講座項目
1)雷のでき方(原理、地域)
2)雷の種類(熱雷と界雷)
3)雷対策(避雷針、誘導雷)
4)電脳法師の雷体験、色んな現象
1)雷のでき方(原理、地域)▲
電脳法師の、大学(当時の雷の三大研究校の一つの宇都宮大学工学部)での卒業論文テーマは、レーダーを使用した雷の観測・研究であった。ちなみに他の二校とは、群馬大学と名古屋大学である。各自テーマを決めて研究を行うのであるが、電脳法師のテーマは、特殊なレーダーで雷雲である積乱雲を追跡・観測し、そのエネルギーや雷雲の高さを観測し、いつ、どこで発雷(つまり地面に落ちる落雷や雲と雲の間の放電のこと)するか、を予測しようとするものである。電脳法師は栃木県の那須の生まれなので、雷は子供の時から慣れているというか、身近な現象というか、いつも“悩まされている相手”であり、相手にとって不足なし、手ごたえは十分にあった。
われわれは工学部の屋上に設置されたレーダーをまわしながら、おおよそ5月ごろから11月ぐらいまで、研究室に張り付き、朝から晩までというか、場合によっては雷の収束する夜半まで、観測し続けたのであった。12月ごろから雷がほとんどなくなるので、データのまとめや分析、研究そして論文作成と段階を進めるのであった。今から振り返ると電脳法師の「青春時代」の、何か一番面白い経験の一つであった様な気がする。
これら三大学が研究課題とする雷雲発生地の特徴は、南方側に開けた裾野や平野と、北方側に高い山を背負う地形であることだ。栃木県は、例えば日光地方なら男体山とその裾野である関東平野北辺にある今市や鹿沼、宇都宮、石橋などであり、塩原地方なら、高原山と矢板、烏山などの栃木県の北部平野であり、那須地方なら茶臼岳と那須野ヶ原であり、群馬県なら赤城山と榛名山に囲まれた裾野である渋川、高崎、前橋である(実はこれらの地域は講師や電脳法師が生まれ育った所である)。名古屋なら、やや西方の伊吹山とその裾野である関が原(1600年、あの有名な天下分け目の戦いの舞台)ということになる。日本では当時、これら3つの雷雲観測拠点があった。
なぜこのような地形が雷が発生しやすいか、その原理はこうだ(現在では更に精緻な理論があるものと思われるが、学生時代に得た知見をもとに書く)。
夏場、上空に零度以下の空気団があり、かつ南方海上から開けた裾野側へ十分に湿った空気団が強く流れ込んだ時に、北方側の山々にその湿った空気団が山の斜面に衝突する。この時、急激な上昇気流が発生する。この湿った上昇気流は、10,000m以上に上昇し、一気に積乱雲を構成する。よく写真などで見かける典型的な積乱雲(いわゆる入道雲)のことで、「天空の城ラピュタ」を包むあのような雲である。われわれの観測では15,000mの雲頂高度を持つ積乱雲があった。このくらいの高さの積乱雲となると、まず100%発雷する。そして上層には零下10度以下の空気団が待ち構えており、その上昇気流は急激に冷やされ、水蒸気は水分となり直ちにその水分は乾いた氷の粒(つぶ)となる。
そしてその上空の零下10度以下の乾いた空気と先ほどの氷の粒とが、摩擦により静電気が発生する。この現象は、冬の乾いた季節に着ているセーターで「下敷き」をこすったり、セーターを脱いだりすると、パチパチと静電気が発生するのと同じである。そして発生した静電気が氷のつぶに帯電する。つまり小さな氷の粒の一方がプラス(+)の極性となり、その反対側がマイナス(―)の極性となるのだ。これらの粒が、大量に雲つまり雷雲の中に蓄えられると、極性の向きが揃い雷雲全体がまさに帯電した状態になり、超高電圧に充電された非常に大きな電池のようになる。そして地上に対しては雷雲の下側がもしプラスならば、地上側は逆にマイナスの極性が誘起される(電荷が集まる)。先程の下敷きの例では、下敷きに静電気が帯電しその効果で、髪の毛に近づけると髪の毛のほうに逆の極性の静電気が誘起され、互いに引き合うので、髪の毛が立つのと同じである。イメージ的には、この立った髪の毛が、積乱雲では、ちょうど放電つまり落雷のようなものである。
