2001年6月

No.80[インフルエンザ脳症で息子さんを亡くされたお母さんから]

 はじめまして、このHPのおかげで「小さないのち」の会を知り、昨年11月入会し、辛いのは自分だけじゃないとわかり勇気づけられたのに、ずーっとメールも送らずそのままでした。

 すみません。

 今年に入ってちょっと体調を崩し、精神的にも安定せずきつい日々を送ってました。

 それでかこちらのHPを見るのも辛くて・・・

 なんて言い訳にはならないでしょうか。

 実は昨年3月、次男がインフルエンザ脳症で1才8ヶ月のいのちを閉じました。

 亡くなる前日、朝から熱はありましたが比較的元気で、私は主人の母に次男を預け長男の親子遠足に行きました。

 しかし、途中で「けいれんらしきものを起こしたので病院に行った」という連絡があり、すぐ病院に向かいましたが「熱が上がったときのただの震えです」と言われ解熱剤だけをもらい帰りました。

 私はこの時あんな恐ろしい事になるとは思ってもいませんでした。

 ただの風邪だと思いこんでいた私を責めることになるなんて、解熱剤も使わずに熱も下がったのですっかり気を抜いていました。

 それが・・・

 それまでおもちゃで遊んでいたり、ビデオを見たりしたりしていたのに、数10分後には心肺停止状態になってたんです。

 病院に運ばれ、心臓は動き出したもののすごく危険な状態だと言われ、意識も戻らず泣くことさえ出来ず翌日の夜、旅だって行きました。

 周りからは「重い障害が残って、一生面倒見るよりもよかったと思えばいい」と言われましたが、私はそうは思えなかった・・・。

 自分が思っているよりすごく大変かもしれない、でも生きてさえいてくれたら、何かしてあげられる、生きてさえいてくれれば・・・・っと。

 だからがんばってください!

 息子とそして私の分も!っといっても何も出来ないんですよね。

 すみません。

 私の方はあの子がまた私の所に生まれて来てくれる事を願って、少しづつでも元気になろうとがんばってます。

 だけどすぐ、挫折しそうになるんです・・・

 でも残された2人の子供、そして主人が応援してくれています。

 家族っていいですよね。

 あやかちゃんが少しづつでもいろんな経験をして、思いでが一つ一つ増えていくことを、応援しています。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧くださっていたことを、お知らせくださいまして、ありがとうございます。

 1年前に息子さんがインフルエンザ脳症で亡くなられたとのこと、我が子がこの世の中からいなくなってしまうという辛さは、私たちに想像することはできません。

 しかし、私たちも「インフルエンザ・脳症 親の会 小さないのち」の「つどい」などで、お子さんを亡くされた方のお気持ちをおうかがいする中で、後遺症の娘を持つ親ではありますが、共に歩ませていただければと思って参りました。

 私たちでよろしければ、またお話をお聞かせいただければと思います。

 また、私たちのHPをご覧いただくのも困難な時期があったとのこと、そのお気持ち、当然のことと思います。

 そのような中で、私たちあてにメールをくださったことは、とても勇気の必要なことではなかったかと拝察いたします。

 私たちもいただいたメールに託されたお気持ちをしっかり受け止めたいと思います。

 それでは、息子さんのご冥福をお祈りいたしますと共に、まだまだお気持ちが不安定なことと思いますので、くれぐれもお身体にはお気をつけください。


No.81[ヘルペス脳炎による後遺症の娘さんをお持ちのお母さんから]

 はじめまして 

 SAKURAのりえさん(ヘルペス脳炎に関するHPの開設者)からこちらを紹介していただきました。

 彩花サンのHPみました。

 すごいなと思いました。

 私の娘がヘルペス脳炎で入院してました。

 今回が初めてではなくて再発で・・・。

 実は、生後1ヶ月のときに高熱と痙攣を起こして1ヶ月ほど入院してたんです。

 その時、MRI,CT,血管造影など検査して、少しの異常はありましたが原因や病名は分からずでした。

 生後6ヶ月くらいで左半身麻痺が分かり”ボイタ法”という訓練をして少し不自由が残ったけれどあるいたり走ったりはできるようになりました。

 後は何も障害は出なかったんです。

 体に障害は残ったけれどとても素直で明るい子に育ってたのでもう再発することなんて考えてなかったし、これ以上悪くなることはないと思っていました。

 ところが、今年の子供の日ずっとひいてた風邪が悪化してヘルペス脳炎再発になってしまったんです。

 いろいろ検査をして、もうそれしか考えられないといわれたのでゾビラックスを使うと少しずつ症状(高熱、眠りつつけるなど)がよくなってきたんです。

 でも、少し前のことが思い出せなかったり人の話を聞いてない感じだったり、左顔の麻痺がきつくなって笑うと右だけつりあがったりと 気になるとこはあったんです。

 気になった先生がCTを撮ってみるとまた炎症の部分がありました。

 その炎症のせいでおこってるのではないかと。

 とてもショックでした。

 その炎症が一過性のものかどうかは今はまだ分からないということでした。

 今は、退院して10日ほどたちました。

 まだ、37.5度位の微熱はあって、入院前とは性格が変わった感じがします。

 元の状態に戻したくって、今、とてもむきになってしまって・・・。

 娘が思ったように反応してくれなくて毎日イライラしてしまいます。

 HPを見て、皆さんとても前向きでえらいなと思いました。

 子供でヘルペス脳炎にかかった例はまだ聞いたことがないんで、もし同じ病名の方がおられたらお話したいです。

 彩花さんもボイタをやっておられるんですね。

 一緒なのでなんだか安心します。

 家ではなかなかきちんと出来ていないのですが彩花さんはやっていますか?

 とても食べることが好きなので今日は一緒にクッキーを焼きました。

 とても喜んで一緒に作っていたので少しずつこういう事をやっていこう とおもいました。

 とても長々と書いてしまいすみませんでした。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、メールをくださいまして、ありがとうございます。

 娘さんがヘルペス脳炎の再発でご入院されていらっしゃったとのこと、退院されてから日も浅く、思いもよらない事態に、戸惑いの中で暮らしていらっしゃるのではとお察しします。

 なんとかして元に戻してやりたいと、親が願うのは当然のことと思います。

 リハビリも開始されていらっしゃるとのことですが、リハビリは継続することが大切と思います。

 なかなか、家庭ではしんどい部分もあろうかと思いますが、我が子のため、なんとか続けてあげたいものですね。

 私たちが加入しており、私たちのHPの「患者会などの情報」のページからリンクを張っています「インフルエンザ・脳症 親の会 小さないのち」には、ヘルペス脳炎の後遺症の方も入会されていらっしゃったようです。

 現在も入会されているかは分かりませんが、一度、お問い合わせをされてみてはと思います。

 また、私たちのHPの「みなさんからの反響」のページに匿名で掲載させていただくことで、情報が得られるかもしれません。

 掲載させていただこうと思いますが、いかがでしょうか。

 お返事いただけるとありがたいです。

 それでは、まだまだ発熱があって、心配なことと思いますが、娘さんの更なる回復をお祈りいたします。


No.82[インフルエンザ脳症による後遺症の娘さんをお持ちのお母さんから]

