The Furies

第1章 運命の輪

邂逅-3

開け放った窓から、軽やかな弦楽と華やかなざわめきが、かすかに聴こえる。

ユンは通された一室で窓際に椅子を置き、頬杖をついてぼんやりしていた。

あれからエドナにもう一度湯に浸からせてもらい、渡された服に身を包んだ。それは淡いイエロー地のワンピースで、「急なことで私の持ち物の中からしかご用意できなくて」と、しきりにエドナが恐縮していたが、奴隷身分には過分の品であると言えた。エドナと体格が似ているようで身の丈も合い、その色はユンの黒髪と紫色の瞳を美しく引き立てていた。

ユンは先程のラディエスカとの一件を思い返していた。今も手にある愛剣は、現在のユンが持つ唯一の財産であり、家族であり、友である。魂そのものと言っても過言ではない。それを勝手に持ち去られようとしたために、自分でも気付かないうちにかなり頭に血が上っていたのだと、ひとり落ち着いた今では分かる。奴隷が騎士に手を上げるなど… しかも怪我を負わせるなど…考えられないことであった。あの時勢いで思わず手を出してしまったが、よくも首を刎ねられなかったものだと、ユンは身を震わせた。偶然オルフェリウスとラディエスカが寛容な精神の持ち主であったため助かったが、たぶん二度目はない。あの場で素直に謝罪の言葉が出てこなかったので、後で充分に詫びねばならないだろう。自分の無鉄砲さと、流されるままにレイノール公爵邸に身を置いている現状に、ユンはひとり自己嫌悪に陥っていた。

それから、ユンが気がかりなのはラディエスカが言った「どうにもウチのと似てるから」というひとことであった。

(それは他に私の剣と似ているものがあるということ…?)

思考に沈んでいると控えめなノックが響き、扉が開いて「失礼致します」と執事が頭を下げた。

「お寛ぎのところ申し訳ございません。主から、あと半刻程のちお会いしたいと申し伝えよ、とのことでございます」

ユンはぎょっと執事の顔を見た。執事の顔には何の表情も浮かんでおらず、淡々と言葉を続ける。

「お迎えに参りますのでお支度下さい。なお、その時にお持ちの剣をご持参頂きたいとのことです」

それでは、と執事は用件だけ伝えると退室した。

(やはり逃げておくべきだった!)

ユンはがっくりとうな垂れた。報酬が惜しいと欲をかいた結果がこれだ。レイノール公爵になんて会いたくもないし、ましてや剣も見せたくなどない。普通、上層階級の家に入るときは、門で武器を預けるのが慣例である。何故ユンだけ部屋まで持ち込めたのか、今まで疑問に思っていなかったが、ただこの剣が見たかったとは…

会いたくないが、今さら会わない訳にもいかないだろう。そうだ、こちらから一度顔を拝んでおくのも悪くない。ユンはきりりと顔を引き締め、決意を固めるように、傍らの愛剣を握り締めた。


◇ ◇ ◇


執事の案内で、磨きぬかれた大理石の長い廊下を進んでいく。ユンの瞳の奥には微かな不安が浮かんで見えたが、表面的には冷静そのものであった。執事が奥まった私室をノックし、扉を開いた。

「お連れ致しました」

頭を下げている執事の横を静かな足取りで通り抜け、中に入る。こじんまりとした応接室は趣味の良い家具が配置よく並べられ、落ち着いた空間を作り出していた。視線の先に、40代後半か50代辺りの壮年の男性がいる。酒の入った杯を手に入ってきたユンを眺めているのは、レイノール公爵であろう。刺繍の入った、濃紺の華やかな上着を身に付けている。窓際には、オルフェリウスとラディエスカの姿もあった。ユンはそちらにもちらりと視線をやりながら前に進み出た。

剣を下ろして床に膝を着き、両手を胸に当てる。それは奴隷身分の挨拶であった。

「レイノール公爵様、初めてお目に掛かります。ユンと申します」

そのまま深く頭を下げたユンに、レイノール公爵は声を掛けるでもなく、ただ眺めるだけのようであった。部屋に沈黙が落ちる。不審を感じて頭を上げようとしたユンは次の瞬間、雷に撃たれたように固まった。

「そのような礼など必要ないよ、ユナシェル・ウル・デュ・リシュリュー殿」




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