そのかわり夕方5時半に大テ―ブルがシャーリア(通り)に出現、興味と生活の苦しさから恐る恐る一緒に座る。1ドル!とからかわれたが皆話しに入れてくれた。残りのお肉はティーちゃんに持ち帰った。喜んで食べる、良かった。そこでいつも夕方までダンスを練習しては5時半になったらその場所に食事をしにいった。果物屋さんのおじさんも毛布に包まり、断食に絶えながら店の番。でも食事時にはレダという猫も一緒にたくさん食べる。レダも丸ごとの鶏肉をもらって食べている。わたしはやせているティーが不憫でならなかった。彼はほとんどズッキーニやじゃがいもで生きているのだ。

     ランダ

男たちに混じって食卓の世話をしている女の子がいつもいた。お転婆だが可愛い子で、ランダと呼ばれている。2度目に食事に行ったとき、「あんたは明日も来る? アラトォール(続けて)?」と大きな眼で聞かれた。お母さんもいつも一緒にきている。

久しぶりに涼しい風が吹くラムセスホテルアネックスへ。昔行った日本レストランどうなったかなと思って。急に辞めたと聞いてびっくりした。隣のイタリアンの支配人マグディさんがお茶とお菓子をご馳走してくれる。「日本語を習ってるんだよ、この本で」先生の要らない日本語、この冊子わたしも前見た。先生の要らないアラビア語版。お客さんはほとんどいなく、淋しい。名詞を交換してから外へ降りる。北風の中、道端の私服警官に声をかけられる。ラムセスホテルからだというお弁当を一緒に頂いた。ラマダンだからなのね。「ティー?」と聞いてくれる。隣のかばん屋の店の中からパイとお茶もきた。エジプトにいるといつも大声を上げるとどこからか人が出てきてその人が今度はどこからかお茶を運んできてくれる。1人の貧しそうな婦人も彼らからお弁当を受け取る。 薄い政治の雑誌を見ながら片言のアラビア語で自己紹介をする。「携帯教えてよ」電話交換。ふとタクシーが止まる、何? 彼らに紙封筒を渡してる。タクシーってお使いの仕事もするんだ。日本のような雲が立つ空、久々で美しい。別れを告げてザマレックヘ。今日の夕食は終わってたがランダと話し合う。家へ行きたいって、どうしよう。

 久しぶりのお客さんはティティに挨拶し、家中走り回った挙句に一緒に音楽をかけろという。彼女もとても上手。わたしが習った曲、不思議と振り付けが一致している。彼女のほうがもっと可愛いわたしも真似する。こんな表現舞台ではできないセクシーな手の使い方や表情に驚きでも真似をする。ティティも大歓迎している。フロアダンスの動きもおそわった。もう少しゆっくり見たいな。テレビからこんな小さい子は踊りを習うんだろうか。全部の動きを彼女は知っていた。

「ハアイ、麻美」いつもの銀行のお姉さん、ジュリアがスカーフをしている。彼女は普段髪を覆わないのだ。セミラミスのアリババショップへ行くと店員のアフマドがわたしの服装を怒った。「みんなが見るじゃないか。」そういってわたしのショールを肩に回し肌を隠す。マンションへ帰るとエレベータで出会わせた女性は全身黒いアバーヤ。「湾岸の方ですか?」思わず聞いたら「いいえ、違うわ。ラマダンだから」と言われる。いつもの自分より体を覆う習慣なのだ。

一度だけ贅沢してセミラミスのプールガーデンで食事をした。ラマダンように生演奏のアラブ音楽。小さな天蓋が囲んで設けられとてもロマンッチック、東京で習った曲を演奏で聞きアラブ音楽が元だったと知って喜ぶ。「彼女をここで踊らせないか。」ナイトクラブ勤務のムハンマドは支配人に言ってくれる、勿論NOだけど嬉しい。

 1人きりでとにかく淋しい。レッスンもお休みで。ある朝アザーンが「アッサラームアレイコム、アッサラームアレイコム・・・・アッサラームアレイコム」と歌うように節をつけて言っていた。これがラマダン最後の日だったのだ。翌日から早速ナイルの船に歌が戻りわたしのナイトクラブ職探しも始まった。