 こんにちは。

 初めまして。

 HP見せていただきました。

 いろいろ勉強させて頂きました。

 ありがとうございます。

 私もがんばらなくちゃと元気、勇気を頂きました。。

 我が家の娘5歳は、今年3月にインフルエンザ脳症により重度の障害を残してしまいました。

 2ヶ月の間、意識が戻らなかったので、大変なこととは、思っていましたが、、、2ヶ月半の入院を経て、今は、家で生活出来るようになりました。

 今日は、なんだかとっても落ち込んでしまいました。

 娘が帰ってきてくれ、娘の世話、赤ちゃんの世話、自営の仕事、、忙しい中でも、みんなで暮らせる幸せを 味わっていたのですが、、、娘が、ぼーっとひとりで静かに横になっている姿を見て。。。急に、涙が止まらなくなってしまい、娘を抱きしめ大泣きしてしまいました。

 なぜ、家の娘は、何度もこんな思いをしなくてはいけないのか?と。。

 5年前、娘は重症の仮死状態でこの世に生まれてきました。

 「もし、助かっても、、、」と最悪の状態でした。

 でも、奇跡、奇跡の連続でこの世に生き返り、頑張ってきました。

 てんかんの発病、多少の知的遅れ、右足首の堅さはあったものの、毎日のいろいろなリハビリの成果か、自由に走り、笑い、はなし、すごい発達を見せてくれました。

 地域の幼稚園に通い、お友達もたくさんできて、おとなりの小学校に通うはずだったのに、、

 娘は、双子です。

 双子の兄は今までと変わりなく幼稚園に行ってます。

 いつも、2つ作るお弁当も、今はひとつ。

 いつもお揃いで2つ購入したいろいろなものも、今はひとつ。。

 もちろん、お友達は、みんな元気で変わりなく。

 娘だけが、一人変わってしまった。。。取り残されてしまったような。

 娘がインフルエンザ脳症に罹った次の日に生まれた次男は、もう、3ヶ月になりました。

 娘と二人で一緒になって寝ていますが、大声で泣き、笑い、、いろいろ私に訴えてきます。

 比べてはいけないとわかっていても、比べてしまい、娘がかわいそうでかわいそうで。。。見ていて辛いです。。。

 先日退院して1週間、初めて病院に行きました。

 「体の緊張がだいぶ緩やかになって来ました、、、」 「少し、口から食べてみましょう、、」 と言われました。

 すごいです、娘も、頑張ってます。

 私も、頑張らなくちゃ、、と思ってます。

 毎日、絵本を読んだり、ピアノを聞かせたり、 体中をマッサージしたり、いろいろ、ありとあらゆる刺激を 考えてやってます。

 また、奇跡が起こると信じて、、、何か、良い方法等あったら是非教えて下さい。

 すみません、だらだら思いつくままに書いてしまいました。

 誰かに、話を聞いて欲しかったんです。

 聞いて下さってありがとうございました。

 また、何かあったらメールしてよろしいでしょうか?

 では、失礼します。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 今年の3月に娘さんがインフルエンザ脳症に罹られ重度の障害を残してしまわれたとのこと、いまだ先の見えない不安に押しつぶされそうになりながら、日々を過ごしておられるのではとお察しします。

 また、出生から不安と隣り合わせの中で、ここまで娘さんの成長を喜んでこられたことを思いますと、この突然の病魔にやるせないものが込み上げてきます。

 私たちの長女、彩花も発病から3年以上が経過し、知的には生後9ヶ月レベルにまで回復してきました。

 しかし、昨年9月に出生した次女が今、ちょうど生後9ヶ月に達し、健常児の成長の早さに驚くとともに、長女の相変わらずの姿に気持ちは深く沈んでしまいます。

 しかし、そのような中で娘さんもがんばりを見せておられるとのこと、共に我が子の成長を信じ、歩んでいきたいものですね。

 私たちでよろしければ、またお話をお聞かせください。

 それでは、娘さんの更なる回復をお祈りいたします。

 また、くれぐれもお身体にはお気をつけください。


No.83[インフルエンザ脳症による後遺症の娘さんをお持ちのお父さんから]

 はじめまして!

 昨年の11月に家内が名古屋のシンポジウムに参加し、彩花ちゃんの姿を見て、思わず声を掛けさせて頂いたとの事で、今回始めてメールさせていただきます。

 その時にも多少ながら私共の娘についてお話しさせていただきましたが、彩花ちゃんと同じインフルエンザ脳症であるとともに、てんかんの後遺症についても似た傾向があるかと思われます。

 そのような事から、よろしければ彩花ちゃんのてんかん治療につきましてぜひ色々と教えていただけたらと思っております。

 娘は平成81月に発症し、重度の知的障害と軽度の運動マヒ(マヒではなく脳の回路?の問題と言われていますが‥)、そしててんかん(難治てんかん)の後遺症が残りました。

 当時2才半でしたが、現在8才になり養護学校の2年生としていつも元気に通っております。

 運動面の後遺症は何かと不器用ながらもだいぶ回復しつつあります(多くの面で介助は必要)、知的な部分もここ2,3年で大分理解力が付き、簡単な手伝い(指示した物を持ってくる等)や大好きな動物を絵本などで指差しをするようになりました。

 てんかんについては「うなづき発作」が多く、退院当時から薬の量を調整しながら抑えるようにしていますが(現在エクセグラン15mg/日とデパケンを服用)、特に最近回数が増え、主治医の先生ともどうしようかと困っています。

 体力が余り無いので、学校から帰ると昼寝をするのですが、例えば昼寝からの起きがけに多い日に1015分の間に5060回の発作があります。

 インフルエンザ脳症の後遺症のタイプも何種類か有るそうですが、娘の場合、そのどのタイプにも当てはまらず珍しい?ケースの様です。

 以前より彩花ちゃんのHPを見させていただいておりましたが、彩花ちゃんが娘と同じ様な後遺症が残っていることと、その中で3週間の入院治療により発作を抑えることが出来た‥、と記載されておりました内容を主治医の先生にお話ししたところ、ぜひ連絡をとって詳しい内容を‥と言う事でこのメールとなりました。

 3週間の入院では、どのような治療/薬剤を使ったのか、勿論解っている範囲で結構です、ぜひお教えください。

 もしよろしければ、これからも何かと連絡を取らせていただきたいと考えております。

 よろしくお願い致します。

 [返事]

 ご無沙汰しています。

 娘さんは、起きがけに発作が多いのですね。

 それだけの回数の発作があると、なんとかしてやりたいものですね。

 彩花のケースが当てはまるか分かりませんが、経過を書いてみます。

 入院前は、寝がけによく発作が起こりました。

 薬は、デパケン、エクセグラン、ランドセンの3剤でした。

 2月の脳波検査で、薬によるコントロールができていないことも分かり、4月の保育園入園に当たり、短期間に薬剤を調整してコントロールするために、入院することにしました。

 内容的には、入院中にセパゾンを追加し、効果が現れればエクセグランを最終的には中止するというものでした。

 セパゾン追加後、すぐに効果が現れ、発作の回数は激減しました。

 退院前のビデオ脳波で、異常波は残っているものの、全体として脳波はきれいになっているとのことから、エクセグランの減量を開始し、退院後1ヶ月で中止となります。

 現在は、うなずくような発作が少しずつ増え、きつくなってきていますが、日に数回程度です。

 以上が経過ですが、問題はセパゾンが抗てんかん薬ではないことです。

 精神安定剤のひとつで、日本の中でもてんかんの治療に使っておられる先生はまず、いらっしゃらないとのことです。

 どうも、既に他の病気の治療で使われている薬をてんかんに使えないかという研究を主治医の先生がされているためのようです。

 薬効としては、新薬のマイスタンと類似しているそうですので、そちらの方が現実的かもしれません。

 お役に立てるかどうかは分かりませんが、娘さんの発作が一日も早く改善されますことをお祈りいたします。

 また、知的な面は娘さんの方が回復されていると思われます。

 何か良い方法など、ございましたらお教えいただけるとありがたいです。

 それでは、今後ともよろしくお願いします。

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2001年7月

No.84[急性潜在性脳脊髄炎による後遺症の娘さんをお持ちのお母さんから]

 あやかちゃんのホームページを読ませていただきました。

 自分の子供とだぶってしまい、涙がとまりませんでした。

 てんかんの発作の方はその後は落ち着いてみえますか?

