これは、関東平野のチョッとディープなカフェ・ブロッサムの「繁昌記」2015年の1月の巻。
「暖炉料理」にこだわり、「飲食道」という迷路をたどり、店の環境向上と質の向上につとめる関東老生の日々を綴るものです。
題して「カフェブロッサム繁昌記」。

最近読んだ気になる文章
「未来はすでに訪れている。ただし、あらゆる場所に等しく訪れるわけではない」リンダ・グラットン著 「ワークシフト」より


改訂版カフェブロッサムの繁昌記の目次

2015年1月31日(土)晴、寒風吹く
一人が「この頃どうです?」と訊ねる。もう一人が「いけませんなぁ〜、どうもいけません!」「そうおっしゃらずにここは踏ん張っていただいて・・・」「さいですなぁ〜、そこが、どうもいけません・・・」老妻の遺灰の前で老生のなかに居る二人の会話である。老妻と世間話もする。最近は、ピケティ氏の「二十一世紀の資本」が経済界、アカデミズムの世界でも話題だ。その内に読んでみると報告する。店は各方面寄り三々五々人来。暖炉の前で歓談暫し。
2015年1月30日(金)小雪
耳鼻咽喉科訪。先生は鼓膜の回復は順調であると言われる。化膿止めの薬は飲みきるとして、来週都合のよいときに再訪せよとの事であった。生前、ある時、老妻と一緒に茶の間で小津安二郎監督の「秋刀魚の味」を観ていた時、ヨーコさんはその映画にでていた菅原通済を指して「この人は子供の頃、伯父さんの家で何回か見た事がある」と言った事があった。その時の驚きや続いて色々な思い出を聞いた事を思い出した次第。午後は、飛駒に出掛け掃除をする。暖炉を燃やして雪の降る様子に見入る。ソファーに寝転んで本を読んでいたら、日暮れ前には雨になってしまった。
2015年1月29日(木)晴、寒
午前中、耳鼻咽喉科訪。一週間薬を飲み続けていたが、「耳の聞こえにくさは改善されない」と女の先生に述べると、それでは、両方の鼓膜を切開して水を抜きましょうということになり、一昨年の今頃もやったような処置をしてもらい、耳が良く聞こえるようになった。午後、飛駒にて、営業の準備清掃をする。暖炉に火を入れ、薪を頻りにくべると室内が大変温かい。用事はおしまいになったが、せっかく温まったのだから暫くゆっくりしようと、ソファに寝転んで、久しぶりに読書。なんかしらん、ここにいるとヨーコさんが何処かで看ているような心持になり、胸のつかえも消え去るが如しとなる。夕暮、帰宅。粗食飯。
2015年1月28日(水)晴、寒
昨日より一変して冬に戻る。友人より連絡有、昼会食。午後、飛駒に出掛け営業の準備をする。帰宅後、位牌対座。夜、粗食飯。
2015年1月27日(火)晴
風無く暖。春の如く上天気になった。久しぶりに織姫山散歩。神社境内より関東平野望。日だまりのベンチに身を置き暫し休憩。昼、粗食飯。位牌と対座し談。老妻がいなくなってしまったら、この頃は、お伽噺に出てくるように、触るもモノが全て石になってしまうように、毎日が味気なく過ぎていくのは不思議である。
2015年1月26日(月)晴
晴れて風無し。茶の間の掃除。昼前、墓参。丘より市中を望する。昼、粗食飯。午後再び墓参。帰宅後一休みして、市中のクリーニング屋さんにセーターを頼みに持ってゆく。歩する事4キロ余り。昼間は動いて、気持ちを紛らわせられるが、暗くなると、言いようのない寂寥感が纏いつきたまらない。陰々と唯身を置くばかり也。
2015年1月25日(日)晴
朝より風無く陽射し有。常連さん三々五々来。午後に至り愛犬家も来。今日も献花有。有難きかな。愛妻の気がかりはこの店の行く末のみ。始終、清潔を心がけ、美味しい料理を拵えることに専念すれば自ずと人は来てくれるものだと言う也。
2015年1月24日(土)晴
昨日来の風止み陽射しあり。花をお客様より戴く。有難きかな。暖炉の前で寛ぐ人もあり。他、特に記す事無。
2015年1月23日(金)晴、寒風有
