The Furies

第2章 蒼天の鏡

際会-5

「あいつは一体何者だ!」

顔に巻かれていた布を毟り取り、ツヴァルは喚いた。現れたのは、まるで不機嫌な空の色を写したかのような艶のない灰色の髪。同じ色の太い眉の下から、真っ黒の瞳が炯々とした光を放っている。よく覗き込んで見れば、その右目が微かに灰色がかったオッドアイということが分かるだろう。浅黒い頬には大きな刀傷が走っており、それが精悍な顔立ちに見る者を怯ませるほどの迫力を加えていた。

「奴隷女が盗んだ剣を取り返せという依頼だったが…」

腕に負った手傷を押さえながら、命からがら逃げてきた仲間がおどおどと言った。ハッ、とツヴァルは鼻で哂った。

「奴隷女?盗んだ剣?まさか、そんな戯けた話を信じろってか!あいつがそんな可愛らしい女かっ」

腹立ち紛れに自分の剣を力任せに放り投げ、その側にどかりと胡坐をかいて座り込む。途端にうっと呻いて脇腹を押さえたところを見ると、刺された傷が随分痛むようだ。

「あの動き…正規の訓練を受けた者としか考えられん。一緒にいた男も只者とは思えない。ありゃどう見ても貴族だろうが」

着ていた服を剥いで受けた太刀傷を確認しながら、ツヴァルは唸るように言った。ツヴァルとはもちろん本名ではない。“厄災の星”を表すその名は、晦冥の華という暗殺集団に身を置くようになってから名乗り始めた名だ。属するのは華などと名乗るのもおこがましいゴロツキの集まりだが、ツヴァルを始め主幹クラスには幾人か精鋭騎士顔負けの手練が揃っており、殺しの標的を決して外さないことで急激に名を上げてきた。それぞれどこの誰とも分からない怪しげな人間ばかりだが、それ故互いに深入りすることが許されないところがツヴァルには居心地がよく、気に入っていた。

実は先日まで辺境の民族紛争にかり出されていたため、ツヴァルはこの依頼の一件に最初から関わっていた訳ではない。敵方の私兵組織にうまく潜り込み、首尾よく目的の人間を暗殺できたのはつい先日の話だ。長い潜入生活から解放されやれやれと一息つく暇もなく、追い立てられるようにアジェロに来たのだが、依頼の中継ぎの男、シスからは全く詳しい話を聞かされていなかった。高い報酬に目が眩んで確認すべきことを疎かにした事は否めず、そんな過去の自分の頭を張り倒してやりたいような気がしてツヴァルは苛々と体を揺すった。

「この依頼主は誰なのか聞いているか」

仲間たちは互いの顔を見合わせ「どっかの有力貴族だろ?」「いや、ギルドの依頼だって聞いたぜ」などと口々に言っていたが、少し離れた場所で火を熾そうと身を屈めていた男がふと顔を上げ、呟いた。

「いや、どうやら冥主直々の依頼らしい」

「冥主直々だとぉ?」

ツヴァルは呆れたように言い放ち、胡乱気に目を眇めた。冥主とは、晦冥の華を支配する男。数年前どこからか忽然と現れ、殺しという汚い仕事を莫大な報酬と引き換えに請ける巨大組織を、ただ一人で作り上げた男。もちろんその素性を知る者はいない。今では各国のならず者と呼ばれる得体の知れない人間達が金欲しさに組織に群がり、実際のところどれ位の人間がどれ位の仕事に携わっているのか実情を掴めない程、組織の大きさは膨れ上がっていた。手っ取り早く金を稼げる手段に安易に人間が飛び付くのは、いつの世も変わりない。

「…この依頼には裏があるな」

組織の頭自らが依頼を持ち込むなど滅多にない事だ。それに、ここにいる者たちがそれぞれ異なる依頼主を挙げているなど、真実が隠されているいい証拠だろう。裏が何なのか調べねばなるまい。厄介な事に巻き込んでくれたシスに恨みを感じつつ、ツヴァルはここで引くつもりはなかった。やられた事はやり返す。それがツヴァルの身上だ。黒髪を振り乱し剣を翳す女の不敵な笑みが、瞼の裏にちらついた。


◇ ◇ ◇


あれからしばらくして、おそるおそる部屋に顔を出したのはサルキ亭の主人だった。

「なっ…」

部屋の惨状を見て絶句した主人は、予想に反してオルフェリウスとユンを責めることもなく、二人の安全を確認するとホッとしたようだった。

「エウ・パナーゼで治安が悪くなっているから、村の自警団も巡回を厳しくしてんですがねぇ。近頃の泥棒は本当に性質が悪い。人殺しを何とも思っちゃいないんだから」

顔を顰めて話しながら、倒れている人間たちに息がないことを確認して溜息を吐いた。

「お客さんに返り討ちにできるほどの腕があってよかったよ。黒尽くめの怪しい奴が窓を乗り越えて入っていったって聞いて、様子を見に来たはいいけれど、あの物音で入るに入れず。悪いことしちまったね」