 私の娘は平成812月生まれです。

 平成105月に急性潜在性脳脊髄炎で、意識を失くし、その後遺症として、現在もてんかん発作と戦っています。

 精神発達遅滞もありますし、歩きも下手です。

 昨年1年間母子通園施設に通園していましたが、今年5月から、保育園の一員として認めてもらえました。

 今は喜んで保育園に通園しています。

 加配の先生も本当に一生懸命娘の事を見てくださり、頭が下がります。

 今後の事を考えると、とっても不安でたまりません。

 この子は一体どうなるんだろう?そんな事を考えると毎日が本当に憂鬱でしょうがないです。

 頑張るあやかちゃんのお母さん、お父さんを見習って私どもも頑張ります。

 それでは。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 娘さんは彩花と同じように保育園に通われるようになったとのこと、入園当初は不安な毎日であったのではとお察しします。

 しかし、保育士さんがしっかりと見てくださっているとのこと、元気な子供達に囲まれ、たくさんの刺激を受けていらっしゃるのではと思います。

 私たちは子供同士の関わりというのは、親が与えることのできない刺激を与えてくれる、とても大切なものだと思っています。

 きっと娘さんにも良い変化が現れてくると思いますよ。

 そのような中にあっても、やはり今後のことを考えると不安で仕方がないことと思います。

 私たちも先のことを考えるとどうしても落ち込んでしまいます。

 落ち込んでばかりもいられませんので、毎日の暮らしの中で、少しずつ成長している様子を確認しながら、日々を送るようにしています。

 また、私たちでよろしければ、娘さんのことお聞かせください。

 それでは、娘さんが元気に保育園に通われ、更に成長されますことをお祈りいたします。


No.85[インフルエンザ脳炎による後遺症の娘さんをお持ちのお母さんから]

 私の娘(6歳)は、2歳半のときにインフルエンザ脳炎になり、一時は、死を覚悟しましたが現在は養護学校に通う一年生です。

 ホームページを読ませて頂いて、あの頃の事が鮮明に思い出されました。

 当時、インフルエンザ脳炎・脳しょうは、聞いた事もなく、訳がわからず、目を開ければ元の我が子の戻るものと疑いもしませんでした。

 医師から、笑う事も表情も出ないと告げられた時のショックは、本当に言葉では表せませんよね。

 私も、我が子が障害を持つ事で、生きる事の難しさ、尊さ、喜び、悲しみ・・・いろんな事を教えてもらいました。

 かなり、子供の状態が似ている事、お母さんの心模様など、そうそう!と、声をあげてしまいました。

 社会の現実は、かなり厳しい所もありますが、「母」が笑ってないと子供も笑えないですよね〜 勇気と元気を頂けました。

 ありがとうございます!!

 娘の場合、右脳の殆どが機能していません。

 ですから左半身に麻痺があるのですが、目も同じです。

 目自体の機能は正常だそうです。

 ただ、左目から入った画像を処理する右脳に問題があるため、左の45度ぐらいは見えていないようです。

 よく、柱に激突したりしています。

 視力は計った事がないのですが、多分余りよくないように思います。

 遠くに居ると、私を見つけられませんから・・・

 5月の反響の中に、視力の回復が遅いと言う方がいらっしゃいましたよね?

 その方に、余り役立つものではないかと思いますが、この様な例がある事だけお伝えできればと思いメールしました。

 皆さんからの反響を読ませていただくと、もしかしたら、娘も話をするんじゃないか!と、希望がわいてきます。

 今は、どんな小さな事でも喜んで、親ばかになれる私ですが、以前は、出来ない事しか見てあげられませんでした。

 2歳半までが、余りにもすんなり育ったからだと思います。

 当たり前だと思っていた事全てが何て難しいのだろうと・・・時々凹んでしまう私ですが、娘の笑顔に救われています。

 生きていてくれるからこそ、この笑顔が見れるのですから。

 もう一度、ゆっくり時間をかけて子育て出来るのですから。

 娘が脳炎になったときにお腹に居た息子も、もうすぐ4歳。

 そろそろ「どうしてお姉ちゃんは、みんなと違うの?」なんて質問がくる事でしょう。

 娘がだい好きな、息子が、ずっとずっと大好きのまま育ってくれる事を願います。

 あやかちゃんも、ご両親も、体調には御気を付けになって、頑張って下さいね。

 応援しています。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、共感のメールをくださったこと、うれしく思います。

 娘さんがインフルエンザ脳炎にかかられ、後遺症が残ってしまったとのこと、発病前までが元気に育っていらっしゃったことを思うと、あまりのギャップの大きさにそのショックは大きなものがあったのではとお察しします。

 また、私たちのHPの「みなさんからの反響」のNo.76の方に対して、情報を提供いただけたこと、ありがたく思います。

 いただいたメールの内容については、お申し出のとおり先方様あてお伝えさせていただきました。

 彩花にも昨年9月に妹ができたのですが、おっしゃるようにいずれそういった質問が出てくるでしょうね。

 私たちも2人の娘が仲良く育ってくれると良いなと思っています。

 年齢が近く、妹弟がいるという意味でもよく似ていますので、これからも情報交換などさせていただければと思います。

 それでは、これからもよろしくお願いいたします。


No.86[原因不明のウイルス性急性脳症による後遺症の息子さんをお持ちのお父さんから]

 はじめまして。

 彩花ちゃんが私たちに勇気と希望を与えてくれていることに感謝しています。

 私たちの長男も平成12年9月に原因不明のウイルス性急性脳症になり、10ヵ月が経ちました。

 彩花ちゃんのホームページは、発症当時脳症について知りたいと思い、いろいろ探しているうちに出会うことができました。

 今まで、たくさんの方からのメールを拝読させていただきましたが、この病気にかかった悲しさは、親にしかわからないものなのだと痛感させられることばかりでした。

 また、お二人目がお生まれになり、大変な中、ホームページをお続けになっておられることには、頭が下がる思いです。

 息子にも現在1歳10ヶ月の弟がいるため、なかなか思うようにできないことばかりのため、ご苦労が手にとるように思えてなりません。

 ところで、彩花ちゃんの現在に至るまでの経過を拝見していると息子の経過とよく似ているので、「リハビリの経過」、「リハビリの方法」、「てんかん薬」のことがもっと詳しく知りたいと思い、メールさせていただきました。

 以下、息子の経過を簡単に紹介させていただきます。

 平成7年2月23日生まれ(現在6歳)

