HOME


聖書真理ノート 2
非伝統的な聖書解釈
自己紹介

1940 福岡市に生まる

1962 九大工学部卒、佐世保重工業(株)入社

1966 再生とバプテスマ

1968 同社退職、日本基督神学校入学

1972 同校卒

1974-1999 地方教会

2000-2005 聖書真理ノート

2017.1-  聖書真理ノート2

ウィットネス・リー兄弟は偉大な聖書教師でありまた偉大な召会(教会)の指導者であった。しかし、残念ながら彼の教えには誤りが含まれる。その誤りが訂正されるならば諸教会にとって有益であろう。(2017.5)
----------------------------

「非伝統的な聖書解釈」と副題を追加('18.08)したが、これは聖書真理ノート(1)においては当初から付していたものである。最近になって、聖書真理ノート2でもやはり付けておいた方が良いかも、と考えた結果追加したものである。「非伝統的」としたのは「客観的な私たち」の故である。というのは、二三の人たちと文通(メール交換)した結果この概念がなかなか分かって貰えないこともあっての追加である。サブタイトルを付けたからと言って人々の理解が深まる訳ではないのだがwww
「客観的な私たち」とはこれである。キリストの受肉の際に彼の肉体の中に万物が取り込まれたのであったが(創7:7-9、13-15、出エ26:35、コロ1:20)、そのうちの私たち選びの民のことである。兎に角、この存在は実在である。パウロの生存中には常識的な概念であったと思われるが時間と共に薄れ、遂には忘れ去られてしまったのではないかと小生は推察している。それ故にこの概念は聖書の正しい理解と認識には極めて重要であって、以下の書き物の中でその具体的な重要性をご理解戴けたなら幸いである。(追加2018.08.26)
----------------------------

それから、これまで言わなかったが、「客観的な私たち」は神が小生に示して下さったものである。だから、それは真理である。以下、啓示と言わせて戴く。1997年頃からこの啓示が始まったが今日に至る迄、その確信が弱まるどころか、寧ろそれは強化されて来たのである。聖書の他の箇所との矛盾がないばかりか逆に整合性があるのである。神によって示され啓示された真理である所以である。小生の小論をお読み戴ければご理解戴けるであろう。

それよりも前、小生が神学校在学中のことであるが、小生30歳位の'70年頃のことである。いろいろ苦悩することがあって1年休学したことがある。佐世保の母教会に戻ってアルバイトしながら休養をしたのであった。その或る時、小生が旧約のエレミヤ書33章を読み始めた時の事であった。3節に来た時、突然、バババーンとばかりにその御言葉が小生の目に跳び込んで来たのである。小生はアッ、エッ、何だこれは、と驚くばかりで、一体何が起きたのか分からなかった。その3節にはこうあった。

「わたしに呼び求めよ、
そうすれば、わたしはあなたに答える。
そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」(エレミヤ33:3)

小生はこの御言葉に強烈な印象が与えられたのであった。生まれて初めての経験であった。しばらくして復学したのであったが、奉仕教会が杉並区の堀ノ内にあって、近くに妙法寺という大きな寺がある。日蓮宗の本山である。よってその敷地は広く、墓地も広い。日曜日毎に小生はその墓地を歩き回りながらひたすら主の名を呼んで祈っていた。今思い起こせば、「わたしに呼び求めよ」を実践していたのである。

復学した神学校には聴講生の兄弟がおられて彼にウオッチマン・ニーの「キリスト者の標準」を紹介されたのだが、読んで感動した。キリストが近く感じられるようになったのであった。小生の霊的開眼の始まりである。そして、卒業。一旦故郷の福岡に戻ったが、(故あって佐世保の母教会には戻らなかった)1974年に東京に在る教会を訪問し、この立場に立つことを決意して同年に上京して教会生活を始めた。今の妻と結婚、娘2人の家族となる。

その後、小生と家族は郷里の福岡に戻り、牧師にはならずに地方教会に所属して、福岡に在る教会の責任兄弟をやっていたのであるが、1997年頃からあの啓示が来始めたのであった。契機はリー兄弟による「キリストの死はいっさいの創造を包含する」である。(参照:1.一人の新しい人が一つ霊となった)リー兄弟の見られたこの啓示は極めて大きい。ところが、彼の場合、万物が包含されるのは事実上、キリストの十字架の場合に限られることである。私は「違うだろう?!」と思った。十字架、復活、昇天そして、その霊までも「客観的な私たち」が関わる筈ではないかと考えたのである。(ただし、ここで断っておくが、リー兄弟には「客観的な私たち」の概念は存在しない)これは間違いではなかった。神様が内側で「こうだよ」と言われる方法ではなかったが、これは神から小生への啓示に違いないのである。「あなたの知らない大きな隠されている事」の一つであろう。「事」は複数である。つまり、どえらい事柄が今後も小生に示されるということのようである。主に感謝するほかない。

