・・・そうだ、このブナの木の下のように・・・
木への想い―「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」
 東北の渓流でよく岩魚釣りをしました.東北の渓流は,居心地の良い,魂のふるさとのような空間です.

 東北の山は「ブナ」の森の王国です.
 ブナ林は渓流を維持し,岩魚を養います.ブナ林は温帯モンスーンによる膨大な雪や雨を,その大きな根のタンクに蓄え,落ち葉はフィルタとなり,その広い枝や葉で太陽をさえぎり根元は鬱蒼として涼しくクーラーなります.このようなブナなどの森の機能で浄化され冷やされた水が「抽出」されます.ですから渓流はよく澄んでおりかつ水温が低いのです.ブナ林がなければ,渓流はありません.

 ブナの葉には多くの小さな虫などが生息していて,その虫が渓流に落下します.するとたちまち岩魚や山女などが素早くとらえます.
 また森の土壌のなかには多数のミミズなどの小生物が生息し,落ち葉を食べ分解しその土壌を豊かにします.山の森の豊かさは,実は,海の豊かさと強く関連しています.その昔海の漁師は「森が魚を育てる」つまり「魚が森に付く」といって「魚付林(うおつきりん)」を大切にしました.

「ぶな」
 ブナは漢字で書くと「木」偏に「無」と書きますが,なかなか正しいのではないかと,電脳法師は思います.私達の伝統的思想では,無から有が生じまた無に還る(循環する)のであって,まさに「無」の木の「ブナ」から森の森羅万象が生じているのです.(しかし近代になり「無」=【役に立たないブナ材】ということでさかんに伐採され,人間にとって有用な木が植林された.いま遅ればせながらブナの原始林保護運動が始まっている)

 岩魚は,低温(10数℃以下)の渓流の上流域でしか生息できません.しかし渓流上流域は餌の数は多くありません.したがい岩魚はなかなか美しいのですが,その性質は荒く時に共食いをします.また結構大型に成長します.上流の一またぎできるような沢で,数10cm位のが悠然と泳いでいます.大雨のときに岩魚は山の尾根を越えるという「武勇伝」もあり,確かに岩魚ならやりかねないなと思ったりします.

 渓流の水中映像をみると岩魚の捕食行動が良く分かります.岩魚は常に下流にいて上流方向をにらんでいます.何かが流れてくると瞬時にそれをくわえます.餌ならよし,そうでなければすぐに吐出し素早く元の位置に戻ります.そして再び上流を狙うのです.ですからフライなどの擬餌針釣りでは,虫や水生昆虫にどう似せるか,どう惹きつけるか,いつ合わせるかがコツです.

 ところで岩魚の社会には大きさによる序列があるようで,餌がくるとポイントで一番の主(大物)がまず捕食します.岩魚は一つのポイントを何匹かで住み分けています.釣人はその辺は心得ていて,ときに同じポイントで大きい順に何匹も釣りあげます.

 狭い急な山道を歩く釣人にも,ブナの木は頼もしい存在です.木肌は白灰色の良い風合いで品がよく,根は太くしかし幹はすらっと伸びて,枝は上に開放し,その枝は端正な形の葉で覆われています.木の偉丈夫、というような感じがします.ブナの「美人林」というのが新潟の松之山にありますが,これは妥当です.

 もっとも上ばかり見ていると,足元への注意がおろそかになります.ブナの森は,また「マムシの森」です.それだけ湿潤で豊かで餌となる小動物が多いということでしょう.マムシとの突然の遭遇は避けないといけません.

 子供の頃,家の裏にはヒマラヤならぬ「裏山」があり遊び場でした.自分で研ぎ上げた肥後守(ひごのかみ)を持って山に入り,いろんな木遊びをします.登る以外に弓を作るによい木はどれか,木刀に削り上げるのによい木は何か,パチンコ用のY字型の木は・・・,などその用途に応じて最適に,木を選び加工します.結構,楢(なら)の木が強くしなやかな気がして好きでした.木を見る目と技は確かにありましたが,子供心には,木はただの木でした.

 渓流で岩魚釣りをしていると,ブナの「時空」に侵入してしまったせいか,何か木の圧倒的な「気配」を感じます.  

・・・・・・動物のようにウロツキ回らないが・・・
・・・木はたしかに壮大な「意志」と「力」をもっている・・・・・・

 最近の研究によると植物は動物の進化の先導役であり,場合によっては植物は動物に対して生殺与奪の力があるということです.
 巨大恐竜は結局,木や植物の「陰謀」で滅ぼされました.これは木と動物と進化の相互関係からみると分かります.海の中の生物がまず海から陸へ上がり,胞子で増殖するシダ植物類に進化し,巨木化しました.しかしシダ類は繁殖に水が必須で水辺でしか生息できません.両生類なども上陸しやはり水辺で生息しました.