 平成12年9月22日に発症。入院。

 26日に市立こども病院へ転院。

 10月には笑い声や泣き声を出せるようになった。

 11月には、口から離乳食を食べることができるようになり、追視もするようになった。

 12月には、ストローを使い水分を取れるようになった。

 この頃から電子音でガクッとなる発作が見られるようになった。

 12月23日に退院。

 12月28日から本格的なリハビリを開始。

 平成13年1月6日には座れるようになった。

 2月に入っててんかんの投薬を受け始めた。

 3月に自分で立てるようになり、2月から3月にかけては「意味不明の発語」をし始めた。

 4月には一人で歩けるようになった。

 市立の養護学校に入学。入学後、「意味不明の発語」はしなくなった。

 7月現在、走ったり、ジャンプはできませんが、自分で歩きますし、私たちを見たらものすごく喜ぶようになりました。

 しかし、おもちゃなどを口に持っていき、確認できたら投げてしまいます。

 危険なのですがなかなか直りません。

 現在、リハビリでは、週にPT2回、OT1回ですが、OTの先生が2年目の新人のためか、時間中はただおもちゃを転がして遊んだり、うろうろ歩き回るだけで終わることもあり、発達が停滞しているように思える状態であり、このような時期もあるのか、ベテランのセラピストに代わったほうがよいのか悩んでいます。

 また、今は、病院からデパケンとテグレトールを処方されていますが、まだ「驚愕発作」も日に数回起こり、目が離せない状態が続き困っていますが、このまま様子を見ようということになっています。

 しかし、立位での大きな発作が治まっていないので、生傷が絶えません。

 私としては、発作を止めるためには、薬の種類を3剤にしたらと思うのですが、先生は眠気が出やすいからと消極的なようです。

 彩花ちゃんの場合はどうでしたか。

 以上、長いばかりでうまく書けなくて申し訳ありません。

 これからもよろしくお願いいたします。

 最後に、彩花ちゃんの更なる回復をお祈りしています。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 息子さんが急性脳症で倒れられ、10ヶ月になるとのこと、まだ幼い弟さんのお世話もあって、日々大変慌ただしく過ごしていらっしゃることとお察しします。

 おもちゃなどを口に持っていき、確認ができると投げてしまうということは全く同じで、彩花も未だに続いています。

 おもちゃをひっくり返したり押したりと、ずいぶん手と目で確認することが増えてきているのですが、まだまだ口で確認することが中心のようです。

 さて、ご質問の件について、お役に立つものかどうかは分かりませんが、彩花の場合について書いてみたいと思います。

 リハビリについては、現在OT、PT、ST、心理相談にそれぞれ月1回通っています。

 また、OTでは次のようなことを行っています。
 ・キーボードを鳴らす
 ・ピンポン玉くらいのボールを缶の中に落とす
 ・輪投げの輪を輪投げの支柱に通す
 ・粘土を腕に巻き付け、反対側の手ではずす
 などです。

 当初は集中することができず、歩き回ったりして、このような作業をすることも困難でしたが、姿勢を崩さないようにすることで、集中力が持続するようにされています。
 ・壁に背中をつけて座らせ、セラピストが自分の足で彩花の足を押さえる
 ・四角柱のウレタンの上に座らせ、セラピストが自分の足で彩花の足を押さえる
 といった方法で向き合い、作業を行います。

 STでは、すぐに立ち上がらないように、いすに座らせると、テーブルを体がつくところまで引き寄せます。

 このように、まずは「これから作業をするのだ」という環境をつくる必要があるのではと思います。

 彩花の場合は、特に学校に通い始め、いすに座ることが当たり前の生活になってから、だんだん、座っていられる時間が長くなり、落ち着きが出てきたように思います。

 次に、てんかんの件については、私たちもてんかんの発作を完全に止めてやりたいのですが、それによって、日中の活動量が落ちて学校に通学する意味がなくなるようでは困るというようなジレンマに陥っています。

 ただ、頻繁にけがをする場合、発作を止めてやりたいとの思いは、切実なものがありますよね。

 もし、眠気だけのことであるのであれば、お医者さんに「発作を止めてやりたい」との強いお気持ちをお伝えしてみてはと思います。

 彩花の場合は、1ヶ月間入院して、集中的に薬の調整をしましたが、このような選択をした場合、学校のことをどうするのかは考えておかなければいけないと思います。

 以上のようなことですが、参考になりましたでしょうか。

 いずれにしましても、親が最も我が子と接している時間が長く、最も理解していると思いますので、親の思いを遠慮せず、伝えていかれることが、大切だと思います。

 それでは、息子さんの一層の回復をお祈りいたします。


No.87[急性脳症による後遺症の息子さんをお持ちのお母さんから]

 私は2歳7ヶ月になる息子の居る母親です。

 「母の思い」は、私と重なる部分が随分とありました。

 息子は、2歳になった2日後のH12.12.8「急性脳症」にかかり、重い後遺症が残りました。

 その当時は、関東で息子と二人暮し(夫は、九州に単身赴任中でした)で、誕生日はみんなでお祝いしようと、私の実家に7日に帰省し、その日は、久しぶり大勢に囲まれ大はしゃぎでした。

 8日も朝37度8分熱があって、それでも、元気でした。

 お昼に40度超え病院に連れて行きました。

 診察室で、私が抱っこし吸入をしている時突然3度続けて痙攣(この時がはじめて)を起こしそのまま意識をなくしました。

 何がなんだか分からなくて、その時も熱性痙攣だと思ってましたし、まさか1時間30分も続くなんて・・・

 その病院では手に負えず大学病院に搬送されました。

 救急車の中でもずっと痙攣は続いて口からは泡を吹いてました。

 今でも、救急車のサイレン聞くとあの日がはっきりと思い出されます。

 ICUで数時間後に見た息子は、全く別人でした。

 どうして、息子が・・と、無邪気で2歳にしては、しっかり者でした。

 二人暮しだったせいか、小さいながらによくお手伝いする子で、電車や車が好きで毎日電車見に行って帰宅してました。

 私にとって一番大切な息子が、二週間後意識を取り戻した時には、記憶をなくし、話すことも、笑うことも、歩くことも出来ず、首もすわってない赤ちゃんに戻ってました。

 原因は、ウイルスと言われましたが特定は出来ませんでした。

 結局4ヶ月の入院生活をし、現在在宅4ヶ月経とうとしています。

 今は、首がすわり、寝返りまで出来るようになりました。

 週二回通園しながら、リハビリをしてます。

 小さな身体で現実を受け入れ、笑顔も見せてくれるようになりましたが、私の気持ちの中では、元気な頃を思い出に出来ない、きっと現実についていけない自分が居るのも確かです。

 前向きにと頭では分かっていても・・・

 病気になった時は、生きてるだけでいいと心から思っていたのに・・・

 出口のないトンネル、私は今入り口なんでしょうね。

 子供の可能性を信じて、また歩いてほしいし「ママ」と呼んでほしい、目で見る楽しさも教えてあげたい、自問自答しながら、日々過ごしてます。

 一つ教えていただきたいのですが、子供が病気になってからも夫婦の気持ちのずれなどなかったですか?

 リハビリなども夫婦力を合わせて取り組んだのですか?

