昔学校で、先生から笑いは「ズレ」によって起きるのですと、説明を受けたことがありました。これは例えばどういう状況かというと、立派な身なりの紳士がすまして歩いていて、落ちているバナナの皮にいきなり足をすべらせて、ステンと転んでしまった。紳士はまったくバナナの皮には気が付かなかったので、ぶざまに転びました。そして何かぶつぶつ言いながら起き上がりまた、何事もなかったように歩き出すのでした。このときみんな思わず笑ってしまう、というような状況なのです。
これは、寸分の隙(すんぶんのすき)がないような、慎重で威厳をもった顔で歩く紳士は、そんな間の抜けたことはしないはずだ、という思い込みがあります。しかし現実は何がおきるかわからず、一寸先は闇で、まったく予想外のことが発生したのです。つまり、想定したことと現実の差が発生したため、思わず笑いが出た、ということなのです。これが笑いの「ズレの理論」とよばれるものです(笑いの理論は他にもあるようです)。
この想定したものと実際との「ズレ」は、「差」ともいえます。いまの「笑い」でわかるように、「差」というものは、何かを動かすあるいは何かが動く契機、きっかけになります。学校や会社などでの活動の本質のひとつは、この「差」の発見の練習あるいは差の発見であるともいえるでしょう。
たとえば、小学校でかぶと虫の観察をします。卵から幼虫になり、さらにさなぎを経て、成虫になります。ここでは、たとえば、いつさなぎになって、いつ成虫になったとか、その時々の大きさは、どのくらいとか、色はどうなっているとか、あらゆる「変化」つまり「差」を正確にノートなどに記録します。つまり【観察】という学習をするわけです。そしてこの変化や差を他と比較し、このカブトムシの特徴はこうである、ということになります。【観察】においては「変化」「差」の検出は絶対的であり、出発点です。
会社の仕事でも、やはり同じようにいろいろな「変化」「差」を見つけ出し、よりよいと思われる方向(目標、ビジョン)へいろんなもの(経営資源)が動くようにします。「改善」とか「改革」とかいわれるものです。ですからこの「差」を見出せる目を持たないと、よい仕事はできません。昨日と同じでいいや、ではいい仕事はできません。そして、ある区切り(たいていの場合時間や期間)で目標と実際がどうなったかを調べます。目標を超えれば、良しということで、さらに次の目標へと向かいます。しかし目標を下回れば、その原因を色々な角度から、調査・分析します。
この一連の仕事の流れを、ふつうPDCA(ピー・デー・シー・エー)サイクルといいます。PはPlan(プラン、計画)、DはDo(ドゥ、実行)、CはCheck(チェック、評価)そしてAはAction(アクション、是正、改革など問題の対策)です。P、D、C、Aの順に、物事を処理します。
いまどきの会社は、このように決まったやり方で、ものを作ったりサービスを提供しないといけません(例えばISO9001(アイ・エス・オー9001):品質の維持・管理の国際標準)。
この考え方は、もちろん個人でも使えます。旅行する時、気まぐれな思いつきの発案で、出たとこ勝負での旅行も時によっては面白いでしょうが、せっかくどこかに行くとすれば、普通はこのPDCAをまわしたほうが何かと良いのです。まず何のためにこの旅行をするかはっきりしているので、全体がその方向で各自がまとまり、旅行の効果がはっきりします。次に経済的に有利です。無駄な出費をしなくてすみます。
そして、これが結構重要なのですが、計画と違うことや予定外のことが起きた場合でも、結構うまくその障害を乗り越えられます。これは最初に、全体の目的や手順、段取りを計画するので、トラブルや障害の場合のフォローがしやすくなります。これを「見通しがよい」といいます。
このようにPDCAは今では、ちょっとしたことをするときの、世界標準的な方法論として確立しています。身近なところでは、よくシステム手帳などの使い方に応用されています。
この中で最も重要なのは、もちろんP(Plan:計画)でこれがしっかりしないと、この後うまくいっても何をしたのか良くわかりません。このPを行うまでの手順や段取というものは、実はあまり明確なものはないようです。
