第19話 クリイム?

これも昨年(2002年)暮れ頃に桑山さんから寄せられた話です。なんでも、売り払った古いPCに起こった妙な体験ということです。

季節は秋。2000年の11月の話です。
私は、一冊の本を作るべく、三太と一日18時間くらい格闘しておりました。
何度、強制終了の憂き目にあわされたことか・・・(しかも自分がするのではなく、メカからの強制終了!)。
しかし、私はめげずに頑張っておりました。
そして、取り合えず一段落したところで、FDに内容を保存すべく、ディスクをドライブに挿入いたしました。
いちいち、動作に不安のある奴でしたが、何とかFD保存くらいはやりとげてくれたようです。
ほっとして、ドライブからFDを取り出したとき、私は妙なものを見ました。
FDの先端、あれ、何ていうんですか、金具の部分。
その部分に、白いクリーム状のものが「ふわ」と付着していたのです。
PCの中にこんな物体が存在するなんて、聞いたことありません。
メカを接合している、接着剤か何かが、くっついてきたのでしょうか?
それにしては、粘り気も何もなさそうです。
まったく、ホイップクリームのようなのです。
私は、意を決して、それに触ってみました。
見た目と同じく、何の手応えもない代物です。本当に、クリームです。
その時。
私は何を思ったのか、それを指につけて、「ぺろっ」となめてみたのです。
一日18時間PCと向かい合っていたため、判断力を失っていたのかも知れません。
その時、そのクリーム状のものが劇薬か毒物だったならば、私は今、こうして投稿していることもなく、とっくにお墓のなかで、「相変わらず世間は不況だのう」と年末を寂しく迎えていたことでしょう。

そのクリームは、無味無臭。私の体には、幸い何の変化も起こりませんでした。
事象も、それ一度きりのものでした。
あとで友人から、
「ふつー、そんなワケわからんモノ、口に入れるかこのボケェ!」
と叱られました。
「取り合えずなめてみるなんて・・・あんた、ケダモノ以下」
とも言われました。しくしく。
しかし、あれ、一体何だったんでしょう。
PCに詳しい方、お分かりになる方がいらっしゃいましたら、是非ご教示いただきたいものです。

…ということで、一応私(秋田)が妹に尋ねたところ、「ハードディスクというのはクリーム状のオイルの上で回っているのだけど、フロッピーにそれが付着すると言うのは考えにくいかも」とのこと。やはり不思議な現象という気がしますが…。詳しい方の情報お願いします。

第20話 水が欲しい…

川田卓人さんから「まずは軽い話から」ということでいただきました。

私が行っているバイト先の話です。
居酒屋兼食事所みたいなお店で、そこの厨房で調理をしています。
だいたい夕方6時から8時の間に入って、閉店(11時または1時)まで働きます。
不思議なことに、仕事を始めてすぐに猛烈に喉が乾く日があります。
がぶがぶ水を飲んでしまうのですが、トイレに行きたくなることはありません。
また、「トイレ行こうかな」と思っても、しばらくたつとまるで尿意がなくなります。
私は意識して水を飲まないといけないほど、水分をとるのを忘れる人間です。
脱水になりかけたことも数知れず。身体がしんどいなあと思ったら、そういや水分摂ってないや、と気がつくくらい水分を摂らない人間なのですが、バイト先も普段なら殆ど水は飲みません。
ところが、時々、いくら飲んでも喉の渇きが失せない日があるのです。
何度目かの「喉が乾く日」に、般若心経の最後の部分を心の中で唱えてみました。
効果がなかったので、口に出してこっそり唱えてみました。
何度か繰り返すうちに、渇きは去り、身体も軽くなりました。
やっぱり入られていたんだなあ・・・と呆れつつ、私は仕事を続けたのでした。

私も気を付けないと水分取らない人間でして…(^_^;)まあ、脱水症にはなったことはありませんけど…やっぱりたまには喉が渇くことはありますが、普通はせいぜい2,3杯水を飲めば落ち着きますね。しかしお経で効果があるということは、「ただの渇き」ではないということですよね。

第21話 永遠の瞬間

引き続き、川田さんから頂きました。こんな時代には是非読んでもらいたいお話です。川田さん御自身からも強いメッセージと共に寄せて下さいました。

私は以前三年半ほど沖縄に住んでいました。戦跡も行きましたし、基地も見に行きました。
少女暴行事件が在住中に起きたので、基地反対集会やデモにも参加しました。
が、住んでいる間は何事もありませんでした。

去年、職場の同僚と沖縄旅行に行きました。久しぶりの沖縄で舞い上がり、同僚も私が住んでいたことを知っていたので、私が案内役となり二泊三日の旅をしました。
最終日に、どうしてもいきたいところがあると皆を連れて行ったのが、喜屋武岬です。
ご存知の方も多いと思いますが、沖縄戦の時に、日本軍によって自決を強いられた沖縄の民間人や学徒隊の子供たちが、身を投げた岬です。
そういう歴史もあり、この岬には平和のモニュメントが飾られています。
悲惨な歴史を持ちながら、しかし、ここはとても美しい岬なのです。

モニュメントに祈りを捧げて帰宅の途につきました。

翌日は法事でした。旅疲れはありましたが、まあ座っているだけです。
お坊さんが来ました。袈裟を着た、ごく普通のお坊さんです。
しかし、それを見たとたん、私はものすごい恐怖を感じました。
「この人が怖い!ここじゃない!」
と、私の感情が悲鳴をあげました。何度も会っているお坊さんです。見慣れた袈裟です。
ですが、それが「違うもの、見慣れぬもの」に見えるのです。
私は俯いて数珠を握り締めていました。やがて、読経が始まりました。
それを聴きながらふと目を閉じたとたんに、あの岬が脳裏に浮かびました。