 長々と書いてしまいましたが、読んでいただいてありがとうございます。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 息子さんが急性脳症に罹られ、重い後遺症が残ってしまったとのこと、発病から1年も経過していない中、先の見えない不安に押しつぶされそうなお気持ちでお過ごしなのではとお察しします。

 しかし、リハビリを始められ、少しずつ回復されています。

 我が子の可能性を信じ、親としてできることをやっていきたいものですね。

 さて、ご質問についてですが、私たちの場合は、意見の食い違うことも時にありますが、話し合いながら協力してやっていると思っています。

 ひきつけた時に夫婦共に居合わせ、病院へ向かい、ただ見守るしかできない無力さを痛感し、夫婦共に自責の念にかられました。

 このため、彩花をなんとか元に戻してやりたいとの思いは、夫婦共通の願いとなり、ここまでやってこれているのだと思います。

 インフルエンザ・脳症 親の会「小さないのち」では、ご質問のような親の悩みを話し合い、参加者全員で分かち合う「つどい」を開いています。

 このような場に参加されるのも良いのではないかと思います。

 また、私たちでよろしければ、お話をお聞かせください。

 それでは、息子さんの更なる回復をお祈りいたしますとともに、くれぐれもお身体にはお気をつけください。


No.88[インフルエンザによる急性脳症で息子さんを亡くされたお母さんから]

 暑中お見舞い申し上げます。

 暑い日が続いていますが、あやかちゃんご家族皆さんお元気でお過ごしでしょうか。

 はじめてメールを送らせていただきます。

 私はインフルエンザによる急性脳症で満2歳4ヶ月の次男を亡くした33歳の母親です。

 今までなんどもHPを読ませていただいておりました。

 自分と同じように子供を亡くした方や、後遺症と戦っていらっしゃる方がいることを知り、自分自身のこれからを 前向きに考えることができるようにようやくなってきました。

 1998年主人が病気で生死をさまよい、克服した年でした。

 お正月を自宅で揃って過ごすことがとても嬉しかった。

 1999年1月22日午前2時頃、突然意識がなくなり、救急病院に運ばれましたが、亡くなりました。

 私は今でも後悔の念でいっぱいです。

 そして次男が火葬場から自宅に帰ったら、同居していた義父が入った棺が帰ってきました。

 私達家族は、これ以上の苦しみや悲しみはこれから先無いとおもうほどでした。

 これからの人生で少しでも同じ病気で苦しんでいる方の力になれたら、又、ワクチンをもっと多くの皆さんに受けていただく為に何かできればと考えています。

 まとまりのない内容ですみません。

 またメールを送らせていただきますので今後ともどうぞ宜しくお願いします。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、何度もHPをご覧くださり、メールをいただけたこと、ありがたく思います。

 インフルエンザによる急性脳症で息子さんを亡くされたということだけでも、私たちには想像もできない悲しみがあったのではと思うのですが、それに加えて、ご家族が次々と災難にあわれていらっしゃったとのこと、メールを拝読しながら、絶句してしまいました。

 しかし、多くの災難を乗り越え、前向きに考えられるまでになってこられたのですね。

 私たちとは比べものにならない、暗く長いトンネルを抜けてこられたのではと拝察します。

 後遺症の娘を持つ親と息子さんを亡くされた親御さんとでは立場は異なりますが、同じ病気で苦しんでいる方の力になれたらとの思いは同じです。

 ともに歩ませていただければと思っておりますので、こちらこそよろしくお願いいたします。

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2001年10月

No.89[インフルエンザ脳症に罹られたものの後遺症もなく回復された娘さんをお持ちのお母さんから]

 はじめまして。

 私たちの長女(107月生)も平成121月、15ヶ月も 終わりの頃にインフルエンザ脳症にかかりました。

 二人目の子供の出産のため里帰りしていた時のことです。

 12月に長男を出産し、4人家族になり、今までで一番幸せなお正月を迎えていた時のことです。

 主人、私、長女の順にインフルエンザにかかりました。

 16日 朝から38度の熱。

       近所の小児科で診てもらい風邪と診断される。1回目の座薬。

       夕方6時には40度まであがり、2回目の座薬。嘔吐あり。

       夜10時、夜間診療所で診てもらうが、座薬が効いており経過観察ということで帰宅。

       帰宅後、熱が再度上がりはじめ、翌午前1時には42度まで上がり、震えながら、うわごとを話し出したので、あわてて夜間診療所へ。

       車中の様子は硬直・うわごと・一点(上)だけ見ている眼・けいれん。

       15分ほどで到着し、痙攣止めと点滴。

       痙攣は治まり、少し目を開いたまま眠っていた。

       その後、採血をしても反応がなく、上体を起こしても目を覚まさないことから早め早めに検査をした方がいいということで、小児医療の充実した総合医療センターに転送される。

 7日 午前5時過ぎ入院。

       すぐに脳波・CT等の検査を行い、インフルエンザ脳症と診断される。

       朝の段階では脳波の軽い乱れ、意識障害のみ。

       入院後直ちに、体を冷やす処置が行われ、ステロイド剤をはじめとする投薬の開始。(インフルエンザに効く薬も今年から投薬できるとのこと)