     カイロオペラ座

優ちゃんが昔泊まってたイスマイリアのエジプト人の男の子に紹介されて、ヘリオポリスのソネスタホテルにファルーク先生に作っていただいたビデオを持ち、仕事を探しにいったが、結果はNO。疲れきったタクシーの中で運転手さんが「何しにカイロへ来たんだ」といつもの質問をする。「ベリーダンスの仕事を探しに。」わたしがこう答えると、「俺の学校時代の友人でウードの奏者がいる。彼はウンムカルツームの演奏もした。彼に聞けば何とかなるかもしれない。」わたしは大喜びして、その方の名刺を受け取る。サイイド・マンスーニとアラビア語で書いてある。「君が大成功したら、わたしを忘れずに連絡をくれ」「ええ」といい、運転手さんの電話番号も教わる。その日のうちに早速サイイドさんに電話をかける。「ウンム・カルツームステイタスの前で会おう。」ステイタスってなんだったかな。久しぶりにオペラ座へいくとおおきなウンムカルツームの銅像がある。これのことかも・・・・。暫く待つと、ウードのバッジを胸につけ燕尾服を来た品の良い男性が現れた。「君が麻美かい?」「はい、あなたの事は・・・。」と事情を説明すると、「よし、ベリーダンスを紹介する会社があるから明日そこから君に電話が入るようにするよ」とおっしゃった。今度こそ、とわたしは期待する。

 

5. オーディション

 

いったいどこにブリザリオがいるんろう、わたしは絶望的だった。カイロではベリーダンサーが直接ナイトクラブと話をしてはいけないし、誰かオーケストラを編成してくれる方が必要だ、ときいたからだ。先生の御宅で出会ったオーストラリア人ダンサーに聞くと、キャロラインにはマネジャーがいるという。「どこで見つけ

の?」「あなたはわたしが何年カイロにいると思っているの」とキャロライン。彼女は滞在5年にもなるダンサーなのだ。

 そのときサイイドさんの紹介といって芸能事務所の方から電話が着た。歌手やベリーダンサーなど主な方が所属しているという。まずは私の部屋でオーディション、3人の男性が部屋を訪れる。これは先生から何度もいけないと言われたこと。でもほとんどの方は部屋でダンスを見たがるのだ。民族舞踊の後、 モーゲッダウイから習った〈イシタ〉を踊る。イシタとはクリームのように可愛い女の子という、意味とまた脚という意味もある。踊り終わると連れの男性がわたしは蝶々のようだったと社長の感想を伝えた。アラベスクが多い振りでひらひら舞っているようだったと。そのあとギザにあるという事務所へ向かった。車に一緒に乗り込む私に門番のハサンは何も言わない。いい人と悪い人が分かるのだろうか。カイロに1人のわたしに大家さんのマダムアブドーラはわたしが部屋に入れる人物を監視するよう伝えていたのだ。あるときボーイフレンドを入れようとして、押し問答したことがあった。ここからがハラムストリートさ、片言のアラビア語での会話の後社長が言う。レストランのような建物が道沿いに建つ、「あれがカジノさ。」「スヘイラ・ザキ」もここで踊ったのですか。「あああ、そうさ。」わたしは4年前のオリエンタルダンスフェスティバルで彼女のダンスを見て〈普段着のままだがダイナミックで感動的な踊りだった。ほとんどの生徒はただ座って鑑賞めてたが、わたしは一緒に味わいたくて彼女を真似て必死に踊った。〉以来1度習いたいとずっと考えてたのだ。「ほら、あれがルーシー婦人の店」}白いきれいな箱型の建物。彼女のことは日本人ダンサーから噂で聞いた、踊りも1度見たがセクシー野性味があり素晴らしかった。やっと小さな入り口に入った、細い待合室を抜けると大きなデスク。向かいにはきちんとステージがある。エジプトのレストランや喫茶店にはステージ付の所が多い。それだけショーが歓迎さてれるという事だろう。しかし暖房が入ってないためとても寒い。乾燥してるカイロでわたしは何度風邪を引き込んだことか。

