雷
小さい頃、雷がこわかった。
私は、転勤の多い家庭に育った。
いつも、転校生だった。
関東を中心に、宇都宮、日光、石橋、渋川、高崎、等々を越して回った。
そして、考えてみると、そこは、ほとんどが、雷のすごい地域だったのだ。
(なぜ、その地域の雷が、すごくなるかという事に関しては、「みすず曼荼羅」の、電脳法師の「雷講座」を、ごらんいただきたい。実は電脳法師は、大学で雷の研究をしていたのだ。)
それらの地域の雷の夏に比べると、みすず絵画教室のある、ここ小川町は、誠に夏が穏やかだ。全体に気候的に、恵まれている気がする。大雨も無い。大地震もない。台風も直接来ることがない。
そのせいか、夏になると、自分が経験したすごい雷を思い出す。
光ってから音がする、それも、1、2とか数えられるのは甘いので、光と音は、まったく一緒。ばしっと光りと、ビッツシィーンと地面が揺れるのがまったく同時。
柱や部屋の端は危ないというので、部屋に蚊帳をつり、そのまんなかで、怖い思いで雷がすぎさるのを待っていた。
ぴかっ!バッシーン!パアッツ!ドッシーン!
その間、雨はバシャーッと轟音をたてて落ちている。
劇画の台詞のよう。
特にひとりで出かけている時、雷になると、何時雷が落ちて死んでしまうかもしれないと思い、本当に怖かった。
渋川に住んでいた時の事。お使いに出た時、突然雷になった。
そして、大雨と稲光と雷鳴の中、必死で家に向かっている時、雷が落ちたのを見た気がした。
明るくぱーっと光った中、ひとだまのようなものが、駅の上にすーっと落ちてきたのを見た気がする。でも、確信はない。
後に、それを人に話した時、嘘ととられたことがあり、それ以後そのことは、
人に話さなかった。
ただ、その時は、本当に怖かった。
最近は、小川周辺では、すごい雷に出会う事はほとんどなくなった。
特に最近は、にえきらない、どんよりと曇った蒸し暑い日が続き、降るか降らないか分からない雨がちょぼちょぼ降ったりしている。
確かに、雷は怖い。けれど、雷は怖いだけではなかった。
雷雨の過ぎた後には、いつも絶品の、冷えてオゾンがたっぷりの、澄み切った空気があった事を思い出す。
雨上がりの青空の、汚れが洗い流された透明な美しさ。
気持ちよい、緑のまじった酸素の匂いのする空気。
気がつくと虹が大きくかかっていたりして、その心地よい事。
そのせいか、雷の地域には、その恐い雷が好きだという人が結構いた。
蒸し暑いどんよりとした昼下がり、
「一雨、雷でもこねーかなー。」
という声を、良く聞いた。
「ざあっとくるといいな、すっきりしたいや。」
というぐあいである。
この、雷雨の後の心地よさを知る事もまた、雷の地域の特権のように思う。
人間には、恐いもの見たさと言うか、カタストロフィーの緊張を、どこかで好むところがあるのではないだろうか。
日本沈没などという映画が、ヒットしていると聞くとよけいそんな気がしてくる。
雷が来た後、すっきりするのは、冷えて汚れが取れた空気のせいだけだろうか?
ところで、地球温暖化のせいか、気候がおかしい。
夏というのに、小川町は日々どんよりと、空がひくく山は霧にかすんでいる。
夏に見たいもの。
濃緑色の山、入道雲があってもいい真青な空、蝉の声、夕立の後の虹ときれいな空気。
思い出の中のそれらの記憶と同じものが、つくづく、いつまでもあってほしいと願う。
2006.7.31 みすず絵画教室主宰 藤森陽子