       夕方5時のCTで異常(視床に影)が確認される。

       この時点では意識障害がありながらも体は動かせていた。

 18日 CT変化なし。

       体の動きが鈍くなってきている。

1月11日 一般病棟へ。

       焦点が合わないながらも目を開け始める。

      覚醒の第一段階。

       体は全く動かなくなっている。

1月14日 目でものをゆっくりと追うようになる。

117日 MRIで軽快の兆候が見られる。

118日 右手を動かせるようになる。少し笑う。

119日 左手が動かせるようになる。リハビリ開始。経口の離乳食開始。

121日 首がすわる。

 その後、すこしずつ回復し、足を動かせるようになり、寝返り、おすわりまでできるように。

 情緒は不安定ながらも、帰ろうとすると泣くなど状況の理解も見られ、こちらの言葉も理解しつつある。

 足をついたり、物をつかむのを怖がったりする。

  24日 外泊

 その後、情緒が安定し始め、手をあげて返事をしたり、バイバイしたり。

 つかまり立ち、伝い歩き、78歩、歩けるようになり

215日 退院

       言葉はまだだが、元気いっぱい笑えるようになる。

221日 外来受診

      CTの結果、視床の影がひいたとのこと。

       軽い脳萎縮があるが、おそらく治るとのこと。

2月下旬、歩行可能となり

 34日、リハビリ終了。

 38日 外来受診 血液検査で正常値に。

 その後、実家から自宅に戻り、大学病院に月1度、通院し経過を見る。

 平成12年暮れ、脳波とMRIの結果、後遺症はないとの見解を頂き、通院終了。

 1歳半、3歳検診も無事パスできました。

 長々と書かせてもらいましたが、以上がおおまかな経緯です。

 長女は今、元気になって日に日に成長しており、来春には幼稚園の予定です。

 入院当初は、視床の影が大きいのでおそらく最重度の後遺症が残るだろうと(親の顔はわからない、食事は鼻から、寝たきり)宣告されていました。

 それでも主治医の先生が治った子もいると励ましてくださり、周りの人たちにも支えられてここまでやってこられました。

 私自身、それでもあの時の気持ちは忘れることができません。

 病院から帰ってきて、子供の靴を見ては、おもちゃを見ては、写真を見ては泣き、外で遊ぶ子供を見ては泣いていました。

 元気なあの子には もう会えない。

 時間が戻ってくれればいいのに。

 あんなこともこんなこともさせてあげたかった。

 これから楽しいことはもっともっといっぱいあるのにこの子はできないんだと。

 私がこの子の未来を奪ってしまったんじゃないかと。

 この子が私のことを母親だと認識できなくても大切に育てていこうと思ったこと。

 実際のところ、病気の前の記憶はないようです。

 病気によって精神も身体も0歳の赤ちゃんに(手足も動かなかったからそれ以下)戻って倍速でやり直した感じがします。

 ずっと不安な育児だったと思います。

 気持ちのはけ口のように一方通行なメールを書いてしまってすみません。

 同じ思いをした方に聞いてもらいたくて。

 あの頃を思い出して身の引き締まる思いです。

 皆様、お元気でお暮らしください。

 皆々様の回復を願って。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったことうれしく思います。

 娘さんがインフルエンザ脳症に罹られ、最重度の後遺症が残るとの宣告を受けられた当時のお気持ちを赤裸々に語ってくださって、ありがとうございます。

 私たちも、娘を守ってやれなかった自責の念、どうして我が子がというやりきれない思いにさいなまれていました。

 しかし、その最悪の宣告を見事克服され、通院が必要なくなるまでに回復されたのですね。

 娘さんの生命力と、ご両親、医療スタッフの熱い思いがあったからこそ、この病気に打ち勝ったものとお察しします。

 来春、幼稚園に入園予定とのこと、どのように成長されていくか楽しみですね。

 今年もまた、インフルエンザの流行する冬がやってきます。

 くれぐれもお身体にはお気を付けになって、元気に冬を越されますことをお祈りいたしております。

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2001年11月

No.90[インフルエンザ脳症に罹られたものの後遺症もなく回復された娘さんをお持ちのお母さんから]

 ホームページ見ました。

 我家の長女も4才の1999年12月の年末の夜中、けいれんを起して救急車で運ばれました。

 熱性けいれんだと思ってた私は、熱がある次女を実家に預け、病院に行きました。

 運ばれてから何時間もたってるのになかなかけいれんが止まらず、脳症、脳炎の疑いと先生に言われて(大変なことにナッテシマッタ−)と思いました。

 運ばれた病院が設備がそろってる大きな所だったのが良かったのか、処置がよかったのか、幸いにも後遺症が無く無事退院でき、その後の検査でインフルエンザによるものだったと、わかりました。

 今は、脳波を、年2回検査に行ってます。

 それからどうしても、ちょっと咳したら、心配になってしまいます。

 母親の私がおろおろしたらダメだと分かってるのですが、長女が熱を出した時などは目が離されずにいます。

 これから寒くなり、インフルエンザがまた流行る季節になりますが、頑張って下さい。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは励ましのメールをいただき、ありがとうございました。

 娘さんもインフルエンザによる脳炎・脳症の疑いがあるということで、ご入院されていたとのこと、あの長引くけいれんを、親としてどうすることもできなかった無力感は未だに頭から離れずにいらっしゃるのではとお察しします。

 私たちも娘が熱を出すたびに、不安になります。

 親が寝ている間に何かあったらと思うと、おちおち寝てはいられません。

 また流行の時期が近づいてきましたが、今シーズンはインフルエンザ脳症で亡くなられたり、後遺症を残されたりする方がいらっしゃらないことを願っているところです。

 それでは、娘さんが健やかに過ごされますことをお祈りいたしております。


No.91[インフルエンザ脳症による後遺症の娘さんをお持ちのお母さんから]

 私の娘もインフルエンザ脳症です。

 7年6月10日生まれの娘も9ヶ月の時、高熱を出し、ひきつけを起こし・・・

 何日か眠り続け、最悪の場合も考えておいて欲しいと言われ・・・

 なんとか意識を取り戻した時には、まったく別人のようになっていました。

 命が助かって本当に幸せだったのかなと思うほどでした。

 一緒に死んでしまいたいほど、どん底でした。

 今は6歳になりました。

 右半身麻痺(軽いものですが)と知的障害が残りました。

 まったく喋れず、泣いたり、怒ったり、キセイをあげたり、大変な事も多いです。

 でも元気で笑ってくれます。

 生きててくれてよかったと思えるようになりました。

 とっても可愛いです。(親ばかです)

 今は障害児施設に通っています。

 ここでは自閉症の子供がほとんどです。

 同じ障害も持った子の親御さんとお話するのは初めてなんです。

 (パソコンも苦手であまりインターネットも活用していないので・・・)

 来年の4月には小学生です。

 就学先を決めないといけない時期です。

 出来る事なら特殊学級にと思って見学にも行って見ましたが、実際、オムツもとれてないし、着替えとか自分で出来ないし、無理して特学に行っても本人が可哀想かなと思ってます。

 誰に聞いても養護学校がいいんじゃないかという答えが返ってきますし・・・

 明日は日曜日、一日何をして時間をつぶそうか大変なんです。

 外ではあまり遊びません。

 抱っこばっかりです。

 歩かないんです!! ちゃんと歩けるのに・・・私もたくましくなっちゃいました。

 では、また。 

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 まだインフルエンザ脳症が大きく報道される以前に、娘さんがかかられたとのこと、情報もほとんどない中で、どうして娘がと悲嘆にくれていらっしゃったのではとお察しします。

 右半身麻痺、知的障害、全くしゃべれない、奇声をあげたり・・・、後遺症も彩花と似ていらっしゃる部分が多いなと感じながら、メールを拝読させていただきました。

 彩花は、泣いたり、笑ったりといった感情の部分がまだ乏しいようで、このあたりをいろいろな方と接する中で伸ばしていってほしいなと思っているところです。

 さて、就学の件ですが、養護学校、特殊学級ともに一長一短があると思っています。

 制度的には、養護学校へということになるでしょうし、制度の枠を超えて特殊学級がよいとおっしゃる方は少ないと思います。

 しかし、養護学校に行ったから伸びるのか、特殊学級だったら伸びないのかというと、そうではないと思います。

 私たちの場合は、養護学校を勧められながらも、地域の子供達と日々交流できる特殊学級を選びました。

 校内ではいろいろな学年の子供達から、声をかけてもらっています。

 家に遊びに来てくれるお友だちもいます。(一緒に遊べることはないのですが・・・)

 ただ、重度の障害児にどのように教えて良いのかといったノウハウは、やはり少ないようです。

 リハビリの先生から教えてもらったことや、本に書いてあったことを担任の先生にお伝えしたりして、授業の参考にしてもらっています。

 最終的には、子供のことを一番良く知っている親が、良いと思う進路を選ばれればと思います。

 今年も国のインフルエンザ対策キャンペーンが始まりました。

 この冬を乗り切られ、晴れて入学されますことをお祈りいたします。


No.92[急性硬膜下血腫による後遺症の息子さんをお持ちのお母さんから]

 11月から保育園に通えるようになった息子が風邪をひかないよう、風邪予防の情報を検索しているうちに「あやかちゃん」の事を知りました。

 息子は中度の肢体不自由と軽度の知的障害を持っています。

 今は不安定ではありますが、歩行も出来るし、階段もゆっくり昇ることが出来るようになりました。

 言語障害もありますが、簡単な会話も出来ます。

 (肝心のうがいなどが出来ないので風邪予防は食事と手洗いと水分ですかね?)