このとき、雷雲と地上の間で放電限界を超えた電圧の差となると、そのアンバランスを中和しようとして、落雷つまり放電現象が発生するのである。その電位差は何百万ボルト、流れる電流は何十万アンペアといわれている。このような放電特性は、一般的に大気中では1気圧で、10mmを放電させるには数万ボルトが必要であり、例えばガソリンエンジンの点火プラグでは、ギャップが約1mmのプラグの電極に対し、数万ボルトを印加し、確実な放電を実現させている。
この大気中の落雷放電の場合、積乱雲の高さが約1kmで、大地間との電位差が3億ボルト位になったとしても、いくら自然現象でも一気には放電できない。ではどうして、あのような高さから放電(つまり落雷)できるのであろうか。
実は雷は、上空から徐々に小さな放電を繰り返し、少しづつ“放電路”のようなものをつくる。一旦放電が行なわれた“通路”は、大気がイオン化しプラズマ状態なので非常に電気が通り易くなるのである。このため次の放電は、既にできた通路を瞬時に通りその先から新たな放電を行なので何億ボルトの電圧差は必要ないのである。この小さな放電は当時、先駆放電(Leader Stroke)といい、この先駆放電が繰り返され、最終的に地上に届くや否や、大規模な地上からの帰還放電(Return Stroke)が一気に上空の雷雲に向かって進むのである。この帰還放電は一回では収まらず、時には短時間(1〜2秒位)に数10回にわたり行なわれる時がある。われわれが稲光が「びかびかびか」と少し長く見えた感じになるのは、まさに繰返し繰返しこの大電流の帰還放電が行なわれているのである。これはボイスという人によって発明された「ボイス・カメラ」というもので、初めて解明された。
2)雷の種類(熱雷と界雷)▲
夏の雷の種類は大きくは、熱雷(ねつらい)と界雷(かいらい)との二つに分けられる。
熱雷とは朝から非常に蒸し暑く、そして時間とともにさらに暑くなる時などによく発生する。電脳法師の育った宇都宮周辺では、典型的に発生する雷だ。夏の宇都宮の暑さ格別で(いわゆる内陸性気候)、この暑さで急激に地表が熱せられて上昇気流が発生し、前述の地形的要素と相まって積乱雲が発生することで雷になる。熱雷は時間的・地理的に非常に局地的な雷である。熱雷の特徴は、短時間のうちに、それこそあっという間に、空が真っ暗な積乱雲に覆われて、真上を見ると何か魔法にでもかけられたかのような暗く怪しげな状態となる。何かいやな予感を感じさせる空模様である。そして北風が強く吹き出して、そして大粒の雨が一気に降り出すのである。雨が降り出すと相前後してこれまたものすごい落雷(放電)があちこちで発生し、生きた心地がしなくなる。とにかく雨の量も尋常ではなく、あちこちの道路が冠水し、ガード下などのようにたるんだ部分のある道路などは、またたく間に通行できなくなる。このような状態が30分ばかり続いたかと思うと、これまたあっという間に雨が上がり、青空が見えて明るくなり、さっきの雲や雨、風、落雷は一体なんだったのだ、という感じにさせられる。熱雷は、群馬の渋川や前橋などでも、よく見られる現象である。観測する学生たちにとっては、絶好の観測対象なので、最後まで目が離せない。
界雷とは、普通寒冷前線の通過により上昇気流が発生し、積乱雲になるものであるが、一般に熱雷のように“過激”ではない。普通にゴロゴロと雷がなるのである。特徴は、結構あちこち広範囲に放電が見られ、地上にも落ちる落雷もあるが、雲間放電といって、雲と雲の間に放電することがある。このばあい大きな積乱雲のかたまり全体がオレンジ色に明るくなることがあり、大変きれいである。またこの界雷は、発雷期間が長く数時間から半日に及ぶ時がある。そして寒冷前線の通過後は涼しくなり、暑い夏場に一服の新鮮な涼感が味わえる。
一般に界雷は観測は長丁場を覚悟しなければならない。電脳法師の経験では、たしか午前10時頃から始まり夜の12時を過ぎてもまだ比較的近郊で落雷の音がしている、ということもあった。観測対象としてはその発生から収束まで、場所や雲の高さ(雲頂)などが詳細に観測でき、研究にはよいデータが多数収集できる。レーダーで見るとその時の寒冷前線が雷雲の形として見えるので、なかなか興味深い対象ではある。