社長がお茶を入れてくれる、デスクにはたくさんのスターの写真。あっソライアもいる。何でここに。「佳寿美のペーパーもわたしが作った、パスポートをモガンモアへ持っていったのさ。」お付の男性の方が教えてくれた。3000ドル、私の手帳に書く、えっこんなにするの。次に「では」と書き直す、2000ドルだ。これだけ用意してもらえればわたしをデビューさせて上げられるよ、契約とペーパーとオーケストラ、それに衣装代に髪の毛のセット代も含めて。そんなのどうやったらいいのか・・・。また連絡すると約束してその場は別れる。どんなしくみか少しわかった。一歩前進かな、少しでもほっとしたわたし。

 ★ 両親

わたしの家族や、いや親類でも歌や踊りや絵など、芸事をする人は過去にも今にいたってもいない、そこでダンスはいつも反対されながら続けてきた。子供の頃は高いチケット代で1人でバレエを見に行き大学時代はフラメンコやっていた。カイロからなかなか戻らないわたしの様子をこの両親が旅行ついでに見にきてくれた。久しぶりにカイロ考古学博物館でわたしに駆け寄る母を見、さすがにほっとした。ツアーで来てた為すぐ旅行者のグループに戻っていきわたしは渡されたお土産を持ってセミラミスに入った。友人のアリババと話をするために。初対面で彼は私に結婚を申し込んだ。ホテルスタッフとして軽い?と評判の日本人の女性に慣れているためだろう。あとで私を知って、ベリーダンスをやめるならと条件がついたが。先生にも聞けないこと、わたしが生活で困ったことのあるたびに親切な彼に相談していた。私と同じで自然のもの「食べ物や化粧品その他もろもろ」が好きな彼にはカイロでの自然化粧品や体に良いお茶などを教えていただき、また店の品物も安く売ってくれた。後には家にも行った。彼の家は10代続く商家でいま兄弟全員でオイルや香水のおいてあるお店を経営しているのだ。初めての彼の店はアラビアンナイトそのものだった。きれいなピンク色の外壁を入るとエキゾチックな原色の内装でカーテンで仕切った部屋の壁には香水や香水ビンが所狭しと並んでいた。とてもおいしいハラムストリートのチキンをはじめて食べたのも彼のお店でだ。プロイラーでないからさと言っていた。初めのときは別としてその後は彼はいつも値引きをしてまたは小さな香水などをプレゼントしてくれた。ものを盗まれたり人にだまされたりして彼に訴えに行くと「ワッラーヒ(何てことだ)80%の人は悪い、麻美気を付けなさい。」とそのたび注意してくれた。あるときはお店でコッシャリをご馳走になった。コッシャリとはピラフにマカロニや小さくきったパスタ、数類の豆が入っているのに、辛いトマト酸っぱいレモンソースを好みでかけるエジプトのファーストフードだ。ダウンタウンで食べたときはおなかを壊したがここハラムストリートのコッシャリはソースも含めとてもおいしい。こんな具合で週に3日はセミラミスのお店か彼の家で会い、買い物や相談をしたりしていた。彼がいなければ私はとてもカイロでの日々を乗り切れなかっただろう。

初めてのピラミッドへそれから両親といった。10ヶ月もカイロにいながらまだ1度もピラミッドに遊びに行っていなかったのだ。ピラミッドパークインターコンチネンタル…私が1度仕事を探しに行ったホテルだ。ナイトクラブはなくディスコでペーパー無しのブラジル人ダンサーがいま契約中だとのこと。今現在はロシアンショーが入っててベリーダンスは行われていない。そこに滞在中の両親を訪ねた。1階のロビーで落ち合い部屋に向かう。まずは近況報告。そしてそのあと再度わたしは近くの芸能事務所へ。約束したバスウーニさんがなかなか現れない、12月のカイロで室内は寒くてたまらない。ザマレックからギザまではたった20分だがそれでもエジプトのタクシーに揺られてくると(交渉もあるし)結構疲れる。待ちきれず「I waana take a walk」と言った。ここは危ないから、とスタッフの女性が付き添ってくれ、2人で散歩に出かけた。この先どうしたらよいか見えなく不安だった。木枯らしが吹く中周りの店は改装中の美容室があったりハラムストリートは家路へ急ぐ人が大勢歩いていたり、エキゾチックな雰囲気だ。道々彼女と恋愛の話をした、ラキア先生はエジプト人はデート無しでいきなり結婚するのよ。といってたが全員がそうではない。彼女も前はボーイフレンドがいたそうだ。「何人?」「1人よ、女はいつだって1人しか愛せないのよ。」寒さで途中でUターンしたがマネージャーのバスウーニ氏はまだ戻らない。親も来てるし8時過ぎにわたしはピラミッドパークホテルへ戻った。もう1度お茶を飲みながら話をしたあとティティがいるのでその夜ザマレックに戻った。ティーちゃんは退屈だったらしくトイレトッペーパーの紙を伸ばして遊んでおり少ない砂のためトイレもひっくり返っていた。猫の新しい砂を買うお金もわたしはなかったのだ。彼はわたしの前で一生懸命砂をかき集めさみしかったと目で訴えた。