ここに「差」が大きな意味を持つことになります。先ず「何か」に「気付く」ことが、最初の第一歩です。つまり最初の目標値からずれている、何か基準と差がある、何か変だ、何かいつもと違う、こんなはずではなかった、・・・と、「何か」に色々な「気付き」となります。
これは大きな社会的な問題、地球的な問題から会社や学校での問題や近所の問題、個人の何かを始めたりする時のきっかけとなるものです。
例えば、地球温暖化の問題は、南のモルジブの島の海水面が上昇し、満潮で海岸線が大きく陸地へ入り込む(つまり陸地が海に沈んでいる)こと、つまり今までと違う、異なる、つまり「差」があることで「気が付き」、何か行動を起こすことになります。
ここからその原因を探っていくと、化石(石油)燃料の消費が進めば、大気中にどんどん熱が放出され、大気圏の温室効果で地球全体が温暖化し、極地の氷河が溶け出して起きることがわかりました。従い先の京都会議でCO2削減が各国に割り付けられ、国ごとにCO2排出量を規制することになったのです。この地球温暖化対策はまだ始まったばかりで、アメリカは参加していないし、発展途上国はこれからという時に石油などのエネルギーに制限をかけることには、先進国家のエゴと断じます。
閑話休題、つまりP(計画)の前には、「気付き」が必要で、気付くためには「差」を見つけることが必要になります。どのような「差」か、その「差」は意味がある差あるいは無視できる差か(「有意差」か否か)、その差の大きさは、その差の原因は、差を除くための対策は可能か、・・・とチェックしていき、最終的にこれは何とかしなければならない(因果関係的に、心情的に、個人の価値判断的に・・・)、と思われる時、人は行動を起こします。この「何とかしなければならない」という段階になれば、実はその差により明らかにされた「問題」は、もうすでに、かなり解決の段階に入っています。
ある人が言っております。「危険はそれが定義されれば、もはや危険ではない」(コナン・ドイル)。同じように「問題はそれが定義されれば、もはや問題ではない」(電脳法師)と、置き換えられるでしょう。
また「差」にもいろいろあります。フロー的なもの、ストック的なもの、パターン的なもの、ありとあらゆる種類があると思います。フロー的なものとは、瞬時瞬時での現象や数値であり、ある基準内であれば問題とはなりませんが、一瞬でも基準を超えると異常、問題となるものです。例えば、制限時速100Kmの高速道路をある瞬間200Km出して、自動速度取締装置(オービス)に検知され記録されると、もうこれは完全に「違反」です。速度200Kmが10分間なのか、ほんの10秒間なのかは、まったく問いません(多分たとえそれが1秒間でも)。
ストック的なものとは、瞬時瞬時の現象や数値はそんなに気にしないで、ある期間や区間での、例えば、平均的な現象や数値がある基準を超えた場合なのです。地球温暖化はまさにこの例でしょう。ある海岸での潮の干満は月例に従って常に変化します。また地球や太陽の位置も関係します。時々刻々の潮位を観測しても、なかなか異常を見つけることは難しいのです。しかし一年の平均の潮位を計算すると、例えば10年前と現在とでは、明らかに違ってきており、現在のほうがかなり上昇しています。この「差」をきっかけとして、その原因「地球温暖化」現象を導き出すのです。
しかし「差」に気が付かなければ、何にも起きません。
ここに全てがかかっているのです。このためには自分の視点というものが必要です。自分の視線を確定しなければ、変化する相手は捕らえられません。自分の視点、つまり視座は、その人間の関心、志向性、教養や価値観、スキルや技術に依存します。電脳法師がよくいうところの「知の地平」ということであり、またこれには「暗黙知」という背景的な知識があるのです。
でも先ずは、時間的な「差」そして空間的な「差」から始めましょう。
・・・ 「差」は、力やエネルギーを生み出すもとなのです。そこから全てが始まります。 ・・・
・・・ あなたの周りに何か「差」はありませんか? ・・・
2005.5.31 電脳法師
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