朝、山梨の「ルーブル」より恵まれし食パンと紅茶、ジャム飯。午前中、胸に隠然と存するものを暫し忘れようと、茶の間の掃除を始める。昼、パエリャを拵える。午後より銀行、市役所の用件を片付けるため歩すること概ね5キロ。夜、タラの芽の天麩羅を拵える。三度の食事を覚えるはまずもって必然也・・・。
2015年1月22日(木)雨
昼前耳鼻咽喉科まで歩。耳の状態が改善されないと説明すると、薬を服用して、その結果を来週再訪予定となる。帰路、スーパーで牛乳、卵を買う。昼、粗食飯。老妻の写真と対座、暫く談。所要の為市役所まで歩。帰宅後、炬燵の入り録画せし映画を観るが、興味消失にて中止。夜、粗食飯。かくの如くして一日は終わる也。寂寥感頻り也。
2015年1月21日(水)曇
朝寝をする。パンと紅茶。昼、メヒカリがあったので、唐揚げを拵えて戴く。台所で作業をしながら、ヨーコさんが二年前の秋に入院した折、メヒカリの南蛮漬けを拵えて、病室に持ち寄って食べさせた事を思い出した。台所には何がどこにあるか不明で、電話を片手に作業をしたのだ。午後、ヨーコさんの遺灰の前に坐して暫く談。市役所に所要の為歩。帰宅後、再び前に坐し談。夕暮、ラジコでTBSを聴きながらスーパーまで歩。こういうライフスタイルは永井荷風の「断腸亭日乗」を思い出すばかりだ・・・。晩餐は孫の家に出掛け飯。
2015年1月20日(火)晴
午前中銀行関係の事を相談するため渡良瀬川河南まで歩。赤城、秩父は見えず。橋上寒風有。暮らし向きのことは老妻に全てお任せしていたので、家の何処に何があるかさっぱり分からない。息子に質問されても上手く返答が出来ない。第一、印鑑が不明だ。先方で説明を受けまず書類を用意することにした。帰路も歩きとおした。これから頼れるはこの細い二本の足であると思い至り、心細さが増すばかりだ。思えば、今より50年ほど前、右足を骨折、二年前には左足の踵を骨折している。この頃は、緊張している為か、体ばかりはよく動くようになった。帰宅後、紅茶を入れ、ヨーコさんの友人のパン屋さんが山梨から恵まれしパンをジャムで飯。午後、家の掃除。読書。夕暮買い出しに出掛け、以前、お客さんに戴いたサフランを使い、パエリャを拵える。食卓に愛妻の写真を置きワインで晩餐。我ながらよく出来た。完食。サフランの香りが豊かで美味しかった!
2015年1月19日(月)晴
あの事があって十日近くなるが、惜別の情拭いがたく、夜になり食欲無し。、静寂・・・時を刻む時計の音ぞのみ室内に満ちる。他、特に記す事無。
2015年1月18日(日)晴、寒風
昨日同様風有。愛犬家、三々五々来。終日暖炉の火を絶やさず。帰宅後、遺灰に対座、懇懇と日々の出来事を談。人生、相見時難、別亦難 春蚕到死絲方盡・・・蓬山此去無多路。
2015年1月17日(土)晴、寒風
ニュージャージーに3年住んでいたという人有。暫し談笑。ターシャの事などにも及ぶ。他特に記す事無。
2015年1月16日(金)晴、暖
葬儀の日である。冷雨消え暖。各方面寄り弔問有。有難きかな。息子、嫁達が微に入り細に入り応対。今日は無我夢中で過ぎてしまった。明日は店に出てもとの生活リズムを取り戻さなければならない・・・。
2015年1月15日(木)雨
珍しく雨天になった。今夕通夜。寒雨頻り也。息子の横で椅子に座り、老妻の事に思いを巡らせる。25年前初めて家内が癌で手術をうけたのは、丁度今日の様なお天気の日であった。あの時居た愛犬は既に無く、この代わりに孫有。年年歳歳人同じからづ・・・・。
2015年1月14日(水)曇、寒
愛妻ヨーコさんが逝ってしまってから3日過ぎる。それが始まったのは、10日の事でった。何時ものように、夜が来て帰ろうとしたら、「カッチャン今日は行かないで、ズットいてよねぇ」というので、「サイですか、それではしばらくご一緒しましょう」と、老妻の傍らに椅子を置いて、手をさすり、足をさすり夜あか、やが。朝がきて手が冷たくなり逝ってしまった。壁の時計は9時半を指していた。こう書いていても、悲しみの波が襲い、胸は陰々たるモノが膨れるばかり也。やんぬるかな!
