The Furies

第2章 蒼天の鏡

解纜-3

爪の先を切り落としたような細い三日月が、雲間に漂っていた。相変わらず勢いよく燃え盛る焚き火に目をやったまま、二人は沈黙の中にいた。

「やはり貴女はリシュリュー公爵家の人だったんだね」

沈黙を破って言葉を発したオルフェリウスに、ユンはゆっくりと視線を当てた。波打つ金髪が、色を変える炎の光に縁取られて、その横顔はひどく美しかった。高い鼻梁と引き締まった口元が深い陰影を描き出している。琥珀色の瞳は前に向けたまま、オルフェリウスは微笑んだ。

「貴女は決して自分の口からは認めなかったから」

「私は」

ユンは胸に詰まった重い塊を押し出すように、言葉を吐き出した。

「裏公爵と呼ばれたリシュリューの嫡子、ユナシェルです。いえ、遠い昔『ユナシェルだった』と言った方がよいですね。この名を名乗ることができるのは、私の復讐を遂げた時だけだと決めていました」

「裏公爵などと。リシュリューは優れた軍門の家系だと言うのに」

オルフェリウスの諌める口調にユンはしばし黙り込んだ。裏公爵。それは軍事と言えど王命の間諜や暗殺といった国家の暗部の仕事を担ったリシュリュー家に対する侮蔑的な呼び名だった。対するレイノール公爵家は、リシュリューと同じ軍門を司る要職でありながら、外交戦略や兵器開発などを担当し、言わば表と言える立場であった。だからこそ、ユンはオルフェリウスの前でわざと卑屈とも取れる俗称を上げたのだ。

「復讐とは…また物騒なことを…」

オルフェリウスの苦い口調に答えず、ユンは全く違うことを口にした。

「私は、もしかしたらあの犯行はレイノール公爵様ではないかと疑っておりました」

「ああ…宮廷でもしばらくはそのような噂が流れていたようだからね。確かにあれから得た利潤を考えると、あのような流言の横行も致し方ないかと言える」

“血の惨劇”後、リシュリューの職はほぼレイノール公爵家が継ぎ、リシュリュー公爵家が『裏』ゆえに得ていた多くの利権も同時に手に入れていた。

「だが、あれは我が公爵家の仕業ではない」

きっぱりとしたその口調に、ユンは頷いた。

「はい。この目で貴邸を拝見し、レイノール公爵様にお会いしたことで、抱えていた疑いの気持ちは払拭されました」

「それは何故かと理由を尋ねても?」

オルフェルリウスは興味を引かれた様子で訊いた。

「レイノール公爵様は策謀に長けた方とお見受けしました。人並みの権力志向はおありでしょうが、いくら己の利潤を追求するためでも、あのような残忍な犯行に手を染めてまでそれを手に入れようとする方とは思えません。仮に手に入れようとなさったとしても、あの方ならあのような手段ではなく、もっとスマートな智謀を講じられるでしょう」

「なるほど。確かにあれは狸だからな」

オルフェリウスは堪えきれないようにくっと笑いを漏らした。「それに…」とユンは続けた。

「公爵家で抱えられておられる騎士や邸の方々から、清廉な印象を受けました。血塗れの犯罪にはそぐわない…オルフェリウス様もラディエスカ様も」

オルフェリウスは少し目を見開き、それからにこりと笑った。

「ありがとう。と言ってよいのかな」

ユンはそのオルフェリウスの顔を見返して首を横に振り、苦笑を浮かべた。

「失礼なことを申し上げました」

「いや。疑いが晴れて何よりだ」

お互い信頼関係が築けないままでは、これから先の旅に支障が出るのは明らかだった。とりあえず、ユンは自分の人間性に対して相応の評価をしてくれていることが分かり、オルフェリウスとしてもひとまず安堵した。しかし、確かあの事件当時ユンは十三歳。あれから一人奴隷に身を堕とし、孤独に生きてきたのかと思うと、オルフェリウスは遣り切れない想いに胸が痛んだ。犯人を知っていたら疾うの昔に屠っていると言い切ったユンの気持ちを考えると、何をどう言えばよいのかも分からず、オルフェリウスはただ溜息を吐くしかなかった。


◇ ◇ ◇


軽い食事を摂った後交代で火の番をすることにし、ユンは先に体を休めていた。首都アドレアの周辺は一年を通して寒暖の差があまりなく、ユンは断熱の毛布を身体に巻きつけただけの姿で、ごろりと横たわっていた。

先程、「復讐」と聞いてオルフェリウスが眉を顰めた様子を思い出す。復讐…その二文字こそが今のユンの生きる意味であり、支えであった。家族を目の前で奪われた苦い悲しみ、怒り。その理不尽さに身を捩り慟哭に悶える夜を幾つ越えようと、救いは見つからない。不甲斐ない自分に腹を立て呆れ果て、いっそ後を追った方がましだと無気力になるのを、いつか復讐を遂げるのだと無理矢理に奮い立たせる。

夜は嫌いだった。生きろと言った父を思い出すから。

「ユンッ!」

オルフェリウスの鋭い声が飛ぶのと同時に、ユンの体は地面の上を回転していた。耳元をヒュッという音が掠め去り、立て続けに地面に何かが突き刺さる音が追いかけてくる。ユンはしばらく体を転がした後敏捷に跳ね上がり、抱えていた剣を抜き去り地面に立った。オルフェリウスが真っ先に焚き火を消したため辺りは暗い。すぐに、暗闇を凝固したような黒い影が押し寄せてきた。両手に持った剣は細く、ユンの剣より短い。スレイヤーと呼ばれるその剣は、接近戦に持ち込まれると厄介なタイプだ。

「くっ」

ユンの腕に、焼けるような熱い痛みが走った。どうやら両手の剣以外にも、振り上げられた相手の足の爪先には刃が仕込んであるらしい。剣術と併せたその独特の体術を見て、ユンはペロリと唇を舐めた。

(おもしろい)

酒に酔ったような興奮が身体の中を駆け巡る。

「ユン、離れるな!」

いつの間にかオルフェリウスがユンの後ろにピタリと付けていた。二人を囲んでじわりと輪を狭めた影に向かい、ユンは剣を振り上げた。




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