不思議な事柄ついでに、こんなことがあった。これは1997年頃、あの啓示が来始めた頃のことである。その頃一人の新しい人(エペソ2:15)について、リー兄弟によると新しい人が我々の霊の中にも存在しているわけで(エペソ・ライフスタディM24)、これはどういうことだと、小生の内側では、何かもやもやしてはっきりしない為、こう祈ったことがあった。「主よ、新しい人が私たちの霊の中にもあるとは一体どういうことなのですか?教えて下さい。」すると間髪を入れずに「その霊」という答が返ってきた。瞬時に小生は納得したのであった。2:18の「一つ霊」である。

現在、地方教会の人々は小生の教説を完全に無視しておられるが、損失を被っているのは実は彼らの方である。「客観的な私たち」の教えは聖書の理解を大いに前進させているのである。その良い例が「わたしたちの古い人」(ローマ6:6)である。普通にこれは「古い自己」が十字架に掛けられたのであると言う。しかし、この理解は決定的に間違っている。古い自己が十字架に掛けられたのなら、当人が死んでいる筈である。しかし、実際には生きているではないか。ここに「客観的な私たち」が登場してこの問題を根本的に解決してしまうのである。(参照:1.一人の新しい人が一つ霊となった 2.わたしたちの古い人)

地方教会の人々は小生の論理に逆らっておられるのであるが、これが神の啓示であれば話が変わってくる。彼らは小生に逆らうのみならず、神にも逆らっているのである。ある指導的な兄弟は小生からの手紙を人に見せながら、小生のことを誹謗中傷しておられたと聞いていたが、その彼が今、脳卒中で口がきけない状態にあられるそうである。大変お気の毒な事態であるが、これは神の取り扱いではないかとも思う。(追加2018.09.07)

----------------------------

リー兄弟は使徒であったのかどうか、と言う問題であるが、地方教会の多くの人々が彼は使徒であったと認識ていると小生は考えている。小生が地方教会に所属していた頃もそのように考えている人は多かったように思う。表だって集会の中で「リー兄弟は使徒です。」と宣言するのではなく、個人の間でぼそぼそと語る程度ではあったように思う。小生もそれに影響されて一時そのように考えた時期はあった。しかし、彼がパウロのように「私は神の使徒として召されました。」と告白されたことは一度も無かった筈である。ただ、彼のメッセージの中で自分を使徒として認識して欲しいとの雰囲気を感じたことはあった。召会が荒れた時期のことである。リー兄弟は使徒ではない。

ミニストリーステーション(LSM)の兄弟たちはどうであろうか。リー兄弟は使徒であるから彼の教えは完全無欠である、との信念が彼らを支配していたのではなかろうか。これは想像だからはっきりとしたことは言えない。しかし、小生の小論 (20.質問と答え) に対する反応、即ち、彼らの無反応な様子から、ひょっとしてそのように考えている可能性が考えられるのである。小生の小論文に彼らは全く反応しなかった。彼らにとって反論不可能な、リー兄弟の教えに真っ向から対立する小生の論文に彼らは太刀打ちできなかったのである。しかも、2018年のAffirmation&Critique には論文の発表がない。1996年から2017年まで年2回発表されてきた論文集が今年はゼロである。小生が最終的な駁論を彼らにメール送付したのが今年の2月28日にスタートして3月21日に終わっている。これと春の彼らの論文発表の時期とが重なることは、小生の論文が何らかの影響を与えているのではないかと思えないこともない。彼らは相当なショックを受けているのかも知れない。
彼らが前進する為には素直に「客観的な私たち」を受け入れることである。その益は大である! 神の真理であるが故に。(追加2018.10.16)

----------------------------

Affirmation&Critique には「ご招待」(An Invitation)と言う欄があって、LSMの兄弟たちが発表した論文への読者の意見募集をおこなっている。小生もこれに参加してみようと思って、9月の末に「1.一人の新しい人が一つ霊となった」のPDFとDocファイルを送って次期の論文掲載を依頼してみた。今のところ何の返事もない。ついでに、2018年版が出版されていないのはなぜかと尋ねたが、モチ、返事はない。来年春に小生の論文が掲載されるか否か期待しないで待ってみることにしようと思う。(追加2018.10.17)----------------------------
12月2日にA&Cのサイトを開いてみると、なんと2018年度の論文が出ていた。春のテーマはThe Heavenly Ministry of Christ 秋のテーマはEphesians 3である。Ephesians 2 ではない。笑ってしまった。逃げたな。(追加2018.12.8)
----------------------------
脳卒中で12年の間闘病生活を送っておられた兄弟が'19年2月26日早朝に主に召されたとのこと。(追加2019.3.2)
2017/5
東 信男(Higashi Nobuo)
ftmp2009☆gmail.com
HOME