「死ね! 死ね! 死ね!」
テレビに映ったら“ピーッ”という音が入りそうな単語を勢いよく吐き出しながら、私はぴょこぴょこと飛び出すモグラの頭を力いっぱい殴っていた。
「くそぅ…」
ゲームが終わってしまった。私は黙々とポケットのコインを追加する。
うら若き乙女が、制服姿でハンマーを片手に(あくまでゲーム用だけど)
仁王立ちしている姿は、さぞかし異様であろう。
「死ね! 死ね! 死ね!」
さすがに5ゲーム目になると、はぁはぁと息が上がる。
ここまで同じ言葉を繰り返すと、何かの呪文のように聴こえてくるな。
そう、これは呪いの言葉。悪魔を呼び出す召喚の呪文。
ベリトだかベリアルだか、そんな悪魔が呼び出せればいい。
そしてアイツをやって(ここでの当て字は「殺って」)しまえ!
「奥田さん、だよね…?」
後ろから名前を呼ばれてびっくぅと体が飛び上がった。
振り上げたハンマー(あくまでゲーム用)をそのままに、恐る恐る後ろを振り返る。
「せ、瀬崎くん…?」
一瞬お互い視線を絡ませて固まった後、私はアハッと意味もなく笑ってみた。
ゲームはまだ途中で、背後では明るい電子音と共にもぐらがぴょこぴょこ踊ったまま。
「瀬崎くん、今、帰り?」
間抜けすぎる。見りゃ分かんだろ!と自分に突っ込みを入れて続ける。
「えー、えーと、こんな寂れたスーパーのしかも3階の隅のゲームコーナーに、瀬崎くんはどうしていらっしゃるのでしょうか」
あああ、無意味に変な敬語なぞ使ってしまった。
「寂れたなんてここのスーパーに失礼だよ」
いつの間にか自分を取り戻したらしい瀬崎くんは、くすりと笑って言った。
「僕はそこの文具コーナーで買い物があってさ」
と、買ったばかりらしい紙袋を振って見せる。
「ところでさっきは学校では見たことない迫力だったね。ビックリしちゃった」
微笑を浮かべる端正な顔立ちを眺めながら、もしかして私ってばとんでもないもの召喚しちゃったんじゃなかろうか、と、ふと思った。
■ ■ ■
私は今ドーナツのお店で、瀬崎くんの向かい側に座っております。はい。
ずずず、とストローでアイスティーをすすり上げ、ちらりと上目遣いで見てみると、瀬崎くんは女の子たちが「天使の微笑み」などというベタな名前を付けてキャッキャキャッキャと騒ぐ、あの悩殺スマイルを浮かべてこちらを見ていた。さらさらの茶色っぽい髪に、くっきりとした二重の瞳。目ん玉がね、こう、ガラス玉みたいにキラキラしてんの。もはやガラス通り越してクリスタルだね、みたいな。そんでもって肌がつるっと綺麗で、ニキビなんて見たことも聞いたこともございません、てな感じで男子なのに何だか卑怯だ。卑怯と言われても瀬崎くんも困るだろうけど。彼にもヒゲが生えたりするのだろうか?似合わねー!つか、想像できねー!
…ちょっと現実逃避してみました。すみません。
それにしても。なぜ私は学園のアイドルと一緒に同じテーブルを囲んでドーナツなんぞを食しているのでしょうか。
教えてカミサマ。
同じクラスとは言え、今まで一度も言葉を交わしたことがないのに突然こんな場面で声を掛けられて狼狽しまくりのコンチキチンだし、さらに、さっき瀬崎くんの方から(←ここ強調)「どこかでゆっくりお茶でも」なぁんてセリフが出たので、私は目玉が転げ落ちないように手でぎゅぎゅっと押し込まなければいけないくらい目を見開いて驚いた。
「前から一度、奥田さんと話をしてみたいと思ってたんだけど」
「…は?わ、私とですか?」
ううむ、同級生だというのに敬語が抜けないぞ。
や、敬語を使わざるを得ない妙な迫力があるのだ、瀬崎慎哉くんという人には。私は咥えていたストローを離して、ちょっと姿勢を正した。
「うん。奥田さんって京成高校の高見くんと付き合ってるでしょ」
「……ええええええええっ!!」
ななななんで君が知ってるんだそんなことをーっ!
私の中じゃその関係はトップシークレット扱いなんですけどーっ!
「いや、付き合ってないから」
悲鳴のような「え」という声を、まるでそんな取り乱したことなんてなかったかのように取り繕って私は答えた。
瀬崎くんはくすくす笑ってる。
「そんなに図星って反応して何言ってんの?奥田さんって可愛いね」
…はい?