翌日初めてプラミッドの中に入った。もやだらけの入り口から暗く狭い回廊を上へ上っていくと予想に反して着いた部屋は石棺が1つあっただけで壁画もなにもなかった。その後友人のアリババの店に行きたかったのだが親は面倒くさがり、側の小さな店に立ち寄りホテルへ戻った。父親がもう1つの目標、憧れのスヘイラ・ザキさんに会うことをわたしに勧め、親が帰ったあと何度かギザをいったり着たりしたが誰に聞いても彼女の家はわからずじまいだった。

 

6. 最後のオーディション

 

もう我慢できない。いくらナイトクラブをまわっても、今はまだ要らない。エジプト人以外はだめだ。もっと胸が大きくなったら、などと冗談でなく本気で言われる。ラキア先生は諦めずに探せ、とまだいたのとあきれながらもおっしゃる。ファルーク先生はというと戯れて膝によじ登ろうとするわたしを止め「わたしはシリアスなんだ、もう帰りなさい。君に道端をうろうろするようになってして欲しくない」と怒って言う。たまには違うところに行こうセミラミスのアンバサダークラブというバーに、青いドレスを着て一人で行く。あら、ナイトクラブの彼がこんなところに。「ここに配属になったのさ」、そう。優ちゃんと仕事申し込みに行ったとき横に座った彼だ。隣の丸テーブル楽しそう、携帯の着メロ鳴らしを皆で歌って遊んでいる。急に彼がその客たちにわたしを紹介している。もし売春婦がどうこう言われてたらどうしよう、でもいい。開き直るわたしに彼があの方はとあるナイトクラブのオーナーだ、今わたしを紹介するという。えっ本当?! 嬉しい・・・。白い紙に携帯番号を受け取る、今? いや、明日の朝電話するのがいいだろう。ワインの酔いにふらつきながらいつものようにエスカレータを降り、タクシーを拾った。翌朝さっそくTEL。家に来い、と。食事もまだだったがティーちゃんにいい子でね、と言い聞かせタクシーを拾う。途中何度もMR.アーデルの携帯電話から指示が入る。「何ポンドだ。」なんでタクシーの運転手は何でこんなに何度も尋ねるの。だんだん訳がわかってきた、とても遠くに行こうとしているのだ。やっとアーデル氏と落ち合うほとんどアラビア語! 大丈夫かしら。信じて彼の車に乗る。途中で佳寿美さんやほかのベリーダンサーやナイトクラブの話になる。あそこは売春付さ、嘘、わたし踊ったわ。いったいどこまで本当なのやら。砂漠に入ってわたしも不安になる。こんな風にどこかに売り飛ばされるとか。昨日逢ったばかりだし大使館からは離れてるし。地平線の端にピンクの住宅が見え始めほっとする。「あれはすごく高いのさ、億万長者が住んでるんだ。」「ふうん、そうですか。」まずはショッピングモールへ入る。アーデル氏は病気だという父親のため薬局で薬を買う。それから彼が持っているという小物屋さんへ。下着や髪飾りを売っていて、エジプト人の女の子がレジに座っている。彼はそこでまず彼女に出すようお茶を頼んでくれて、それからナイトクラブの名刺を差し出す。“マナルホテル”聞いたことない。「ムハンディシーンにあるのさ。ホテルは4ツ星だがナイトクラブは5ツ星だ」星を聞いたわたしにこう答える。ペーパー、衣装、オーディション、必要な手続きを英語で紙に書いてくれ、その上近くの店の販売員の女性を呼んできて、英語に通訳してくれる。「オーディションはわたしの家だ。いいね」やっと彼の家について、TVのある客間に通される。素敵、こじんまりしてるけど普通の家落ち着いてる。可愛いメイドさんがお茶を出してくださる。「俺も麻美もおなかがぺこぺこなんだ。なにか作ってくれないか」しばらくして奥さんが戻る。わたしより2つ年下、でも威厳がある。そのまま座りメイドさんが出すお茶をすする。「あの子がルビよ。」英語でテレビの歌番組を説明してくださる。わたしがあなたのマネージャーになるのよ。久しぶりの家庭料理。全部ブルーのガラスの器。朝からの緊張と疲れが一気に取れた。おいしいパスタとジャガイモの料理、チキン、マカロニのスープの後わたしの踊りを見ていただくことになった。どうしよう、奥様が部屋で薄手のドレスを着せてくれる。ドレッサーの周りにはかつらやアクセサリなどがたくさん・・。これでウムカルツームのアマルハヤーティーを踊る。これはわたしの夢、またはわたしの人生という歌詞でDR.モーゲッダウイ氏のCDにあったものだ。踊り終わるとブラボーといわれながらヒップテンションの動きはこうしたら、と途中までして腰を回しまた返す動きを教わった。次は奥様そしてメイドさんと順番に踊った。皆上手だしとても楽しい。こんなオーディション初めて。安心!

