The Furies

第1章 運命の輪

邂逅-1

粗末な服を脱いで浴室に入ると、先程の女が中で待っていた。

「お世話をさせて頂きます」

と言った彼女は、赤毛で鼻に散ったそばかすと、くりっとした緑色の目が愛らしく、ユンとそう歳が変わらないように見えた。まずは椅子に腰を掛け、たっぷりとした湯を全身にかけて、石鹸を泡立てた海綿でこすってもらう。天にも昇る気持ちよさである。ゆっくりと時間をかけて体を綺麗にした後、脂や汚れでごわごわに固まった髪を丹念にすすぎ、こちらも丁寧に洗ってもらう。

「お綺麗な髪ですわ」

ひと目で奴隷と分かるユンに対しても、屈託なく話しかけてくれる女に、ユンも嬉しくなって「どうもありがとう」とはにかみながら笑いかけた。

何度も何度もすすぎ洗い、最後に女は満足そうに微笑んで

「ゆっくりお湯をお使い下さい。私は外でお待ちしております」

と言い残して出て行った。石造りの大きな浴槽に入って全身を湯に浸す。ふーっとため息が漏れ、体が自然に弛緩するのが分かった。このように湯に浸かるのは何年ぶりであろうか。日頃は盥に水を張り、固く絞った布で体を拭くのがせいぜいである。

ユンの瞳は寂しげな光を宿し、ぼんやりと遠くを見つめた。


「ふーん、なかなかいい体してんじゃん?」

深い物思いにふけっていたため気付くのが遅れてしまい、ユンはハッと顔を上げた。浴室の入口から、ひとりの男が無遠慮な視線でじろじろとユンを眺めている。茶色のクセ毛がきらきら光る黄色の瞳にかかり、ニヤッと歪めた唇が、いい年のように見えるがまるでいたずらっ子のような印象だ。

「誰?」

キャーッと悲鳴を上げて惑うのを期待していたのか、その男はユンの冷静で落ち着いた問いかけに少し驚いたようであった。

「オルフェが奴隷女を連れ込んだと聞いて、見に来たんだけど。あんた何でそんなところで風呂入ってんの?」

そんなことはこちらが聞きたいくらいである。

「まさかあの堅物の兄さんが、抱くために連れてきたとは思えないんだけどさぁ」

その馴れ馴れしい口調に、ユンは眉を顰めた。

一体こいつは誰で、何故こうも不躾に裸のユンを眺めているのか。

「ところでこれ、綺麗な剣だねー」

手にしているのは、脱衣所に置いておいたユンの愛剣であった。

「…それに触るな」

ユンの低い声に、しばらく考えるような仕草をし、男はニヤリと笑った。

「ちょっとこれ借りたいんだ。盗ったりしないから安心して」

「何っ…」

男が出て行くのを見て、ユンはざばっと勢いよく湯を跳ね上げながら浴槽を出て後を追ったが、すでに男の姿はない。ぐぅっと眉間の皺を深め、素早く用意された柔らかい布を体に巻きつけ廊下に出る。遠くに男の姿を見つけ、ユンは音もなくそちらに向かって駆け出した。


◇ ◇ ◇


「なかなか興味深いな」

重厚な家具に囲まれた書斎で、白髪混じりの男は呟いた。後ろに撫で付けた髪は、その秀でた形の良い額を顕にし、知的な雰囲気を醸し出している。目元に刻まれた皺が、男の年齢を感じさせた。艶のある、一目で高価と分かる生地に身を包んでいるが、その肩幅は広く、胸板は厚く、貴族にありがちな脆弱な肉体とは程遠い様である。意志の強さを表わすようながっしりした顎に、考え込むように手を添えたその男は、この邸の主人、レイノール公爵その人であった。

「それに、まだはっきりと確かめてはいませんが、あの剣はおそらくテラ・ルーンの作の物とみて間違いないと思われます」

「テラ、か」

味わうようにその言葉を口に出し、レイノール公爵は続けた。

「その剣技にその剣…お前を迎えにやって正解だったな。思わぬ拾い物をしたかもしれん」

ゆっくりとそう言いながら、レイノール公爵は目の前の金髪の騎士に目をやった。

「お会いになりますか?」

「そうだな。今夜は男爵夫人との晩餐があるから、その後にでも」

「承知致しました」

簡潔に答える騎士に、レイノール公爵はふと尋ねた。

「今日の晩餐会はお前も出るのだろう?」

「…わたくしはご遠慮させて頂きたいのですが」

「全く…社交も重要な仕事のひとつ。今夜は男爵夫人も是非にとおっしゃっている。お前も出席するように」

厳しく言いつけるレイノール公爵の言葉に溜息を吐いて、騎士は静かに退室した。それを見送り、レイノール公爵は窓辺に立つ。

暮れかけた夕陽に照らされて、レイノール公爵は全身を赤く染めながら、何かを考え込むかのように目を伏せた。




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