 体幹の機能障害と右上肢機能障害が著しい状態です。

 息子の障害の原因はインフルエンザではありませんが、あやかちゃんの発症の時の緊迫感とよく似ていて思わず筆(?)を執りました。

 息子が発症した症状は「急性硬膜下血腫」です。

 発症の2ヶ月前に誤って頭部を打ち、約3時間後、変な寝息(いびきのような感じ)と少しの嘔吐。

 「食べ過ぎたかな?風邪かな?」と疑問を感じ声をかけてみましたが応答なし。

 いつもなら寝ぼけながらも薄目を開けるか、なんらかの反応があるのにおかしいなと思いながら、今度はお茶を持って体を起こしました。

 すると、体に触られるのをイヤがるように手足をバタつかせ、びっくりするような力で体をひっかきました。

 すごく不安になりすぐに救急病院に連れて行きました。

 車に乗せ病院まで行きましたが、その間もだっこする度にあばれました。

 運良く当直医が脳外科の先生で、CTをとってもらい、脳内出血が確認されましたが、出血の量からいって手術するまではなく、血液も脳の組織に吸収されるだろうという判断で、とりあえずは経過観察、3日間の入院で、元の元気な状態に戻り退院となりました。

 その後、定期的にCT検査を受け、「もう大丈夫」と思いその一件も忘れかけていた2ヶ月後、夜中に奇声を発し、痙攣発作にて発症しました。

 すぐ救急病院に駆け込み、CTを撮ったところ、多量の血液で脳幹部を圧迫していて緊急手術となりました。

 脳幹部を圧迫されている為、命が助かるかどうかもわからないと告げられ、頭の中は真っ白になりました。

 5時間の手術の後、病室に運ばれてきた息子にはたくさんの管と酸素吸入器と輸血と頭の包帯とで見るに耐えない程痛々しい姿でした。

 なぜ出血していたのか?

 原因が全く思い当たらず、担当医からも明確な答えは出ませんでした。

 ただ、今回出血していた血管が静脈からだったとのことで、ゆっくり、ゆっくり出血が続いていたんじゃないかということ。

 考えられるものとしては、前回の出血で残っていた血の塊が何らかのきっかけで血管から剥がれ、出血したのか?

 頭を打った時に隣り合わせた血管に傷が入っていて、そこから微量ずつ血液がにじみ出ていたのか?

 憶測だけで、結局ハッキリした原因はわからずじまいでした。

 そういえば、2〜3日前から熱が出たり下がったりしていたけど、保育園で風邪が流行ってた時期ということもあり、別の個人病院で風邪薬をもらって帰ってきたなぁ〜・・・もしかして、あの熱は頭の方から来てた熱だったのかも・・・ということが頭に浮かび、なぜもっと早く気付いてあげられなっかったんだろう、と今でもそのことを思うと、涙が出る程悔やむ思いでいっぱいになります。

 術後は何日も寝てばかりで無反応、頭部も大きく腫れ上がりまるで別人のようでした。

 約2週間後、目が少し開き、意識状態は悪いものの、少しずつ表情が戻り、1ヶ月が過ぎた頃リハビリをはじめました。

 最初はあやかちゃん同様、首も座ってない状態で移動はベビーカーでした。

 病院スタッフの方々の献身的なサポートのお陰で少しずつ、少しずつ回復し、4ヶ月後には子供専門の肢体不自由児施設に移りました。

 奇しくも私はずいぶん前に離婚してまして、生活する為に仕事もあり、長女もおり、長男の介護に全精力をつぎ込むことが出来る環境にありませんでした。

 あれから1年と9ヶ月。

 今年1月に仕事を辞め、地元に帰ってきてからは長男も一緒に暮らしています。

 週1回のリハビリに通い、来年の就学に向けての準備、長女(小1)の学校行事、自分の就職活動に追われて、忙しいながらも充実した毎日を送っています。

 市役所や病院とのやりとり、保育園の受け入れ体制の不備、今後の生活の見通し等、行き詰まりを感じたり、希望が見え隠れする中、そういうものと闘いながら前向きに生きたいと思います。

 身近に同じような境遇のひとがいない為、誰かに聞いてもらいたくて、理解してもらいたくて、長々とすみません。

 なんとなくスッキリしました。

 ありがとうこざいました。

 こんな体験の中から、何か共有出来ることがあれば嬉しく思います。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧くださって、メールをいただけたこと、ありがたく思います。

 息子さんは急性硬膜下血腫の後遺症をお持ちとのこと、就職活動をされながらの子育ては大変なこととお察しします。

 メールを拝読させていただいて、息子さんの容態の急変ぶりに息をのんでしまいました。

 緊急の手術、命が危険であるとの宣告、術後の痛々しい姿、これだけ事態がどんどん進行していけば、すんなりと状況を理解できる心理状態でいる方が難しいものとお察しします。

 また、親としては、もう少しはやく気づいていればという後悔の念にさいなまれてしまいますね。

 私たちも発病から4年が経とうとしていますが、まだまだ、後悔の念のわき上がってくることがあります。

 その後、赤ちゃんの状態から、集団生活が送れるまでに回復されたとのこと、新しい環境の中で、ますます回復されますことをお祈りいたしております。

 それでは、来春の就学など、まだまだ大変な状態が続くかと存じますが、お身体にはくれぐれもお気をつけください。

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2002年1月

No.93[インフルエンザによる小脳脳炎にかかられたご主人をお持ちの奥様から]

 おはようございます。

 主人、長男、長女、私、愛犬の4人と1匹の家族です。

 主人は1994年の冬にインフルエンザにかかり、小脳脳炎で左半身のしびれ(軽度)眼震(軽度)の障害を背負ってしまいました。

 障害の級も5級で、車の運転もできますし、職種は変えられてしまいましたが、以前とおなじ会社に勤めています。

 と、ここまで書くと「ああ、軽く済んでよかったですね」と思われる方もおられるでしょうが、本人は「(こんな障害で生きていかなければならないのなら)いっそのこと・・・」と時々言います。

 スポーツが好きで柔道、野球、スキーと1年中なにかしらやっていました。頭痛を訴えて入院になった時も、春になればやるつもりでグローブを磨いていたのですが。。。起きあがった時にふらつきがひどい、お辞儀ができない(思った角度で止まれずそのまま前に倒れる)と数日で自分の身体が自由に動かないようになってしまいました。

 本人も人の親ですので、どこの親でもやるようなことを自分の子供にもしてやりたいと思うのですが、ある程度限られてしまいますので、歯がゆい思いをしています。

 障害は重い、軽いでよかった、と言われることはほんとに許せない発言です。

 「何にもいらないから健康だった身体、返してくれよ〜」と言っています。

 わたしには主人の辛さはわかりません。

 以前と変わらない態度でいます。

 至れり尽くせりでかばうようなことは逆に主人を障害者扱いをしてしまっているような気がするので、できなくなったことのフォローはもちろんしますが、人より時間がかかってもできることはしてもらっています。

 また、拝見させていただきます。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられ、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 ご主人がインフルエンザから小脳脳炎にかかられ、後遺症をわずらっていらっしゃるとのこと、大人の方であればこその悩みがあるものとお察しします。

 おっしゃるように障害の軽重にかかわらず、悩みは深刻なものがあると思います。

 特に働き盛りで、充実した生活を送っておられたご主人のような場合は、今の生活とのギャップにご本人自身が深く落ち込んでいらっしゃるのではないでしょうか。

 そのような中で、奥様が寄り添い、必要なときに必要なだけのフォローをしていらっしゃることは、とてもご主人の支えになっているのではないかと想像いたします。

 ご主人のフォローに、お子さんもまだまだ育ち盛りと、生活も大変なことと存じますが、くれぐれもお身体にはお気をつけください。


No.94[お母様がヘルペス脳炎でご入院中の方から]

 彩花ちゃんのご家族の方、はじめまして。

 HP読ませていただきました。

 辛いのに頑張っておられることに感動しました。

 私の母がヘルペス脳炎で6月にたおれ、幸い痙攣が治まり、一般病棟に移りましたが今も入院中です。

 「さくら」というヘルペス脳炎のHPから彩花ちゃんのHPにたどりつきました。

 ヘルペス脳炎という病気も症例が少なく、情報が少ないため少しでも何か情報提供したくてHPを立ち上げたいと思い、病院とカルテの開示について交渉中です。

 彩花ちゃんのHPに「レセプトはカルテ(診療録)ではありません」と書いてありましたが、どう違うのでしょうか?