 シダ植物の一部は進化して,種子(しゅし)を作り,内陸で繁茂できる「裸子植物」つまり今の杉や松のような新種を生み出しました.裸子植物では,その受粉に風を利用します(風媒).ただ受粉の速度は大変に遅かった(数ヶ月)ようです.地球環境も相まって裸子植物は巨大化し,広大な森林地帯をつくりました.

 一方動物も豊かな裸子植物の蔭でやはり進化し,多様なものが出現しました.その中の恐竜の類が進化し巨大化しました.首の長い巨大恐竜はこの安定な巨大森林を餌として繁栄しました.その体長約30m,高さ15mで,巨木の葉を独占的に食べることができます.巨大恐竜は,しかし,この植物の繁栄に対しては何も寄与しないどころか,一方的に搾取するばかりでした.何しろ一日で約1トンの葉を餌にするので,木にとってその被害は甚大です.

 植物はここでさらに,画期的に次の段階へ進化しました.私達になじみのある,花をつける植物つまり「被子植物」への進化です.これは昆虫などとの共同作戦による「虫媒」であり「風媒」より確実に繁殖できます.また被子植物は「おしべ」「めしべ」ですぐに受粉(数分)できます.早く繁殖(世代交代)できるということは,環境に適したよりよい種へと進化するチャンス(確率)が飛躍的に高まったことを意味します.因みに現在,被子植物は25万種といわれます.

 被子植物は,繁殖速度の遅い裸子植物の広大な生息圏を奪い,北方へ追いやりました.これを追って巨大恐竜も移動しました.徐々に裸子植物の森林は減少し,ついに裸子植物の森林は滅びました.そしてこの森林を餌とした巨大恐竜も絶滅したのです.

 被子植物の木や植物は,昆虫や小動物,哺乳類などと「相互依存=共生」の関係を保ちながら,いろいろな困難な時代を生き延び,いまの現在まで繁栄を続けています.虫や哺乳類は,植物の繁栄を助けまた被子植物の花から高いカロリーの蜜や果実を得ることができ,今に生き延びました.まさに「共生」思想の勝利です.

 巨大恐竜の後継種は花をつける植物も餌とできるように進化したのですが,やはり植物に対しては一方的に餌とするだけの「敵対」関係です.もはや花たちには受け入れられません.いくつかの恐竜の時代がありましたが,結局とどめの巨大隕石衝突で完全に滅び去りました.

 日本では木をたいへん大事にしてきました.

 大木には神が宿るといい,注連縄(しめなわ)を張って「御神木」として特別な感情を抱いています.村の社(やしろ)には必ず「鎮守の森」があって,切ってはならないものでした.また「桜」は「さ」の「くら」で,山からの作物の神の宿るところです.田仕事の前に山の神を迎え桜の花の下で酒を飲み,穢れを清め厄を祓いました.諏訪大社の「御柱祭」も,縄文的な祭りのようですが,神聖な木が中心です.なにか人々が木に遊ばれているような気がします.

 このように木が神の依代(よりしろ)であったのは,木や森をある種霊的存在と感じたためでしょう.

 世阿弥の「忠度」に桜の木がでてきます.薩摩守平忠度は文武両道に秀でた公達でした.箙(えびら)に結ばれていたという,冒頭の歌は,満開の桜の木に全幅の信頼をおいている感じがします.まさに抱かれているといってよいでしょう.
 同じく西行は「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と詠んでいますが,「遊行柳」でも「道のべに清水流るる柳蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ」がでてきます.木の下が大事なのです.私達日本人には共通の感覚でしょう.

 世界各地にも「樹下」というモチーフがあります.

 樹下瞑想図,樹下美人図など,樹下というのは,ある特別(知恵,豊穣・・・などの象徴)な空間のようです.釈迦は菩提樹の下で悟りを得,入滅のときは沙羅双樹が全部花を落としました.キリスト教以前の古代ヨーロッパでは「ドルイド僧」がオーク(樫)の木を聖なる木として祭っており,ときにはその木に自らが犠牲(いけにえ)となりました.キリスト教にも知恵(善悪の判断)の木があるようです.ヘンデルの「ラルゴ(オンブラマイフ)」も木の下です.
 古代中国の寓話では,「無可有之郷」(何も無いところ)に植えた大木の下で逍遥(何ものにもとらわれないこと)として昼寝をすることを至上とします.