3)雷対策(避雷針、誘導雷)▲
人間世界としては、雷に対しては、とにかく被害が出ないように逃げるしかない。しかし相手が何せ“雷神様”なので、まさに「闇雲(やみくも)」に逃げ回っていてはどうしようもない。昔から色々な避雷策も聞くが、なかなか実用化しない。例えば:雷雲を消滅させるように空から何かの物質をまくとか、雷が迫ってきたら電線のついたロケットを雷雲の中に打ち上げ、被害の及ぶ前にその電線に"人工的に"落雷させ雷雲の勢力を弱めてしまう、とか・・・。
少し高い建物には「避雷針」なるものがある。「避雷」だから雷を避けられるかというと、機能的にはむしろその逆で「招雷針(しょうらいしん)」である。その部分に敢えて雷を招き導き、その部分以外への被害を防ぐ仕掛けである。だから間違っても「避雷針」の近くには逃げないことだ。避雷針に落雷した時のことを先輩に聞いたことがあるが、避雷針からは建物の壁に沿って地上に電流を逃がすアースのような機能の、太い電線が敷設されているが、落雷の瞬間、その線が真っ赤に見えたということだ。上で述べたように数10万アンペアの電流が一気に流れることになる。
同じように木の真下では、木への落雷により直撃される可能性があるので、大変危険である。では木から離れている所はどうかというと、これもまた危険性が高い。万が一、その木に落雷があった時、確かに直撃雷の影響は受ける可能性は少ないが、「誘導雷(ゆうどうらい)」という現象が起きる可能性が高い。これは、その木に雷が落ちた場合に、どのようなことが起きるかを電気現象としての落雷をしっかり理解することだ。確かに木に直接落雷の場合、近くの人間には影響が無いように思えるが、電気の特性を考えるとそう簡単にはいかない。上で述べたように、落雷は雲の電荷(例えばプラス)と地上の電荷(例えばマイナス)の中和現象である。だから木に落雷といっても、その瞬間に木に向かっては、木の根の周辺の地表から一気に木に向かって電荷(電子)が移動する。これは電気現象としては「電流が流れる」ということである。つまり何十万アンペアの電流が木に向かって流れる。その範囲内にもし人間がいればどうなるかは、容易に想像できることなのである。そこにいる人間の体の中の電荷が移動する、つまり体の中を大電流が流れるのである。要するに感電である。
架空地線(かくうちせん、Ground Wire)とは、高圧送電線の避雷針のようなものだ。送電線の鉄塔の一番最上部に一本線が渡してあるが、これが架空地線である。当然金属のかたまりである送電系は雷撃の対象となるので、送電線の最上部に配置して、送電系全体を保護するのである。送電系が被害を受けると、その電力供給地域の被害は大きなものとなるのでまずは送電線そのものをまず保護するのであるが、架空地線以外にも送電系は色々な避雷装置がある。送電線を見る機会があったら、一番上の線を見てほしい。あれが架空地線である。
現代では、車の中が結構安全なようである。放電実験で車に放電させているのをテレビで見たことがあるが、放電経路は車のボディとタイヤの外側を伝って地上に逃げるのである。少なくとも通常では車室内には放電経路はできない。同様に家の中のほうが、単に外にいるよりは危険が少ないと思われる。昔はよく蚊帳(かや)の中で雷をやり過ごすということがいわれた。これは意味が無いわけではない。雷が落ちた瞬間、蚊帳も落ちたという話も聞く。大電流で、蚊帳をつる環の部分のひもが切れるようだ。
怖い話だが、夏山などで登山中に、自分が持っているピッケルや杖などの尖った金属の先から小さな放電が見え始めたら、いよいよ天国行きだと観念したほうがよい。いつ落雷の直撃があるか全く分からない状況となっているからである。このようなことの無いように、夏場の野外活動では、小さなトランジスタラジオ(FMではなく中波帯がよい)の携帯は必須である。この場合のラジオの使い方は、スイッチをオンにした後、ニッポン放送(1242kHz)とかNHK第一(594kHz)などの、放送局に合わせるのではなく、それらの間、つまり局間にすることが肝要だ(中波帯では9kHz毎なので日本では放送されていない局を選ぶとよい)。家にいるときに雷注意報が出ている時にやって見るとよい。