 また、カルテを見せてもらってもたぶん医者の使う専門用語(ドイツ語?)では、一般の人には理解できないのでは?と思案中です。

 何かアドバイスいただければ幸いです。

 寒い日が続いていますが、お体に気をつけてください。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、SAKURAさんから、こちらのHPに立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

 お母様がヘルペス脳炎でご入院中とのこと、情報の少なさに不安な日々を送っていらっしゃるのではとお察しします。

 ご質問の件ですが、レセプトは英語でいえば「レシート」のことでして、かかった医療費の明細書のことをいいます。

 ですから、どのような検査をしたかは分かっても、その検査結果は記録されていません。

 どのような処置をしたかは分かっても、処置の後、経過が良くなったかどうかは分かりません。

 私もカルテそのものをじっくり見たことはありませんが、看護記録などは日本語で書かれているかもしれません。

 もし入手できるようであれば、もらっておくにこしたことはないと思います。

 何か情報提供をしたいとのお気持ち、よく分かります。

 SAKURAさんのHPとともに良いHPができますことをお祈りしています。

 お返事まで。


No.95[病原性大腸菌O−157による脳症でご入院中の息子さんをお持ちのお母さんから]

 あやかちゃんのHP拝見いたしました。

 眼前の子供さんの急激な変化に対する恐怖感、私も同じ体験をしました。

 細胞のひとつひとつがまだ覚えているようです。

 2月ほど前にも アクセスしたのですが、ようやく メールを書くことができるようになりました。

 というのも、私の一人息子(もうすぐ3歳)も脳症の発病後3ヶ月で まだ病院に入院中です。

 後遺症の程度は非常に重く、3ヶ月経った今も自発呼吸も弱く、四肢麻痺、遷延性意識障害の状態で、気管切開して人工呼吸管理下にあります。

 急変の可能性は減った とは言われていますが、入院先に小児神経科の専門医がいないため、予後の見解はいただいておりません。

 今は転院先を探しておりますが、帰省先での入院だったため、遠方にあたる自宅付近の受け入れ病院を 探すことは 非常に難しく、余計な心配事もあとを絶たない状況です。

 あやかちゃんのご家族のような方がネットで情報を開いてくださっていて本当に助かりました。

 情報はもとより、苦しんでいるご家族、克服されたご家族,同じ非情事態に直面された方の生の声は、看護婦さんの通り一遍な慰めの何倍も心に響きました。

 小さな命の会にも 申込書の取り寄せをしましたので、転院先に落ち着いたら入会しようと思っています。

 息子の発病の原因は病原性大腸菌O-157です。

 もし、同じ病原菌から脳症を発症した人、現在も入院中で闘病している人、関東の病院に入院歴がある、もしくは入院中という人などで、コンタクトしても差し支えない方がいらっしゃいましたら ご紹介いただけませんでしょうか。

 こんなことをお願いするのは 図々しいと思うのですが、もし、可能でしたらお願いします。

 最後になりますが、今年もインフルエンザの季節。

 どうぞ、ご家族のみなさまご健康に過ごされますように お祈りいたします。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、私たちのHPをご覧になられて、大変な状態の中、メールをくださって、ありがとうございます。

 その後、息子さんのご様子はいかがですか。

 帰省先でご入院されたとのこと、予後のこと、転院先のこと、これからのあらゆることに、不安と戸惑いをお感じのこととお察しします。

 残念ながら、私達の方では、O−157で脳症になられた方は存じ上げません。

 「小さないのち」の後遺症家族の責任者が関東にお住まいです。

 責任者の方には、お名前とO−157で脳症になられ、情報を得たいと思っていらっしゃることをお伝えしています。

 良い情報が得られると良いですね。

 それでは、息子さんが快方に向かわれますことをお祈りいたします。


No.96[娘さんのご友人をインフルエンザ脳症で亡くされたお父さんから]

 私の娘・小3の友達は今日この病気で他界しました。

 同じ親として察するに余りあリ過ぎる結果となりました。

 元気な日曜の後、先週の月曜日の入院後すぐに病状が悪化し脳死状態。

 こんなに恐ろしい病気だとは知りませんでした。

 クラスで一番活発で、男の子以上にすばしっこくて根性や意地のある愉快な子でした。

 もう、これ以上は書けません。

 すいません。

 [返事]

 はじめまして。

 このたびは、メールをくださったこと、ありがたく思います。

 娘さんのご友人がインフルエンザ脳症でお亡くなりになられたとのこと、メールの内容から親しくされていたように拝察し、突然のことに計り知れない衝撃を受けられたのではとお察しします。

 私たちは「インフルエンザ・脳症の会 小さないのち」という団体に入会していますが、会員の約半数はお子さんを亡くされた親御さんです。

 そして、会の「つどい」などの場でお子さんを亡くされた親御さんのお話を伺うたびに、胸がしめつけられる思いがいたしております。

 ご友人の親御さんに、もしよろしければ、「小さないのち」の会について、そして、少し立場は違いますが私たちのHPについて、お伝えいただければと思います。

 また、お願いなのですが、メールの内容を私たちのHPの「みなさんからの反響」のページに掲載させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

 今冬も、インフルエンザ脳症でお亡くなりになられた方がいらっしゃることを、お知らせし、この恐ろしい病気に注意するよう促すことができると思います。

 お返事いただけるとありがたいです。

 ぜひ、よろしくお願いいたします。

 それでは、娘さんはじめ、ご家族の皆様も、体調崩されませんよう、くれぐれもお気をつけください。

 [同じ方から]

 先日は突然のメール、失礼しました。

 私たちの小学校は全校で70名程。

 十名に満たない学年も有ります。

 私たちが子供の頃は倍以上いたのですが。

 昨日は小雪の舞う中の葬儀でした。

 いまだに悪夢としか考えられません。

 夢なら覚めてくれと何度も思っています。

 葬儀にご両親の涙は有りませんでした。

 そのことがよけいに、それまでに涙も枯れるほど流された心痛、先立つ子を見送るつらさを同じ親として耐えるしか無いのかとの思いを感じます。

 インフルエンザも脳症もその関連は解明されていないとか、その予知や対処法も確立されていないとか、そんなことを知る以前にカゼとインフルエンザとが異なるものとさえ知りませんでした。

 私の娘は喘息で病院通い。

 あの子は本当に有り余るほどの元気を振りまいていました。

 親子してスポーツ一家なので全く晴天の霹靂。

 妻と参列して寒い中、これ程あふれる涙の頬を伝わる温かさを感じたことはありませんでした。

 お役に立てるならどうぞお使い下さい。

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