2013年5月の繁昌記


改訂版カフェブロッサムの繁昌記の目次

2013年5月31日(金)晴
終日晴れ、ホトトギスがしきりに鳴いて、爽やかな日和となる。刈り払い機を持って、久しぶりに草刈をする。足は動くが疲れやすくなる。
時々休息をしながら、駐車場を仕上げる。今日は梅雨前線が南に下がり、大陸から乾いた空気が入ってきた。
2013年5月30日(木)終日雨
お天気はすっかり梅雨模様となった。準備の為ヒコマに出掛ける。足底装具を付けて室内を歩いてみる。ギブスを外した足が支えられて
いるようで、歩きやすい。雨が小降りとなり、暫し草取りをする。ホトトギスが鳴く。夜、粗食飯。
2013年5月29日(水)梅雨
お天気は梅雨模様となる。午後、整形科にて足の土踏ますを支持するサポーターをつけてもらう。これをつけて歩みだすと、歩くことが出来る。
これから少しづつ歩く練習をすることになる。足はむくむこともあるという。あせらずに訓練すべし。予約も入り始める。
夜、久しぶりに愛妻と「ゆり」にてチキンカツとグラタン飯。先客も同世代と思われる二人連れ。市内の食べ物屋さんでよく見かける。
「ゆり」の大将、奥さんも同世代だ。美味しい料理を堪能した後、ひとしきり、70代に突入する、日常生活のふがいなさを嘆きあう。
しかし、最後にはお互いに「やることがあってよかったと!」いうところで落ち着くのである。帰宅後、TVをつけると、三浦雄一郎氏の
帰国挨拶があり、「年寄りの半日仕事」いうことを弁じていた。普通一日でやれたことは、二日でやると心得ておけば、老人生活に
通用するというのだ。この精神忘れるべからす。
2013年5月28日(火)曇、涼
朝、焼き立てパンを得る。午前中よりヒコマで草取り。昼食は、ライフの甥と待ち合わせて、栃木の成都酒家に飯。ヒコマにもどり再び草取り
夕に至る。ホトトギスの鳴き声頻りなり。他、特に記す事無。
2013年5月27日(月)薄曇、涼
朝、孫をアウトレットモールのバスターミナルに送り届け、途中、昼の為に俵寿司にて稲荷寿司を得て、草取りの為に、ヒコマに向かう。
今日のお天気は曇り。極めて涼しい。草取りは大分はかどった。しかし、午後の中盤にかかるころになり、いささか、疲労を覚えて
草地に横臥、休息をとる。気が付くと、雉、ホトトギスの鳴き声が庭内に響き渡る。名も知れない、野鳥のさえずりもとどく。
午後の光線をえうけて白く輝いている野バラが原の向こうに見える。まったくのどかである。このごろは、自分の人生は草取りの為に
残されているような気もする・・・・。夕、帰宅後、風呂に入り粗食飯。自動車を運転して好きなところに行けるのは素晴らしい事だ!