あの喧騒は当たり前のことだが、廊下にまで響いていたらしい。助けに入れなかったことを心底後悔しているという様子の主人に、ユンはふるふると首を振った。あのような修羅場に、この人の良さそうな丸顔の男が入ってきたとして、一体何が出来たろう。話しているうちに、あらかじめ呼びに遣っていたのか癒者らしき人間と自警団がやってきた。入ってきた者達も驚いたような声を上げているが、身柄を確認するのか狭い部屋の中をきびきびと動き回り始めた。主人は中の一人に声を掛けると、部屋の前に集まっている客を宥めてくると言って出て行った。

「…どうやら強盗の仕業と思ってくれているようだな」

「そのようですね。その誤解は解かないでおきましょう」

オルフェリウスとユンは苦笑を交わした。どうやら後始末は宿の方でしてくれるらしく、その後どうしようもなく汚れた体を共同浴場で流させてもらい、「野宿はイヤです」ときっぱり言い切ったユンの言葉を受け入れて、結局二人は騎獣舎で休むことになった。苦肉の策だ。余った寝具を持ち込んでもらうと、意外にも掃除の行き届いた騎獣舎は過ごしやすかった。ユンは思い切って、横たわって寛いでいるモデナの側に潜り込んでみた。てっきり威嚇され追い出されるかと思ったが、モデナは薄目を開けてちらりと視線を向けたかと思うと、フン、と鼻息を吹き出しくるりとユンの体を尾で囲った。

「うわー、すごく暖かい!」

毛皮に埋もれて興奮気味のユンをオルフェウスは微笑ましく思いながら、自分もシュカの懐で寝てみるか、などと考えたその時。

「ただいま戻りました」

静かな声がした。

「ヴィヴィエ、戻ったか。それで首尾は?」

音もなく歩み寄ったヴィヴィエは跪き、淡々とした声音で告げた。

「はい。賊を追って根城を見つけました。この近くの山の中腹にある洞窟に潜んでおりますが、先程の襲撃でかなり戦力を削がれています。指揮系統も確立されておらず有象無象の輩かと。ただひとり『ツヴァル』と呼ばれる男はなかなかの腕のようです。サーディンの紛争の話をしておりましたので、何らかの関わりがあったのかと」

「サーディン?ああ、民族紛争のあった地域か。確か近頃沈静化したそうだが?」

サーディンは北の果ての辺境の地で、長らく異なる二つの民族の間で抗争が続いていたとは聞き及んでいた。

「それが先頃レト族の主導者が不審な死を遂げ、民族浄化を主張するセレン族に粛清されたと聞いております。おそらくそれに噛んでいたのではないかと思われますが」

「なるほど。あの暗殺集団はそのような仕事も請け負っているのか…」

「その男は次の襲撃に向けて画策しているようでしたが、今のところ動けそうなのはその者ぐらいですので、雑魚は放っておかれてもよいでしょう」

「それでこの件の背後にいる者の名は分かったのか?」

ヴィヴィエの顔が曇った。

「いえ、それが、その場にいる者たちは誰も知らないようでした。ただ、冥主という名が出て…」

「冥主…」

オルフェリウスはそれが晦冥の華の首領の呼び名だと知っていた。これがそこら辺の金持ちの道楽が高じた、剣の物珍しさが引き起こした事件ならいいと思っていた。だが、冥主という名が出てきたということは、やはり自分達を付け狙う一連の襲撃の黒幕は一筋縄ではいかない人物なのだろう。

「下手に追い討ちをかけると新手を送り込まれるだけだろう。逃げた残党どもはそのまま泳がせておこうか」

「かしこまりました。それから、ひとつ気になることが」

「何だ?」

「この宿の一角に気配が読めない磁場があります。結界が張られているようです」

「イヌマ宰相の関わりでしょうか?」

それまで黙って後ろに控えていたユンが言った。

「そうだな。向こうにもエスパルスが控えているということだろう。あちらにはお家芸だ。…そちらを付かず離れず、監視してくれ」

「はい、かしこまりました。それでは失礼致します」

ヴィヴィエが消えた後、オルフェリウスはゆっくりと肩の力を抜いた。今日はもうただ泥のように眠りたかった。




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