 思うに,私達の祖先は木による壮大な「恐竜始末記」や,隕石衝突の困難な時期や何回かの氷河期を,木に見守られまた木から与えられた「知恵」で木と共に乗り切ることができたという,人類の数百万年の歴史の「記憶」あるいはそれ以前の哺乳類時代の遠い「記憶」が,祖先達にたしかにあった.それで木に対する特別な想いや敬意,親しみが語り継がれたのだと思います.さらに時代が下っても,たとえば縄文時代の人々は温帯モンスーンの森林の恵みで生き延び,また生きる「知恵」も与えられてきました.

 現在のシステム理論や認知理論などでは,主体が環境から「知識」や「情報」「価値」などをもらう,という考え方があるのですが,私達の祖先はそんなことはとっくに知っていたのです.

 日本では「緑の日」が少し前にできましたが,もともと木や森を育成しそれを守る考え方はありました.中国や地中海,メソポタミア,インダスそしてヨーロッパのように,森林を破壊し尽くし森の再生など考えもしない民族・文明が多い中,日本のように「植林」の考え方のある民族や文化は,少数派のようです.

 日本の神話にでてくるヤマタノオロチの背中には,松や柏の木が生えていたといいます.その位森林が豊かであるという象徴なのでしょう.ヤマタノオロチ退治後,スサノオはいろいろな木を植えてこれを日本の宝とする,と称(ことあげ)しています.日本では,環境問題だ,資源問題だ,などといわなくても,すでに神代の昔から当たり前でした.

 じつは中国文明もギリシア文明も,もともとは豊かな森の文明でした.中国内陸部では恐竜の化石がよく発見されています.メデューサの頭の髪は蛇です.神殿の柱のエンタシスは木の柱を模したものといわれています.これらは森の文明だった証拠です.しかし例えば中国では,青銅器や鉄の生産,巨大墳墓の造営,都市建設など「文明の構築」で豊かな森林は切り尽くされました.現在森林地帯だった面影はありません.

 メソポタミアのウルクの王ギルガメッシュは,森の番人の怪物フンババを金属の武器で倒しそのレバノン杉を人間のために利用し広大な森を切り尽しました.メソポタミア地帯の戦争は実は,森林争奪戦でした.その位森は失われ貴重だったのです.しかし森を滅ぼすと文明が滅びるというのは,現代の「環境考古学」の教えるところです.

 木を単に動けないもの,受動的なものと侮ってはなりません.木は私達とは全く異なる時空での「意志」と「力」を持っていて,彼らの「目」で見,「頭脳」で分析し,考え,戦略を立て,彼らの「手」や「足」を使い行動しているのです.

 木の時間つまり「木時計」(電脳法師造語)は人間の「体内時計」とは性質が違います.帯域や感度が違い,また働きや作用も違います.もともと私達の祖先は自分達の周りのいろいろな存在物の「時間」「空間」を感じられる感受性が,たしかにありました.それら他の時空間と人間の時空間は,共振し交響し合いまた共生し合っていたのです.一体,それがいつ失われたのでしょうか.

 現代の私達人間は,巨大恐竜が長い進化の過程で木や植物との闘争に敗れ去った轍を忘れるべきではないでしょう.前述のように木は,「敵」の巨大恐竜を自分達の一つの種(=裸子植物)ごと北方に誘い出し,その種ごと自滅させました.壮大な戦略的持久包囲作戦です.その意志と実行力の根源はどこにあるのかと,電脳法師は知りたくなります.

 私達が毎日吸っているこの大気中の「酸素」は,地球上の植物が光合成で生産しています.現代の人間の知識では,この光合成はいまだ手が出ません.私達はこの地球上で木や植物と深く関係していることをよく理解することです.酸素を作り出すから保護しろ,という「人間中心主義」の植物を支配する「科学的」発想ではなく,多様な生命体が共存しているのだ,という次元での認識が必要です.

 木はこの地球を「人質」にしています.私達の祖先と木とのパートナーシップを思い起こさなければなりません.木への敬意と畏怖の念は抱いても,絶対に敵対してはならないのです.

 木は私達の「所業」をすでに認識しています.そして木にとって危険な予兆には必ず手をうちます.木の作戦が発動されたとき,私達は逃れることはできません.  

・・・・・・木の知の地平には人知は遠く及ばない・・・
・・・あの巨大恐竜のようになるのかもしれないな・・・・・・

 と,目の前のブナの大木を見上げながら電脳法師は思うのです.

2004.6.27 電脳法師

・・・そして、このブナの木の下のように・・・