2013年5月26日(日)晴、涼
やっと、ギブスを外して店の中を歩き回れるようになった。しかし、足は痛み、むくむのです。今日は、脚がむくんだ。足首もふくれた。
しかし、回復に向かっていることは、確かでそれが、心強い。今日も渡良瀬川橋上にて落日に逢う。
2013年5月25日(土)曇
お天気は曇りがちとなった。「リラク」の取材有。ローストビーフを焼くところを写真に撮って貰う。11時を回りまもなくして、次々と来店有。
孫達は草刈、草取りに励むなり。他、特に記す事無。
2013年5月24日(金)晴、乾
お天気は上々となる。昨日に続き、野外作業の草取り。明日は孫も草刈に来るという。午後、3時、外気温29度。しかし、木陰のベンチに
横臥して読書をしていると、非常に涼しい。半袖では寒いくらいである。4時半28度。カルフォルニアの夏のような陽気となる。
2013年5月23日(木)晴、乾
朝、ラジオで、成田航空が開港35年を迎えたと云う話があった。その時、僕は35歳であった。中国、韓国貿易をやっていた。
だから、国際線に乗るために、浜松町あたりから、モノレールに乗り羽田から毎月出掛けていました。成田の開港初日であったか
、物々しい警戒の間を通って、エアラインカウンターにたどり着いたときは、ホッとした思い出がある。何しろ検問所が3〜4箇所も受けてあり
50人くらいのおまわりさん達が疑わしい目で見ているから、何も悪いことをしているわけではないが、胸がドキドキしたものだ。
同じような気持ちは、香港経由で、深川を通り広州まで入る時も、国境で両側に20人ほどの人民解放軍の兵士達が両側に捧げ筒の姿勢で
整列している間を、手荷物とトランクを持って、とぼとぼと先の検問所まで歩いてゆく時の気分も同様であった。
時には、滞在が10日位になり、何の娯楽もない時代であるから、ハードカバーの本を5〜6冊入れてあるから重かった。その当時
中国はまだ、華国鋒書記長の時代で、毛沢東の影響も色濃く残っていた。あの頃は、今日の中国の姿は想像できませんでした。
ホテルで一緒にくつろぐ、中国を詳しく知る諸先輩も「この国はいつかきっと途中で分裂するから、発展は困難である」との見解が
大勢を占めていた。と、当時の事を思い出した。
昼、粗食飯。TVでは三浦雄一郎老生が「エベレスト登頂」との報有。毎日、トレーニングの為に25キロの負荷を得て生活していた様だ。
素晴らしい!僕も物理的な質量を有する負荷ではないが、人生の重荷を背負って坂道を登るがごとくの日々を過ごしている。
ところで、愛妻はこの40日余の間に、両腕の筋肉が発達して腕が太くなったと言う。毎日、買い物の為に、僕を車椅子に乗せて
押していた為だと言うなり。今日は、高枝きりノコギリを買ってきて、虫のついた枝をばんばん切落としている。筋肉が付いたお陰で
ノコギリを自由自在に扱えるのが楽しいと弁ずるので有る。恐るべき!
午後、ヒコマに出掛け、草取りをする。
夜、株価暴落をしる。長期金利の上昇を嫌うタメナリ。
2013年5月22日(水)晴、暖
午前中は録画せし映画を観る。昼、粗食飯。午後、厚生病院整形科訪。先生は経過は順調であるとおっしゃる。先生と一緒に記念写真
を撮る。自動車運転はオートマはよろしいだろうが、マニアル車は、あと一ヶ月ほどは無理であるとのこと。
思い起こせば、4月14日より四拾余日、艱難辛苦の日々であった。愛妻は「連休中の苦労は筆舌に尽くしがたし」と弁ずる。
思わず、落涙・・・・。帰宅後午睡。夕、外出。渡良瀬川橋上落日を望。あと一歩で、日常生活にもどれるとは慶事なり。
夜、ピノキオにてピザ飯。帰宅後、自分で歩いて風呂に入れた。喜ぶべし!
2013年5月21日(火)晴
お天気は良くなった。午前中より二人でヒコマに出掛ける。漸く、ギブスを地面に付けて立てるようになったが、草刈は不可能。
思案の末、東京に行った孫に土日帰郷してもらい、草刈を頼むことに決めた。孫は単身生活でホームシックの由なり。
その為、仕事がしやすいように、植木周りの草取りをする。野鳥のさえずりはけたたましい。寒くなくかといって、暑くなく
誠に好い時候だ。昼、粗食飯。午後、作業続行、夕に至り、にわか雨あり。帰宅。友来。暫く、お茶を飲みながら話をする。
お腹が空いてきた。友をさそい三人で「う」食。
夜、トルネードの被害頻りに報ずるなり。恐るるべし・・・・・。
2013年5月20日(月)曇後雨、涼
午前中は休息。「西部戦線異状なし」を読んでいる。第一次世界大戦の戦場の描写が沢山出てくるが、ときに、食べ物にまつわる