局間での受信では空電(くうでん:空中のノイズ、雑音)がよく聞こえる。雷の「近い・遠い」や「強い・弱い」がすぐに分かるようになる。雷の場合は特にラジオが「ガッガッ、ザッザッ」といったような強い音を出し始めたら、野外での活動を中止して様子を見ることだ。肉眼で空を見て、雲もあんまりないので大したことはないだろう、と絶対にタカをくくらないこと。
特に「空雷様(かららいさま)」といって、雲も薄くしか見えず、雨も無いのに、いきなり何の前触れもなく田んぼの真中に落ちたり、野球場のグランドに落ちたり、ゴルフ場のまさに振り上げたクラブに落ちるなど、よくあることなのだ。栃木県のような雷の本場のようなところでも、最も恐れられる雷なのである。しかしこれもラジオで空電ノイズを聞いておれば、雷が近いことが手にとるように分かる。
昔、雷警報があまり正確でないころは、日光あたりのゴルフ場で、時々ゴルファーが突然の落雷(空雷様)で犠牲になった。徐々に観測システムが整備されてきて、ゴルフ場のあちこちに避難用の(動かない?)バスを配置している、という話を後になって聞いた。空電が増えたら、発雷の前に放送でゴルファーをバスに避難させるという話だった。
実は日光は宇都宮を中心とするレーダー観測では最重要地域で、日光の山々で生まれた雲があっという間にエネルギーを増し積乱雲となり、今市、鹿沼そして宇都宮、石橋、真岡と移動しながら盛んに暴れまわり(発雷し)、そして筑波山方面へと消えていく「雷銀座」といわれるような、地図で見ると栃木県を北西から南東へと斜に斬る(はすにきる)典型的ルートがある。日光はこの銀座ルートの基点なので、危険極まりない。
また雷雲が完全に通り過ぎた後ではあるが、落雷の被害の状態もしばしば観察もした。例えば先ほどの誘導雷の例でのように、実際に木に落雷するとどういうことになるか、直径20cm位の木に落ちた後の状況を見たことがある。木の地上の部分は全て消えていた。どうなっていたかというと、まさに「木っ端(こっぱ)みじん」状態である。つまりその「木っ端」をよく見ると、中心から外に向かって、長さ20cmから30cm位の、その断面がきれいに三角形の楔形(くさびがた)の「木っ端」となっていた。直撃雷によって木が内部から一瞬に爆発したのである。木は水が多いのでその水を伝って落雷の電流が流れたわけだが、何せ数10万アンペアの世界なので、水に電流が流れるとそのとき発生する熱エネルギーで、水が瞬時に蒸発して水蒸気となり膨張し爆発状態となったのである。ゆえに「木っ端みじん」である。これが木ではなくて人間だったら、と想像すると、背筋が寒くなったのを今でも思い出す。
落雷ではどうしてこんなところに落ちたのか、というようなこともよくある。宇都宮近郊では、よく田んぼの真中に落雷があった。まったく周りには何も無くただの青々とした稲の田んぼで、まだ稲が開花しない時期であったが、その田んぼの雷が落ちた所に直径2〜3mくらいの浅い穴が空き、まわりの稲が全て茶色に枯れているのである。まただだっ広いグランドにもよく落ちて、時々人間が被害にあっていた。直撃雷もあるが誘導雷もあった。わらぶきの農家の屋根に落ちることがよくあったが、その場合火事となることが多かった。
4)電脳法師の雷体験、色んな現象▲
近くの落雷は確かに怖く、恐怖といってもよい。那須での子供時代には、あまりの強烈な雷に家族全員、母屋(おもや)からより頑丈な納屋(なや)の真ん中あたりに避難し、肩を寄せ合って雷をやり過ごす、などというのも一回や二回ではなかった。雷の本場のそれは、体験した者でないとその恐怖は決して分からない。雷のピーク時にはほとんど1から2秒おきに落雷があり途切れないのだ。しかもいたる所に落ちるのである。その音も「ゴロゴロゴロ」などという"標準的"ものではなく「ガラッ!」「ピシッ!」「バシーン!」「ベチャ!」など文字や声では表現できない次元の音というか空気の強烈な振動である。また前述のように雷の光は、放電路が数珠状になったり、光の玉が現れふわふわ移動したり、あたり一面が真っ赤になるとか、真っ白になるとか、やたら長く光ったり、強烈なストロボを一気に断続的に光らせたように見えたりするのだ。また本当に近いときには地震のようなすごい振動を伴うこともある。しかし普通には体験できない光や音が体験できるので、怖かったが地獄巡りのようで子供心には結構面白かった。