「コントラークト。」「誰と話して契約するのですか?」アラビア語でいまいちよく分からない。この男に電話するようにと連絡先を受け取る。「新しい衣装が必要よ。あなたは幾つ持っているの?」わたしが答えると「アレクサンドリアに知り合いの衣装屋があるわ、そこで作りなさい。」という。もうお金がないしどうしよう。わたしはパニックになる。既に3度もエジプト航空に帰りのチケットを伸ばしてもらっている。まさか生活していけないなんて言えない。車で途中まで送っていただく、震えていたわたしに奥様はコートを1枚貸してくださる。

日本人ダンサーでエジプトで旅行業を行っている方と会う約束をした。「麻美さん、顔出しちゃえば?自分の踊るステージをまず下見に行ってみたらどう?」セミラミスのカフェではじめてお会いした彼女が言う。生活のことは話さず帰らなくてはならないかもというと、どうして、と問い掛けてくる。ここで帰らなかった、もう飛行機の切符は買えない。仕事でお金が入るまで、持たない。どうしよう、ピラミッド通りのアリババのところに相談に行く。「半年間帰って又来る。あなたはそう言ったじゃありませんか?」彼はこう答えるばかり。ラキア先生のところへも行く。「契約すれば、いいんじゃないの。」。ファルーク先生にはなぜか相談できない。今まで何でも相談してきたのに・・・・。嫌々帰ることに決める。こんなに大きくなったティーちゃんは連れ帰れない。わたしはキャロラインに1ヵ月後、日本へ帰るからティティを預かって欲しいと頼んであった。しかし今となると・・・。セミラミスのムハンマドに相談する。「とにかく君は今はエジプトにいる、通訳の仕事を紹介するよ。」と待つようにいる。アリババショップの店員さんの1人が来週の月曜までに猫を預けるところを探してあげる、と言う。ザマレックの文房具屋さんは大きすぎてティティはだめだと言う。ラキア先生達は初めての先生のためのワークショップを開催中。これは朝のバレエレッスンからはじまりダンスのほかにエジプトの歴史なども習う本格的なワークショップの第1回目。もう空港に向かうと決めたけど、お別れを言いにけど開催のホテルまで行く。帰るわといったらイハッブは眼に涙を浮かべる。広い、それから空港へ向かった。何度いってもすんなり帰りの登場口に着かない。おかしいな。旧と新の空港がありタクシーの運転手さんにはまっすぐ日本行きに近いほうの空港へ言ってくれと伝えたのに。車も途中でパンク、これ帰るなってこと? 空港には白い服を着たアラブ人が並んでいる。巡礼に行くのだ。直前までエジプト人の通訳さんに相談の電話をしながら、カイロを後にする。何故帰るんだ。契約をしろ、と。

 

 

 

 

 

 

 

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 登場人物

 前書き

 1.エジプトへ 〜4年振りにカイロへ 

 2.レッスンの日々

 3.ナイトクラブ で踊りたい

 4.一人きりのラマダン

 5.オーディション

 6.最後のオーディション