描写もある。たとえば「小屋の真ん中には、とび色の蒸し焼き肉が光っている。懐中用ののナイフを取り出し、両方の腿を一本ずつ切り取った。それに軍用パンをソースに浸して食った。」これは、二人の兵士が真夜中に、掘っ立て小屋で分捕った家鴨をつぶして、「一人が焼けてゆく
肉に脂を塗ると、そのあいだもう一人は寝ることにした。」というふうな場面もある。昔、中国貿易で香港に出掛けると、店先に焼いた
家鴨のぶつ切りが陳列してあり、注文すると、皿にその骨付きのぶつ切り肉と香味野菜を盛り付けて、少し甘めの薄いあっさりした
たれをかけた料理を食べたことを思い出した。家鴨は肉そのものは鶏肉と比べて美味しいとは思わないが、脂のついたその腿は
非常に美味しい。この骨折が改善され自由に出歩けるようになったら、どこか、適当な店を探して食べてみよと思うのです。
自分では、何故、今頃になって、こんな、戦場小説を読もうと思ったのかはよくわからないが、レマルクの描写のみずみずしさは魅力だ。
思うに、今の自分の奮闘振りを、ある種の戦場にいる如くに見立てたところに、この小説が目に入ったので、読み始めたゆえんであろう。
余輩ももう6ヶ月を過ぎると70歳だ。心境的には「何処まで続くぬかるみぞ」であるが、すでに、後戻りは出来ないところまできて
しまったのであるから、前へ進める他に、路はないのである。しかたなし・・・・。
2013年5月19日(日)晴後曇後雨
お天気は心配していたが、穏やかな陽射しを得て、各方面より来店有。テラス、樹林の中で憩う人々有。余輩も厨房にて気持ちは
大活躍したつもりであったが、実情は不明なり。夕、雨が降り始める。他、特に記す事無。
2013年5月18日(土)晴、涼
昨日に引き続き、爽やかなお天気となる。雉、頻りに啼く。このところ、草刈は出来ていないから、前庭にハルジオンが一面に咲き誇っている。それを見て、ふと、東欧旅行の際、遭遇した風景を思い出した。どこであったか、街を外れたところまで、車を走らせると、畑とも、
野原とも言いがたい様な所に一面にカモミールが咲いていた風情ある光景だ。三々五々人来。オリーブオイルも売れる。あり難きかな!
2013年5月17日(金)晴、涼
朝より爽やかなお天気となる。昼前にヒコマ到着。運動の為に、草取りをする。幅が5センチ程で先のとがった板金を地面に差し込んで
グイッと持ち上げると、たいがいの雑草は根から持ち上げられ、つまみやすくなる。膝にダンボールの板を敷いて、いざりながら
草取りをするから時間がかかる。しかし、余輩の目の前には時間は沢山ある。昼、冷やし中華飯。午後、作業続行。カラスが変な声で
啼いている。野鳥のさえずりがとどく。雉の鳴き声がきこえる。長閑である。夕、庭のベンチに横臥し残照を浴びながら読書。
日が長い季節になった。晩餐を「強記飯荘」にて飯す。帰路、渡良瀬川橋上でみる落日は、ことのほかみごとである。
我が人生もかくありたし・・・。
2013年5月16日(木)曇後雨
午前中より準備の為、二人でヒコマに出掛ける。しばし、草取りをする。昼を過ぎ、まもなくにわか雨有。ソファに横臥して
「西部戦線異状なし」を読み始める。夕、帰宅。夜、友達が迎えに来て、久しぶりに、釜飯屋さんにて賑やかに晩餐をなす。
お互いに病院通いがあるので、来週も忙しく、急遽、今日になった由。今夜は、雨降りで涼しいから、熱燗を戴く。焼き鳥が美味しい。
しばし、互いの病院通いを話題にして酒も食もすすむなり。この店は、先日、隣の廃業になった映画館をTVドラマで使うので、タケシさんも
休憩所を兼ねて使用したという話だ。注文したホタテの釜飯も来た。完食。再び来るまで送ってもらう。有り難きかな・・・・。
2013年5月15日(水)晴、涼
朝、厚生病院訪。昼、アウトレットモール訪。ヨーコさんはECCOの店にてサンダルを得る。今はいているものは、非常にくたびれてきた由
なり。僕も今回脚立から落ちたときは、ECCOのブーツを履いていた。靴底が厚くて丈夫なブーツ。今考えてみると、靴紐もしっかり
締めてあったので、この程度の怪我で済んだのかもしれない。昼頃よりお天気は初夏のさわやかな空気となり、車椅子を
押してもらい、モールを色々みて回ると程よい気分転換になるなり。落日有。
2013年5月14日(火)晴、暖
ギブス生活も4週間を経過する。足はまだむくみがあり腫れがひかない。しかし、家にいるときはギブスを外せるから、お風呂にも自由に
入れる。寝たきり老人になってしまうことを心配して、老妻は日常の買い物に連れ出される。モールに出掛けると、車椅子が置いてあるので
それに、乗せられ、家内が押してゆく。昨今、ことのほか日が伸びた。世が世であれば、今頃は、気晴らしに隅田川周辺を散策している
頃であろうが、今は、辛抱するほか無い・・・・。やんぬるかな!!