2015年1月10日(土)晴
三々五々人有。午後になり、2時半をまわって一段落。そうなると、病妻の事が気になって仕方がない。後は、息子に頼んで、病室に駆けつける。老妻はベッドに座って頭を下げてぼんやりしている。老輩の顔を見ると、「カッチャン!今日は行かないで、ズットいてよねぇ」我儘をきいてと小さな声で訴えるのである。しかし、今夜は孫の成人式の祝いもある、家族の様子はうねる如く動いている。だが、老妻の弱音はめったにない。「大丈夫、ずっと此処にいるから安心なさい」と励ますのである。夜になってみると、老妻も落ち着いてきて「また、病室に戻ってくればよい」と言いだし始め東京に行っているいる孫の顔をみに出掛ける。暫し、家族団欒の後、消灯時間の過ぎた病室に戻ると、寝ていたと思っていた老妻は起きて帰りを待っていたのだ。孫の健やかなるを報告。暫くは肉のそげてしまった背中をさすり終夜付き添う。
2015年1月9日(金)晴、寒風有
朝より寒風有。今日は病室を息子夫婦に任せ、営業準備に用足しに出掛ける。明日よりの営業準備。他、特に記す事無。ヨーコさんの意識少し混濁の報息子より有。
2015年1月8日(木)晴、寒風有
朝より寒風。病室訪。今日はよーこさんが初めてお粥を半分食べた!「食べて、体力を付けなくちゃ・・。」と言う也。午後襟巻、ロシア帽、マスク、外套を羽織り10キロ歩いた。昨夜よりパリで起きた新聞社銃乱射事件の続報が続く。予約の電話有。有難きかな。老輩の体重56.1キロ
2015年1月7日(水)晴、寒風有
今日は寒風有。老妻の衰微変わらず。病室にて読書。午後、防寒仕様に身を固め散歩に出る。念のために、毛皮のロシア帽を被って出掛けたが、寒風のため頭を守るには最適の選択であった。概ね8キロ歩く。今日より連休の予約も入ってきた。有難きかな。
2015年1月6日(火)曇
今日も少し歩いた。ラジオより聞こえる話に耳を傾けると、今次大戦より70年の節目の年で、中国や朝鮮半島、記念行事が目白押しだと云う。しかして、ヨーロッパでも5月にはそういう事が行われるに違いない。先月、書店で「ヒトラーランド」を買って読み始めているが、そう思ってみると、出版業界も関連書籍の出版が続出するに違いない。節目といえば、今より40年前は、中国や朝鮮半島によく出掛けて行った。その頃の中国は特に印象的であった。なにしろ、大都会にも車というものはほとんど見かけない。たまあに走っているのは、トラックのたぐいだ。朝の出勤風景も凄い。地面から人が湧き出してくるように、独特の緑色をした人民服姿の人々が自転車に乗って幅の広い道路をびっしりと占領している。壁新聞があり、紅衛兵姿の中学生くらいの子供たちが、赤い小さな毛沢東語録を手に持って、首には赤い布切れを巻いた姿で、集団で「ピーリン・ピーコー」とストーガンを叫びながら行列を作り街をねりあるく姿は街の至る所で見かけるのである。バスには人があふれんばかりに乗っている。その光景は活力というには余りにも理不尽な、ちょっとうまく表現できないものが胸に残ったような気がした。今日は午前中、老輩の眼底出血の検査。出血は続いている。直ぐに危機的状況になるのではないが、継続観察を要すると先生はおっしゃる。2月中再訪予定。午後、病室訪。ヨーコさんはこの世に名残はあれど治療にはほどほど疲れたと愚痴を言う。体がつらいと言う。背中をさすり、手足をさする慰めること頻り也。血小板輸血。老輩の体重55.5キロ也。
2015年1月5日(月)晴
朝より病室訪。老妻の様態変わらず。足の訓練の為太田市中に出掛ける。今日は陽射しにさそわれて10キロほど歩いてしまった。しかし、このぐらいの事をやらないと、体力がつかない。暮れから正月にかけて、無我夢中で過ぎてしまったが、街は動き始めた様だ。病室では老妻が明日は輸血ですと言う也。
2015年1月4日(日)曇後晴
9時起床。11時を過ぎて、息子が作りし「アスパラサンド」を持ち、病室に向かう。老妻は一切れ飯。老輩は腹を満たすために翡翠軒に歩。空気は冷たいが、風もなく、しっかりとした陽射しがお散歩日和だ。往復8キロ歩いた。3時に病室に戻る。家内は寝ている事が多くなり、夕飯はたべず。入院から5日ばかり・・・、その変化に困惑するばかり也。7時半まで病室に留まる。帰路、ピノキオにて飯。
2015年1月3日(土)晴、風有寒
今朝は7時50分起床。寒風有。パンを焼いて飯。とうとう独りになってしまったというような孤独感有。今日も病院途中の大パノラマを望。老妻に太田市内の上等な仕出し弁当を買い、病室に持ち込む。刺身を美味しいと食べる。一段落後、老輩も腹を満たすために、太田市中に歩し、翡翠軒にて飯。病室に戻る途中、書店に立ち寄り書棚で「ヒトラーランド ナチの台頭を目撃した人々」という世界7カ国刊行のベストセラーという帯がついているモノを買う。病室ではヨーコさんは咳、痰が出る。「助けてくれぃ!」と言い始める。夕暮、孫の家で飯。
2015年1月2日(金)曇
日本海側は雪。病院に向かい渡良瀬河南に車で走ると、秩父山系からぐるっと180度に男体山まで大パノラマが視界に入り、その光景がまた個性的であって、関東平野に依拠する面白さを味わう。老妻は、家で磯辺焼きにした餅を飯。終日病院。晩夕帰路につき、孫の家で飯。老輩の体重55キロ。
2015年1月元旦(木)晴
晴。昨夜来深更まで読書で朝寝坊をする。久しぶりに小説を読む。舞台はスエーデンの寒村。推理小説だ。朝より病室訪。終日老妻と取りとめなきことを談じて過ごす。室温27度。極めて暖。

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