そうか、連れて来てしまったのか。ようやく理解しました。

沖縄のお坊さんは、本土のお坊さんとは衣装が違うのでしょう。
最近では本土の仏教も入ってきてはいるものの、私の中にいる誰かが生きていた頃(おそらくは半世紀以上前でしょうが・・・)は、それは「知らない土地の知らない人」なのですから。
私の中でパニクッている誰かは、その感情の具合(?)から推測するに、十代の女の子のようでした。帰りたい、ここは違う、と叫んでいました。
私は数珠を握りながら、「大丈夫、帰れるよ。行きたい所に行けるよ」と小さく声に出してつぶやき続けました。心の中が彼女の感情でいっぱいで、自分の感情や考えを維持するのが大変だったのです。
そして、私の記憶の中の沖縄の空や海をイメージし、「飛んだら帰れるよ。空は沖縄につながっているからね」と説得もどきを続けました。

どのくらい時間がたったかもう覚えていませんが、彼女は行ってしまいました。
このお坊さんでは彼女を行くべき所へ行かせることができなかったようで、どうやら元居た場所・・・喜屋武岬へ帰ったようです。

半世紀経った今でも、彼女たちの時間や想いは止まったままです。
「神の名のもとに」戦争をしている人たちは、彼女みたいな人たちをたくさんつくってしまっているのです。
どんな信仰を持っていたとしても、死という大きな恐怖をそれぞれの神は拭ってくれるのでしょうか?

川田さんのおっしゃるとおり、戦争と言うものは悲しい魂を作るばかりです。どこの神様がそんなことを許しているのでしょう?そして皆が思い描いているはずの明るい未来を奪う権利が一体誰にあるというのでしょうか。

第22話 楽しい場所で

これは知り合いの掲示板で、桃色うさぎNOVAうさぎさんが語っていた体験談を御本人様の許可を得てここに転載させていただきました。勤めている某テーマパークでの出来事だそうです。

ある日のこと、レジ閉めをしていた後輩に付き合って店に残っていた。その場には私と後輩と社員の女の子の3人。後輩は「合わないよ〜」と言いながら必死でお金の計算をしていた。その時、どこからか笑い声。そして楽しそうな声が聞こえる。しかし遊びにきてる人々の声が聞こえても不思議ではない。そこは出入り口のレジカウンターだから。

「楽しそうな声が聞こえるね」と私はなんとなく言ってみた。「うん、楽しそうね」と社員のコ。暇なもんだから想像してみる。「この声は高校生くらいかな」「そうだね、3人くらいってとこかしら」 すると、必死にお金を数えていた後輩が頭を上げて大声を出した。「やめてくださいよ、二人共!そんな声聞こえませんよ!」 私と社員のコは顔を見合わせた。「え、だってほら聞こえてるじゃん。ねぇ」 それでも後輩は聞こえないと半べそ状態で訴える。「なんでそんな事言うんですか」 ・・・・と、そこへステージ裏から閉店のチェックをしている男の子がひょっこり姿を現した。そうだ、楽屋にダンサー達が残っておしゃべりしてる声かも・・・・・・・。「ね、裏にまだ誰か残ってる?」と男の子を呼び止めた。「?いいえ、もうとっくに帰ったみたいですよ。真っ暗だもん」 時計を見た。22時30分を過ぎていた。 客が残っているはずがなかった。閉園は22時だったのだから・・・

楽しい記憶の残像がそこに残っていたのでしょうか。強い思念はとどまるといいます。

第23話 おキツネ様

これは私の母から聞いた話です。私の小さい頃はまだ迷信やら伝説やらが日常に当たり前のように存在していましたが、それよりもずっと古い時代の話。(ちょっと小泉八雲風…)

うちの裏のおじさんが、ある時在所(実家)に自転車で出掛けました。うちの近くには庄内川が流れていますがそれを越えた所の在所であるとのこと。その帰りがてらにおじさんはお土産として大きなスイカを丸っと一つもらったそうです。そしてそれを自転車の後ろの荷台にひもでくくりつけました。

そうしておじさんはえっちらおっちらと、自転車をこいで帰り道を急ぎました。田舎道ですから夜になると真っ暗になってしまいます。そのうちに橋にさしかかりました。その橋を越えた所で、おじさんは妙な物音に気づきました。それは自転車の後ろからするのです。「シュウシュウ、シュウシュウ」という何かが抜けるような音です。おじさんはタイヤがパンクしたのかと思い、自転車を降りて確かめましたが空気は抜けていません。スイカも見てみましたが異常はありませんでした。しかし再び自転車をこぎ出すとまたもや「シュウ、シュウ」と始まります。訳の分からぬまま、おじさんは家に帰りつきました。

「スイカをもらってきたぞ」とおじさんは荷台からスイカを抱えて降ろそうとしました。すると、あんなに重かったスイカがすうっと持ち上がるではありませんか。不思議に思って切ってみると、なんとスイカの中身は空っぽだったのです。

これはきっとおキツネ様が中身を吸ってしまったに違いない、ということになりました。当時は実際キツネがいた訳ではないのですが、お稲荷様があちこちにあり、そういう話はよく聞かれたものでした。実際、私の妹もキツネにばかされたという体験談を持っています(^_^;)