2013年5月13日(月)曇
終日休息。エッセイを勘案。TVニュースでは憲法改正問題が頻りに報じられている。先日、安倍首相が「英霊」という言葉を
頻りに連呼している画面を観て何とはなしに、ある種の違和感が胸の中に生じた。余輩は旧弊な人間だからそう考えるのかも
知れないが、一般的に憲法は人民を強権から保護するもので、近代国家が成立する際、暴力がともない、その国の憲法が成立する
というプロセスを辿るのであると思う。わが国も例外ではなく、大局的にみると、畏くも「英霊」がその命をとして獲得したものが
現在の憲法であると思うのだ。そして、首相の発言を聴いたとき、果たして「英霊達」はこの事をどう思うのか気になるところだ。
2013年5月12日(日)晴、涼気有
雨は上がり終日日差し有。雉の鳴き声が頻りに届く、長閑な日和となる。人、三々五々來。午後に至り日差し、初秋の如く輝きを増し
涼風有。夜、孫のところで晩餐。ネクサスのタブレットを孫に見せてもらう。
2013年5月11日(土)曇後雨
朝、ローストビーフを焼く。人、三々五々來。孫はバイト代でGoogleのタブレットを得たと言う。他、特に記す事無。
2013年5月10日(金)晴後曇、暖
午前中より二人でヒコマに出掛け、明日よりの営業の準備をする。外為1ドル100円を越えた!円安が何処まで進むのか、非常に興味
がある。WSJでオランダの経済不振の報有。午後に至り、気温上昇する。このところ、ギブスを外してくつろげる一時を得る。
ギブスを再びはめるとき、むくみを取るために「つやぶき」の葉を巻き込んで包帯をする。極めて有効なり。
2013年5月9日(木)晴、暖
骨折の回復は順調である。そうなってくると、庭の様子が気になってくる。松葉杖を頼りに、一回り庭を巡り点検。
ターシャ・チューダーの庭から来た「タチアオイ」も漸く姿を見せてきた。昼、仔牛のカツレットをこしらえて貰う。出来立てのカツレットに
レモンを絞るだけであるが、あっさりとした中に地味深い味で誠に美味しい。なによりも、柔らかく、食べやすい。気温も通年の如くである。
明るいうちに帰宅。足利午後6時の外気温は22度なり。
2013年5月8日(水)快晴
朝寒。今日は病院に出掛ける日だ。まず、整形科にてギブスを解体してもらってから、レントゲンを撮る。再び整形。先生はにこやかに
おっしゃった「問題ない!順調な回復です」「今日から家ではギブスを外せます」何と言う開放感であろうか!先生の後ろから後光がさして
いる様な気分になった。昼、久しぶりに、インターパークへ連れて行ってもらう。「フクダヤ」の二階にある書店訪。
読みたい本も色々あるが、手持ちの本も読まねばなるまい。悩ましいところだ。3年前に日本橋の丸善で買った
「The Secret History of MI6 1906-1949」が「MI6秘録 イギリス秘密情報部1906−1949」というタイトルで筑摩書房からの
翻訳本が出ていた。帰宅後、早速、風呂をわかして貰い、ギブスを外し風呂で丹念に足を洗う。気分は最高!
漸く、普通の生活観を取り戻せた。病院と親切な先生に感謝多!
