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どの季節にも、絵になる魅力があるものだと、しみじみ思うことがあります。
私は、季節では、早春、木々が新芽から若葉になる頃が大好きです。 4月になると、小川町の周りを囲む山々は、いっせいに、赤茶や黄若葉色、桜色のパステルをぼかしたような色あいになります。その色が、日々、黄若葉色から青葉色へとうつり変わっていくのです。その山の木々の名付けようのない色の美しい変化。しかし、やがて山は、濃緑色に落ち着いてしまい、山々のページェントは終わりを告げます。ここで、私はよくがっかりしてしまうのです。
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| あじさいとかたつむり | けれど、暗い雨の続く日々の晴れ間、ふと見ると、いつの間にか田んぼに水が張られています。そして、そこには空や、雲や、緑の木々が写って、ゆらゆらと、ゆれているではありませんか。水の中の空は、深く遠く、まるで別のもう一つの世界があるようです。さらに、少し歩くと、紫陽花が水色や青紫色の花の群落を作っています。花菖蒲も青から青紫の列となって咲いています。雑草だらけの空き地にも、青紫の露草がぎっしりこちらを見ています。
春が薄桃色や若葉色のパステル画なら、梅雨の頃は、水色や青紫の水彩画でしょうか。
早春だけが好きだと思ったのは嘘のように、気がつけば、梅雨時の湿った青紫の風情にも、心奪われてしまう魅力があります。 そういえば、松江というところで、濃い青紫の宵闇の中、ちかちかとリズミカルに光る、蛍の大群を見たのもこのころでした。
泰西名画が、人間中心に描かれているのに対し、日本画が、自然の四季を中心に、描かれているのは、日本の国が、どの季節をとっても魅力にあふれた美しいところであるためではないでしょうか。 日本最古の小説、源氏物語でも中心になっているのは四季の風情です。
移り変わり、繰り返す、この季節のそれぞれの美に対する感覚こそが、日本の芸術の大切な幹になっていると、青紫の花々の一群を見ながら考えたことでありました。
2005年6月30日 みすず絵画教室講師 藤森陽子 |