第2章 蒼天の鏡
敷衍-1
「私がテラだが…」
穏やかな表情で立つその男が名工の誉れ高いテラ・ルーンだとは、二人には信じられなかった。宮廷に仕えていた年数を考えると、もう相当な歳のはずだ。しかし目の前にいるのは、壮年と言っても差し支えない若々しい男だ。視線をユンの腰元にある剣にちらりと遣り、
「用向きは聞かなくても分かる。ここで立ち話という訳にもいかない、さぁ母屋に入ろう」
と促した。さっき訪問した家まで、案内されるまま二人は素直に着いて行った。
「特になにもないあばら家だが、まぁ適当に座ってくれ。この辺りで摂れるブドの葉の香茶はなかなかうまい」
自ら手馴れた様子で茶を淹れ席を勧めると、テラは二人に向かい合うようにして腰をおろした。無骨だが長く形のいい指から受け取った茶は芳しい湯気を立てていて、ユンの心を和ませた。落ち着いて家の中を見渡してみると、質素だが広く清潔な空間に、美しい細工の置物や道具が所々散らばっている。ユンの視線を追いかけてテラは「最近は工芸品を作っていてね。気に入ったものは外に出さず手元に置いているんだが、数が増えたな」と笑った。
「突然の訪問、申し訳ありません。私はオルフェリウス・デュ・レイノール。こちらはユン…ユナシェル・ウル・デュ・リシュリューです」
「初めてお目にかかります、テラ・ルーン様」
紹介されて、ユンはゆっくりと頭を下げた。
「様付けなど面映い。テラと呼んでくれればよい。もはや一介の工芸品作家に過ぎん」
テラは肩を竦めて苦笑を浮かべた。
「こちらこそ、レイノールとリシュリュー両家の若き後継者にお目にかかれて光栄至極」
「いえ、本日は若輩者の我々に色々とご教授願いたいと思ってお伺いしたのですが、すでにどのような用件かはお分かりのご様子…」
「ああ、王家から宝珠の件はすぐに連絡が届いた。君たちが私を訪ねてくるだろうとも。それは私が心血を注いで打った剣だ。懐かしいな…」
どこか遠くを見詰める眼差しで、テラはユンの剣を見詰めた。ユンは黙って剣を鞘ごと外し、テラに手渡した。ずしりとした重さを楽しむように手を滑らせ、柄を見る。そこに嵌まった石を眺めて、テラはしばし沈黙した。
「“暁の光”。この宝珠はかつて神殿の宝物庫にあった秘宝だと知っていたかい?」
「秘宝?その剣がですか?」
ユンが不思議そうに尋ねると、テラは落ち着いた様子で頷いた。
「“暁の光”は剣の名ではない。柄に嵌めた石の名だ。二人ともお父上からは何も?」
ユンは隣のオルフェリウスを見た。オルフェリウスも知らぬ気に首を振る。
「そうか。…元々、“暁の光”と“射干玉の闇”は『ゼナスの両眼』と呼ばれる一対の宝珠として、王家神殿の宝物庫に収められていたものだ」
テラは語った。
「三十年ほど前神殿の改築の折、神殿が崩落する大事故が起こったのだが…君たちが生まれる前の話だ、知っているかな?」
その大惨事は聞いたことがある。工事に携わっていた多くの人間が亡くなったと伝えられ、今でも命を落とした人々の家族の手によって鎮魂祭が行われている。
「あれは実は、神官が誤って“ゼナスの両眼”を引き合わせたから起こった事故だった。公にはされていないがね。『善の右目と悪の左目、決してその眼差しは交差せず』それを交わらせるとどうなるか、あの時図らずも実証してしまったわけだ」
伝え聞く事故の原因…しかも国の宝となっていたものが今自分の目の前にあることに、ユンは眩暈を感じた。
「交わらせた結果、神殿が崩壊したと…?」
「そう。私は現場を見たわけではないが、宝珠を合わせるとあの巨大で堅牢な宝物庫を吹き飛ばす威力を発揮するらしいと分かり、それから詳しく石の鑑定や検査が行われた。長い時間をかけた結果、“暁の光”は魔力増幅、“射干玉の闇”は魔力吸収の性質を持つことが分かった。二つを合わせると強烈な反作用を起こし、魔力の中心核が爆縮し周囲を吹き飛ばすのだ」
テラはふうと息を吐き、目を閉じて続けた。
「恐ろしい力だ。一国の宝玉として置いておくには危険過ぎると判断したレアレス王は、その処遇を検討した。密かに腹心の重臣達を集めてね。…それで私が呼ばれた。一対の剣を打てと」