2013年5月7日(火)晴、寒
朝より風有。終日休息。4年6ヶ月振りに株価が14000円台を回復したと報有。株価の下落はサブプライムローンが
誘発した「リーマンショック」が原因であった。その時、余輩は庭にある背の高い松のテッペンに登り落下、背骨の骨折で入院していた。
ベット上安静だ!TV報道では「今日も株価下落」「今日もまた株価の下落が続く」と毎日株価下落の報道が続いていた。退院した頃は
ヨーロッパが不況に陥る報道も伝わり、為替マーケットは円高にシフトされ今日に至った。余輩は今、ギブス生活をしている。
先月中旬、背の高い脚立から落下してかかとを骨折したためだ。2008年10月10日の落下事故と2013年4月14日の落下事故
の間、円為替のグレートストーリの始まりと終焉が重なり、不思議な因縁を感じる次第である。
北海道では積雪の報有。最近の異常な寒さは偏西風が日本列島付近で大きく南に蛇行している為だと云うなり。
備忘の為に記す。
2013年5月6日(月)晴後曇
孫来。早速草刈を始める。大分要領もわかってきたようだ。ローストビーフが焼き上がりまもなくして、来店有。そのまま、夕方まで
続くなり。ふと気が付き、孫はどうしているかと案じて、外に出てみると、死んだように寝ている。7時から草刈をして、昼食も出ないので
疲れ果てたようだ。手の空いた隙に、ステーキの端切れとポテト、パンを差し入れ供する。余輩も中途半端な境遇なので、
厨房をぬけだし、孫を慰労するなり。孫曰く「オレァ・・・はじめ信じられなかった・・・だってサァ・・看板もないし、何にもしていなくて
よくこんなに人が集まると思ってサァ・・」と感想を弁ずる。「バーニャカウダーもサァ・・・アンチョビのすり身を胡桃のオリルでといたものです
なんてせつめいするのってサァ・・・超カッコイイ」「だけど今俺、こんなうまいもん食べるとサァ・・来る人も気持ちもなんとなくわかるんだよねぇ」
と頻りに弁するのである。食べ終わると、スタスタと草刈に再び出掛けるなり。
夕、6時半の外気温20度、連休最終日もかくの如くして終了。
2013年5月5日(日)晴
絵に描いたように、「五月晴れ」なり。11時前より来訪有。午後の半ばまで途切れず。孫達、大いに活躍。余輩の右足君も然り。この3週間
ひたすら奮闘している。愚痴もいわず、もくもくと・・・・。大いに感謝するところです。望むらくは、あと3週間このまま努力してもらいたい。
切望するのみ。しかるべき頃になれば、大いに慰安してあげたい。お手伝いいただく近所のお嬢さん達にも感謝多。
無事に、連休後半第三日目終了。19時半の外気温は15度。
2013年5月4日(土)晴
昨日同様涼。昼前、頻りに鳥語有。今日も孫が手伝う。伐採した材木の片付けもしれもらう。一年放置していたものなり。孫は、この力仕事
には特別手当が欲しいと弁ずる。値を尋ねるに、150円余計に欲しいというので、500円奮発する。夕方には、チエンソーで薪も作って
くれた。先客万来。昼より、キャスター付きの椅子に座り、ひたすらローストビーフを切、ステーキを焼きフォンヂュを作る。
夕、雷鳴有。
2013年5月3日(金)晴、涼
開店まもなくして、来客有。午後までときれず・・・・。孫が二人草刈をする。チーズフォンヂュも好評であった。他、特に記す事無。
連休後半の第一日目が無事終了。
2013年5月2日(木)晴、寒
朝より風有。午前中よりヒコマにて連休の準備。夕方、ハーベルストプレイスに刈り払い機のグリースを得るために立ち寄る。
空は、真冬の如く晴れ渡り、足利の山なみのはるか向こうに根本山を望すことが出来た。
夜、例のごとく強記飯荘てに衣笠を飯。、
2013年5月1日(水)曇時々晴
5月になったが極めて涼。北海道では雪が降ったと報有。昼前より二人でヒコマに出掛け、連休後半の準備をする。
夜、東京に出た孫が帰郷したので久しぶりに晩餐。


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