宇都宮では昔から、三日雷様(みっからいさま)とかいって、雷は一回発生しだすと3日位続くといわれている。これは観測すると実際そのとおりで2、3日に及ぶことが多く、まさしく昔の先人の言葉どおりである。これは、一旦熱雷が発生すると、大気が電気的に大規模に不均衡、不安定になるが、それが1日位の落雷では、大気の電気的な状態を中和しきれないことによる。数日かけてやっと中和が終り、空と地上が仲直りをし、平衡状態となるのである。
観測中には当然落雷現象を観測したり、その写真をとったりした。写真をとるのも結構大変で、やみくもにカメラを向けただけでは、フィルムが何本あっても足りなくなる。そこでレーダーの画像データを見ながら、どちらの方向で、その強さはどのくらいでまた雲の高さはどのくらいかなどと予測し、当たりをつけて、カメラをレリーズでバルブ(シャッター開放)にし、準備する。カメラの向けた方で落雷があれば、巻いてまたバルブにセットし、さらに次を待つのである。フィルムはレーダーの画像撮影用フィルムを使っていた。コントラストの強く出る「ミニコピー」というフィルムであり、研究室隣りの暗室で各自現像・焼付けをしたものだった。ここに載せたのも、学生のときに自分で焼いたものの一枚で、サイズは四切(よつぎり:305X254mm)の印画紙に焼き付けてあり、さらにそれを現在のスキャナーで取り込んだものだ。
落雷現象は、色々なものがあるので全く驚かされる。特に非常に近接した落雷は、非常に危険なのではあるが、様々な現象が観測される。電脳法師が実際に見たもので変わったものは、一瞬まわりが光って、非常に強く「ピシッ」と妙な音がして、そちらの方向を見ると近くの木か何かに落ちたようだったが、放電の経路がまだ残っており、真珠の珠の首飾りのような現象、つまり丸く光る球体のようなものが数珠繋ぎとなって見えたことだ。落雷はまさに放電現象なので、その放電経路や空気の状態によって色々な現象が考えられる。多分この場合はあまりに強い放電のため、空気がプラズマ化しその光が漂っているように見えたのかもしれない。
実際聞いた話では、家に雷が落ち、その直後やはりこのように丸い玉が家の中にできたということだ。だいたい直径50cmくらいの大きさであったというが、なんとその光の玉が、座敷の中をふわふわ浮いて、見ている間に縁側に流れて、そして庭に落ち植木に中に消えていった、というのだ。最初聞いた時には、本当かな、と思ったが、実際に自分が似た光景を見てからは、その事実を確信したのだ。自然というものは、人をして、謙虚にさせる何んらかの力がある。
また雷の多い年は、豊作になることが多い、という言い伝えがあった。これもある程度科学的に、検証できるのだろう。放電現象により、空気中の成分に色々な変化が生じそれが地上に降り積もり、作物によい影響をもたらす。つまり落雷は、窒素、燐酸、カリウムなど植物に必須な成分を固定化する作用があるらしい。まさに先人の経験からの知恵である。
そういえば、日本では風神様、雷神様を昔から祀(まつ)っており、例えば浅草寺の雷門にはの左右に祀られており、さらに俵屋宗達や尾形光琳などの絵師が「風神雷神図」屏風を重要なモチーフとしてきた。まさに過剰は困るが適度な御利益は大変あり難いという事だろう。落雷の直接的な被害は困るけれど、作物への御利益は大変ありがたい。また風神様つまり風や雨も過剰は困るが適度にないと全く困る、ということなのだ。
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