可愛い、とかいう耳慣れない言葉が一瞬私の脇をかすめて通りましたが何か。
いや、気のせい気のせい。ははは。
瀬崎くんは穏やかに言う。
「別に、誰かにバラしたりしないから安心して?でも、ウチの高校と京成ってお互いライバル校って言われてるでしょ。それで僕、テニス部なんだけど、奥田さん知ってるかな?」
はい、知ってます。高見くんに聞きました、よく試合で当たってて、実力は五分だって。
「今度インターハイの地区予選があって…たぶん決勝は彼と当たる。結構、スポーツって情報戦なんだ。僕も実際、彼とはプレーしたこともあるし、偵察にも行ったから、彼のスタイルは掴んでるつもりなんだけど。でも、もしかしたら奥田さんから、もっと何か聞けるかもしれないなーなんて思って」
彼はにっこり微笑んだ。
おかしいな。ものすごく爽やかな笑顔のはずなのに、邪悪な何かを感じるのは私の目の錯覚か。
「奥田さんって、学校じゃ控えめっていうか、一歩下がった大和撫子っぽいイメージだよね。でも、さっきの奥田さんって…」
全然キャラ違うよね。ガニ股で髪振り乱してがんがんモグラ叩いて、おまけに大声で「死ね!」なんて言ってたよね。こんなこと学校でしゃべったらどうなのかな。もしかしたら高見くんにも言っちゃうかもね。
以上、瀬崎くんのセリフを脳内補完してみました。
そうなのだ。私はこう見えても学校では大和撫子キャラで通している。や、ここ笑うところじゃないから。黒髪で(=染めるのが面倒)色白で(=外で遊ぶのが面倒)寡黙なので(=知らない人としゃべるのが面倒)、そう見られるらしい。意外にこのキャラは先生受けもよく、周りも程よい距離から生暖かい視線で見てくれるので、私としてはラクチンで大助かりなのだ。
「もしかして、ちょっぴりさりげなーく脅されてます?」
「脅す?」
心の底から驚いたように、無邪気な様子で。
「全然そんなつもりはないよ。ただ、高見くんのことをもっとよく知りたいなーと思っただけ」
またもやにっこり。
私は溜息をひとつ吐いて、
「確か、疲れてくるとバックハンドのストロークが弱くなるって、コーチに注意されるって言ってたかな。あと…」
私は淀みなく話し始めた。
■ ■ ■
「何か…えげつない試合だった…」
テニス地区予選決勝を観戦した後の、私の感想である。
お供に連れてきた友人のサッチンは、ほんわかのんびりと
「え、そう?」
なんて反応してるが、サッチンには分かるまい。瀬崎慎哉くんのプレーは、見事に高見くんの弱点を突く、と言うか突きまくって穴だらけにしてさらに抉るような試合だった。周りには周到な情報収集の賜物と思われていようが、私が晒した色々な弱い要素(精神面も含め)があますところなく狙われていた。
恐ろしい。
奴だけは絶対敵にまわすまい。
「奥田さん」
「…瀬崎くん」
当の本人が出てきてドッキリである。
「今帰り?僕もミーティング終わったし、一緒に帰らない?」
横で何やら固まっているサッチンに瀬崎くんが「いいかな?」と聞くと、顔を赤らめてこくこくと首を縦に振っていた。うん、今、どうしてこの2人が!?とか思ってるんだよね。分かるよ、その気持ち分かる。
「情報ありがとう。今日快勝できたのは奥田さんのおかげだから」
並んで歩き出してすぐ、瀬崎くんが微笑んで言った。
「ごめんね、仮にも奥田さんの彼氏なのにね。負かして喜んでちゃ悪いなって思うんだけど。今日は高見君と帰らなくてよかったの?」
と訊いて来た。
「あー、うん。一緒に帰るどころか、一生会いたくないし」
さらっと言ったけど、瀬崎くんの顔を見れなかった。無言。そしてさらに無言。ま、突然こんなセリフを吐かれたら、コメントのしようもあるまい。
ううむ、自分で言っておきながらこの沈黙が痛いな。
「何かねー、向こうの学校に、彼女がいるんだって。中学から付き合ってたらしいから、結構長いよねぇ。ホント、全然知らなかったなんて間が抜けてるのもいいとこなんだけどさ。私、かなり鈍いのかも」
あはは、と笑う自分の声が空回りしてる。いや、何でこんな重い話を、この間初めてしゃべったばっかの瀬崎くんに打ち明けているんだ私は。ごめん、瀬崎くん。しかしヤツの話を振った君が悪いんだぞ。
また無言。駅に向かう道のりが、やけに長く感じる。
「あいつが前に上がってきた時のオーバーヘッド、見た?」
沈黙を破ったのは、瀬崎くんのそのひとことだった。
「うん、なかなかえげつなかったよね」
調子を合わせて隣の顔を見上げると、二人ともぶはって吹き出してしまった。
「まさか転ぶとは…」「あの時のアイツの顔」
あははは、と二人で大きな声で笑った。笑ったら、さっきまでの憂鬱が吹き飛んでいって、夕暮れの空に吸い込まれていった。
隣の瀬崎くんの笑顔は本当に楽しそうで、今まで見たどの笑顔よりもかっこいいなぁ、なんて迂闊にも思ってしまった。私って単純かも。
「瀬崎くんさ、もしよかったら途中でマック寄って帰らない?今日勝ったお祝いに、私奢るから」
「太っ腹だね。じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になろうかな」
白いジャージ姿でスポーツバッグを担ぎ、隣の瀬崎くんは悪戯っぽく笑っている。
思うに、この察しのいい彼は、高見くんと私のことなんてとっくにお見通しだったのかも。情報収集の中に、恋愛のゴシップが混ざっていた可能性もある。あくまで憶測だけどさ。
カタキを取ってくれたなんて絶対思わないけど、モヤモヤがスッキリしたのは確か。
とんでもないところを見られたけれど…
あんな最低な召喚呪文で、こんな最強の悪魔を呼び出せたのなら、たまにはモグラ叩きも悪くない。
なーんて、ね。